2009年に「ロシアの声」(モスクワ放送)が80周年を迎えました。
それを記念したベリカードが、シリーズで発行されました。モスクワ局からで、カードのサイズが、ハガキ大から横長(縦長)に定着してきました。
1929年10月29日に初放送 (ドイツ語?)を開始。
開局当時の局建物と、2009年時点の建物です。
表面です。
20-30年代の写真は、赤の広場での労働者の祭典(メーデー)を初めて生放送する様子と、放送スタジオに設置された機材です。
旧ソビエト連邦で、大祖国戦争と呼ばれている1941-1945年の時期に、放送で戦争捕虜の名前を聴いていた女性リスナー(ドイツ人?)と、当時の受信機です。
ラジオ受信機は、写真のように、一見してもわからないように、筒のような中に入れられていたのでしょう。
50-60年代の写真は、インタビューを受けるイギリスの小説家グレアム・グリーンさんと、友好国のベトナムからのリスナーの手紙を見るスタッフです。
話は飛びますが、グレアム・グリーンさんは、ウィーンを舞台にした白黒映画「第三の男」の原作者として知られ、生涯、共産主義への共感を持ち続けたと言われています。
また、1949年に公開された映画のテーマ曲(「ハリー・ライムのテーマ」とも)を、アントン・カラスさんがツィター(オーストリアの民俗楽器)で演奏したことで、1950年代最大のヒット曲となりました。
一度聴いたら忘れないメロディーで、もちろん、日本でもラジオのリクエスト番組でよくかかっておりました。
70-80年代の写真です。南米チリの街頭からレポートする特派員と、1982年のスペインでのFIFAワールドカップの試合を放送するアナウンサーです。
この歴史的な写真シリーズ(←勝手に付けた名前です)で持っているのは、以上の5枚だけです。
このあとは、VOR80周年シリーズのⅡとなります。
それを記念したベリカードが、シリーズで発行されました。モスクワ局からで、カードのサイズが、ハガキ大から横長(縦長)に定着してきました。
1929年10月29日に初放送 (ドイツ語?)を開始。
開局当時の局建物と、2009年時点の建物です。
表面です。
20-30年代の写真は、赤の広場での労働者の祭典(メーデー)を初めて生放送する様子と、放送スタジオに設置された機材です。
旧ソビエト連邦で、大祖国戦争と呼ばれている1941-1945年の時期に、放送で戦争捕虜の名前を聴いていた女性リスナー(ドイツ人?)と、当時の受信機です。
ラジオ受信機は、写真のように、一見してもわからないように、筒のような中に入れられていたのでしょう。
50-60年代の写真は、インタビューを受けるイギリスの小説家グレアム・グリーンさんと、友好国のベトナムからのリスナーの手紙を見るスタッフです。
話は飛びますが、グレアム・グリーンさんは、ウィーンを舞台にした白黒映画「第三の男」の原作者として知られ、生涯、共産主義への共感を持ち続けたと言われています。
また、1949年に公開された映画のテーマ曲(「ハリー・ライムのテーマ」とも)を、アントン・カラスさんがツィター(オーストリアの民俗楽器)で演奏したことで、1950年代最大のヒット曲となりました。
一度聴いたら忘れないメロディーで、もちろん、日本でもラジオのリクエスト番組でよくかかっておりました。
70-80年代の写真です。南米チリの街頭からレポートする特派員と、1982年のスペインでのFIFAワールドカップの試合を放送するアナウンサーです。
この歴史的な写真シリーズ(←勝手に付けた名前です)で持っているのは、以上の5枚だけです。
このあとは、VOR80周年シリーズのⅡとなります。