上手く書けるかなぁ・・・
YMOのドラマーである高橋幸宏さんが、1週間前の1月11日に亡くなられたことが、今週報じられるやいなや、今日の時点でもそれぞれのファンや縁のあるミュージシャンらのSNS投稿や映像が今も止まらない。こんなミュージシャンはもう現れないかもと思うくらい。
今回は、ぼくなりの、高橋幸宏さんへの追悼という意味も少し含め、その頃からの自分の思い出を思いつくまま書いてみたい。上手く書けるかなぁ・・・。
高校生の時にYMOを知り(1993年の再生YMOとしてでしたが)、教授(坂本龍一さん)が在籍していたこともそのときに初めて知った。そういえば、坂本さんに「教授」のニックネームを付けたのも幸宏さんでしたね。
その少し前に「元気ならうれしいね」が、CMソングとしてよく流れ聴いていたので、もしかすると、これが幸宏さんの歌声を初めて認識した曲だったかもしれない。
高校生だったときはお金も時間もなく(大学受験でほぼ毎日勉強中・・・)、ライブ演奏を生で見たのは、社会人になって数年経った2002年でした。その前に、YMOのベストアルバム「YMO GO HOME」と、ライブ演奏を収録した「ONE MORE YMO」が発売され、再結成など夢のまた夢・・・なんて思っていたときに、細野晴臣さんと幸宏さんのユニット「スケッチ・ショウ」が結成され、新作アルバムの発売と、年末にライブを行うことを知り、慣れないネット通販でチケットを手に入れた。
これがそのときのチケット。
会場は今はなきSHIBUYA AXだった。立ち見席で、整理番号の順に入るので、会場のほぼ最後方の位置になってしまったが。それでも、生で元(当時)YMOのメンバーを拝見出来、また演奏を観ることができたのは当時のぼくにとっては無上の喜びだった。興奮のあまり、当時の会社の同僚に真夜中にもかかわらず電話してしまったくらい。そこまで興奮したのは、言うまでもなく、その日のゲストに坂本さん(教授)も登場し、別バンドの形ではあったものの、YMOのメンバーが3人揃った状況となったから。3人の共作「Wonderful to me」や、昔の曲「CUE」「中国女」と、ほぼ即興のような「はらいそ」(YMOではなく、細野さんの曲)を演奏してくれた。映像としても今も観ることはできるが、自分の目で見た、たった1度きりのライブの興奮は今も忘れられない。
しかしその後は、YMOや幸宏さんに関するライブや音楽フェスタに行くこともなく、TVでの放送や、最近はもっぱら動画配信などで観て楽しむくらいになってしまった。それでも、サディスティック・ミカ・バンド再結成と、思いも寄らなかったYMOの復活、映像、音楽を飽きるほど観ていたなぁ。CDも「音楽殺人」や、サディスティック・ミカ・バンドの「黒船」も買ったし。そして今も、このブログ書きながら、そのときの音楽を聴いているが、つい手を止めて、両膝をスネア代わりに手でリズム取りながら叩いたり、その仕草は本当に幸宏さんのモノマネ(のつもり・・・^^;)。
出来ることなら、もう一度(One more・・・)なんて思っていましたが、あまりに突然のことで、こんなまとまらない文章になってしまいました。
高橋ユキヒロさん(最後はあえてこの名前を使わせていただきます)、長い間、おつかれさまでした。
そして、ありがとうございました。
YMOのドラマーである高橋幸宏さんが、1週間前の1月11日に亡くなられたことが、今週報じられるやいなや、今日の時点でもそれぞれのファンや縁のあるミュージシャンらのSNS投稿や映像が今も止まらない。こんなミュージシャンはもう現れないかもと思うくらい。
今回は、ぼくなりの、高橋幸宏さんへの追悼という意味も少し含め、その頃からの自分の思い出を思いつくまま書いてみたい。上手く書けるかなぁ・・・。
高校生の時にYMOを知り(1993年の再生YMOとしてでしたが)、教授(坂本龍一さん)が在籍していたこともそのときに初めて知った。そういえば、坂本さんに「教授」のニックネームを付けたのも幸宏さんでしたね。
その少し前に「元気ならうれしいね」が、CMソングとしてよく流れ聴いていたので、もしかすると、これが幸宏さんの歌声を初めて認識した曲だったかもしれない。
高校生だったときはお金も時間もなく(大学受験でほぼ毎日勉強中・・・)、ライブ演奏を生で見たのは、社会人になって数年経った2002年でした。その前に、YMOのベストアルバム「YMO GO HOME」と、ライブ演奏を収録した「ONE MORE YMO」が発売され、再結成など夢のまた夢・・・なんて思っていたときに、細野晴臣さんと幸宏さんのユニット「スケッチ・ショウ」が結成され、新作アルバムの発売と、年末にライブを行うことを知り、慣れないネット通販でチケットを手に入れた。
これがそのときのチケット。
会場は今はなきSHIBUYA AXだった。立ち見席で、整理番号の順に入るので、会場のほぼ最後方の位置になってしまったが。それでも、生で元(当時)YMOのメンバーを拝見出来、また演奏を観ることができたのは当時のぼくにとっては無上の喜びだった。興奮のあまり、当時の会社の同僚に真夜中にもかかわらず電話してしまったくらい。そこまで興奮したのは、言うまでもなく、その日のゲストに坂本さん(教授)も登場し、別バンドの形ではあったものの、YMOのメンバーが3人揃った状況となったから。3人の共作「Wonderful to me」や、昔の曲「CUE」「中国女」と、ほぼ即興のような「はらいそ」(YMOではなく、細野さんの曲)を演奏してくれた。映像としても今も観ることはできるが、自分の目で見た、たった1度きりのライブの興奮は今も忘れられない。
しかしその後は、YMOや幸宏さんに関するライブや音楽フェスタに行くこともなく、TVでの放送や、最近はもっぱら動画配信などで観て楽しむくらいになってしまった。それでも、サディスティック・ミカ・バンド再結成と、思いも寄らなかったYMOの復活、映像、音楽を飽きるほど観ていたなぁ。CDも「音楽殺人」や、サディスティック・ミカ・バンドの「黒船」も買ったし。そして今も、このブログ書きながら、そのときの音楽を聴いているが、つい手を止めて、両膝をスネア代わりに手でリズム取りながら叩いたり、その仕草は本当に幸宏さんのモノマネ(のつもり・・・^^;)。
出来ることなら、もう一度(One more・・・)なんて思っていましたが、あまりに突然のことで、こんなまとまらない文章になってしまいました。
高橋ユキヒロさん(最後はあえてこの名前を使わせていただきます)、長い間、おつかれさまでした。
そして、ありがとうございました。