元気な高齢者こそ使いたい電子機器

80歳を過ぎても、日々の生活を楽しく豊かにする電子機器を使いこなそう

ジャーナリスト魚住 昭 氏がレポートする、右派団体「日本会議」の戦慄。

2015年07月27日 12時35分05秒 | 日記
 「日本会議」について貴重なレポートを書いておられるジャーナリスト魚住 昭 氏のシリーズ後半が現代ビジネスに発表されたので、このブログに転載させていただく。

 「戦後50年決議」をめぐる右派団体「日本会議」の暗躍  そして戦後70年の今、彼らは何をしようとしているか?」と題した内容であり、彼らが究極に狙っているのは、現行憲法改正ではなく明治憲法への回帰であるという。

 そのためには今上天皇、次に継承される皇太子が天皇を継がれるのであるが、日本会議の主導者が不服と思う発言をされるなら、別の人を推すというほどの気構えだという。

 なんという恐ろしい事だ。 日本の国家のクーデターまがいのことも辞さないようだ。

 そして 「日本会議(+日本青年協議会)は、来年夏の参院選後を見据えて、憲法改正を求める地方議会決議(ことし4月時点で27府県議会・36市区町村議会にのぼる)や1000万人署名運動などを大々的に進めている」という。

 これこそ日本の民主主義が根底から覆される計画なのだ。

 少なくとも、自民党の中のリベラル派や、日本会議に反対する野党は、真剣にこの右派組織の活動を阻止する為のスクラムを組まなければならない。

 先ずは国民に右派団体「日本会議」の存在をあからさまにし、我々が今享受している民主主義の有意義な面や独裁者を許さぬ信念を育てなければならない。


(現代ビジネスより貼り付け)

「戦後50年決議」をめぐる右派団体「日本会議」の暗躍
そして戦後70年の今、彼らは何をしようとしているか?
魚住 昭
2015年07月26日

●「侵略戦争と認めるなど断じてできない」

 かつて「参院の法王」と呼ばれた村上正邦さん(82歳)は面白い人である。幼いころから筑豊の炭鉱で苦労してきたせいか、人情味があって懐が深い。政治信条は筋金入りの右派なのだが、主義主張の違いを超えて人を惹きつける何かがある。

 前に少し触れたが、私は8年前、彼のライフヒストリーを1年がかりで聞き取り取材した。彼の人生は波乱とペーソスに満ちていて、話を聞くたび私は泣いたり笑ったりしたものだが、ここでは中でも一番驚かされたエピソードをご紹介したい。

 1995年、自社さ連立内閣時代のことである。村山首相は戦後50年決議の採択を目指していた。が、連立相手の自民党は決議推進派と慎重派に分かれていた。

 慎重派を後押ししたのが、椛島(かばしま)有三氏が率いる「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」('97年に両組織が合併して「日本会議」になる)である。

 「守る会」と「国民会議」は前年4月「終戦50周年国民委員会」を立ち上げ、戦争謝罪決議の反対署名をはじめていた。その年秋には「国民委員会」の呼びかけで各地の県議会などで戦没者追悼の決議が相次いで行われ、翌年3月、「国民委員会」が謝罪決議反対署名506万名分を集めて国会に請願した。

 そんな状況下で森喜朗幹事長や加藤紘一政調会長らが何とか与党間の合意を取りつけようと奔走した。村上さんの回想。

 「焦点となったのは、決議で先の戦争が侵略戦争だったことを認めるかどうか、そしてアジア諸国に対する植民地支配に言及するかどうかでした。自民党五役は、私を除いて皆決議をやるべしと主張していた。私は侵略戦争だと認めるなんて断じてできないと突っぱねていた」

●参院幹事長室を占拠した日本青年協議会が激怒

 交渉が大詰めを迎えたのは'95年6月6日夜だった。

 どんな内容なら慎重派が了承できるかと加藤政調会長らが文案作りを繰り返した。その文案を衆院役員室で「これならどうです」と村上さんに提示する。彼はそれを参院幹事長室に持ち帰る。

 幹事長室は、椛島氏をはじめ日本青年協議会(=後の日本会議の事務局)の関係者らに占拠されていた。彼らは文案を見て「いや、これじゃ駄目だ」「この文言はああだ、こうだ」と言う。村上さんは加藤政調会長のもとに引き返し「この文案じゃ受け入れられない」と伝える。その繰り返しで夜が更けていった。

 最終的に加藤政調会長らが提示してきた文案はこうだった。

 〈(前略)世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行った【こうした】行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する(後略)〉

