ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

世界共産党史(連載第14回)

2014-07-07 | 〆世界共産党史

第7章 アメリカ大陸への拡散

1:アメリカ共産党の活動
 アメリカ共産党の歴史は古く、コミンテルン結成直後の1919年に分裂状態で結党され、コミンテルンの指令による21年の組織統合後はコミンテルンと密接に連携し、分派闘争を繰り返しながらも主流派はソ連共産党に忠実な党として活動した。
 しかし当初海外出身党員の多かったアメリカ共産党は結党直後から政府の一斉検挙・強制退去処分を受け、地下活動を余儀なくされたが、29年の大恐慌が転機となる。共産党はにわかに活気づいた労働運動や反資本主義運動の中で支持者を増やし、大衆運動にも浸透していく。
 さらに30年代になると、コミンテルンの反ファッショ人民戦線方針に沿って、リベラル左派とも連携した。スペイン内戦に際しても、人民戦線政府を支援するため、国際旅団エイブラハム・リンカーン大隊を結成し、戦闘に参加した。
 アメリカ共産党は草創期の黒人解放運動とも連携しており、リンカーン部隊は黒人指揮官も擁するなど、人種平等に配慮されていた。ちなみにこの部隊には函館出身の日系移民ジャック・白井も参加し、戦死している。  
 第二次大戦では、反ファシズムの観点から連合国を主導するローズベルト政権に協力姿勢を示すが、戦後冷戦期には親ソ路線から政府によって敵視されるようになり、49年の幹部一斉検挙以降、数次にわたり大量検挙を受け、党は打撃を受けた。こうした政府の執拗な検挙作戦で弱体化していく過程は、戦前期の日本共産党の状況にも似ていた。
 54年には共産主義者統制法によって党は非合法化されたが、文言があいまいな同法は憲法上の問題性から実際には適用されず、党は解体を免れた。しかし度重なる摘発とFBIによる内部スパイ工作が功を奏し、最盛期には8万人に達した党員は激減していった。
 1991年のソ連邦解体は長くモスクワに忠実であった同党にとってとどめとなり、党勢縮退を決定的づけた。近年は遅ればせながら、女性の権利や性的少数者の擁護などの新しい課題にも関与し、ウォール街占拠運動のような反新自由主義運動とも連帯するなど党勢挽回に取り組むが、現在実質的に活動する党員は2000人程度と見積もられている。
 アメリカ共産党はその長い歴史を通じて、一人の大統領も輩出しなかったことはもちろん、議会に議席を持ったこともない、完全な議会外野党として維持されてきた。これは反共二大政党政治が徹底している―実は政党政治が未発達な―アメリカならではの事情によるところが大きいが、見方を変えれば、社会運動と直結した議会外野党という独自の形態での「成功例」と言えるかもしれない。

2:ラテンアメリカの共産党
 ラテンアメリカでは、ロシア革命に先立ち1910年にメキシコ革命が勃発したが、この革命は急進的なブルジョワ民主革命の性格が強かった。革命運動内部にはエミリアーノ・サパタのような急進的な革命戦士もいたが、サパタは共産主義者というよりはアナーキストであり、メキシコ革命の中で共産主義者の影は薄い。
 メキシコ共産党は革命末期の19年に結党されるも、間もなく非合法化され、再合法化された後も、ブルジョワ民主革命を確定した制度的革命党の一党支配下で革命の急進化が抑止されたメキシコ政治において、共産党が重要な役割を果たすことは決してなかった。ただ、30年代のメキシコはスペイン内戦で人民戦線政府を支援し、スターリンに追われたトロツキーの亡命を認めた。
 ラテンアメリカでは、早くに革命的な農地改革が進められたメキシコを除くと、半封建的な大土地所有制が温存され、民衆の多数が貧農、差別された先住民という社会編成が見られたことから、労働者階級に基盤を置く共産党の発達はあまり見られなかった。
 そうした中で、ペルー社会党(共産党前身)創設者ホセ・カルロス・マリアテギは農民や先住民の解放を重視する独自の共産主義を提示した。モスクワ主導のコミンテルンの路線と相容れない彼の思想は当初糾弾されたが、ラテンアメリカでは先住民族の運動とも結びついて影響力を持った。
 一方、チリでは1932年に軍の一部も加わった社会主義革命が起きるが、これを主導したのは非共産系の社会主義者たちであり、チリ共産党は蚊帳の外にあった。そのため、共産党はこの革命に反対した。
 共産党や労組にも支持されなかった社会主義革命がわずか2か月余りで挫折した後、チリ共産党は30年代から40年代にかけ、コミンテルンの人民戦線方針に沿って社会党や急進党と組んで選挙活動を行い、人民戦線系政権に参加、戦後もユーロコミュニズムに近い議会主義路線に立って、人民戦線を継承する人民連合の枠組みで政権参加する独自の展開を見せた(詳細は後述する)。

