ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

「家にも、何か、無いの!!!」

2011-03-06 06:07:03 | Weblog


時々晴れ間も見えるけど,風の強い日が続いている。
季節の変わり目には,風の強い日が多い。

3月4日、朝、お客様をお見送りした,直後から、
家の中の、ゴミ投げが始まった。
ほっとする暇はない。
カーテンが外され、リネン室、ボイラー室から
不要になった物たちが,放り出されて行く。
仕分けされ、資源・燃やせない・燃やす・それぞれ色の異なる
ゴミ袋に、詰め込まれて行く、
ゴミ袋は,とりあえず,45Lが60枚用意された.1枚100円の課税された
ゴミ袋。まだまだこの後も、100枚単位のゴミ袋が必要になる。

各部屋事に、一つ一つ、空にして行く。
2日がかりの部屋もあれば,1日で空っぽになる部屋もある。
ゴミ袋では、出せない不要物もある,それらはお金を払って
引き取って頂く。

昔は、どこの街にも,夢の島が存在した。
トラックで乗り付けて、どど~~~っと不要物を投げて行った。
自転車から,冷蔵庫から、期限切れのアンパンの山から、
野菜のくずから、ほとんど何でも「OK」だった。

隣町は転勤族の多い街だった。4月の頃、
隣町の夢の島は「宝の山」に変身した。
立派な家具から電化製品、何でも揃った。
茫々と白いメタンガスがあちこち地中から噴き出し
(時々火が付いて,消防車が出動した)
馬鹿でかいブルトーザーが行ったり来たりしていた。
夢の島の匂い・・・・・
普通の人は余り縁のない場所かもしれないけど
建築現場の廃材、剥がしたコンクリート、
ダンプに積んで仕事帰りには,何時も通っていた。
パワステもないハンドルはやたらと重く、
砂利や土砂を積めば,タイヤが地面にめり込んで行った。

・・・・そう・・・・この校舎の中には,ゴミしか残っていなかった。
私達はゴミの中で暮らしていた。お宝鑑定団を見ていて、
「家にも、何か、無いの!!!」・・・と妻からいつも叱咤されていた。
「なんにも・・・無い!!」

「貧乏」を絵に書いたような暮らしでも、家の中は以外と
「カラカラ」明るかったのが救いになった。

今日は,朝から札幌に向って走る。
頭の中で、「ニセコ千本桜音頭」を思いめぐらしながら・・・・。
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