 村上さんが口頭で伝えられた文案には【こうした】が入っていなかった。

 であれば、日本が「植民地支配や侵略的行為」を認めたことにはならない。その辺が極めて曖昧になるから参院幹事長室を占拠する連中も納得できる。村上さんはそう思ってOKサインを出した。じゃ、これでいこうと、その場でシャンシャンシャンと話がついた。

 再び村上さんの回想。

 「散会後に決議を成文化したペーパーをもらいました。その場で中身を確認しておけばよかったんですが、そうせず幹事長室に戻った。それで皆(日本青年協議会の面々)に『だいたいこっちの要望通りになったから、これで決めたよ』とペーパーを見せたら、皆が『何だ、これは! 村上先生おかしいじゃないか』と言い出したんです」

 村上さんが改めてペーパーを見ると、加藤政調会長らから口頭で伝えられた文案と明らかに違う。【こうした】がいつのまにか挿入されていた。これだと日本が侵略戦争をしたことを認めてしまうことになる。

 しかし、村上さんはついさっき役員会で了承し、その役員会は「村上からOKが取れた」と言って散会してしまった。今さら取り返しがつかない。

 村上さんがつづけて当時を振り返る。

 「椛島さんらはものすごい勢いで怒った。私が彼らをペテンにかけたと言うんです。なかには私のネクタイをひっつかまえて怒鳴る者もいて、参院幹事長室は大騒ぎになった。とにかく目の血走った連中が『絶対阻止』を叫んで大勢押しかけて来ているわけですからね」

●日本会議はいま何をしようとしているか

 村上さんにしてみればペテンにかけられたのはむしろ彼だった。役員会で聞いた文案には確かに【こうした】はなかった。

 進退窮まった村上さんはそこで決断した。「衆院が決議するのはもうやむを得ない。しかし参院では自分が責任をもって決議させない。だから了承してくれ」と椛島氏らに言った。それでどうにかその場は収まった。

 村上さんは約束通り、参院での戦後50年決議をさせなかった。参院の主導権は村上さんの手にあったから議院運営委員会の段階で封じ込めたのである。

 これは極めて異例の事態だった。決議は衆参両院の全会一致で行うのが国会の通例だ。 言ってみればそれが日本青年協議会の介入で覆されたのである。

 日本青年協議会の母体だった「生長の家」は既に代替わりして政治と絶縁し、創始者・谷口雅春の「明治憲法復元論」を封印しリベラル路線へ舵を切っていた。

 本来なら谷口思想を奉じる日本青年協議会は解体されるところだろうが、椛島氏らは教団を離れた後も協議会をつづけ、「参院のドン」のネクタイを締めあげるまでの力を蓄えていた。 そのバックになったのが、彼らが事務局をつとめる「守る会」と「国民会議」の組織力であることはいうまでもないだろう。

 いま日本会議(+日本青年協議会)は、来年夏の参院選後を見据えて憲法改正を求める地方議会決議(ことし4月時点で27府県議会・36市区町村議会にのぼる)や1000万人署名運動などを大々的に進めている。

 私の見るところでは、彼らにとって憲法改正は戦前の大日本帝国の“栄光”を取り戻すための一里塚にすぎない。 その先にどんな未来があるか。 想像しただけで背筋が寒くなる。

*参考:ハーバー・ビジネス・オンライン連載『草の根保守の蠢動』(菅野完著)、週刊金曜日2015年4月3日号

『週刊現代』2015年8月1日号より

(貼り付け終わり)

東芝の粉飾事件は、原発メーカーWH買収「のれん代」の処理問題にある。

2015年07月26日 06時45分39秒 | 日記
 東芝の不適切会計処理が大きな問題になり、ここ3代にわたる社長の利益追求のための各部門への指示が、赤字事業の不採算項目の先送りなどによる粉飾決算を生んだと、メディアで報道されている。

 しかし、筆者は規模の大小はあっても、ある程度このような処理は各企業でも見られる事であり、うろ覚えの聞きかじりでは、東芝の損失額は1600~2000億円なんてものではないと聞いていた。

 やはりというか、経済ジャーナリストの町田 徹氏が現代ビジネスのニュースの真相コラムで、”膨らんだ「のれん代」1兆円超 東芝がひた隠す「原発事業の不都合な真実」”と題して原発事業がらみの問題を書いておられる。

 筆者は東芝は米国GE社と関係が深いと認識していたが、2006年10月に4800億円あまりを投じて77%の株式を取得し、米原発プラントメーカーのウェスチングハウス(WH)子会社を買収していた。

