5月14日(土)14時から尼崎市立中央図書館で平家物語を読む会がありました。4月は欠席したので、2ヵ月ぶりの参加です。今回は図書館の都合により、第2土曜に変更になったため、参加者はいつもより少なく21名でした。
欠席した前回は念仏を10回唱えた重衡が首を前にのばして斬られたところまで進んでいました。
今回は巻十一 重衡被斬 の最後の部分です。
この有様を見た7,8千人の大衆も守護の武士も皆涙を流した。首は般若寺の大鳥居の前に釘付けにしてかけた。奥様の大納言佐殿はねんごろに弔い、尼になって夫重衡の後世の冥福を弔う(大納言佐殿は首を大仏の聖重源上人にたのみ日野にもらい受け、遺骸と一緒に火葬にする。遺骨は高野山へおくり、墓を日野に設けた)。
砂川先生は次のように仰る。
*平家物語では、重衡について巻九「重衡生捕」、巻十「内裏女房」「八島院宣」「請文」「戒文」「海道下」「千手前」に続き「重衡被斬」まで長々と語られているのはなぜか。しかも当時のスーパースターである重源までかりだして。
*逆罪に相応の報いがあるというのは当時の常識、しかし平家物語には許そうという気で溢れている。衆人環視の中で斬られ、卒塔婆の前に首をかけられた重衡に対する慰霊、鎮魂、供養という意味があったのかも知れない。形ある石碑(いしぶみ)に対する紙碑として語り伝えたのかもしれない。
*平家物語では重衡が救済されたかどうかはっきりとはしていない。しかしレジュメの「源平盛衰記」でははっきり救われたと書かれている。
*重衡に焼かれた大仏は重源上人の尽力により5年で開眼供養が行われる。「鎮護国家」という目的のため。
続いて巻十二 「大地震」に入りました。7月9日に大地震が発生、白河のほとりの寺院が損壊する。配布していただいた当時の平安京の絵図でその神社仏閣を確認した。