すっかり取れない疲れから睡眠の渦と、実家での「母の日」対応でたんまりお酒を呑み帰って来たらまた睡眠・・・
と、やっと0:30起きて、ラジオ「DIG」を聴きつつ正気に戻りつつあります。
***
鎮魂 (さくりんさん)2011-05-01 23:31:14より勝手に抜粋
『目玉焼き、上手ですね。』
自分は、半熟状態で、黄身がとろとろ溶け出すくらいの玉子が好きです。
幼い頃の食事というのは、刷り込みのようにその人の「こうあるのが普通」感覚を成します。
お袋さんは、カチカチになるまでカンペキに玉子を焼く方だったので「目玉焼きというのはそういうものなんだ」と育ちました。
しかし、独りになってから、黄身がトロトロ状態で食べる玉子の美味しさを発見し、自分が焼く目玉焼きというのは、いつもトロトロです。
チーズを混ぜて焼くのも好きです。
今では「外食」三昧が普通になってしまった、特に母親が楽する家族の肖像。
自分は、外食というのは珍しく、何かのきっかけ・機会であり、記憶に残るものでしたが。
どこかの家族が、自分の子供を(子供というのに)焼肉屋連れて回して、生肉平気で食わせていた親というのは、自分はいかがなものかと思う。
まあ、ど~でもいい~ですよ~な話ですが、自分らは断固朝鮮の人では無いので、子供の頃に焼肉屋などに行く風習はなかった。
今も日本人なので無い。
また、食で問題起きれば即大騒ぎして、その供給元をガンガン責める慣わしも如何なものかと思う。
ある意味、自分の家でご飯を食べるという当たり前の事がおきざりになりながら、誰が一体どこで何をしたか分からない出てくるモノを食べている、という一種の賭けのようなリスキーな状況を全く認識しない方が理解し難い。
異論もあるだろうが「ミート・イズ・マーダー」(Byモリッシー)で肉をほとんど食べず、営業上食べざるを得ない場面でも、必ずハラを壊す自分。
子供に生肉を平気で食わせる世間の神経の方が疑わしい。
まあ、どうでもいい話ですが。
『お伝えするのがちょっと恥ずかしいですが…かたちんばさんの指がきれいだなあと感心したこともあります』
手のことはよく人に言われます。
タイ式マッサージで裸になってオイルマッサージ受けたりするときも、女性みたいな体や皮膚だとも言われました。
まじまじと手を眺め「苦労していない手ね」と言われたこともありました。
カラダの中はボロボロでも、そとみはどうやらそのようです。
浪人から大学時代は、毎日絵を描いていたのですが、油絵やアクリル・クレヨンなどなど、普通に手を洗っても落ちないので、手には必ず絵の具が付いていたものですが。
服もよく絵の具がどこかに付いていましたね。
『原田郁子の声には、そんなヒトのあるべき姿を圧倒的に包容するアトモスフィアがあるのではないでしょうか。
私には吉田美奈子と同じ「波」を感じます、まさに波長。』
原田郁子さんの出てきた夜のライヴは、狭い中スモークが炊かれ・長~いライヴでだれていたところの登場でしたが、まじかで見た原田郁子さんの弾くピアノと「蒼い月」は本当に夜の持つ妖しい空気を見事に表現していて、その空気には圧倒された記憶があります。
『かたちんばさんはずっと、絵であれ言葉であれ、表現し遺してきたのですね。
千のナイフをモチーフに作られたお皿は、触れると向こうに小宇宙の広がりを想像します。昼でも夜でもない場所。』
かつて大竹伸朗さんの『全景』展に行った際に感動したのが、幼少の頃の絵や作文から作品が始まっている点でした。
出来が良かれ悪しかれ、とにかく表現し続ける独りの人間をいわばこの『全景』展は現していました。
【情熱大陸より 「全景」展に当たって】
【大竹伸朗 「網膜」シリーズより】
鬼畜親父に「この馬鹿が。勉強もロクにせんと、絵ばかり描いて遊びおって。この低脳息子。」と罵声を浴びて育ちましたが、自分は小さい頃から何かを手を使って創りたいという衝動だけは、隠れてもし続けていました。
幼稚園の頃描いた絵が入選して、今は無き須田町の鉄道博物館に飾ってもらえたことがありました。
今でも、モノを創り続けることが、経済や勉学よりも偉大なのだ、という信念だけは自分の中を貫いています。
教授の「千のナイフ」を聴いたときの衝撃は、未だ自分の中に「在り」ます。
