バンクーバーオリンピックが開幕しましたね・・・とはいえぼくはきょうも出勤(会社は休みじゃな~い!)なので、開会式はさきほどTVのニュースで観ただけでした。しかし、今回の日本選手団のなかに、服装の乱れを注意され、開会式はおろか、入村式にも参加を自粛せざるをえなかった、スノボーの選手がおりましたね。彼の服装や態度に上層部はカンカンだそうですが、言われた本人は反省をしているのだろうか・・・。TPOをわきまえた行動を、と、ここで早々に結論づけたくもなってくるのだが、今日はちょっと立ち止まって考えてみたい。
TPOとはもちろん、「時、場所、場合」のことを言いますが、今回の事例に当てはめると、
時=オリンピック→4年に1度しかない
場所=カナダ・バンクーバー→世界中の人が注目する
場合=選手として→一挙手一投足が注目される
といった感じか。いずれにしても、常人ではまず入れそうもない、「選手」だけに許された、いわば特権階級のイベントであるから、選ばれた側も、自分がオリンピックで注目されることを意識しているはずだ。しかし、どうだろう。もし、そんな意識がかりに「すこし欠如していた」としたら?
例のスノボー選手も、「選手」である以上、自分が競技で注目されるという意識はあったと思うけど、それ以上に「普段の自分」がオリンピックが開かれる場でさらされた。自分は何とも思っていなくても、じつは「世間」とはあまりにかけ離れていることに、彼自身、あの場に出てくるまで気付かなかった(知らなかった)のではないだろうか?(では「世間」って何?という問いも起きるだろうけど、それはここでは論じません)
若い人達の服装に顔をしかめたり、言葉遣いに気を付けろという人は多い。だけど、そういう心掛けって、人に言われて簡単に直るものだろうか?と思う。そのきっかけは、元横綱・朝青龍の突然の引退をみてから。彼は結局最後まで「横綱の品格」とは何なのか理解することができなかったように見える。彼の不祥事とされてきた行動も、なぜよくないことなのか、自分がとった行動がなぜ、多くの人を欺いてきたことになるのか、そこを自分で考えていれば、引退にまで追い込まれることはなかったろうに、と思うから。
自分だって、人から注意されてその場では反省する。しかし「喉元過ぎれば・・・」の諺にもあるように、時間が経てばいつの間にか忘れちゃう。だから何度も同じことで注意される。言われ続けて心をずたずたにされたその時から「反省」ははじまる。はじめて、「人から見られる自分」を意識しはじめる。そうすると、自然とTPOも身に付いていく・・・ま、そこまで簡単には行かないだろうけど、何かひとつ、きっかけがあれば、できないことではないと思うのです。
と、ぼくはこんな風に考えるのですが、皆さんはどのように考えますか?