 その頃は原発プラントの製造販売は、多くの利益を生むと思われていたのかもしれない。

 ところが福島原発の大事故が発生し、先進国の新規原発建設は縮小し、事業見通しに暗い影を投げかけるようになる。

 町田氏は”WH買収以来、すっかり安易なM&Aが定着した東芝の2014年末のバランスシートには、実に1兆1538億円ののれん代が計上された。 仮に、全額を一括償却すれば、巨大に見える東芝の株主資本(1兆4264億円)があっさり吹き飛ぶ規模だ。 そもそもWHののれん代の先送りは、必要なコストの計上や損失の処理を先送りするという点で、今回、問題になっているインフラ工事の経費先送りなどと同根の問題でもある”と指摘する。

 原発プラントの新規需要先は開発途上国や中国が強い関心を示しているが、中国へは米国企業が強力に売り込みをかけており、日本企業は身じろいでいる状態だと言う。

 どう見ても、東芝問題は原発プラントの問題と捉えないと、判断を誤りそうだ。


(現代ビジネス 町田 徹のニュースの真相より貼り付け)

膨らんだ「のれん代」1兆円超 東芝がひた隠す「原発事業の不都合な真実」
町田 徹
2015年07月21日

 ●封印される「2つの問題」

 発覚からすでに半年近くが経過した東芝の粉飾決算疑惑が今週、節目を迎えそうだ。
 報道によると、東芝が事態の究明のために設置した「第三者委員会」が本稿掲載の前日(7月20日)夜、調査報告の概要を公表。本稿掲載日(21日)の夕方、田中久雄社長が記者会見して、佐々木則夫副会長と共に引責辞任を表明するという。

 注目の決算の修正額は、過去5年間のコストの先送り(約1600億円)と事業そのものの収益力低下を反映した工場の減損処理(約700億円)の合計額、つまり2300億円前後の巨額に達する模様だ。

 だが、これまでの報道をみている限り、より本質的で構造的な2つの問題の解明は進まず、封印される懸念がありそうだ。

 事件の発端は今年2月。関係者が証券取引等監視委員会に行ったとされる内部通報がきっかけだ。不可解な発端だけに、東芝内部でなんらかの内紛があった証拠だとささやかれている。事態を受けて、東芝は当初、4月3日付で室町正志会長を委員長とする「特別調査委員会」を設置。2013年度のインフラ関連の工事の会計処理について「自ら事実関係の調査を行う」と発表した。

 さらに、5月8日には、「更なる調査が必要」で「ステークホルダーの皆様からの信頼性を更に高めるため」、第三者委員会を設置するとした。

 その後は泥沼の展開だ。決算発表もできないまま、6月25日に定時株主総会を開く事態になり、田中社長は「創業以来最大の危機」と繰り返した。当初「500億円程度の下方修正」と報じられていた修正額も、膨らむ一方。修正額の膨張を第三者委員会の調査が徹底している表れと見ているのだろうか、リークらしき情報をマスメディアは競うように大きく扱っている。

●急膨張する「のれん代」

 しかし、こうした報道姿勢は危うい。というのは、第三者委員会が粉飾決算疑惑の調査の対象期間を5年に限定し、調査対象の不正をコスト(損失)の翌期以降への先送りだけに絞り込んでいると報じているにもかかわらず、それ自体を問題として追及する姿勢を欠いているからだ。

 第三者委員会も、調査が不徹底に終わるリスクに気付かないまま、より大きな構造問題を見逃すことになりかねない。日本航空(JAL)が破綻に至った粉飾決算や旧日興コーディアル証券(現SMBC)の身売りの引き金になった粉飾決算をスクープした経験から言えば、始めから問題点を絞り込むようでは全容の解明は覚束ない。

 ほとんど報じられていないが、今回のケースで怠ってはならないのは、同社の重要部門だった原子力事業の精査だろう。

 中でも、鳴り物入りで2006年10月に4800億円あまりを投じて77%の株式を取得した米原発プラントメーカーのウェスチングハウス(WH)の子会社化は重要だ。当時の西田厚聡社長は、わざわざ説明会を開き、原発の建設や保全サービスなどで2015年には最大7000億円のビジネスが見込めると胸を張っていた。

