末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

友人と友人との会合 その2 小学生の時の友人 その1 高島小学校5組と百瀬先生の2

2018-09-22 10:40:29 | 友人
 
5組の仲間の同級会

1970年に百瀬先生の呼びかけで、卒業後第1回の同級会が先生も交えて東京で開催されました。

同級会は先生のご提案で「いずみ会」と名付けけられ、それから今日まで実に42回の会が持たれています。

1982年に行われた第13回では、諏訪の地蔵寺というお寺で亡くなられた旧友の追悼式が行われました。

 その時先生が追悼の辞を読まれましたが、その中に下記の歌があります。

 「文机の蓋をぬらして さめざめと泣き伏す子等と 今はわかれめ

  数ならぬ我を思いて泣きになく この子等達よま幸く育ちな」

 これは5組解体の時に、皆が別離の悲しさで教室で共に涙にぬれた時に先生が作られた歌です。
 
 また追悼の辞の中では、下記のいずみ会への期待も述べられています。

 「年に一回のこのクラス会には、人生におけるこの不思議な巡り合わせを大切に

  一人でも多く出席して若々しい心を呼び覚まし、運命的なるものに負けず、

  心を強くして共に励まし慰めあって、まっしぐらに人生を生き抜いてもらいたい」

 実は小生いずみ会の幹事をずっと務めているために、何時もこの先生のお言葉を胸に同級会を開催してきています。

 残念ながら第1回の写真はありませんが、その7年後の1977年に東京で行われた第8回の同級会には、

 先生をはじめ18人と沢山の同級生が出席しましたので、その写真を掲載させて頂きます。

第8回同級会・ktempleは右端

 この写真の男性10人中で現在生存がはっきりしているのは4人、死亡がはっきりしているのが先生を含めて4人で

 残りの2人は名前すら思い出せません。

 女性は7名の中名前が分かるのは4人で、その中で分かっている生存者は3名です。

なおいずみ会の写真は、上の写真の他に昭和時代の11回分、平成になっての22回分の写真が残っています。

その中で一番古い1974年の第5回いずみ会の写真を掲載させて頂きます。

東京で開催された第5回いずみ会・ktempleは右端

 実は2004年にこのクラス会名簿を作ろうと思い、住所の分かっている会員に手紙を送り

その中で住所不明者名を掲載してその方達の情報提供をお願いしました。

 その結果健在者は女性15名、男性17名の32名、物故者は女性6人、男性9人の15名、

住所不明者は女性17名、男性15名の32名であることが分かり一応名簿も出来ました。

5組解散時には女性37名、男性子41名の78名でしたから、この期間に大分友を失った事になります。、

終り

友人と友人との会合 その2 小学生の時の友人 その1 高島小学校5組と百瀬先生の1

2018-09-21 08:59:30 | 友人
高島小学校5組の友人

小学校に入学したのは1938年で、最初に通った高島小学校は

1学年のクラスが10クラスあるという大きな学校でした。

小生は1年から4年まで同じ5組に所属し、5組は当初男子30名、女子28名の58名でしたから

新たな友人が58名加わった事になります。

小学校は山の上にある氏神様の「手長神社」の横にあり、高等小学校も一緒にありましたから

広大な敷地に幾つかの校舎がありました。、

学校に行くには手長神社に真直ぐ繋がる結構長い石段を上っていきました。

長い階段の手前にある一の鳥居(借用写真)

長い石段(借用写真)

手長神社(借用写真)

翌年は西校という新築校舎に移り、その翌年また本校に戻りました。

その翌年の12月8日に大東亜戦争が勃発しました。

1942年には、通学区制実施に伴い高島小学校と城南小学校(西校)に再編されたため、

5組は解体してしまいました。その時5組は男子41名、女子37名の78名に増えていましたから

小学校の友人は増えた事になります。

小学校を卒業し旧制中学校時代に、5組の仲間が高島小学校に集まりました。

写真は残っていますが、この時何をしたかは全く記憶にありません。

小学校卒業後初めて集まった百瀬先生と5組の仲間(小生先生の左側)

