こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年4月26日 火曜日 夜

2011-04-26 23:37:50 | 雑記帳
23:00電車に乗る。
一駅して座れる。
首コリ・頭痛・眼痛・ふらふらする徒労感激し。

また、仕事中21時12分地震に会う。
ビルがミシミシ嫌な音する。
茨城県南部震源。
マグニチュード5.0
茨城県震度4。

人々は、絶え間無い地震と、なにごともなく見えないままに降り注ぐ放射能に鈍感になってきた。

日経の夕刊に目を落とす。

死者14,340人
行方不明11,889人

既に3・11から1ヶ月半が経とうというのに1万人以上の人が行方不明。
それも捜し出た人だけを考えればそれ以上。

地球儀で指す日本という小さな島国で、かつある程度のネットワークがある国で、未だに難航極める捜索が続くことを如実に現している。
この数字がえらいことだと改めて認識す。
また、多くの生き物たちも亡くなったり、未だ生死をさ迷うことを知れば、合掌と沈黙と後ろめたしかない。

ふらふらと降りたら、降りるべき駅を間違ってしまう。
次の電車が来ない。
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2011年4月25日 月曜日 夜

2011-04-25 23:23:36 | 雑記帳
とにかく「雑」な1日だった。
やらねばならぬ事山積なのに、業務上やむなく新入社員の1日講師。
昼まで都内。
昼、空が変な様子、茨城に電話するとえらい雷雨と言われて傘を持って出る。
しかし、つくばに着くと雨は止んだ後で青空。
夕方講師終え、彼らをタクシーに乗せ、見送った後、やっと本業に戻るが「難」の波。
そんなお互い唸る打合せ中、また一発でかい地震が来て、みんなで屋外に出る。

…夜、かじかの鳴く中、帰路を辿る。

電車を乗り継ぎ、振り返れば、つくばエキスプレスは停電で一時運行停止。
帰宅してニュースを見れば、昼の移動中の時間、つくばで雷雨と共に突風からの竜巻があったらしい。

仕事はろくなことは無かれども、災害からすれすれ微妙にクリンチしていた一日。
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2011年4月24日 日曜日 夜想

2011-04-24 23:31:49 | 想い出かたちんば
夜の街は、明かりも少なく、いつ地震が再発するか分からない中で、風が吹いている。

スーちゃんが亡くなったことで、キャンディーズのCD・DVDが売れているという。
人間というのは野蛮なるものである。
清志郎の時にも思ったことではあるが。
亡くなって急に行動に出る人々。

常に過去を振り返る私はよく馬鹿にされるが、輝いていた瞬間とそれをモロに浴びた事は私の中で未だに輝いて影響を及ぼしている。
だから過去では無く、私にとっては「今」なのである。
そういう輝きを忘れてしまったならば、生きてきた今までは何の意味があるのだろうか?
私が過去にこだわるのではなく、私の中に「在る」から、それを淡々と語り、誰か見えない人に発信し続けるだけである。

歴史は、その過去を歪曲して伝える。
リアルタイムで「在った」事実を歪曲する。
そこには、せめてあらがいたい。
責め・イジメに会うことは昔から慣れている。
言いたい人は言えば良い。

そう思えば、どんなエライ事が起きたのかを語る、現代では大事にされない昔の老人のような若年寄かもしれない。
古いものを汚いものとして処理し、新しいものばかりを大事にする考えにはあらがいたい。

初めて夜中の時間の穴埋め番組で、派手派手のぶっ飛んだ衣装と化粧に包まれ・今まで聴いた事の無い曲を演奏した、まだ売れていない頃のRCに感じた「なんじゃ、これは!」(Byジーパン刑事)いう出来事。