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旧ソ連憲法評注(連載第6回)

2014-07-04 | 〆ソヴィエト憲法評注

第十五条

1 社会主義における社会的生産の最高の目的は、人びとの増大する物質的および精神的欲求をもっとも完全にみたすことである。

2 国家は、勤労者の創造的積極性、社会主義競争および科学技術の進歩の成果にもとづき、経済の指導の形態および方法を改善することにより、労働生産性の向上、生産の効率および仕事の質の向上ならびに国民経済の動的および計画的で釣合いのある発展を保障する。

 ソ連式社会主義経済における生産活動の一般的な指針を示す条文である。第一項では物質的な欲求とともに精神的な欲求の充足がうたわれていることは、専ら物質的な欲求の充足に傾く資本主義生産活動との相違点と言えるが、ソ連式社会主義生産活動にあっても、その比重は物質的欲求充足に置かれており、この点では相対的な差異にすぎなかった。
 第二項で、国家が経済指導において主導的な役割を果たすとされるのも、特にアメリカ型の自由主義経済との相違点であるが、この点でも、高度成長期の日本のような国家の行政指導に裏打ちされた資本主義経済―指導された資本主義―との差異は相対的である。

第十六条

1 ソ連経済は、国の領土における社会的生産、分配および交換のすべての要素をふくむ国民経済の統一的な複合体である。

2 経済の指導は、経済的および社会的発展国家計画にもとづき、部門別および地域別の原則を考慮し、中央集権的管理と企業、企業統合体およびその他の組織の経営上の自主性及びイニシアチブとを結合させて行われる。そのさい経済計算制、利潤、原価ならびにその他の経済的な梃子および刺激が、積極的に利用される。

 本条は、ソ連式社会主義経済の代名詞でもあった中央計画経済の根拠となる規定である。第一項にあるように、ソ連経済は生産、分配、交換に至る全経済行為を包括する一つの複合体と把握され、それが第二項に規定される経済計画に基づいてシステマティックに運営されていくはずのものであった。
 ただ、第二項で、企業の自主性やイニシアチブ、利潤指標の活用がうたわれているように、ソ連末期には中央計画経済が機能不全に陥っており、対策として市場経済的な梃入れ、刺激策の導入が図られていた。しかし、同時期以降の中国ほどには市場経済要素の積極導入に踏み切れなかった。

第十七条

ソ連においては、市民およびその家族員の自らの労働だけにもとづく、手工業、農業および住民にたいする生活サービスの分野における個人的勤労活動ならびにその他の種類の活動が、法律により認められる。国家は個人的勤労活動を規制し、社会の利益のためにその利用を保障する。

 社会主義憲法特有の回りくどい表現であるが、要するに手工業、農業、福祉などの分野で、計画経済の外にある自営業の自由を定める規定である。しかし、第二文で公益に基づく国家的規制の歯止めがかけられており、自営業は国家が認める範囲内に制限されていた。
 従って、計画経済をかいくぐる闇市のような営業は当然違法であるが、消費財の不足から現実には社会主義財産横領と結びついた闇市が蔓延し、地下経済を形成していた。

