末期高齢者になってしまった老人の日記

我が家の花の写真を中心に、日々の暮らしの中で起きたこと等を書かせていただきます。

林泉寺

2015-10-05 19:21:46 | 旅行
今回は林泉寺についてご紹介します。

林泉寺について

新潟県上越市にある林泉寺は、越後国守護代・長尾氏およびその後裔である上杉氏の菩提寺として知られる

曹洞宗の寺院で山号は春日山(かすがさん)です。

春日山の上杉謙信像(借用写

歴史

1)林泉寺と上杉謙信

1497年越後守護代・長尾能景が亡父の17回忌供養のため曇英恵応を拝招して創建され、

能景とその子・為景の保護を受けて守護代長尾氏の菩提所として発展しました。

1536年に為景の末子・虎千代(のちの上杉謙信)が7歳で林泉寺に預けられ、

14歳で呼び戻され元服して景虎と称するまで林泉寺の六世住職・天室光育から学問を学びました。

景虎がのちに上杉氏を継承し上杉輝虎を称すると林泉寺は上杉氏の菩提寺となりました。

輝虎は七世住職益翁宗謙のもとで参禅し、1570年に剃髪したとき師の諱から一字を取って不識庵謙信と号しました。

1578年に急死した謙信の遺骸を収めた棺は、春日山城内の不識院に埋葬されましたが、

謙信の養子・景勝が会津へ更に米沢へと移封されたのにともなって米沢へと移されました。

通説では林泉寺もこれにしたがって移転したとされていますが、

開山以来の袈裟と持鉢は上越市の林泉寺に残されており法統上の正統を伝えています。

2)上杉氏移封後の林泉寺

上杉氏移封後は春日山城下に残された林泉寺は一時衰退しましたが、春日山城主となった堀秀治によって再興され、

堀氏改易後高田城に入封した松平氏、18世紀前半から明治維新まで高田藩に在封した榊原氏と

歴代の上越地方の支配者により菩提寺として尊崇を受けました。

本堂(カタログの写真)

江戸時代の林泉寺は2代将軍・徳川秀忠から御朱印で寺領224石を授けられ、高田藩主から禁制の特権を与えられていましたが

寛永年間及び1847年の2度の火災で本堂や山門などが焼失しました。

1925年上杉謙信公生誕400年を記念して山門(二重門)が再建され、

1997年には、開創500年を記念して新たに本堂が建立されました。

林泉寺散策報告

境内建物配置図

駐車場で車を降りると案内板があり、左側に行くと春日山、右側が林泉寺で

我々は右側に行き、受付で500円を支払い境内に入りました。

乗ってきたバス。左側に行くと春日城址

図の左が春日山城址。右が林泉寺

惣門

まず目につくのが歴史を感じさせる惣門(表門)です。この惣門は春日山城の搦手門を移築したものと伝えられ、

現存する唯一の春日山城の建築物となっています。

惣門

かきつばたの池

惣門の横から中に入ると、道の右にはかきつばたの池があり、かきつばたがⅠ輪だけ咲いていました。

かきつばたの池。左側に一輪咲いています

そして池の中に2匹の石の蛙がいました。

背中に子供の蛙がいます

夫婦の蛙?

その先には立派な山門がみえました。

山門

山門

寺院の山号「春日山」と書かれた山門の額

山門の両側の仁王さん?は少し面白い顔をしています。

仁王像

仁王像

山門を過ぎると左手に鐘楼が見えました。

鐘楼

鐘楼

上の写真の左に見える岩の上に可愛らしい子供の像が

可愛らしい子供の像

右手には立派な建物の宝物館と庫裏があり、宝物館には貴重な物があるようですが、

時間もないので見られず、更に写真も撮ってありませんでした。

本堂

そして本堂に向かう仲間達。丁度小学生もいました。

本堂に向かう仲間

本堂内部はなかなか立派でした。

本堂中央の仏像

左側には信玄公の像

謙信公ご墓所他

参拝が終わり外にでると、「謙信公ご墓所入口」と「川中島戦死者供養塔」と

書かれた石碑が建つ道をを登る人の姿が見えました。

坂道登る人

この先には次の図にあるように色々の方の墓や供養塔がある様ですが

お仲間は坂道だけに一人として興味を示しませんでしたし

小生も勿論その先にはゆきませんでしたので、カタログから撮った謙信公のお墓の写真を掲載します。

坂の上にあるお墓や供養塔の説明

謙信公の墓

以上で無事林泉寺参拝が終わり、次の五智国分寺に向かいました







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20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (ヒューマン)
2015-10-05 20:31:01
新潟出身の上司から、「上杉謙信公」と「公」をつけないとと
叱られていました。(笑い)
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Unknown (三面相)
2015-10-05 21:44:12
春日山城は歩いて登りましたので印象深いです。
当時の山城の形態をよく残していると思います。
林泉寺の謙信公の墓所などにも行きましたので
懐かしく拝見したところです、思い出します。
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こんばんは☆ (ベル)
2015-10-06 01:18:11
本堂前は、まさに老いも若きもと言う感じですね(笑)
山門が素晴らしく立派ですね。
かきつばたは山門の前で咲くのでしょうね。
満開の時ならきっと綺麗だったでしょうね(*^^*)
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おはようございます (imaipo)
2015-10-06 07:55:22
山門等立派なものですね
確かに階段を沢山歩くのは辛いですね
ここは訪れたことがないので興味深く見させていただきました。
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ヒュ-マンさん 今日は (ktemple)
2015-10-06 09:14:09
新潟県出身の方にとって謙信公は
やはり特別の方だったのですね。
長野県出身の小生は公をつけて
呼ぶ事は殆どありません。
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三面相さん 今日は (ktemple)
2015-10-06 09:19:47
三面相さんは本当に色々の所に行っておられ
びっくりします。
春日山城址も登られたり、信玄公のお墓に行かれ
たりで、この近辺の歴史を十分お知りになった
事でしょう。


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ベルさん 今日は (ktemple)
2015-10-06 09:26:26
山門は立派でした。
かきつばたは、境内建物配置図の
青の〇にありますから、山門の前で
咲いています。
満開の時が見たいようですね。
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imaipoさん 今日は (ktemple)
2015-10-06 09:30:40
山門は立派でした。
寺社には階段が多いのが一般的ですから
老人には大変ですね。
幸い林泉寺には階段が少なく有難かったです。
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こんにちは! (オレンジ・ペコ)
2015-10-06 09:38:06
由緒ある立派なお寺ですね。
この時期にかきつばたが一輪咲いて迎えてくれたとは、
嬉しいですね♪
新潟はまだ足を踏み入れたことがありません。
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今日は (golfun)
2015-10-06 11:49:25
上杉謙信公に相応しい立派な菩提所ですね。
山門や本堂は素晴らしいですが坂道は大変ですね。
長野にいた頃、川中島合戦や生島足島神社に謙信公が
参拝していたのを思い出しました。
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