色々な出来事との出会いの集積が私であり、それを捨て去ったら私は成り立たない。

そういう事をひたすらまるで「今の出来事のように」語り続ける事が、暗がりの中で自分の存在を照らす明かりのように思う。

PS:30代は歳を取る事=マイナスと思っていたが、今そんなネガティブな思いは自分には無い。

歳を経ると共に過去が一層輝きを増し、お世話になった同世代の方々が更に新しい輝きを生む事に、生きる喜びを感じる。
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2011年4月24日 日曜日 Chris Rea 「Shamrock Diaries」'85

2011-04-24 18:38:24 | 音楽帳


心身共に疲労の色が濃くなって、昨夜0時から眠り、起きると18時。
途中、昼にがつんという地震に会ったり、子供が放射能の中駈けずり回る音声が聴こえたりしたが、こちらは平日の補填としてエネルギーを脳に蓄えるため、黙って毛布にくるまっていた。

過去3年前に紹介した太宰治「葉」の一節

死のうと思っていた。
ことしの正月、よそから着物を一反もらつた。
お年玉としてである。
着物の布地は麻であつた。
鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。

これは夏に着る着物であらう。
夏まで生きていようと思つた。

太宰らしい一節だが、こちらは、全てが3・11以降一転して、夏までなどという余裕は無い。
生きていられる今、本当は毎年、夏を重ねるたびに、夏聴くはずだった/毎年夏に聴くはずの音楽を前倒しして聴く。

今日は、クリス・レアの「シャムロック・ダイアリーズ」。
過去、夏の丘に立つ小屋や馬の写真をインデックス・カードにしたカセット・テープを聴いていたことを紹介したが、1985年浪人1年目にピーター・バラカン&鈴木さえ子ちゃんが当時夜のNHK-FMでやっていた全英の音楽情報番組を録音したもので紹介した「シャムロック・ダイアリーズ」。

ずっとカセット・テープで聴いていたが、その後、LPレコード、CDで探したが、クリス・レアのベスト盤に入っている「シャムロック・ダイアリーズ」は、全く原曲とは違い、粗いソフィスティケートされた歌い方で、私が求める原曲の「シャムロック・ダイアリーズ」とは違うために、神保町の中古レコード屋さんでLPレコードを探し発見し購入した。



私が聴いていた夏の切なさ・過去の想い出に浸るような名曲はまさにこれだった。



クリス・レアというとすぐに「オン・ザ・ビーチ」という者が居るが、彼のアルバムには特に初期に素晴らしいものが多い。
多分そういう素晴らしいアルバムを聴いてきた人は少ないかもしれないし、どいつもこいつもエリック・クラプトンという連中には、勝手にクリス・レアを知らないまま死んで行ってもらえばいいが。

私は、初期のクリス・レア独自の世界に囲まれて死んで行きたい。



B面3曲目に収まったタイトル曲、夏へ捧ぐ曲を前倒しで聴きたい。
「シャムロック・ダイアリーズ」。
むせるような夏の輝きがここにはある。

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2011年4月23日 土曜日 夜 中島みゆき「孤独の肖像」’85

2011-04-23 21:39:28 | 音楽帳


すっかり中島みゆきさんの音楽にトリコになり、過去好きだった曲を聴いていた。
ユーミンが資本主義の手先として「商売としての音楽」に従事する80~90年代(&カラオケ文化「乗っかり=いただき!」)、それに相反するように、元々のある種のカルマを背負ったまま、亡霊のように80年代以降の現実を直視しながら表現者として、さ迷っていた中島みゆきさん。

浪人の頃、絶望に打ちひしがれていた頃、彼女の「孤独の肖像」という曲にラジオで出会い、歌詞にグサッときた。

今の自分には時間が無い。
余裕が無い。
始終ラップ音がする家の中で、いつなんどき死ぬかわからない中、その歌詞を書き起こす手間が無い。

カンペキなパクリで、サイトからのコピペで歌詞を記す。



1985年9月18日に発売された、このシングルをテープに録音して、よく絶望の状況下、夜の闇の中、寝床で聴いた。
とてつもない歌詞が、この人独特の情念を持って迫ってくる。
とても、発表されたリアルタイムの時期と自分の状況がマッチして、同調したのを覚えている。
未だに、自分にとって忘れることの出来ない1曲である。
今では三文詩人ばかりと数少なくなってしまったが、中島みゆきさんは、日本の深層を描く稀有なる詩人であり続ける。

