Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

手塚夏子を語る

2005年06月30日 | Weblog
という講義を一時間だけします。「感性の問いへの現在」というタイトルの講義の一コマ。7月7日(木)10:40-12:10、早稲田大学西早稲田キャンパス15号館202教室
です。

最近活動を再開した手塚夏子。なかなかに世間は非情なもので活動状態にないひとを忘却してしまいがちなところがあるけれど(かくいうぼくこそ、手塚を忘れている数ヶ月があった、ゴメン!)、人生の大事を通過した後の手塚は、これまでのコンテンポラリーダンス界に及ぼしていた重要性にさらに新しい何かを加えようとしているのかも知れない。「手塚夏子論 コンテンポラリー・ダンスのエッジ」というタイトルでぼくが話した後で、手塚さんとトーク+何かデモンストレーションをしてくれるかも知れません(ただし、手塚さんの参加は当日まで「予定」のラベルをはがせません、あしからず)。基本的には、大学の講義の一環なので、部外者を歓迎する場所ではないかも知れませんが大人数にならなければ大丈夫だと思います。「聞きたい、見たい」というひとがいらっしゃれば、ご連絡を。


ブルー

2005年06月29日 | Weblog
反省するべき事があって、ずーっと切ない気持ちになっていた。自分の思う正しい事は、必ずしも口にすると美しく響かないものだ。切ない。低音でずっと自分を責めている、、、なっ!

明日で前期最後になる講義。さて、すると本格的に超長い論文に取りかかる煉獄的日々に突入だ。

『ファウスト』最新号読む。驚くほど、同じところであらゆる文章が反復運動している。これが、ロマン主義文学論に何かしらリンクしたりするのでは、と思ったりしているのだが、あまり盛り上がるような感じにはならない。むしろでも、その単調な反復に、批評を射しこむひとたちがさまざまいたりするのではあろう、ああ、もうすでに何人かやってますよね。そうだ、どうも彼らの「アイデンティティ」に拘泥している感じに共感が出来ないんだった(舞城の「マンガ」に漂うそれ、とか)。そして、そう思いながら、昨晩カント(KU)研究会で、Tくんと盛り上がったのだった。要するに、中島義道の悪論は、どこまでいっても悪いオレを憂う仕方で、アイデンティティを問う言説(「オレって、、、」と自分の事ばかり論じている類、自己嫌悪することによる自己愛というか、でも、『悪について』まだ読んでません、あしからず)の内部にぬくぬくしている、なんてこと話ながら、ぼく(木村)はそういうのもういやで、社交論とか狡猾な世渡りの美学とでもいえるものを画策しているということで落ち着いたり。「青春の中島に比べ、おとなのぎろんだなー」なんて、半ばからかわれつつ。ぼくとしては、いきいきとした現場を考えたいし、現場を活性化させる思考を考えたいだけなのだ、あ、その思いが過剰になって昨晩は、自爆したのだった。コドモみたいに、コドモのときみたいに。

ソウル行きのチケットをゲット

2005年06月27日 | Weblog
した。午前中から散々Aと討論を交わし、何度か切れつつ(あーもーどれでもいいっしょっ!)も、ネットで調べたベスト・ツアーを電話で確認、11時頃、ようやく一段落した。

ふっー。これで初ソウル、また初めて日本のコンテンポラリーダンスを海外で見ることになる。

日韓友情年関連で、韓国に日本のコンテンポラリーダンス(暗黒舞踏)を紹介するとでもいった企画、7/13-14の公演を見てきます。Ko&Edgeや黒沢美香、ほうほう堂出演予定。

それにしても、初めての地を行くチケットを取るのに、旅行会社の社員の方でその地の知識がなかったりするのは、本当に参る。こういう仕事は、是非、生まれついての旅行会社社員みたいなひとにやって頂きたい。学生時代、四年間バックパッカーだった、とかね。色々と電話して三人目の方が、実に丁寧に、イメージ豊かに、ソウルの交通事情とか、会場となる国立劇場とホテルとの距離関係、空港とソウル市街との距離関係などを教えてくれた。これは、「仕事」という気分ではなく「伝えたいという情熱」から話しているな?と思わせたら、そっちのもの(旅行会社社員の勝ち)なのである。こういうひとの迂回路を、ひとは放っておくことは出来ない。ついつい、じゃあ、お願いしまーす!と売買成立することになる。いいよな、こういうの、気分がいい。絶対デニーズにはない。ツタヤにもない。ヨドバシカメラにはあるな。彼らも商品を無理に勧めたりしないで、十分に客が納得することに集中する、だから買わずにはいられなくなる(なんか、考えてみると単に気のいいお客さんって感じッスね、ぼくは、あらあら)。

実に熱い。まだ六月だよ。夜、ふらふらと散歩がてら住宅街にぽつんとあるラーメン屋へ、でも臨時休業。そこで更に歩いて「八戸ラーメン」を食す。400円のラーメンはサービスなのか臆病なのか根性なしなのか、そこそこ悪くない味がまた切ない。

それにしても、「騒音おばさん」と「貴乃花」は気になる。気にさせる方向が近い二人。

「ヘタうま」、桜井さんが書き込んでくれています、コメントのところ是非お読み下さい。

ヘタうま

2005年06月24日 | Weblog
ダンスならば桜井圭介氏がダメ身体(コドモ身体)論で説き、文学ならば最近高橋源一郎が同じく孤軍奮闘している問題に、椹木野衣氏が美術文脈でかんできた。そうみえた「「うまい」ことの煉獄」(『新潮』七月号)である。

