財団と小生
何故小生がこの財団に入ったか、そして勤めた期間について少し書かせて頂きます。
この財団の前身(財)水道管路技術センターが発足したのが小生が50歳の時。
当時管理職は55歳になると、系列会社に移るのが一般的でした。
水道管路技術センターから会社に、誰かを出してもらいたいとの依頼があり、
上司より小生に出向する意向があるかの打診がありました。
研究開発関連の仕事を主として続けていた小生、水道供給の事業やその関連事業には殆ど縁が無かったのですが
研究機関なら系列会社に移るよりは面白かろうと出向を希望し出向しました。
当時の会社定年は55歳でしたが、会社は62歳まで定年延長をして下さったので
50から62歳までは出向者、それ以降はプロパーとして勤めました。
67歳になった時に思ったことは、「財団への出向者は一般的に2年間で交代しているのに
既に17年間も務めて最長老になっており、老害を及ぼしているのに違いない」という事でした。
そこで理事長に退職を申し入れたところ受け入れて下さった上に
「75歳まで非常勤として在籍し援助してもらいたい」という大変有難いお話を頂き、その辞令を頂きました。
その結果25年間も長期にわたり財団に在籍するという有難い経験をしました。
何故小生がこの財団に入ったか、そして勤めた期間について少し書かせて頂きます。
この財団の前身(財)水道管路技術センターが発足したのが小生が50歳の時。
当時管理職は55歳になると、系列会社に移るのが一般的でした。
水道管路技術センターから会社に、誰かを出してもらいたいとの依頼があり、
上司より小生に出向する意向があるかの打診がありました。
研究開発関連の仕事を主として続けていた小生、水道供給の事業やその関連事業には殆ど縁が無かったのですが
研究機関なら系列会社に移るよりは面白かろうと出向を希望し出向しました。
当時の会社定年は55歳でしたが、会社は62歳まで定年延長をして下さったので
50から62歳までは出向者、それ以降はプロパーとして勤めました。
67歳になった時に思ったことは、「財団への出向者は一般的に2年間で交代しているのに
既に17年間も務めて最長老になっており、老害を及ぼしているのに違いない」という事でした。
そこで理事長に退職を申し入れたところ受け入れて下さった上に
「75歳まで非常勤として在籍し援助してもらいたい」という大変有難いお話を頂き、その辞令を頂きました。
その結果25年間も長期にわたり財団に在籍するという有難い経験をしました。