第十八条

現在および将来の世代にために、ソ連においては、土地、地下資源、水資源、動植物界の保護、これらの科学的に根拠のある合理的な利用、大気および水の清浄さの維持、天然の富の再生産の保障ならびに人間環境の改善のために必要な措置がとられる。

 環境保護に関する規定である。第十一条で天然資源は国家の専有物とされていたから、ソ連においては環境保護が徹底して然るべきであったが、実際のところ、人びとの物質的欲求を充足させるための経済発展に重点を置いた計画経済において環境要因は軽視されており、資源の浪費による公害・環境破壊は資本主義諸国を上回るほどに深刻なレベルに達していたのだった。

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晩期資本論(連載第2回)

2014-07-03 | 〆晩期資本論

一 商品の支配(1)

資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。

 『資本論』第一巻(以下、単に「第x巻」という)の出だしのこの一句は、当時としては比喩的な名言であったが、資本主義が爛熟期を迎えた現時点では、ごく常識にすぎない。資本主義が隆盛な社会は商品で溢れかえっており、商品の品揃えが豊かさの尺度となっている。
 マルクスの時代には、商品の販売所といえば、まだ伝統的な個人商店が中心であったが、今や資本主義が発達した諸国では、大量の商品を集積させた一つの倉庫のような量販店が至るところに林立し、まさに「巨大な商品の集まり」が比喩でなくなっている時勢である。

机はやはり材木であり、ありふれた感覚的なモノである。ところが、机が商品として現れるやいなや、それは一つの感覚的であると同時に超感覚的であるものになってしまうのである。

 マルクスは、商品について総論的に分析した第一巻第一章の末尾を「商品の呪物的性格とその秘密」と題する経済人類学的な叙述の節で結んでいる。その冒頭で挙げられる例がこれである。商品を目にしたときに、その元の素材の姿を想像したり、それを職人や労働者が机に加工・製作している姿を想像したりすることはまずない。まるで、机が自然にそこに生じたかのように映じ、他の類似商品と比較したり、同一商品の価格だけを比較したりする。
 マルクスはそのような商品の持つ不可思議な超感覚性を呪物崇拝にたとえている。呪物崇拝は、太古の人類が特定の自然物に宗教的な意味を付与して崇める風習であったが、資本主義世界では人間の労働の産物である商品が崇拝の対象となる。

商品形態は人間にたいして人間自身の労働の社会的性格を、労働生産物そのものの対象的性格として反映させ、これらの物の社会的な自然属性として反映させ、したがってまた、総労働にたいする生産者たちの社会的関係をも、かれらの外に存在する諸対象の社会的関係として反映させるということである。

 こうした商品フェティシズム現象は、余力を超えて不必要な商品まで偏執的に買い込む買物依存症のような精神的疾患を社会問題化させるまでになっている。
 個人による大量の商品取得を可能としているのが、取得に際して交換に供せられる貨幣という手段である。もし物々交換社会であれば、交換に必要な対応商品の準備が必要なため、大量の商品取得は困難である。貨幣はそれ自体専ら交換手段として使用される簡便な商品であり、しかも現代ではクレジットや電子マネーのような非現金決済システムの発達により、商品の取得はよりいっそう簡便化されている。マルクスは、こうした貨幣こそ、商品フェティシズムの直接的契機とみなしていた。

商品形態のこの完成形態―貨幣形態―こそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的諸関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠すのである。

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晩期資本論(連載第1回)