 この買収に伴って、東芝のバランスシート上ののれん代は急膨張した。2006年度(2007年3月末)の計上額は7467億円と1年前の6.5倍に急増した。

 問題は、こののれん代の処理にある。

 ちなみに、のれん代とは、買収金額と、買収対象になった会社の正味価値の差額を指す。買い手候補が2社以上で競合すれば、のれん代は膨らみがち。経営の実態を決算に反映しようとすれば、膨らみ過ぎたのれん代の償却は不可欠だ。

 償却のやり方は、国際会計基準(IFRS)や米国基準と、日本基準で異なっている。IFRSや米国基準では、買収した企業(事業)の価値が下がったら償却するのに対し、日本基準は20年程度をかけて費用として計上し償却することになっている。

●原発事業の誤算

 そこで東芝だが、同社は米国基準を採っている。WH買収前のことだが、2005年度第3四半期決算発表の席で、担当副社長がWHののれん代について「弊社は米国会計基準を採用しているので、毎年、(下がっていないか)公正価値の再評価を実施します」としながら、有望な事業なので「直近2、3年の間に減損をすることは想定しておりません」と言明した。

 そもそも、この償却をしないという方針に無理があった疑いがある。WHの本国である米国では、1979年のスリーマイル島の原発事故以降、新たな原発の建設がストップしており、原発は有望なビジネスではなくなっていたからだ。

 さらに、福島第一原発事故から約1カ月が経った2011年4月14日の佐々木則夫社長(当時)の言葉は不可解だ。日本経済新聞やロイター通信のインタビューで語ったもので、「会計監査人に見てもらって今の経営の中から減損のリスクはほとんどないと評価されている。実際の収益の源は(既存の)運転プラントと燃料から来ているので、新規プラントが少し遅延しても減損に至らないと思う」と述べたのだ。

 福島第一原発事故で東京電力の企業としての存続が危ぶまれ、米国に続いて日本でも原発の新設が難しくなろうとしていた時期に、減損を不要と言い張る佐々木社長の態度は、リスクの過小見積りとみなされてもやむを得ない。ちなみに、東芝が2010年12月末に計上していたのれん代は約5489億円。このうち半分強がWH分だったとされる。

 2012年10月、佐々木社長はさらに約1250億円を投じて20%分のWH株を追加取得した。米エンジニアリング大手のショー・グループから契約に基づく買い取りを迫られて、拒否できなかったのだ。

 この価格が妥当だったかどうかも精査が必要だ。

 WH買収以来、すっかり安易なM&Aが定着した東芝の2014年末のバランスシートには、実に1兆1538億円ののれん代が計上された。仮に、全額を一括償却すれば、巨大に見える東芝の株主資本(1兆4264億円)があっさり吹き飛ぶ規模だ。そもそもWHののれん代の先送りは、必要なコストの計上や損失の処理を先送りするという点で、今回、問題になっているインフラ工事の経費先送りなどと同根の問題でもある。繰り返すが、精緻な調査を避けては通れない。

●荒療治が必要

 もうひとつの大きな問題は、監査法人である。新聞は「(日本公認会計士協会が)東芝の決算を監査した新日本監査法人について、手続きが適正だったかを調査する」(7月15日付日本経済新聞朝刊)と報じているが、同じ記事の中で「(東芝が)会計処理を巡って監査法人に実態と異なる説明をしていた」として「第三者委員会は監査法人に大きな問題があったとは考えていないもようだ」と疑惑を否定するスタンスを採っている。騙されたのだから仕方ないといわんばかりなのだ。

 しかし、会計士は、会計監査のプロである。原子力事業に加えて、もう一つの大黒柱の半導体事業が死に体になっていた東芝の経営を監査して、疑わしい会計処理がいくつも存在したことを見抜けないようではプロの資格がない。

 問題は、世界的な粉飾事件として注目された2001年の米エンロン事件以降、グローバル監査法人の間で「マニュアル監査」と呼ばれる安易な監査がすっかり定着してしまった点である。

 マニュアル監査というのは、それまでの監査法人の会計士たちが経営の深淵にまで踏み込み、経営コンサルティングを兼業することによって、粉飾に手を貸す結果になった反省から生まれた。

 監査項目を記したマニュアルに従って会社をヒアリングし、表面的な回答を得ただけであってもマニュアルの要件を満たせば善しとするものだ。「実態を追及しない監査になってしまった」とベテラン会計士たちの間では批判が絶えない。

 こうした状況を打開するには、詐欺罪の刑事罰(10年以下の懲役)と同程度に過ぎない、金融商品取引法の有価証券報告書の虚偽記載を厳罰化し、経営者たちが真摯に粉飾決算の看破を会計士に懇請する環境に変えるぐらいの荒療治が必要かもしれない。

