末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

ガウディーの建物 その1 サグラダ・ファミリアの1 

2012-01-07 20:26:04 | 海外旅行
ktempleが訪れた頃のサクラダファミリア

年頭のご挨拶は、皆様のブログで済ませて頂いていますので省略させて頂きます。

怠け者の上にインターネットで今回ご紹介する内容を調査し始めると知らないことが沢山あり
しかも海外サイトが殆どのために語学力の衰えた小生には時間がかかってしまい
当初の掲載予定が大幅に遅れてしまいました。

スペインの旅の続きとして、今回から暫くバルセロナのガウディーの建築物をご紹介します。

強烈な印象を持って見た建物でしたが、残念ながら写真は余り残っておらず
また夫々の建築物についての知識もなかった事から
自分向けに詳細に調べた事をごたごたと書きましたので
ご興味のある方はお読み頂ければ幸いです。


先ずバルセロナについて

バルセロナの風景

バルセロナは、スペイン北東部の地中海沿岸に位置する港湾都市で
首都マドリードに次ぐ第2の都市で人口は約160万人です。

14世紀に建設された城塞を起源とする旧市街と
1859年の大拡張計画によって建設された新市街からなっています。

19世紀後半から20世紀初めに流行したフランスのアール・ヌーボーと類似した
独創的な芸術様式「モデルニスモ洋式」の建築が多く見られ

その教祖と言っても過言ではない建築家アントニ・ガウディが残した作品のいくつかがあります。

例えば巨大で今なお未完成のサグラダ・ファミリア、グエル邸、グエル公園等です。
先ずガウディーとサグラダ・ファミリア教会をご紹介することにします。


ガウディー(Antoni Gaudi)について

アントニ・ガウディ(1852- 1926)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家です。


2005年には建設途中のサグラダ・ファミリアをはじめとした数箇所の作品が
ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録されています。

ガウディは自然が好きで、曲線、放物線、植物や動物(トカゲ、蛇)などを
モチーフにしたり、祖父や父が鍛冶屋で鉄に親しんでいた事から建築物には鉄をよく使いました。

1883年31歳の時に、サグラダ・ファミリアの設計・建築担当者になり
1926年74歳の時に、街を歩いていて路面電車に轢かれ3日後に死亡するまで
その設計・建築に取り組みました。そしてその地下の礼拝堂に埋葬されています。

サクラダファミリア地下礼拝堂のガウデイーの墓


サグラダ・ファミリア
(カタルーニャ語: El Temple Expiatori de la Sagrada Familia)

サグラダ・ファミリアは、聖家族贖罪教会という正式名称を持つカトリックの教会堂で
日本では聖家族教会とよく呼ばれています。

1882年に建設が始まり130年近くが経過した現在も建設中です。

サクラダファミリアの現在の姿

後述するように寄付金で建設が行なわれているため当初完成まで
300年はかかるとかつては予想されていましたが

スペインの経済成長や入場料収入などに支えられて加速しており
現在はガウディ没後100周年目の2026年完成が見込まれています。

ここで撮った写真はいいものが殆どなかったのですが
現地で購入したガウディーの作品紹介資料、インターネット資料
NHKBSプレミアムで放映され「祈り~ガウディの心を受け継いで~」の録画等を利用しました。

説明は主としてサクラダファミリアの英文サイトの資料を利用していますが
教会の特殊な英語と語学力の落ちたktempeのために
誤訳や不明確な表現が多いと思いますがご容赦下さい。

建設の歴史

建設の発端

サグラダ・ファミリアは、出版業者のボカベーリャ(Bocabella)が
産業革命とそれに伴う社会的変化によって起きたローマ教会の権威の低下と

世の宗教心の希薄化を憂い、1866年にすべて個人の寄付に依る
罪教会を建設することを目的に「サン・ホセ協会」を設立したのが発端です。

なお聖家族とはヨセフとマリアとイエスで、ヨセフはスペイン語ではホセといい
聖ヨセフを家長とする聖家族のための教会ということで
「聖家族のための贖罪教会」となりました。

