ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

そもそも・・・・・・!!!!!!!!!

2011-09-14 23:37:27 | Weblog


快晴の秋の空だった。
関西や関東では、猛暑日が続いている。

今日は、晴れ渡った空に聳える羊蹄山を眺めながら、ニセコまで走った。
あんなに姿がくっきりした羊蹄山は久しぶりだった。
イモの収穫がはじまり、でんぷん工場はいよいよ佳境に入った。

でんぷん工場は、お盆過ぎから仕事がはじまった。
ハネイモが持ち込まれるまでの期間、昨年の「溜め」の掃除や様々な箇所の点検調整が行われる。
「溜め」は、廃液を沈殿濾過するための「ため池」腐ったイモの汚泥のようなものがびっしり溜まっている。
イモが持ち込まれ、機械が回り出すと、もう止められない。
24時間、2交代のふる操業がはじまる。
イモをスリ、遠心分離機ででんぷん質を集め、生のでんぷんを乾燥させ、その日のうちに20Kgの袋詰めにして行く、
6:00時~18:00時 18:00時~6:00時という2交代勤務の仕事が、イモが無くなる、雪の降る頃まで、一日も休み無くつづく・・・・
だから、当時は稼げた3ヶ月とちょっとで、100万単位のお金が稼げた。
私は、20Kgの袋詰めの6:00時~18:00時、日勤12時間労働だった。
袋詰めは、3人がかりで、一日に何百という20Kgの袋を積み上げて行く、
倉庫が一杯になって来ると、コンテナがやって来て、運んで行く。
行き先は、浜松辺りのかまぼこ工場・・・と聞かされていた。

昔、ニセコの街を流れる沢筋に、幾つもの水車小屋があって、イモをすり、大量の水を使ってでんぷんを濾過し、乾燥させて・・・・
そんな小屋が沢山あったと聞いている、沢の中に煙突だけ残ったような名残が、あちこちあった。
でんぷんを乾燥させる為に、多くの「火」を使うので、それらの小屋はよく「火事」になったと聞かされている。

地方の「現実」を何も知らず、見ないで、原子力発電所反対のような「理想」絵空事を言うな!!・・・という意見がある。
地方経済の疲弊、雇用の喪失、見捨てられた地方に、原子力発電所はどれほど明るい未来を約束したか?・・・
それらの現実を無視して・・・・・
もちろん、札束を積み上げられても、土地、島・海を守り?続けた人々もある。
福島県の現実は、これは明るい未来だったのか、これも現実ではないのか、本当に明るい未来だったのか。

そもそも、地方って、ずっと昔から、力を蓄えないよう、勝手に良からぬ事を考えぬように「叩きのめされて」来たのでは無かったか・・・?
「理想」絵空事を言うな!!・・・という意見に、どうしても違和感を覚える。

そもそも、素晴らしい文化を持ち静かに暮らして来た人々を、野蛮人と称し、発見してやって、征伐したのは何処の「野蛮人」だったのか、
そもそも、数えれば沢山「そもそも」はある、私は、どうしても「そもそも」になってしまう。
確かに、次元、時代、は異なる、お話にならない事も分かるけど、「理想」絵空事を言うな!!・・と言われるのであれば、「そもそも」と言いたい。
「理想」絵空事を語れない社会があるのなら、私はそちらを危ぶむ。

昼に、新しくOPENした、産地の野菜を主としたメニューで営業しているレストランにはじめて行ってみたけど、
かなりの大きなスペースがあるにもかかわらず、平日であるにもかかわらず、待ち時間があって、レジの前に沢山人々が座っているのを見て
退散した、私にはそれほど多くの昼休みは無く、中華屋でラーメン・ライスが関の山だった(お似合いだった)

浜一杯に広げられた「昆布」を1本1本集めながら「今日の三枚岳(襟裳岬)は奇麗だ」・ぽつり言った漁師の母さんの横顔が忘れられない。

今日の画像は、もういつの事だか忘れたけど、西積丹(泊・3号機の向こう側)ブルーホライズンYHの集会に、招かれて歌った時の私・・・
結婚して、間もなくの頃だったと思う。

そう・・・・・時は確実に流れた。

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2 コメント

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西積丹 (swallow)
2011-09-19 15:39:28
写真を見たとき、一瞬にしてここは「ブルホラ」ではないかな?とピンときました。
若き日の歌い手さんですね。

前に記述したとおり、先日堀株をショートカツとする原発の真下のトンネルをくぐり、いまでは「ひこうせん」という民宿になった旧ブルホラの前を通って、珊内へと墓参りに行って来ました。

時は確実に流れて、変わってしまったこと、変わらないことが錯綜します。
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ブルホラ! (ぷ~)
2011-09-19 22:03:53
swallow さま

お立ち寄りありがとうございます。
そう・・・当時、
襟裳岬・かもいでは「うたいて」と呼ばれて
いました。心を塞ぎ切った「うたいて」だった・・・
でも、あれがあって、今があるみたいな気もします。
くそ生意気な若造だったと思います。

かもいに通ってた頃は、ブルホラは素通りしていましたが
ご縁があって、その後何度も遊びに行きました。
とにかく、「海」を眺めるのがとても好きでした。

あの頃は、本当に青臭い「理想」絵空事しか
語れなかった、それしかなかった。
でも、いろんな事があって、毎日楽しかった。

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