 金融当局は水面下で、取材記者たちに、「財界団体のトップを輩出した大企業がこの程度の粉飾決算で経営危機に陥るわけがないでしょう」と吹き込み、問題の矮小化を図っていると聞く。こんなことでは、傷付いた証券市場や企業のガバナンスに対する信頼回復は容易に実現しないだろう。

(貼り付け終わり)

東京新聞「こちら特報部」で、安倍政権の真の狙いは明治憲法復元?と報じる。

2015年07月25日 12時40分11秒 | 日記
 東京新聞25日朝刊の「こちら特報部」で、「護憲VS壊憲 改憲派も反発強く、現憲法 否定狙う? 首相周辺にちらつく明治憲法復元」と題して、筆者も納得できる記事が載せられた。

 「こちら特報部」はWEB東京新聞では、残念ながら全てが読めない。 出だしの部分だけは公開されているから貼り付けておきますが、要は、安倍政権が狙っているのは、単に現行憲法で海外派兵を禁じている9条などの現行憲法の一部改定を狙っているのではないというのだ。

 昨日にこのブログで取り上げたように、「日本会議」の求めているのは、やはり明治憲法の復活であると見ている。

「日本会議」の中にある組織で「日本青年協議会」(日青協)が主体で活動もし、首相補佐官の衛藤参議院議員は日青協の元委員長であると、「こちら特報部」の中の記事でも書かれている。

 改憲派の憲法学者である小林節教授が反安倍で対立するのも、安倍政権の真の狙いが改憲ではなく壊憲であることを知ったからであろう。

 安倍政権の危険性を感じた護憲派も改憲派も、これでは日本の国の将来に暗雲が立ち込めると判断したのは当然であり、今後もあらゆる手段を尽くして、安保法制が例え成立した後でも、廃案にするべく努力しなければならない。

(東京新聞Web「こちら特報部」より貼り付け)

安倍「壊憲」の裏に明治憲法復元論の影
2015年7月25日

 安倍政権が「違憲」法案の成立に突き進む中、共同通信社による最新の世論調査で「護憲」が6割に達した。

 一内閣の独断で憲法解釈を変えることができるのであれば、規範としての憲法の信頼性は失墜し、憲法が権力を縛るという立憲主義は崩壊する。

 各界各層の抗議活動に目をこらせば、従来の護憲勢力にとどまらず、改憲論者も「安倍政権NO」の声を上げている。

 いま起きているのは、護憲VS改憲ではなく、護憲VS壊憲、もっと言えば、戦前の大日本帝国憲法の復活をもくろむ人たちとの闘いではないのか。 (白名正和、篠ケ瀬祐司、佐藤圭)
【こちらは記事の前文です】

(貼り付け終わり)

安倍政権の背後にある「日本会議」の存在を解き明す、ジャーナリスト魚住 昭氏

2015年07月24日 14時18分58秒 | 日記
先日もこのブログで、安倍政権の主要閣僚の殆んどが「日本会議」のメンバーである事を紹介したが、ジャーナリスト、ノンフィクション作家の魚住昭氏が右派団体「日本会議」のルーツのコラムを週刊現代に書かれている。

 どうも、右派勢力「日本会議」の前身は宗教団体「生長の家」をルーツにし、(昭和)天皇を現人神とする皇国思想を国民に広めるために結成されている組織という。

 筆者などは、少なくとも戦後米国から押し付けられたにしても、民主主義や人道主義の社会で育ち、これこそ納得できる仕組みと感じながら生活してきた。

 しかし、「日本会議」のメンバーは戦前の皇国思想を基にした日本でなければ、日本人の本来の良さが発揮できないと信じ切っている人達なのであろう。

 彼らが普通の国になりたいというのは、正式の軍隊組織を持ち、隣国とも力関係で負けない国造りを行い、それこそ日本を美しい国と自画自賛できる社会を作りたいのであろう。

 しかし筆者ははっきり言って、現代の世界情勢はそういう国造りの時代ではなく、今は混沌として見えるが、相互に貿易や資本の流動化が増加し、人の交流もより盛んな時代であリ、場合によっては足らなくなった人材を海外にも求めたり、逆に海外に人材を派遣するというように、世界中の人類がお互いに生きていく為に、知恵を出し合う時代になってきているのではないのだろうか?