協会は当初町の中心に建設を予定しましたが
予算の制約から町の中心から離れた拡張市街地域に
1876年に12,800平方メートルの場所を取得しました。


最初の設計・建築を手がけたビリャール(Villar)
1877-1883年

翌1877年建築家ビリャールが無償で設計を引き受けました。
ビリャールの計画は全体的にネオゴシック様式で、地下室のある3つの本堂を持つ教会でした。

1882年に礎石が置かれ、地下礼拝堂の建設が始まりましたが
ビリャールと モルトレール(Montells)によって代表された建設推進協議会の間に
いくつかの意見の不一致が生じたため、ビリャールは翌年辞任し

ガウディーが1883年正式に建設を引き継ぎました。
なおその一年前からガウディーはこの建設に係わっていました。

地下礼拝堂建設風景

ガウディーの時代

1883-1913年

1883にプロジェクトを引き受けた後、ガウディーは地下礼拝堂を1889年に完成。
ついで後陣と回廊の建設に取り掛かります。

平面図で見たビリャール()とガウディー()が計画した建築物

寄付金も多く集まった事から、それまでのネオゴシック様式を止めて
形式と構造の両面で建物をより大きく且つ革新的なものにすることを提案しました。
 
その案は平面図が十字架の形の大きな本堂と
高い幾つかの塔を備えた大規模な教会でした。

それは福音書と教会の教えを、問答式に説明することを究極の目的とした
非常に象徴主義的な建築様式と彫刻を取り入れたものでした。

1892年には後陣を完成し、キリスト生誕のファサードの建設にとりかかりました。
1911年には、受難のファサードを計画しました。

完成した後陣

1914-1926年
1914年以降ガウディーはサクラダファミリアの建設のみにに専念しました。

1925年キリスト生誕のファサードの最初の高さ100mの鐘楼の建設が終了しました。
そして上述した様に1926年に悲劇的事故により死亡しました。

なおの時代には、多くの建築家、設計者、彫刻家および模型製作者が
ガウディーとともにこのプロジェクトに携わりました。

ガウディーの死後

ガウディは仔細な設計図を残しておらず
大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って構造を検討したとされています。

紐と錘を用いた実験道具
ガウディは曲線と装飾を多用した生物的な建築を得意としており
その手法は網状の糸に重りを取付けその糸の描く形態を上下反転させたのが
垂直加重に対する自然な形態だと考え実践しました

1936年スペイン内戦でガウディの仕事場と地下室が焼け落ち、それらの模型は破片となり
資料なども大部分が消失したため、工事は中断されました。

破壊された模型の破片

しかし破片から模型の復元、職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど
残されたわずかな資料を元に1952年に工事は再開されました。