さて5組の主任は百瀬先生という素晴らしい立派な先生でした。

偶然にも小生の父親が、先生の中学生時代に教えた事があったようです。

厳しい先生で、事業中悪戯をしている生徒がいると、シャツの後ろ首を掴んで椅子から引っ張り出し

そのまま廊下に引きずって行き、廊下に立たせました。幸い小生はそんな目に遭わずに済みましたが

今だったら大問題になるかもしれませんね。

先生はその後幾つかの学校の校長をされ、最後は地元の教育委員会の仕事をされました。


若井さんのハガキ絵展の見学

2018-09-19 20:56:48 | 友人
 若井さんと小生
 
 昨日は若井一夫さんの「ハガキ絵」展を見に家内と出掛けました。

若井さんは、ブログに度々登場する湖柳会の幹事を何時もやって下さっている中学時代からの友人です。

また若井さんからハガキ絵の年賀状を何時も頂いていることに刺激されて

小生がハガキ絵の講習会に通い出したという因縁もあります。

若井さんのハガキ絵「狛犬」展

東新宿にある専福寺の会衆庵で昨日から24日までハガキ絵「狛犬」展を開催との案内葉書を

若井さんから頂いたので、早速初日の昨日出掛けました。

若井さんは以前から色々のハガキ絵を描いておられるのですが、

ここ数年は「東京の狛犬を制覇」すると言う勢いで、都内の狛犬を描き続けておられたようです。

今回はその狛犬120点ほどを中心にした展示でした。

展示場に置かれた印刷物に、若井さんからの「メッセージ」が出ていましたのでそれを下記します。

「お寺で狛犬」展

今は亡き岡本宗司さんが泉福寺で「絵手紙」の講座を開いてくださり

それを縁にその後「ハガキ絵」を描く様になりました。

そして5年前、落語家・三遊亭円丈師が会長を務める「日本参道狛犬研究会」の話しを聞き関心をもち

東京を中心にした約200社を歩いて狛犬を描いてきました。

今回狛犬を中心に展示しますが、「お寺で神社の狛犬、いいのかなあ?」と思いつつ

住職さんのお勧めもあり、開催することになりました。ご覧いただけたら幸いです。

                                若井一夫


なお若井さんの自宅はこのお寺からは大分離れた場所にあるようですが、泉福寺は若井家の菩提寺であり

若井さんは少し前まで檀家の集まり専福会の会長もされていたとの事です。

開催日の前日にお子さん、お孫さんを総動員して展示されたそうですが、若井さんは足がつったりして大変だった様です。

さて会場に着くと若井さんは食事に出られたか留守でしたので、勝手に上がって見せていただきました。

そのうちに小生の知らない方と一緒に若井さんが戻りましたので、挨拶をして帰りました。

会場の展示の様子と、展示作品の一部を掲載しますが、同じ作品が出たりしていることをお許し下さい。

展示室の様子


展示室の様子1

展示室の様子2

展示作品

展示作品1

展示作品2

展示作品3

展示作品4

会場への行き帰り

西新宿の駅には初めて降りましたが、地下から外に出ると大きなビルがぎっしりと並んでいました。

丁度昼食時になりましたので昼食をとり、会場に着く時間を調整しました。 

さて駅から会場は近いと聞いていましたが、どう行けばいいか分かりません。

家内がお寺に電話で伺ったのですが、どうもはっきりしません。幸い交番の標識があったので行くと巡回中で留守。

それならタクシーで行くのが一番とタクシーを拾いました。

その道路は中央に木の植わった分離帯がある大変広い道路でした。

運転手さんもお寺を知らなかったのでナビで調べていました。

すると運転手さんは「反対側の道路だと直ぐだったのですが」といって、

暫く走った先にあった曲がり路から戻ってお寺迄運んでくれました。

料金も400円でしたから本当に近い場所だった様です。

降ろされた所にあったお寺さんの庫裡に伺い若井さんの展覧会の場所を伺うと

このお寺は専念寺で、専福寺さんは少し離れた場所にあるとの事。運転手さんが間違えた様です。

そして約50米先の専福寺まで和尚さんがわざわざ案内して下さって恐縮してしまいました。

泉福寺からの帰りは、道路に出ると駅までの距離も出ている立派な表示板があり

路は真直ぐの下り坂でしたから歩いて簡単に西新宿駅につきました。

前述した駅広場の喫茶店でコーヒーを飲んで一休みした後家に戻りましたが

朝9時半に家を出て、3時半に帰宅と結構歩く距離があったのか相当疲労しました。

                          終わり

友人と友人との会合 その1

2018-09-17 20:21:01 | ブログ
前書き

小生年代ごとに素敵な友人を持つことが出来た上に、今でもその友人達と会合を持っており

有難いと思っています。今日其の会の一つである旧制中学の同級会幹事から

「今回最後の会を持ちたいので出席するように」との趣旨の案内状を頂きました。

そこで思ったことは、小生が幹事役をしている会もあるので、一度現在出席している会を整理し

終活の一つとして、今後その会にどう対応するかを考えてみる必要があるかと思うようになりました。