 安倍政権の本来の思想のルーツと、安倍政権の政策の対米追従が余りにもあからさまであり、筆者などは理解するのに混乱をきたしますが、魚住昭氏の後編のコラムも是非転載したいと思います。

(現代ビジネス 魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」より貼り付け)

魚住 昭
安倍政権の背後にいる右派団体「日本会議」のルーツ
2015年07月19日

●「参院のドン」が明かした日本会議結成の内幕

 先週号で日本最大規模の右派団体・日本会議と安倍政権のただならぬ関係について触れたのを覚えておいでだろうか。

 日本会議の中核メンバーが目指すのは、端的にいうと、戦前の皇国日本の“栄光”を取り戻すことだ。 彼らは何十年も前から周到な計画を練り、着実に布石を打ってきた。 もし、このまま事態が進むと、彼らの悲願は成就へと向かうかもしれない。

 なんて言うと、読者はそれは私の誇大妄想ではないかとおっしゃるだろう。無理もない。私だって最初はそんな大それた仕掛けがあるとは思いもしなかった。 マスコミも彼らの動向をほとんど報じなかった。

 でも、8年前のことだが、かつての「参院のドン」村上正邦さん(82歳・元労相)の聞き書きを1年つづけるうち、彼らが全国に巡らしたネットワークと、その戦略が見えてきた。

 村上さんが日本会議結成(1997年)にいたる内幕を明かしてくれたからだ。彼は日本会議の礎を作った当事者の一人である。 そしてこれが重大なポイントなのだが、生長の家の創始者・谷口雅春('85年没)の信頼が最も厚い政治家だった。

●ラディカルな皇国思想を持つ宗教団体「生長の家」

 ここで生長の家について簡単に説明しておこう。

 教団の歴史は戦前、谷口が人生苦の解決法を説く個人誌『生長の家』を創刊した時から始まる。彼はキリスト教や仏教、神道などから種々の要素を取り入れて万教帰一、すべての教えは同じ、ただ登り口が違うだけだと説いた。

 また、彼は天皇を現人神として崇めた。「一切は天皇より出でて天皇に帰るなり」と説き、聖戦完遂を唱えて教団を大発展させた。敗戦後は一転して自由と平和を唱えたが、公職追放から復帰した後、右傾化・神道化を強めて教勢を拡大させた。

 紆余曲折はあったにせよ、谷口は戦後の宗教界で最もラディカルな皇国思想の持ち主となった。彼は「明治憲法復元」を掲げて1964年、生長の家政治連合(生政連)を作り、教団の政治進出を本格化させる。その生政連の国民運動本部長に任じられたのが村上さんである。

 それから10年後の'74年、愛国心高揚を目指す「日本を守る会」が誕生する。臨済宗円覚寺貫主・朝比奈宗源が谷口らに呼びかけて作ったものだった。

 そこに生長の家はもちろん神道、仏教などの宗教団体が集まり、作家の山岡荘八や思想家の安岡正篤らも加わった。 事務局は明治神宮に置かれ、村上さんは谷口の意を受け、事務局の中心メンバーとして働いた。

●「背広を着た右翼」に変身

 「守る会」はまず「天皇陛下御在位50年奉祝中央パレード」を成功させ、その余勢をかって元号法制化運動に乗り出していく。

 もともと元号は戦前の皇室典範に定められていた。その条文がGHQの意向で削られ、法的根拠を失った。それを再び法制化しようという右派の動きは戦後三十余年、社会党・共産党の抵抗にあって阻まれていた。

 結論を先に言わせてもらえば、この法制化運動の成功が、それまで少数精鋭主義だった右派の運動スタイルを広範な国民を巻き込む大衆運動に変え、日本会議を誕生させることになる。

 名著の誉れ高い『増補 戦後の右翼勢力』(勁草書房)の著者・堀幸雄氏の言葉を借りるなら「制服を着た右翼」から「背広を着た右翼」への変身である。

 その大衆運動の戦略を描いたのが、いまの日本会議を事務総長として取り仕切る椛島有三(かばしま・ゆうぞう)氏だ。

 彼は谷口思想の心酔者で天性のオルガナイザーだった。長崎大学在学中に全共闘や共産党系の民青に対抗して民族派学生運動を組織し、自治会の主導権奪還に成功した経歴を持っていた。村上さんの回想。

 「椛島さんは長大卒業後、上京して一途に日本青年協議会(生長の家の学生OB組織)で民族派の運動をやっていた。彼は名誉栄達や金を求めず、面倒見もよかったから学生たちから尊敬されていた。彼が一声かければ動く若い人が全国にたくさんいた。その彼が『守る会』事務局に入ってくれたので、彼と二人三脚で運動を進めたんです」