以下は、中島みゆきさんのライブ(夜会?)映像。
本物の表現者というものは、滑りの良いエセの事を伝える人では無い。
感性をむき出しにしても、今を伝える伝道者である。
そういった意味で、中島みゆきの道程と周辺の人との違いが明白に、今伝わって来る。

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2011年4月23日 土曜日 午後 中島みゆき「予感」より

2011-04-23 18:04:13 | 音楽帳


中島みゆきさんの作品には、いろいろ好きな曲がある。
自分が想い出深い・好きな曲は「あした天気になあれ」「孤独の肖像」などなど・・。

80年代初めに校内暴力やらツッパリやら荒廃する学校で、更に、その時代の中で生まれた『根暗(ねくら)』というコトバと風潮。

人間とは根源的に暗い側面があるのがしかるべき姿なのに、この『根暗(ねくら)』というコトバは、その人間にあってしかるべきの暗い面を全否定した。
「明るくなければならない」という『ねばならない』世界。
80年代初頭の表層的・ブリッコ的世界の地獄。
(この外面と内面の乖離世界が独りの中で膨張し・解決出来ない地点まで行き着いたのが1986年のアイドル岡田有希子の自殺であり、私自身の自殺未遂と考えている。)

それに加担していたのが「漫才ブーム」なる暴力である。
(当時も今も、私は「オレたちひょうきん族」など面白いとは思えない。
当時も今も、面白いと言うことにしてくれ、という円環の中で繰り返されるウソのカラ笑い。
笑っているフリ。
時間を経ると、当時を知らないであろう誤魔化しをして「オレたちひょうきん族」を伝説的番組というヤカラが居るが、ウソとしか思わない。
そんな誤魔化しに、我々はだまされない。)

学校では『根暗(ねくら)』というレッテルを貼られる・イジメられることを避けるために、やたら無理して明るく振舞うヤツラが居た。
人間がその感情表現を素直に出せない世界が存在していた。

当然、私もその部類でよく揶揄され、遠巻きにされ、『根暗(ねくら)』と言われた。
確かに明日が無いような絶望の世界に居た。
それを感じながら、ジャパンの4枚目アルバム「孤独な影」や教授のサウンドストリートやウルトラヴォックス含むイギリスの音楽をばかり聴いていた自分はつまはじき者だった。

そんな風潮の中、中島みゆきさんも『根暗(ねくら)』の権化のように、私と共にバイキンがられ、不気味がられていた。

ただ、そんな逆風の中でも、自らの道を行く中島みゆきさんは、しっかりとした土台の上で音楽を創り続けていた。

1983年のアルバム「予感」。
このアルバムには、のちのちCM曲となることで有名になった「ファイト」という曲が最後に入っている。

この曲に込めた中島みゆきさんの想い。
逆風の中でも歩き続ける様に勇気付けられた。

2011年、被災した方々に、安易に私は頑張れとかファイトとかは言わない。
そんな短絡的用語で誤魔化すほど、生きることは楽では無い。

ただ、この曲「ファイト」というタイトルはともかく、音楽は中身である。

渡辺美里並びに多くの上っ面な者たちが「ありもしない未来」を語る音楽には惹かれない。
私は、リアリティある現実と地面に這いつくばりながらも、ほふく前進するこの曲を、愛する。

この曲を、拓郎が歌っているのをラジオで聴いたのは90年代以降だと思うが、中島みゆきさんの原曲とは別に、拓郎らしい粗雑でありながらも骨身に染みる歌に、拓郎独自の世界の「ファイト」があって、自分が精神的にある局面にぶつかると聴く。
全く異なる解釈と拓郎独自の世界。

