末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

研究財団OB会その2

2018-09-01 20:45:14 | ブログ
財団と小生

何故小生がこの財団に入ったか、そして勤めた期間について少し書かせて頂きます。

この財団の前身(財)水道管路技術センターが発足したのが小生が50歳の時。

当時管理職は55歳になると、系列会社に移るのが一般的でした。

水道管路技術センターから会社に、誰かを出してもらいたいとの依頼があり、

上司より小生に出向する意向があるかの打診がありました。

研究開発関連の仕事を主として続けていた小生、水道供給の事業やその関連事業には殆ど縁が無かったのですが

研究機関なら系列会社に移るよりは面白かろうと出向を希望し出向しました。

当時の会社定年は55歳でしたが、会社は62歳まで定年延長をして下さったので

50から62歳までは出向者、それ以降はプロパーとして勤めました。

67歳になった時に思ったことは、「財団への出向者は一般的に2年間で交代しているのに

既に17年間も務めて最長老になっており、老害を及ぼしているのに違いない」という事でした。

そこで理事長に退職を申し入れたところ受け入れて下さった上に

「75歳まで非常勤として在籍し援助してもらいたい」という大変有難いお話を頂き、その辞令を頂きました。

その結果25年間も長期にわたり財団に在籍するという有難い経験をしました。

研究財団OB会 その1

2018-09-01 15:52:09 | 
研究財団OB会
昨晩は小生が最後に勤めた(財)水道技術研究センターのOB会に出席しました。

40人程の出席者で、半数ほどの方は存じあげていない人でしたが

財団発足時の仲間も5人出席され楽しく懇談出来ました。

ただ立食形式のため、小生はなるべく置かれてあった椅子に座ってはいましたが

家に帰る頃はすっかり疲労してしまい歳を感じました。

出席者は70代前半の方が多く、80代は小生ただ一人。

皆さんは 現役時代は、水道水を供給する水道事業体、水道のコンサルタント会社

水道に関係する機器の製造会社に勤務されていた本格的な水道人達で

所属組織から財団に出向され、大体2年間勤務された方達です。

小生の勤めていた会社日立も水道に関連する例えば計装装置、ポンプ、電機品等も製造していましたが

小生は石油化学プラント、合成繊維プラント、その構成機器を扱う化学プラント事業部に最も長く在籍し

工場の研究開発の管理と、当時は日本の化学技術が遅れていたために海外の優れた技術を導入するため

海外に出掛けての技術導入交渉と技術導入の政府認可申請業務等水道とは無関係の仕事を行っていました。

財団出向の5年程前からは、事業部の上の機電事業本部のStrategic Groupという

偉い技師長さんと二人だけの組織に所属して、機電事業本部に属する6事業部、5工場の研究開発を中心に、

事業部・工場の現状分析や今後の在り方の検討をリードするような仕事をしており

毎期行われる工場の研究開発の現状と今後の進め方等を議論する「開発会議」の司会を務めました。

5工場の中には計装、ポンプ、電機品といった水道供給事業に関係の深いものも扱っていたため

少しは水道関連研究の話を耳にしていましたが、その時はまさかその後水道に関係する仕事に就くとは

夢にも思ってもいませんでしたから、気軽に耳にしていたた程度でした。

然し思いもよらなかった水道の研究財団に所属する様になったものの、それも17年間だけでしたから

昨晩行ったご挨拶の中で「水道の恩恵を受けているのは最も長いのに、水道水供給に寄与する様な仕事をしたのは

財団勤務期間の僅か17年間だけであり、この会に出席するのも恥ずかしい様です。」とつけ加えました。

終り