ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

心が,ピンクに染め上げられて行く・・・・・

2012-04-17 05:48:33 | Weblog


肌寒い,曇り空、風がまだ残っている、
早朝、まだ雪が若干残っている、南沢の河原に出た、
水の勢いは「ゴーゴー」山からの雪解け水を川幅一杯に広げようとしていた。

昨日、夕方の飛行機まで,時間が有ったので、この機を逃せば,二度と行けることも無い・・・・
と思い立ち、私の故郷を訪ねた、阪急神戸線、沿線には桜満開の箇所が幾つもあり、
桜トンネルの中を三宮行きの普通列車は、走った。
心が,ピンクに染め上げられて行く。

阪急武庫之荘駅、私達はいつもこの駅から,旅立って行った。
毎週、アコーディオンを担いで、阪急電車で師匠の家にお邪魔していた。
前乗り先払いの尼崎市営バス(しえばす)武庫車庫行きの車窓からの風景に
昔の面影は無かった、聞き覚えのある停留所の名前だけが当時を思い起こす言葉の響きだった。
武庫の郷、交通公演、豊町・・・・・
バスのお客さんは殆ど,私より年上の,乗車ぱすを持った、ご老人だった。

終点・武庫車庫について、驚いたことは、
前回,来たときくたびれて立ち並んでいた、公団住宅群が全て取り壊され、
中学校までの2~3Km四方の更地になっていたことだった。
周りに点在する,真新しい集合住宅に、年老いた住人達は移られたのだろう。

久保家のお墓に手をあわせて、生まれ育った場所まで、歩いた、
小川が行く筋も流れ行くその場所は、奇麗に整備され、やはり,前回訪ねた折には
残っていた、私の借家も、大家さんの豪邸共々、立派なモダンな屋敷に建て替えられていた。
それらの区画の北側は、当時まだ、茫々とした田んぼが広がっていたけど、
今は,全て家が立て込み、昔の景色を想像する術もなにもなかった。
それでも行く筋も流れる小川の水は透き通り、大きな鯉らしい魚影を見つけることは出来た。
子どもの頃、あんなに広大だった自然のパノラマは、すっかり箱庭のように変身していた。
尼崎市常吉字源太郎7番地・・この地を離れて,40年以上の時間が流れていた。
私が毎夕、アコーディオンを練習した裏の「げんたろう橋」はそのまま残っていた。

母校の中学校と小学校まで歩いた、
桜満開の校門越しに、古ぼけた中学校の体育館とプールは健在だった、校舎は全て建て替えられ、
小学校の校舎からは元気な子どもたちの歌声が聞こえた。

今でも、子どもたちが育って行く環境としては、充分恵まれた土地柄だと思う、
15分も歩けば,武庫川の堤防に出られるし、交通公園はじめ、緑の公園も多い。
梅田に出るのに1時間かからない。
学校の周りには受験塾がひしめく・・・・

私達が子どもの頃、純近郊農家・農村地帯から大阪のベットタウンに移り変わろうとしていた、
今では、移り変わったベットタウンが一仕事を終え、新世代の居住空間へ姿を変えようとしていた。

当時,いつも村の人々が横切っていた小・中学校の校庭には高いフェンスが張り巡らされている。

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