5組の仲間の同級会
1970年に百瀬先生の呼びかけで、卒業後第1回の同級会が先生も交えて東京で開催されました。
同級会は先生のご提案で「いずみ会」と名付けけられ、それから今日まで実に42回の会が持たれています。
1982年に行われた第13回では、諏訪の地蔵寺というお寺で亡くなられた旧友の追悼式が行われました。
その時先生が追悼の辞を読まれましたが、その中に下記の歌があります。
「文机の蓋をぬらして さめざめと泣き伏す子等と 今はわかれめ
数ならぬ我を思いて泣きになく この子等達よま幸く育ちな」
これは5組解体の時に、皆が別離の悲しさで教室で共に涙にぬれた時に先生が作られた歌です。
また追悼の辞の中では、下記のいずみ会への期待も述べられています。
「年に一回のこのクラス会には、人生におけるこの不思議な巡り合わせを大切に
一人でも多く出席して若々しい心を呼び覚まし、運命的なるものに負けず、
心を強くして共に励まし慰めあって、まっしぐらに人生を生き抜いてもらいたい」
実は小生いずみ会の幹事をずっと務めているために、何時もこの先生のお言葉を胸に同級会を開催してきています。
残念ながら第1回の写真はありませんが、その7年後の1977年に東京で行われた第8回の同級会には、
先生をはじめ18人と沢山の同級生が出席しましたので、その写真を掲載させて頂きます。
第8回同級会・ktempleは右端
この写真の男性10人中で現在生存がはっきりしているのは4人、死亡がはっきりしているのが先生を含めて4人で
残りの2人は名前すら思い出せません。
女性は7名の中名前が分かるのは4人で、その中で分かっている生存者は3名です。
なおいずみ会の写真は、上の写真の他に昭和時代の11回分、平成になっての22回分の写真が残っています。
その中で一番古い1974年の第5回いずみ会の写真を掲載させて頂きます。
東京で開催された第5回いずみ会・ktempleは右端
実は2004年にこのクラス会名簿を作ろうと思い、住所の分かっている会員に手紙を送り
その中で住所不明者名を掲載してその方達の情報提供をお願いしました。
その結果健在者は女性15名、男性17名の32名、物故者は女性6人、男性9人の15名、
住所不明者は女性17名、男性15名の32名であることが分かり一応名簿も出来ました。
5組解散時には女性37名、男性子41名の78名でしたから、この期間に大分友を失った事になります。、
終り