TOSS  教員時代の思い出 6

2008年11月08日 22時47分02秒 | 教師
悪戦苦闘していたころから、特に、自分の指導力を伸ばしたいと思うようになった。経験年数ばかり長くなっても、授業はいつまでもへたくそだし、ずっと子育てで、勉強してこなかったから、ものすごく勉強したくなった。

TOSSという団体に加入して、猛烈に勉強を始めた。
どうも私は、「これは良い!」と思うと、猛烈に突進する性格のようだ。

学校で行う研修とは、全く違う勉強をした。

授業も、「技術」である、ということが初めてわかった。

授業での、「教師の立ち位置」「表情」「声のはり」「話し方」(できるだけ短い言葉で)「授業のリズムとテンポ」「視線」・・・・
学校の研修では、教えてくれないことばかり。

特に「視線」は、むずかしかった。教室全体を常に見るのは、ものすごくむずかしい。両脇の子を見ていなかったり、後ろの子を見ていなかったり。


5分間ぐらいの短い模擬授業をしては、数人の仲間と検討をしあった。

このとき覚えたのが、「百玉そろばん」という道具。これは子どもたちに大好評だだった。

ものすごくがんばった。授業検定というのもあって、何回も挑戦した。

でも、学校での仕事をこなすだけでもかなり大変なのに、部活動プラスTOSSでの勉強で、自分の精神力と体力の限界を超えて無理をしてしまったらしい。


ひどい座骨神経痛になった。
なかなか治らなかった。無理ができなくなったから、TOSSでの勉強はあまりできなくなってしまった。


でも、この病気のおかげで、自然形体にめぐりあうのである。
自分の仕事や勉強、なにひとつ落ちていても、自然形体に巡り会うことは無かった。不思議なことだ。


↓クリックをお願いします。↓
人気ブログランキングにご協力ください。

部活動との両立  教員時代の思い出 5

2008年11月08日 22時16分59秒 | 教師
合唱部担当の1年間は、27年間の教員生活の中でも、悪戦苦闘の1年間だった。

1年生36人の担任。
それまでは、ずっと30人以下の学級だった。

1年生で36人は、きつかった。私を手こずらせる子どもがたくさんいた。胃が痛くなるような日々だった。私の力では、あの子たちを一人で統率するのは、困難だった。その当時、東北大学医学部付属病院の横山先生という方に、メーリングリストで、いろいろ子どものことで、相談していた。適切な助言で、本当に助けられた。TOSSという民間の教育団体で、ひたすら勉強をしていた時期だった。

学校では、○先生に相談しても、「あなたの指導が悪いからでしょ。」と具体的なアドバイスはもらえなかった。

この年は、担当の学級でも合唱部の指導でも苦闘し、かなりの期間、声がスムーズに出なかった。本来なら、大きな声を出そうと思わなくても結構大きな声が楽に出るのだが、何ヶ月間も声がかすれたような感じで、出なかった。


研究の盛んな学校だったから、1週間に2日間の研修日があった。研修と言ってもほとんど、いろいろな話し合いだった。ほかの3日間は、部活の指導があったから、月曜日から金曜日まで、勤務時間内に自分の仕事はほとんどできなかった。

結局、否応なしに帰宅時間は遅くなる。

部活動の主担当の先生は、ほとんどこんな生活である。
小学校は、まだいい。中学校や高校の部活動担当の先生は、いかに大変であろうかと思う。

↓クリックをお願いします。↓
人気ブログランキングにご協力ください。

部活動  教員時代の思い出 4

2008年11月08日 21時47分24秒 | 教師
退職の5年前、最後の学校に赴任。(そのころは、そこが最後になるなんて、夢にも思っていなかった。)

音楽関係の部活動を担当することになるだろうとは、予想していた。
合唱部とスクールバンド部である。

私は、合唱部はとても無理だから、スクールバンド部なら担当してもいいと思っていた。
でも、紆余曲折があり(ちょっとブログで公にはできません)、合唱部を担当することになった。

それからが大変だった。なにしろ、3年連続東北大会出場の伝統ある合唱部。私は、合唱の「が」の字も知らない全くの素人。

一応、楽譜は読める。楽譜通りに演奏しているかどうかの判断はできる。音程が正しいかどうかも一応は聴き取れる。
でも、声の出し方がわからない。子どもたちの発声がそれでいいのか、ほとんどわからない。合唱部の6年生の方が、後輩の歌を聴いて適切な助言をしている。

自分で合唱の経験は、全くなかった。

前年までの合唱部の担当の先生が、心配して毎週土曜か日曜に指導に来てくれた。私は、見よう見まねでなんとか指導をしていた。また、伝統ある合唱部だから、また、ものすごく合唱の盛んな地域だから、いろいろな合唱の指導者が、入れ替わり立ち替わり指導に来てくれたので、その先生が指導したことを私は引き続きしどうする、という感じだった。

でも、発声を聴き取って指導するのは、非常にむずかしかった。

ある時、東京から指導の先生を招いて、2日間指導してもらったことがある。NHKの合唱コンクールの曲の指揮についても、私の手をとって、こういうふうに指揮をするのだ、と、指揮の仕方を教えてもらい、大変勉強になった。

でも、2日目、湯沢文化会館での練習の時、発声についてもその先生に指導をうけていた。突然、「担当の先生、同じように指導してみてください。」と言われ、保護者も見ているのに、私に指導しなさい、とふられてしまった。

私は、子どもの発声を聴き取ることができず、指導することはできなかった。

あ~~、子どもの前で、親も見ているのに・・・・・・・


たくさんの先生方の指導のおかげで、NHKコンクールでは、銀賞だった。もちろん、前年までの指導のたまものである。

1年間が過ぎる頃には、少し指導にも慣れまた来年も担当してもいいな、と思えるようになった。でも、結局、1年間だけの担当だった。


↓クリックをお願いします。↓
人気ブログランキングにご協力ください。

読み聞かせ

2008年11月08日 21時04分32秒 | 日々の小話
姉と、姉の孫が毎週施術を受けに来ている。

施術後、時間があったので、絵本の読み聞かせをしてあげた。
聴衆は、小学校2年生の男の子、幼稚園の年長の女の子、それに姉の3人。

絵本は、「かさこじぞう」。

なんと、半年ぶりの読み聞かせだ。たったの10分間だったが、教員時代の感覚がよみがえってきて、なんともいえない気分になった。


自分で言うのもなんだが、読み聞かせはけっこううまい。というか、普通の人よりは、少しうまいと思う。

読み聞かせをすることは、いつでも私の学級経営の方針だったから、子どもたちと私の思い出は、本を読んでもらったこと、というのが多い。それに、自分の子どもにも、毎日必ず本を読んであげた。私は、絵本の会社(ホルプ)のお得意さんだったからね。


↓クリックをお願いします。↓
人気ブログランキングにご協力ください。