かつて清志郎が矢野顕子・教授との共演で歌った「ひとつだけ」と同じである。
それは最初「矢野顕子の歌を清志郎が歌う」という意外性からの試みとしてたまたま歌ったものだったが、その後、いつの間にか、清志郎が事あるたびに歌うようになり・・・

そして原曲では無い「清志郎の『ひとつだけ』」が出来上がったように。

吉田拓郎が歌う「ファイト」のライブ・ヴァージョンである。

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2011年4月23日 土曜日 午後 中島みゆきの祈り

2011-04-23 16:04:39 | 音楽帳
長期化する放射能との日々の作業を行う、東京電力の本体・幹部とは別の、現場の方々への祈りが「2ちゃんねる」にスレッドとして立ち上がっている。

http://hato.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1300399111/l50

1995年はえらい年だった。
阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件がともに起きる未曾有の年だった。
この2つの有事に突入して行った自衛隊の方々、そして、多くの作業に当たった方々。

特に地下鉄サリン事件においては、一体何が起き・一体どのように対処すれば良いのかわからない中「現場へ向かえ」という指示の元で向かった自衛隊の隊員。

今も、世界を左右する事態に福島原発現場で作業に当たる偉大な方々が居る。

NHKにかつて「プロジェクトX」という番組があった。
表のメディアたち、そして、支配層とは無縁にして、1つのミッションを苦悩の中行った偉大な現場の方々を追いかける・紹介する番組だった。
今こそ、この番組を思い出す。

そのテーマ曲を中島みゆきさんが創り、歌っていた。
その曲名は「地上の星」。

中島さんがタイトルとした「地上の星」とは、この地球を空から見た時に、無名である1人1人たちが星としてまたたいていることを差していた。



この曲名と歌詞と歌に込められた中島みゆきの魂と想い。

それは、過去創っていた音楽とちゃんと繋がっている。
彼女の長い音楽の歴史の流れとは無縁では無い。
歳を重ねるごとに純化・深化していく中島みゆきの音楽の素晴らしさ。


震災後「頑張れ」というだけしか言うべき言葉を持たなかったユーミンなどとは雲泥の差である。
いったい、ユーミンは、空虚な歌を誰に向かって歌ってきたのか?


中島みゆきさんは、この「地上の星」とともに「プロジェクトX」のエンディング・テーマとして「ヘッドライト・テールライト」という、穏やかな後送曲を創っている。

「地上の星」で星として輝きまたたいたミッションに関わった多くの人々を「見送られることもなく」捨ててきた世界を突き刺す一方、「ヘッドライト・テールライト」はそれでも今も星は輝きまたたき続けているよ、と言っている。

この2つの曲は双子関係にある。

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2011年4月22日 金曜日-23日 土曜日 深夜

2011-04-23 01:28:50 | 雑記帳

【アラーキーの撮影した東京】

23:54電車に乗る。
酒臭い人々。
普段の経路で帰る電車が無いので迂回する。

1日1日が長すぎる。
月曜日の記憶さえも、もはや無い。

金曜日の夜に元気な人を見ると疑念が湧く。
どれだけ楽してカネをもらっているんだか?
そういう人は、うんざりするほど周辺に居る。

これはルサンチマンでは無い。
日本は「見えない階級社会」が平気で存在する社会であること。
まるで「リベラル」や「民主主義」なる欺瞞が渦巻く世界。

ああ・・・ビールが猛烈に呑みたい。

***

今日は、夕刻までは順調に、事を片付けていった。
朝から頭の中で教授の『アフター・オール』が鳴り続け、一種の諦念が遠くを見るときのように、自分の胎内を静かの海が満たす不思議な日だった。



