こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年5月23日 月曜日 雨の夜の望楼

2011-05-23 23:04:11 | 想い出かたちんば
昨夜は、0:00に床に入ったのに眠れず。

3:30までのたうちまわる。
頭の中は鬱になるような雑念渦巻きやまなかった。

7:30厳しくだるい起床。

目玉焼き、ナメコ汁、チオビタ、緑茶。

つくばへ向かうが、京浜東北線飛び込みの影響で、JR内で20数分ストップしたまま。
じたばたしても始まらないので寝る。

AMつくばの方々を歩き、話し、13:09の常総線に乗り都内に戻る。

途中で昼食。
最近、昼ご飯を食べると調子が悪くなる。

14:40都内仕事場に戻り、泥の中のムツゴロウ。

配分を考え、雨の中21:58に乗る。

***

さくりんさんへ

こちらも『ブルー・マンデイ』。



「持続力途切れ、逃避中(+_+)」
そういう時間は大事。

カフェやそういう時間の隙間を見つけて生きていかないとね。



私は、そういうのが下手くそですね。

趣味が懲り過ぎて、趣味では無くなってしまうという、神経症にはありがちなパターン。

『あの時期に、むせるほどの音・音に触れたことが支えになっているのは誰にも曲げようがない。』

自分はラジオも義務感に駆られて録音を随分としてきました。
80年代初頭、毎週日曜日のFM東京で、来日アーティストのライブを放送していました。
しかし、ロクに聞かす、テープが無くなる差し迫った際に、『貴重なはずだったライブテープ』を放棄して、上から録音するはめに…。
必死でチューニングし、FMアンテナの感度を分厚いヘッドフォンで慎重にあやつって録音に付き合った時間はゼロへ。

クラッシュ、プリテンダーズ、ゴーゴーズ、ピッグパグ、クラシックス・ヌーボー、ロキシー・ミュージック、下手くその極致だったニュー・オーダーの日本公演などなどが消去された。

まあ、よく考えれば『ロック恐怖症』の自分が、スタジオ録音のレコードを上回るライブに出会うこと自体、確率的に『打率』は低かったです。

ライブに、アルバムには無い価値を見い出だしたのは極めて少ない。
今、手元に残るは、

●トーキング・ヘッズの奇跡的にカッコ良かった日本公演のライブ。
●アッコちゃんの『また、会おね。』ライブ。
●坂本龍一&B-2UNITSライブ。
●YMO、幸宏、ジャパンの一連のライブ。
●ファンカラティーナの南洋色満載の頃のカルチャークラブのライブ。

結局、色んなライブを録音しながら『コレだ!』というものはそれくらいです。



何でも知ったかぶりをせずにはいられず、得た知識を口にするも、兄に言葉であっという間にねじふせられ、落胆した日々。

まさに、背伸びしては叩かれ、生意気言っては叩かれという具合でした。

若き日の望楼。。。。。。
コメント (2)
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2011年5月23日 月曜日 世の中が切り捨てる物

2011-05-23 19:32:17 | スケッチブック
大竹伸朗という反逆児。
この人の発言で特に気に入っているのが「人間がある生活の瞬間の判断でゴミとして捨て去るもの。
実は、その捨てたゴミの方に何か真実が眠っているような気がする。」

さかんにゴミを拾い漁り、それを貼ったり、塗ったり・・・
そういう作品が大竹さんの作品には多い。
しかし、それに費やされた時間の濃さが作品の濃度を深める。



なかなか自分らが見ることの出来ない作品に、彼のライフワークであるスクラップブックがある。
ここには、例えばプラモデルの本体を作る為のパーツを切り取り終えて捨てられた残った「型」が貼られていたりする。
興味深深で、このスクラップブックを正直盗めるものなら盗みたい。



そうだ、盗みたい、という衝動こそが、自分(セルフ)が持つチカラかもしれない。
盗みは、法律上「違反」を意味するが、そういう盗みたいくらいの衝動こそが信じられる。
下着ドロボーは、どうしても下着を見たら盗みたくなる衝動が起きる。
それは実に、人間的なあまりに人間的な、原始的衝動。
それをしたら、世の中が乱れるからと、禁忌として法律があるだけの事で、それを思うこと・やることが「おかしい」「きちがい」というのは、そう言う方がおかしい。
已む無く法律は制御として設定されただけの事である。

鉄道好きの「鉄ちゃん」や、コスプレや、アニメにしろ・・それらが単に法律の外側にあるだけで、本質は一緒なのだ。

***

思えば歴史というものも、勝者が言う事・勝者にとって都合の良い事だけで形成されている。
敗者側にあった事実は、切り捨てられる。

様々な物事が今まで捨てられてきたのだ。

ゴミが宝に見えるという大竹さんと同じ感情を抱く場面は多々自分にもある。

自分が溜め込んだ宝物も、親が見ればゴミにしか見えず、よく小学校の頃、帰ってきたら、その宝物を親がゴミだと思って捨てられて泣いた想い出がある。

先日、母の日に家族一同集まった際に、昔ばなしになった。

兄「お前はよくネジを一杯拾ってきたよな。あと、人のラヴ・レターとか。
いつも、地面を見て歩いていた。」

家族は大笑いになったが、自分でも忘れていた記憶が他人によってよみがえる。
確かに小さい頃から、よく地面を見て歩いていた。
よく色んなものを拾っていた。

ラヴ・レターは、三ノ輪の駅の出口で拾った。



そして、色んな宝物としての、他人にはゴミで溢れかえり、実家を充満して収まらなくなったので、自分の家をほかに設けて、引越しをした訳である。

余りにもの物量に、引越しをし終えた業者のバイト君らは、いぶかしい表情をしていた。

そのなかの1人が自分に声を掛けてきた。
「何か、お店かなんか開いている人なんですか?」

1人で引越しをした人でこんな物量を運んだのは初めてだと言っていた。

***

1990年。
既にニューウエイヴは終焉し、昭和も歴史を閉じた。




【アラーキーの名作「東京物語」 1989年4月29日】

実に平坦でつまらない時代の訪れ。
「平成」という自堕落で堕ちて行く時代の始まり。

そういう中、東京湾岸を「東京ウォーターフロント」とか言って、再開発が始まっていた。
都市博が開かれるはずだったその地は、都知事になった青島が開催中止を宣言し、中途半端な残骸が転がる荒地。

そこで自分はよくアルバイトをしていた。

当時、見ることは出来なかったが、倉庫が沢山ある「東京ウォーターフロント」の1つ寺田倉庫はギャラリーだった。

そこで、大竹伸朗の展覧会とデヴィッド・シルヴィアンのアンビエントとラッセル・ミルズのアートのコラボレーションが開かれた。

下記は、そのアート展を紹介する貴重な当時のTV動画。

Shinro Ohtake/David Sylvian&Russel Mills interviews on Japanese TV
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