一期一会という言葉がありますが、この曲には、本当に優れたアートというのは、あらゆるものを超えて、人の心身に対する影響をもたらすことを、まさにカラダで体現しました。
『自分のための鎮魂歌なのか、誰かのための子守唄なのか、私はよく「MLK」を口ずさんでいます。』
たぶんロッキン・オンで読んだのだと思いますが、この「MLK」はボノが即興で歌ったものだと聞きました。
個人的には、ジ・エッジがこれまた即興で弾いたものをブライアン・イーノが上手に曲に仕立てた「ワイヤー」という曲が好きです。
『子守唄は幼い頃の数少ないよき思い出。
母との話は他に「自分がコーヒーを飲みたい」という理由で私がお腹に居る間も欠かさず仕事帰りにカフェを居場所にしていたなど(今は問題なのでしょうね)。
過去に、耐えがたい陰はあれど、ヒトはもちろん、音楽、本、カフェとの出会いがあり、其々が私を構築してきました。
だからやはり過去は言葉の上だけで、今そのものです。』
私の80歳の母は鬼畜親父からは、よく「このパンパン女が!」と責められていましたが、自分が今まだ音楽やアートに興味を持つ人間で居られるのは、このお袋さんのお蔭です。
よく学校途中で、内緒で吸っていた(未だにいる)タバコを吹かしながら、カフェで過ごす時間を愛していました。
合理主義の鬼畜親父=そんなものは家でコーヒーを飲めば安上がりだ、
そんなものではない何がしか、
それがカフェの場所と時間の大事さ、
そういう合理主義では無い世界を教えてもらって、今の自分が居られるのだと思っています。
役に立つとか立たないとか・・・
そういう思考がまず先頭に立ったら、今の自分は居ない。
既に自殺完了しているはずです。
「日本を信じてる」と安直に言えてしまうトータス松本、並びに多くの軽~い存在感で居られる人種にまじわりを得られず、
そこから距離を置く自分が、日々苦しい中でも、そういう中、生きていけているのは、合理主義の外側にある何がしかたち、
それらが僕の支えです。
【U2「ジ・アンフォゲッタブル・ファイア」より 「プロムナード」】
と、やっと0:30起きて、ラジオ「DIG」を聴きつつ正気に戻りつつあります。
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鎮魂 (さくりんさん)2011-05-01 23:31:14より勝手に抜粋
『目玉焼き、上手ですね。』
自分は、半熟状態で、黄身がとろとろ溶け出すくらいの玉子が好きです。
幼い頃の食事というのは、刷り込みのようにその人の「こうあるのが普通」感覚を成します。
お袋さんは、カチカチになるまでカンペキに玉子を焼く方だったので「目玉焼きというのはそういうものなんだ」と育ちました。
しかし、独りになってから、黄身がトロトロ状態で食べる玉子の美味しさを発見し、自分が焼く目玉焼きというのは、いつもトロトロです。
チーズを混ぜて焼くのも好きです。
今では「外食」三昧が普通になってしまった、特に母親が楽する家族の肖像。
自分は、外食というのは珍しく、何かのきっかけ・機会であり、記憶に残るものでしたが。
どこかの家族が、自分の子供を(子供というのに)焼肉屋連れて回して、生肉平気で食わせていた親というのは、自分はいかがなものかと思う。
まあ、ど~でもいい~ですよ~な話ですが、自分らは断固朝鮮の人では無いので、子供の頃に焼肉屋などに行く風習はなかった。
今も日本人なので無い。
また、食で問題起きれば即大騒ぎして、その供給元をガンガン責める慣わしも如何なものかと思う。
ある意味、自分の家でご飯を食べるという当たり前の事がおきざりになりながら、誰が一体どこで何をしたか分からない出てくるモノを食べている、という一種の賭けのようなリスキーな状況を全く認識しない方が理解し難い。
異論もあるだろうが「ミート・イズ・マーダー」(Byモリッシー)で肉をほとんど食べず、営業上食べざるを得ない場面でも、必ずハラを壊す自分。
子供に生肉を平気で食わせる世間の神経の方が疑わしい。
まあ、どうでもいい話ですが。
『お伝えするのがちょっと恥ずかしいですが…かたちんばさんの指がきれいだなあと感心したこともあります』
