近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

太宰の思想

2007-04-25 18:16:51 | Weblog

こんにちは、坂崎です。「ヴィヨンの妻」の例会お疲れ様でした。 

今回の資料では、当時の作者と時代の思想が大いに読みに関わっているということがよくわかった。それは資料でいえば、「成立」から「時代」にかけての部分である。太宰自身がフランソワ・ヴィヨンの「大遺言書」が好きで金木にいたころから読んでおり、ヴィヨンは窃盗、放浪、饗宴を繰り返しながらも神を懼れる態度をもっている人物であり、その性格が主人公の大谷に与えられているという指摘は興味深かった。また「時代」の部分では当時民主主義の思想が当時流行していたが、作者はそれを<見せかけの上品さ>で覆っているうわべだけの復興であると指摘し、さらに現在の日本は完全に堕落はしておらず、宙ぶらりんの<無の無の無、虚無でない空無>であるとし、それが作中に出てくる<マイナスを全部集めるとプラスに代わる>という言説に、作者の「再起復興」の理想が表現されているという部分は非常におもしろかった。
 作品のタイトル「ヴィヨンの妻」の意味に関しては、<私>は大谷の妻であるが故に<罪>を背をわされ、既存の概念を捨て、あるがままにあればいいという境地に至ったが、<家>を捨てたがために家なき妻として「空無」から出発することが作者の理想の再帰復興を表現している。その意味で「ヴィヨンの妻」なのだ、ということでまとめられていた。この作品では、<人>という言葉がキーワードであると思う。大谷は根っからの人でなしでなく人でなしになろうとして苦悩している人間=ヴィヨンという読みが複雑であるな、と思った。ただ家庭を想わないだけで、人という扱いをいいのか、ということが少し疑問に思った。
 作者の思想から作品に意味付けしていく大切さが二つの例会を通してわかってきた。このことは自分がいまやっている研究の中でもかなり大切なことなのでしっかりやっていきたいと思う。では、この辺で失礼します。