作 カズオ・イシグロ
ノーベル文学賞を受賞されて初めて知ったカズオ・イシグロ氏日本で生まれながら英国で育ち イギリス国籍
一度読み終えたとき あまり良さが分からず 続けてすぐに2度目読み・・・
実はここ数年前から 映画や本を 2度3度繰り返して観る楽しさを知ったのです!
最後の 落ちというか 真相を知って 再び最初から観る(読む)と それに向って行く 伏線というか 心の動きというか 行動がもたらす結果というか・・・・
その辺がよくわかり 本来の映画や本の作者の深層心理を想像して、 より豊かに感じられるような気がします
と 屁理屈つけていますが~~
実は 本の行間を読む 映画の間の空気を読む この重大な感性が
情けないことに 歳とともに 鈍ってきているのでしょうねえ~~~
2度目 3度目で やっと 行間の意味が想像でき・・・ あの沈黙の間の意味が・・・分かり始める
まあね 時間たっぷりあるのだから 2回も3回も楽しめるって
結局は 得ですね!! ハハハ
さて 「わたしたちが孤児だったころ」
1900年初期から1958年 (大正から昭和)
日本もヨーロッパも アジアの国 中国を占領下にしようとした時代 そして 世界大戦に向って行く
この時代に イギリス人のバンクスが 幼少時代を過ごした上海でのことや 大人になって再び上海を訪れて取り組んだことを 全体として振り返っている小説です。そこには日本やロシアなど 様々な国が利害を求め争い アヘンの問題も絡み・・・
バンクスが大人になって 昭和2~30年代 上海での目的のため 戦闘地に足を踏み入れたとき
「・・・唯一聞こえてくる物音は壁の向こうにいる怪我をした男からのものだけだった。甲高いすすり泣きのような声がかなり長い間続き、それから彼は何度も何度も日本語で何か叫びだした。ときどきその声は狂ったような金切り声をそれからまたすすり泣きになった・・・」(注 わたしたちが孤児だったころより転用)
バンクスは 進んでいくうちに 再び 同じような声を聴きます
「・・・先ほど聞いた瀕死の日本兵とそっくりだった。…これは同じ男に違いないと思った。・・・私は男が日本語ではなく中国語で叫んでいることに気付いた。・・・憐れな泣き声も悲鳴が絶望的哀願に変わっていき、やがて悲鳴に戻っていくところも全く同じだった。・・・ちょうど赤ん坊が生まれる時の、あのものすごい泣き声が世界共通であるように・・・」(注 わたしたちが孤児だったころより転用)
イギリス人のバンクスが、戦闘地(上海)に行き自分もいつ殺されるか分からない壁一枚隔てたところに身を潜めた状態で、兵士の死ぬ間際の叫びを聞き 人間生まれる時も死ぬ時も世界共通だという考えが頭に浮かんだという・・・
様々な戦争で、人々は殺し合い、心を狂わせ、傷つけあってきた。
その悲惨な過去に続いている現在
その現代に 今 生かされている私
生きることは しんどいことだなあ~ と・・・
そんなことも
思います。
さて 私は これからの人生
どう生きるか?