 ちなみに当時の日本青年協議会委員長は今の安倍首相側近の衛藤晟一参院議員。書記長が椛島氏、政策部長が今の日本政策研究センター代表で首相ブレーンの伊藤哲夫氏。3人とも日本会議の中核メンバーである。

●椛島氏の戦略

 村上さんの証言によると、椛島氏は大衆運動のいろんな戦略や戦術に長けていた。各地で人手が必要なときは日本青年協議会傘下の学生らを動員した。

 たとえば「守る会」は'77年秋から元号法制化を求める地方議会決議運動を始め、翌年10月までに全国1016市町村の議会決議を達成して政府に圧力を加えるのだが、この「地方から中央へ」という戦略を考え出したのも椛島氏だった。

 こうした地方の動きに呼応する形で'78年7月、「守る会」を中心に「元号法制化実現国民会議」が作られる。議長に石田和外・元最高裁長官が就き、音楽家の黛敏郎が代表委員の一人になった。椛島氏は事務局長として戦略を考え、さらに世論を盛り上げるため全国47都道府県にキャラバン隊を派遣した。

 自民党や民社党、新自由クラブによる超党派の国会議員連盟も作られ、同年10月、日本武道館に2万人を集めて総決起国民大会が開かれた。 動員の中心になったのは生長の家や佛所護念会、世界真光文明教団、明治神宮や神社本庁といった「守る会」に結集した宗教団体だった。

 翌'79年6月、全国的な気運の高まりのなかで元号法案は国会を通過する。右派三十余年の宿願が「守る会」(+日本青年協議会)によるわずか2年の運動で達成されたのである。椛島戦略の効果は絶大だった。

 以来、椛島氏をはじめとする日本青年協議会の面々、つまり谷口雅春の思想を核に育った人々が”隠れた主役”となって右派の運動をリードしていく。彼らは政財界などへの影響力を急速に拡大させ、ついには憲法改正に王手をかける一歩手前にまで至るのだが、その過程については次号でご説明したい。

*参考:ハーバー・ビジネス・オンライン連載『草の根保守の蠢動』(菅野完著)、『増補 戦後の右翼勢力』(堀幸雄著・勁草書房刊)、『朝日人物事典』(朝日新聞社刊)

『週刊現代』2015年7月18日号より

(貼り付け終わり)

国民が望んでいない安保法制の強引な可決は、安倍政権のクーデターだと断言する石川教授。

2015年07月23日 23時34分05秒 | 日記
 自民党、公明党に衆議院で3分の2の議席を許してしまった今、安倍政権の安保法制の採決を阻止することができない。 参議院の採決が未決であろうと60日ルールで、衆議院に戻り可決してしまうのが確実になった。

 しかし正当な手続きに則っているように見えるが、石川健治氏(東京大学法学部教授)は、安倍政権が、憲法を改正しないまま、長年にわたり憲法によって禁じていると解されてきた集団的自衛権を容認する法解釈と法整備を強行したことによって、「法秩序の連続性が切断された」と考えられるから、これはクーデターだと断言している。

 内閣法制局長官を集団的自衛権容認論者にすげ替え、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、政権与党のみで法案を国会で通してしまった。 国民から支持を受ける「革命」に対し、国民を置き去りにした状態で法秩序の連続性を破壊する行為を、法学的には「クーデター」と呼ぶのだと石川教授は言う。

 これは由々しい事である。 現実に今回の安保法案に危険性を感じて、法案に反対している国民は80%を数えている。

 政権の独断で行われたクーデターは、国民が一致団結して反撃しなければならない。

 戦後70年の筋目を迎え、日本人が真剣に自由と民主主義を自らのものと考えなければならない時を迎えているのだ。

(ビデオニュース・ドットコム マル激トーク・オン・デマンドより貼り付け)

あれは安倍政権によるクーデターだった
石川健治氏(東京大学法学部教授)
(2015年7月18日).