夕方、月1回の順天堂病院の定期検査に行く。
西洋医学に準じた病院などには期待はしていない。
しかし、診察を受けないと薬がもらえない日本。


【順天堂病院前にて】

予約をしているにも関わらず、えらい長い事待たされた。
最初は、ずーっと今日白かった空を、窓の外を眺めていた。
長年のうちに、現実に染まり、焼けたビルの壁や、
時折止まる鳥、
そういうつぶさないとおしい細微なものを注視していた。

その時も、頭には教授の『アフター・オール』が鳴り続けていた。
次第に、カラダがだるくなって、半眠半覚となる。。。



そんな彼方から自分を呼ぶ声。

私 : 夜には疲れていても、それなりの意識がある。
しかし、翌朝起きれば、どーんと前日の澱みと疲れが落ちてくる。
それを繰り返している。
この夜と来る朝の重圧。。。
ずっと、これは幼少の頃から繰り返している。
これは、先生。
体質なんですか?

先生は、まあまあ。。。と適当な答えを返すのみ。
西洋医学は何の役にもたたない。
音楽の方が、私を救ってくれている。
こういう連中がのほほんと大枚をもらって、オ偉い「医者」で居られる日本の大病院。

ラチがあかないのは周知ではある。



***

仕事場に戻る橋の上、向こうから帰る人に混じって、同僚が向かってくる。
私を察知して、見えないフリして通り過ぎそうになる「犯人」。
そいつが、今の私のお詫び三昧の根源の「犯人」。
まだ、18時。



「おい」と呼びとめ、「カタは着いてねえぞ」という事を「隠語」で刺す。
帰れば良い。
お前はそうしていれば良い。
そう言って、振り捨てる。
私がお詫び三昧しながら、「犯人」が誰かは全員に今後明らかにする。
タダでは済まさない・犯罪者を殺すことが、私の仕事。

***

0:15南千住に到着。
外に出ると放射能雨が降る。

写真を撮りながら歩く。

泪橋を曲がり、コンビニでビールとスナック菓子を買い、タクシーに乗る。
これ以上、放射能雨は浴びたくは無いので。

0:40帰宅。

やっと、私の密なる闇夜の世界が始まる。

***

午前0時25分頃、福島県沖で地震があったそうである。
全く気付かなかった。
震源地は、震度5弱・マグニチュードは5.6。

くもおさんに言ったカンの好きな「ゴモラー」という曲は「フロー・モーション」では無くて「アンリミテッド・エディション」に入っているものだった。



1:30を向かえる。

***

1:39追記:

昨夜、キャンディーズのスーちゃんが亡くなった。
一瞬驚いたが、その後は自分の中に何も無いことに気付いた。

それは、幼い頃、ランちゃんとスーちゃん両方を好きになって悩んだ時の気持ちが既に無かったからである。

ムチムチなスーちゃんへの肉欲は、リアルタイムの70年代末までで終わっていたのだった。
それが、この「何も無いこと」の実感の無さに繋がっている。
養老先生が言っていた言葉を思い出す。

「ニンゲンの細胞というのは、1年でほとんど入れ替わる。
実は同じ名称で個人を呼ぶが、肉体的には、どんどんと入れ替わっていっているのである。」



2:40追記:

アラーキーのさすがな妖しい夕闇の写真を掲載したが、その新宿に降る雨で、藤原新也さんの言っていた「やけど」のような皮膚感覚を呈したとの情報を知る。

盗作で有名な井伏鱒二の広島の原爆の「黒い雨」を想起せずにおられない。

スーちゃんが女優田中好子に変わり、女優として賞をもらった映画が「黒い雨」というのは皮肉なシンクロに思う。

外は雨が降り続いている。


4:25追記:

夏まで生きている保証があるならば、高校生の夏の眠れぬ夜中によく聴いていたチャイナ・クライシスの12インチ・シングルで買った「ワーキング・ウィズ・ファイア&スティール」のB面の曲を紹介しようと思っていたが、夏まで生きている確証の無いカオスの中、思いついたときに・リアルタイムでかける。



