K.テツのひとりごと

行動記録、趣味の話などを書いてゆきます

尼崎散策 その2(長洲貴布祢神社から西川八幡神社)

2020年03月16日 | 尼崎

一昨日のブログの続きです。

 

③長洲貴布祢神社です。長洲御厨(京都鴨社の社領)と深い関係のある貴船社の分社、尼崎市西本町にある貴布祢神社の元宮と考えられている。

 

長洲貴布祢神社から厳島神社に向かう途中、小さな路路に花などが一杯・・・。3枚目は桜より小さな花です。寒桜の一種でしょうか、それともスモモでしょうか。

  

 

④大門厳島神社に到着。案内碑には「『日本書紀』には、祭神の二柱の神は共に履仲天皇の祝に出現され、さのため天皇は車持君に悪解除・善解除を負わせて長渚崎で禊祓い(みそぎはらい)を命じられたと記されている。長洲浜の開発行基五泊の一つである大河尻の修造の際、当地に縁りの深い神々として奉斎されたものかと思われる。平成7年の震災後社殿を改築。」とありました。

 

波洲通りから園田橋線を北に上がると、浄光寺の前に⑧皇大神社があります。由緒書きを抜粋すると「天長元年空海上人が浄光寺創設の折に勧請したと記されている。正平年中、佐々木判官秀詮がこの地に浄光寺城を築き、その後天正年間、荒木村重が織田信長に亡ぼされ、また羽柴秀吉が明智光秀を追い京都に上るおりに焼き討ちに会い、城とともに全焼した。その後再建された。」

 

JR線をくぐると、極楽湯です。その中の「千房」で昼食の後に「尼崎藩領界の碑」を探しに・・・。浜小学校前の交差点を右折して・・・なかなか見つかりません。インターネットで調べると「西川八幡社」の中にあると判明、西川八幡神社に参拝しました。

 

「尼崎藩領界の碑」です。従東尼崎領 とあります。同型の碑は他に11基現認されているのだとか、他領との境界が相当入り組んでいたことが忍ばれます。

 

ご神木はクスノキ科のタブノキ。

 

「神崎の渡し跡」に向かいます。続きは明後日のブログで。

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