そこでまず幼い頃からの友人とその友人に関連した会について、年代順に書き出してみることにしました。

若しご興味があればご覧頂ければ幸いです。

なお友人の写真が少ないので、小生の各時期の写真を掲載させて頂きます。

母に抱かれた赤子の小生

1 幼年期

 小生が生まれて終戦の旧制中学2年まで育った場所は長野県の諏訪市で

最幼年期は大手町に、次にブログによく登場する湖柳町に住みました。

今湖柳町は「湖岸通4町目」に変わり、交差点の名称としてのみ残っているようです。

一方大手町はそのまま残ってているようです。

湖柳町と大手町の地図。赤丸が住んでいた家の位置

1.1 最初の友人である大手町の友人

 多分5歳位迄大手町に住んでいましたが、大手町の家の前の通りは小学校や中学に通う時にも通りましたので

比較的記憶に残っています。その家は十字路の角地にあり、道路添いに塀があり、中央に入り口

塀から先に結構広い庭、その奥に家があり、家の右隣には共同風呂があったという事までは思い出せるのですが

家がどんな間取りであったかは全く思い出せません。

この家の前の家は確か「白鳥さん」で、そこには小生と同年の子供さんがおり

二人で棒を持って通る人に悪戯をした様です。この方が人生の最初の友人ともいえる人でしたが

残念ながら湖柳町に移ってからは没交渉になってしまいました。

この頃の写真が次の一枚だけありましたが、お名前が分かりません。多分この中の一人が白鳥君だと思います。

ktempleは右端

1.2 次の友人である湖柳町の友人

 大手町から移った隣町湖柳町は、諏訪湖の湖畔にあった小さな町でしたが

小学校、旧制中学、旧制高等女学校の校長官舎もあり、当時はお店も一軒もないというサラリーマンの住宅街でした。

先生が沢山住んでおられた下宿もあり、小生の中学の主任も我が家から3分の所に住んでおられ

小生の父も旧制高等女学校の教師をしていました。

この頃の我が家の家族写真

我が家は借屋でしたが、熱い湯が庭からこんこんと湧き出ており、左隣の家も同様、右隣には共同浴場がある等

あちこちで熱い湯が沸き出していた温泉にも恵まれた場所でした。 

確か今は温泉が枯れてしまい、市が深い井戸を掘って汲上げた温泉を家庭に送っているようです。

諏訪湖周辺の各市町村からか旧制諏訪中学に通っていた同期生は全員で180名ほどでしたが

湖柳町には同年生が11人もいました。そしてその中の5人が近所に住んでおり

幼年期の悪戯仲間として色々の遊びを楽しみましたので、先ずその5人が幼年期の友人です。

残念ながら幼年期の友人の写真はなく、その頃よくお宅に遊びに行き可愛がって頂いたご近所の小母さん児玉さんと

近所のお姉さん守屋さん、それに名前の分からぬ小生に近い年齢の子供の下記写真だけがあります。

小生は前列左端。その上におられるのが守屋さんと児玉の小母さん

5人の幼年期の友人の中3人は既に亡くなっており残念です。

残ったもう一人の友は今八王子に住んでおり頻繁に連絡をとっています。

さて11人の友人は、諏訪市の助役を務めたA君が諏訪に残っている他は、何時頃からか皆東京近辺に住む様になり

度々ブログにも登場する湖柳会が開かれはじめ、今は気候の良い時期には毎月波多野家に夫婦で集まり

先ず麻雀をし、その後は夕食を楽しんでいます。但し残念な事に11人の中5人が既にお亡くなりになっています。

前にも書いたと思いますが、今は亡き波多野君は、学習院大学教授、国連の代表もされて活躍されました。

また奥様のミキさんは、波多野ファミリースクールの副理事長、日本家庭福祉会理事長、

東京家庭裁判所の家事調停協会副会長、日本尊厳死協会副理事長等を務められたほか

教育に関する本を多く執筆されたりと活躍されてます。

                            終わり

今日は定期健診日

2018-09-14 20:32:06 | ブログ
定期健診

小生お医者さん処方の5種類の薬を飲んでいるため、毎月近所のかかりつけのクリニックに行き

一度は検診と処方箋を、翌月は処方箋だけを頂くといった通院をしています。

今日は前者の日でしたが、健康診断をされる方が多かったためか、一時間以上待たされました。

そして検診時間は5分程で終わり、結果は予想通り問題なしでした。

一昨年の心臓手術以後は、お蔭様で内臓疾患は全く起こらず快調そのものです。

ただ腰や膝の痛みには悩まされているため、今回は2種類の湿布を処方して頂きました。

先生からは、「少々膝が痛くても一日30分は歩くようにしなさい。さもないと足の筋肉が衰えるから」

と今回も言われましたので、これからも痛みを我慢して頑張って30分の散歩を必ず行うようにしたいと思っています。

ちょっと嬉しい事

今まで医療費負担は、家内ともども3割でしたが、今月から二人とも1割と3分の1になった事です。

歳をとるとお医者さんにかかる機会も増えると思いますので有難い事です。

でもこれは若い方達に負担して頂くのかと思うと、申し訳ない思いです。

                            終わり