復元された模型

その後時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で
現在も建設が行われています。


完成されたときの教会

上に色々の建築物の名前が出てきてお分かりにくかったと思いますので、
ガウディーが計画した最終的な教会についてご紹介します。

ガウディーが描いた完成時の姿


上記をベースに模型化したもの

これを言葉で表すと次の様になります。

正面の中央ファサードに「栄光の門」
向かって右側太陽の昇る側に東ファサードの「生誕の門」
陽の没する方角の左側には西ファサードの「受難の門」が設けられます。

それぞれの門の上には4本ずつ、計12本の塔が屹立します。これは12使徒を表すものです。

その内側には4本のさらに高い塔が立ちます。
これは4人の福音書の著者(マタイ、ルカ、マルコ、そしてヨハネ)を象徴するものです。

そして中心には一際高く太いイエスの塔、その少し後ろにはマリアの塔が立ちます。
マリアの塔は使徒の塔よりは高く、イエスの塔に寄り添っています。

このように全部で18本の塔が建ち、3つの門ができる事になっています。


教会内の建物の位置
 
 
教会内の建物をもう少しはっきりさせるために
図で主要な建物の位置を説明してみます。但し塔の位置は明確には分かりません。

上の全体の姿と同じ方向から見た立面図


平面図

本堂は上の平面図の中央の十字架の形の所で
下図の後陣とその右の部分です。
後陣と身廊の長さは90米、本堂と翼廊とが交差する所の横幅は60米です。

後陣
本堂左側の半円形部分が後陣で、まわりに分配された7つの礼拝堂がある祭壇です。

後陣の位置

身廊
翼廊を隔てた右側が身廊です。5つの身廊と3つの翼廊を持っています。
中央身廊の幅は15米、左右の身廊の幅は夫々7.5米です。

身廊にの位置

翼廊と生誕と受難のファサード
翼廊の身廊は三つのスペースに分けられており、その上には5つの塔があります。
翼廊の両端には生誕と受難のファサードがあります。

翼廊と交差部の位置

生誕のファサードの位置。受難のファサードは反対側になります

栄光のファサード
右の入り口は栄光のファサ-ドです。

栄光のファサードの位置

回廊
本堂の周囲は回廊が囲んでいます。

回廊の位置

礼拝堂
生誕のサファードの両端と、後陣の左側に三つの礼拝堂があります。

礼拝堂の位置

聖具室
回廊の左側の上下の端にはドームになった聖具室があります。

聖具室の位


地下礼拝堂
地下礼拝堂は、後陣の地下にあり、後陣と同じような形式になっています。


現在の地下礼拝堂

次回は個別の建物等をご紹介する予定です


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30 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (三面相)
2012-01-07 21:23:44
サクラダファミリアはゆっくり見たいと思いつつ未だに行けていません。
ここで詳しく教えていただきありがたいです。
もういけないかも知れないですが一番行きたい所のひとつです。
返信する
今晩は! (まっくんの館)
2012-01-07 23:12:59
サクラダ・ファミリア素晴しい建築物ですね。
バルセロナと聞くとオリピックを思い出しま
すね。
返信する
こんばんは (いちご110)
2012-01-07 23:51:06
サグラダ・ファミリアは興味ある建築物です
行く事は出来ませんので楽しませて頂きました
ガウディは不慮の事故だったのですね

見せて頂きましてありがとうございました
返信する
Unknown (hashiba511)
2012-01-08 03:33:30
沢山の思い出写真、素晴らしいですね。
hashiba511には生涯行けない外国ですが、
こちらで想像しながら楽しませてもらってます。
未知の世界、感想などコメント出来なて・・・
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おはようございます (imaipo)
2012-01-08 08:59:40
たてものについては 漠然と知ってましたが
良くわかりました、日本人もかかわってる方がいると
以前TVで放送されてました、
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おはようございます (ヒューマン)
2012-01-08 10:56:44
これだけのご紹介で十分わかりますね
現地に行った気持ちになりますね。
でも先輩がブログ作成のため、時間をかけられる姿勢はとてもマネができないです。
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三面相さん 今日は (ktemple)
2012-01-08 11:42:12
小生が訪れた時は未だメインの身廊も出来て
いない時ですから、もう一度行って見たい思いは
ありますが、今はもう無理となりました。
ご興味がありましたら、下記のサイトに詳細が
紹介されています。
http://www.sagradafamilia.cat/sf-eng/?lang=0
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まっくん (ktemple)
2012-01-08 11:44:38
バルセロナといえばオリンピックを思い出しますね。
実はオリンピックのお陰でサクラダファミリアは
一層有名になり、観光客も増加して収入が増え
建設も進んでいる様です。
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いちご110さん 今日は (ktemple)
2012-01-08 11:47:37
今回はサクラダファミリアの小生自身の理解を
深める内容で、文字が多くなってしまいましたが
次回からは出来るだけ素敵な姿をご紹介する積りです。
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hashiba511さん 今日は (ktemple)
2012-01-08 11:51:28
今回はサクラダファミリアの素敵な建物をご紹介
する写真が少なかったのですが、次回からは
それを出来るだけ多くする積りですので、
楽しんで頂ければ幸いです。
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