2014-07-02 | 〆晩期資本論

小序

 拙論『共産論』は、未来における共産主義社会の実像を筆者なりに構想する試みであったが、現在はそのずっと手前の段階にある。これまで『共産論』その他でも言及してきたように、現時点は20余年前のソ連邦解体以後の世界の只中にあり、国内及び国際通念上は「資本主義の勝利」の時代とみなされている。
 たしかに表面上、資本主義は世界に拡散し、この世の春を謳歌する爛熟期にあるように見える。しかし、すべての事物においてそうであるように、爛熟は終わりの始まりでもある。そうした意味で、資本主義の爛熟期は資本主義の終わりの始まり、つまり晩期資本主義と認識される。
 もっとも、晩期とはいえ、直ちに破局・終焉を迎えるとは限らない。晩期が意外に長く持続するということもあり得る。晩期がどれくらい持続するかという占いは別としても、晩期資本主義がいったいどのような実態を持っているのかについて解析しておくことは、未来社会を単に空想するのではなく、現存社会に身を置きつつ、未来社会を具体的に構想するうえで有益なことである。本連載は、そうした現在進行形の資本主義の解析を中心課題とする。
 その際、カール・マルクスの『資本論』を参照項とする。同書は周知のとおり、マルクス最大の主著とみなされるものであるが、近年はいわゆるマルクス主義の凋落とともに顧みられることも少なくなり、放置されている。しかし、これまでのところ、資本主義市場経済の構造について、その形成史に遡及しつつ、これほど網羅的かつ分析的に解明した著作はマルクスに批判的な論者のものを含め、筆者の知る限りいまだ存在していないため、現代資本主義を解析するに際しても参照項としての意義を失ってはいない。
 ただし、同書で解析の対象となっているのは、著者マルクスが生きていた19世紀西欧の資本主義である。つまり、それは勃興期の、まだ若く地域的にも限られた資本主義であった。そうした時代的制約から、現代の爛熟期に達した資本主義の参照項としては限界がある。しかし、『資本論』で剔出された資本主義の諸特徴が現在どのように現象しているか、また変容あるいは消失しているかを解析することは、晩期資本主義の実態を把握するうえで有意義である。
 本連載は、そうした意味で、古典的な『資本論』を現代的に活用し直そうとする小さな試みの一つであり、それ以上でもそれ以下でもない。同時に、これは先に改訂版を公開した拙論『共産論』の独立した序論としての意義を持つものでもある。

 

※『資本論』の邦訳にはいくつかの版があるが、ここでは比較的ポピュラーな大月書店国民文庫版を使用する(一部訳文を変更する)。

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国家は自身を守る

2014-07-01 | 時評

政府与党は集団的自衛権を解禁するに当たり、「国民の保護」を特大強調している。こういう美辞で憲法的なごり押しを正当化してみせようという策であろう。

しかし、国家は国民でなく、国家自身を守る。だから「民衛権」とはいわず、「自衛権」という。国家が守るのは国家自身であって、国民ではないということは、歴史的な経験則である。逆に言えば、必要とあれば国家は国民を見棄てるのだ。

国家が国家自身を守るという再帰的政策の象徴が、国家安保である。そこで想定されている有事とは、何よりも国家の一大事であって、国民の保護は二の次、三の次の関心にすぎない。

ただ、ここにはからくりがある。国家なるモノは実態のない観念にすぎないから、国家を守るとは、国家という機構を掌握し、そこから様々な利益を直接に吸い上げている面々を守るということ、要するに国のお偉方たちの利益をお守りするということが、安保の真意なのだ。

従って、集団的自衛権―その正体はほぼ「日米共同自衛権」―とは、複数国家のお偉方の利益を集団で守るための武力行使、戦争発動のことだ。

この点、戦後日本はある時期まで、同盟主・米国の庇護下で「平和ボケ」と自嘲されるほどに安保は手薄にしてきたのだが、近年より積極的な軍事協力を求める米国に促され、国家安保を強化しようという逆流が顕著になっている。国家安全保障会議、国家秘密保護法、そして集団的自衛権と安保にのめり込む安倍政権はその流れを決定づける政権である。

ある意味では、国家が国家らしくなってきたということでもある。反面で手薄になるのは、公共交通機関の安全のような日常的な社会安全政策である。

南北分断対峙の現実から建国以来安保優先体制を採ってきた韓国で今年4月に起きたフェリー転覆沈没事故は、国民より国家を守る国家の本質を如実に教える事例である。対岸の火事ではない。

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