手のことはよく人に言われます。
タイ式マッサージで裸になってオイルマッサージ受けたりするときも、女性みたいな体や皮膚だとも言われました。
まじまじと手を眺め「苦労していない手ね」と言われたこともありました。
カラダの中はボロボロでも、そとみはどうやらそのようです。
浪人から大学時代は、毎日絵を描いていたのですが、油絵やアクリル・クレヨンなどなど、普通に手を洗っても落ちないので、手には必ず絵の具が付いていたものですが。
服もよく絵の具がどこかに付いていましたね。
『原田郁子の声には、そんなヒトのあるべき姿を圧倒的に包容するアトモスフィアがあるのではないでしょうか。
私には吉田美奈子と同じ「波」を感じます、まさに波長。』
原田郁子さんの出てきた夜のライヴは、狭い中スモークが炊かれ・長~いライヴでだれていたところの登場でしたが、まじかで見た原田郁子さんの弾くピアノと「蒼い月」は本当に夜の持つ妖しい空気を見事に表現していて、その空気には圧倒された記憶があります。
『かたちんばさんはずっと、絵であれ言葉であれ、表現し遺してきたのですね。
千のナイフをモチーフに作られたお皿は、触れると向こうに小宇宙の広がりを想像します。昼でも夜でもない場所。』
かつて大竹伸朗さんの『全景』展に行った際に感動したのが、幼少の頃の絵や作文から作品が始まっている点でした。
出来が良かれ悪しかれ、とにかく表現し続ける独りの人間をいわばこの『全景』展は現していました。
【情熱大陸より 「全景」展に当たって】
【大竹伸朗 「網膜」シリーズより】
鬼畜親父に「この馬鹿が。勉強もロクにせんと、絵ばかり描いて遊びおって。この低脳息子。」と罵声を浴びて育ちましたが、自分は小さい頃から何かを手を使って創りたいという衝動だけは、隠れてもし続けていました。
幼稚園の頃描いた絵が入選して、今は無き須田町の鉄道博物館に飾ってもらえたことがありました。
今でも、モノを創り続けることが、経済や勉学よりも偉大なのだ、という信念だけは自分の中を貫いています。
教授の「千のナイフ」を聴いたときの衝撃は、未だ自分の中に「在り」ます。
一期一会という言葉がありますが、この曲には、本当に優れたアートというのは、あらゆるものを超えて、人の心身に対する影響をもたらすことを、まさにカラダで体現しました。
『自分のための鎮魂歌なのか、誰かのための子守唄なのか、私はよく「MLK」を口ずさんでいます。』
たぶんロッキン・オンで読んだのだと思いますが、この「MLK」はボノが即興で歌ったものだと聞きました。
個人的には、ジ・エッジがこれまた即興で弾いたものをブライアン・イーノが上手に曲に仕立てた「ワイヤー」という曲が好きです。
『子守唄は幼い頃の数少ないよき思い出。
母との話は他に「自分がコーヒーを飲みたい」という理由で私がお腹に居る間も欠かさず仕事帰りにカフェを居場所にしていたなど(今は問題なのでしょうね)。
過去に、耐えがたい陰はあれど、ヒトはもちろん、音楽、本、カフェとの出会いがあり、其々が私を構築してきました。
だからやはり過去は言葉の上だけで、今そのものです。』
私の80歳の母は鬼畜親父からは、よく「このパンパン女が!」と責められていましたが、自分が今まだ音楽やアートに興味を持つ人間で居られるのは、このお袋さんのお蔭です。
よく学校途中で、内緒で吸っていた(未だにいる)タバコを吹かしながら、カフェで過ごす時間を愛していました。
合理主義の鬼畜親父=そんなものは家でコーヒーを飲めば安上がりだ、
そんなものではない何がしか、
それがカフェの場所と時間の大事さ、
そういう合理主義では無い世界を教えてもらって、今の自分が居られるのだと思っています。
役に立つとか立たないとか・・・
そういう思考がまず先頭に立ったら、今の自分は居ない。
既に自殺完了しているはずです。
「日本を信じてる」と安直に言えてしまうトータス松本、並びに多くの軽~い存在感で居られる人種にまじわりを得られず、
そこから距離を置く自分が、日々苦しい中でも、そういう中、生きていけているのは、合理主義の外側にある何がしかたち、
それらが僕の支えです。
【U2「ジ・アンフォゲッタブル・ファイア」より 「プロムナード」】