私は写真が大好きなのよ きれいに撮るのはカメラマンの腕だからね!と注文をつける
この前会ったのは 2009年4月 89歳の時 姉と私がおばさんの家を訪問した!お弁当食べながら おしゃべりして 洋服の仕立て直しまで してくれると約束をした!
45年前、私はおばさんの家の近くの保育園に就職が決まって大喜びした。 ところが初日 つまり4月1日薄暗くなるころ 保育園の裏門を出た私は 涙をぽろぽろ流しながら おばさんの家に駆け込んだのだ。 ワンワンと声を出しておお泣きをする私に ”泣きたいだけ泣きんさい”と言いながら ラーメンをつくってくれた。 熱いラーメンをフーフー吹きながら しょっぱい涙と一緒にすすり 落ち着きを取り戻したのです・・・忘れられない思い出で、おばさんがいたから40年も、保育園勤めができたと思うくらいの恩人だ!
現在の私を知っている諸君は 想像もつかないかもしれないけど・・・ あのころの私は 非常にナイーブで傷つきやすく 何度泣いたことか トイレの中だったり 屋上だったり・・・
おばさんは洋裁を自宅でしていたため、突然の襲撃をいつも温かく迎えてくれた
そのおばさんが 息子に手をひかれて 会いに来てくれた
おしゃれなおばさんは 今日も手作りの いでたちです!
2009年4月に会って、その年の7月脳梗塞を患い1ヵ月の入院 さいわい麻痺などの後遺症もないけれど・・・食欲が戻らず体重がぐんと落ちたという
それでも 洋裁をしろと励ましてくれる人がいたという
洋裁が よいよ できんとわかるまで 半年かかったよの! ブティックからの頼まれたものを2つダメにして・・・ 息子が言う
できるとおもうんよ ミシンでまっすぐ縫えると思うんだけど~~ ぼそりとおばさんが言う
できていたことが できなくなる そのことを納得するまで 半年という期間のあいだ 失敗を重ねる必要があったのだ
年老いて ひとつひとつ できなくなっていく自分と向き合うとき なにくそ できないはずはないと取り組み 失敗を重ねる期間が半年・・・それはとても 大事な時間なのだと あらためて思う。 失う能力を受け入れるためのプロセス・・・(余談だが 義母は今 電気釜と闘っている)
会えてよかった 会いたい人に会えて・・・会いたくない人もいるから・・・
そう言って 手を振り 帰っていった・・・
もうすぐ 4月24日に92歳になる
きっと きっと 元気で入れください