確か1800円くらいした12インチ・シングルのB面は、2人が、自分の部屋でレコーディングした「宅録」のインストゥルメンタル2曲。

御茶ノ水のディスク・ユニオンで買ったおぼろげな記憶。

その中の1曲、「ドックランド」をかける。
自分らが生まれ育った地を愛したチャイナ・クライシスの想いが込められている。

外は、雨がより強くなってきた。

まったくそんなシチュエーションとは無縁だが、夜のしじまに聴いたこの曲を「誰か」に贈る。




5:20追記:



缶ビールを呑みながら、夜が明けていく。
疲れているクセをして眠れない。
雨の中というのに、夜明けを感じて、鳥が鳴いている。

TBSラジオに、飯田先生が出ている。
小出先生とともに、放射能を距離を置いて語れる1人。
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2011年4月22日 金曜日 朝

2011-04-22 08:49:48 | 雑記帳


状況共有化のため、小出裕章先生の発言をまとめてくれた21日の記事からまるまる引用させて頂く。
(一部センテンスなどは加筆修正あり)

●危惧される最悪のシナリオは、水蒸気爆発により放射性物質が大量に飛散すること。
その場合はチェルノブイリと同レベルの「地球被曝」となる。

●1号機については、注水続行中の今も圧力容器内の温度が下がっていないこと、及び、クロル38が検出されたという発表から、再臨界が起っている可能性があると考える。
クロル38の検出が事実なら、制御棒がうまく機能せず臨界が起こっているということ。

●2号機は汚染水漏洩が続いているが、高濃度汚染水がそれを止める作業を難しくしている。

●3号機はプルトニウムを使用するMOX燃料が使われており、これが漏れると大変なことになる。

●4号機は使用済み燃料プールが損傷している可能性があり、そうであると水を入れても漏れてしまう。
監視が必要。

●燃料棒についてはペレットの全部ではなく一部が溶融していると考えるが、もし燃料棒が一気に落ちると圧力容器の底の水が急激に熱せられて水蒸気爆発が起こる。
そうなると格納容器さえ破壊される可能性もある。

●1号機は稼働中の疑いがあり、これが爆発すると放出される放射性物質の量は他よりもとても多くなる。

●放射性物質の飛散範囲は風次第だが地球規模になる。
東京でも高濃度汚染が起こる危険がある。
爆発すれば、プルトニウムやストロンチウムなどの不揮発性の放射性物質もそれなりの距離まで飛ぶ。
ストロンチウムは半減期が長く、また骨に蓄積されやすく長期的に有害。

●もし1~3号機のいずれかでこれが起こると作業員全員退避となり、他の号機の冷却が不可能となり、連鎖的なメルトダウンにつながる恐れがある。
【完全なる制御不能】
その場合は超多量の放射性物質が漏れることになる。
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2011年4月21日 木曜日 夜の鎮魂曲

2011-04-21 23:35:41 | 音楽帳


心を鎮めるために。
心の止まり木として。

教授は、元来の我の強さゆえ、世界の先端・先進性を取り込む事を命としていた。
「スムーチー」とそれを伴った当時では一早いインターネット・ライヴを行い、大電力を使用するコンサートをしていた。
そんな彼の変化した姿を目の当たりにしたのは、有明でのライヴだった。
そのライヴホール自体、省電力で、飲み物のカップもリサイクル、その他「エコ」に充ちたものだった。
間奏のMCで、今自分がニューヨークでどれだけ地球に負荷を与えない生活を送っているかを語った。
歯を磨くにも極めて少ない、コップ1杯にもならない水で済ませるのにも慣れた。
そう語った。

***

今日紹介する曲はまだ「俺が俺が」なる世界征服の野望に満ちた、血気盛んな1987年作品「NEO GEO(ネオ・ジオ=新たなる地)」の最後に収められたものだが、この曲にはそんな血の濃さは感じられない。

本当に美しい。
極めてナチュラルな、微細な揺れのみがたゆたう。

「アフター・オール」。
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