 あの日、日本でクーデターが起きていた。そんなことを言われても、ほとんどの人が「何をバカな」と取り合わないかもしれない。しかし、残念ながら紛れもなくあれはクーデターだった。そして、それは現在も進行中である。

 安倍政権は7月15日の衆院の委員会で安全保障関連法案の採決を強行し、翌16日には本会議を通過させた。 国会の会期が9月27日まで延長されていることから、仮に参院が法案を議決しなくても、衆院通過から60日後には衆院の3分の2の賛成で法案は可決する。 衆院では自民、公明を合わせると3分の2以上の議席を得ていることから、16日の衆院の通過を持って、事実上法案の成立は確実になった。

 これは一見、民主主義の正当な手続きを踏んでいるように見えるが、決してそうではない。 今回日本の政治に起きたことは、後世にまで禍根を残すことになるだろうと東京大学法学部教授で憲法学者の石川健治氏は言う。

 その理由として石川氏は今回、安倍政権が、憲法を改正しないまま、長年にわたり憲法によって禁じていると解されてきた集団的自衛権を容認する法解釈と法整備を強行したことによって、「法秩序の連続性が切断された」と考えられるからだと説明する。

 元々安倍政権は憲法9条を改正して、日本も軍隊を持ち戦争のできる「普通の国」にしたいという野望を抱き、それを公言して憚らなかった。 しかし、それを実現するために必要な国民の支持がないことがわかると、今度は憲法改正を困難にしている憲法96条を改正し、現行の3分の2から国会の2分の1の賛成で憲法改正を発議できるようにしたいと言い出した。

 憲法の条文を改正する手続きを定める憲法96条は、憲法の中では他のすべての条文よりも高い位置にある。 それを壊す行為は憲法そのものを転覆させる行為であり、これを法学的には「革命」と呼ぶが、「革命」が成功するためには国民の支持が必要だ。 しかし、日本国民は憲法96条の改正を支持しなかったため、「革命」は失敗に終わった。

 ところが安倍政権は今度は、国民を置き去りにしたまま、政府レベルで法秩序の連続性の破壊を図った。 内閣法制局長官を集団的自衛権容認論者にすげ替え、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、政権与党のみで法案を国会を通してしまった。 国民から支持を受ける「革命」に対し、国民を置き去りにした状態で法秩序の連続性を破壊する行為を、法学的には「クーデター」と呼ぶのだと、石川氏は言う。

 石川氏は今回日本が失ったものの中で、最も大きかったものは「理屈が突破されたこと」だったという。 参考人として呼ばれた3人の憲法学者にことごとく違憲の烙印を押され、憲法学者はもとより世のほとんどの学者も、歴代の内閣法制局長官も、こぞってこの集団的自衛権を認めるこの法案は違憲であると主張していた。 こうした主張に対する政府・与党側の反論は、集団的自衛権とは何の関係もない砂川事件の最高裁判決で集団的自衛権は禁止されていないという、およそ屁理屈にもならないようなお粗末なものだった。  また、今回の法整備によって日本の抑止力が高まるという政府の主張も、根本的な部分に誤謬があることも明らかになった。

 理屈の上では安保法制をめぐる安倍政権の主張は完全に敗北していた。 しかし、にもかかわらず論理的に破綻している法案が閣議決定され、7月16日の衆院通過で事実上の成立が決まってしまった。

 理が通らない政策が数の論理によって押し切られてしまったことで、日本が「法秩序」を失ったことの影響は大きい。 今後、この法案がもたらすであろう個別の問題を考えただけでも目眩がしそうだが、より高次元で日本の法秩序が破砕されたことの影響は恐らく安全保障分野だけにとどまらないだろう。 われわれの多くが、日本という国の政治の頂点で、「理」が「無理」によって押し切られるところを目撃してしまった。 これによって戦後われわれが大切に育て、守ってきた「公共」空間が壊されてしまった。

 ここに至るまで安倍政権は、解釈改憲を実現するために内閣法制局長官をすげ替えたほか、アベノミクス実現のための日銀総裁人事にも介入した。 また、メディアへの圧力を強める一方で、NHK会長人事にも介入してきた。 こうした行為もまた、憲法96条改正の通底するところがある。 最終的に法秩序を破壊するような行為を行う上で、まず邪魔になる障害を取り除くために首相の権限をフルに活用する。 法律で委ねられた権限を行使しているだけとの見方もあろうが、そもそもそうした権限が内閣に委ねられているのは、そうした個々の機関の暴走を防ぐためであり、首相の権力を私物化するためではない。 それを自身の権力や権限の拡大のために利用する行為は、権力の目的外利用であり、権力の濫用に他ならない。

 今回の安保法制の事実上の成立で日本が失ったものとは何なのか。 今後その影響はどこで表面化してくるのか。 われわれはそれにどう対抗していけばいいのか。 知性主義も立憲主義も否定したまま自身の目的達成に向けて突っ走る安倍政権と、われわれはいかに向き合っていけばいいかを、ゲストの石川健治氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

(貼り付け終わり)