何かこのヘタであること、ダメであることの礼賛というのは、世代論的なフェイズから再批評することも出来そうな気があるものではある。ポストモダンなスキゾキッズの遊戯論(80年代)の現代版、という読み方を読者はするべきであろう、と。まあ、それはそれとして機会があれば議論してみたいところなのだけれど(北田暁大のあの本とも絡めたりして)、別に気になっていることをすこし書いてみようかと思う。いま、昼食後、ボケーと同誌の三島文学賞選考評を色々読みながら基本的に「ムカ」ついていたとき、それとは別に全く関係ないことながらなのだけれど、不意に「書けそう」な気がしてきた、ので。

何かというと、椹木氏のエッセイで、「ヘタうま」な美術として挙げられている会田誠の作品(図版が添付されている)に、ぼくはまったく「何か感動的なもの」(椹木)を感じることが出来なかった、ということ、のなかに潜在しているように思われる問題についてである。

ヘタヘタな絵(例えば子供の絵)に感動する感覚は、ぼくには全くよく分かる。その感動が、「子供らしい絵」だからではなく、「絵を描くという行為そのもののなかに潜在する、世界との決定的なズレを明確にしてしまう力能が備わっている」ことによるのだ、という立論も実によく分かる。けれども、その「ヘタヘタ」は、「ヘタうま」な絵にかなわないとする椹木氏の論点には、分かりかねる違和感を感じるのだ。

「ヘタヘタ」がいいのは、理屈なしに迫ってくる線の魅力だろう。魅力の内実は、その異常性にあるのに違いない(確かに)。けれども、「ヘタうま」には、感動を感じるものだけではなく、むしろある種の「うざったさ」「まだるっこしさ」を感じる時がある。椹木氏のエッセイが話題の元に置いている湯村輝彦の絵にも、どこかそういうめんどくささを否応なしに感じてしまうところがある、ぼくには。すると、ぼくにとって問いは、「ヘタの魅力には同感、でも、ヘタうまの「うま」っていったい何?」ということになる。

ここに、椹木氏は、十分な返答を与えていないように思われる。例えばこういうことを言うのだが。「テリー・ジョンスンが、絵がへたなままにして「ヘタヘタ」に陥らず、数十年にわたってプロとして活動していることは、彼のもつたぐいまれな目の力によるところが大きいのではないか。絵を描く側に引き付けて言えば、線を引き、色を塗ることの根源的な様子の変さ、無気味さをへたな絵の中に見出し、それを自分の絵の中にも再現することが出来る能力とでも言えばよいか。」

なるほど、絵というものの根源的な異常性を「へたな絵の中に見出し」、その目をもとに描く(再現する)。それが「ヘタうま」の「うま」の能力がもつ内実。発見の能力といえばいいのか。ここまではついて行けるのだが、そのあとは正直論理の不明確な議論へ展開していってしまう、つまり、でもこの目の力と描く力とは分裂の状態にあるのだから、その分裂の仕方こそが焦点になり、そしてそこには根拠なしのその人らしさ「個=弧」が働いているのだ、とまとめられているのである。

するとこうなるのだろうか、「ヘタうま」の「うま」は結局孤独な(要するに、普遍的な美の基準ないし「うまうま」がイージーに依拠してしまう技巧的な達成とは対極にある)「個性」である、と。

さて、もしそうならば、ここに、ぼくが感じている「ヘタうま」の「めんどくささ」が垣間見えてくると、言うことが出来るのかも知れない。簡単に言えば、会田誠の絵は、それが会田作品であることを知らないままでは、少なくともぼくには余り感じ入るところがないものである。けれども、そこに「会田印」を見出したり、会田作品であることの文脈を読み解けたりするとき、有意味なものになり、また同時に「ヘタうま」の烙印が押されることになる。湯村の絵にはどうしようもなく湯村的エッセンスが漂っている。もはや「ヘタうま印」の押された「ヘタうま」の記号である。だとすれば、、、

ぼくには、ここにはカントとヘーゲルの闘い、あるいはグリーンバーグとダントの闘いが背後に控えているように思われる。極簡単に(また暴力的にまとめて)言えば、純粋に見ることの中で論理を構築しようとする態度と、見えるものが大きな物語に対してどのような位置づけ(「理由づけの言説」)をもつことが出来るのかから、見えるものを論理化していこうとする態度との闘いである。

いや違うのかな。感じることよりも芸術の文脈づけに重きを置くダント的な姿勢に、「ヘタヘタ」の魅力の隠蔽を感じてしまう、というその不満が基本にあって、こう書いたのだけれど。感じることを尊重する(はずの)美学と芸術とは何かという問いに基本的には終始することになる芸術論の対立構図が、最近凄く気になるので。

そうではなく、多分、「うま」の問題をどう処理するのが最良か、ということを考えるべきなのだろう。「うま」とは多分、「個=弧」の賭けなどという実存的な問題として問われるものではなく、むしろコミュニケーションを転がす能力として考えられていくべきなのではないだろうか。「ヘタうま」の「うま」が「うまうま」とは違って、単に技術によってひとを唸らせ同時にひと作品の間に(賛嘆であれ敬遠であれ)一定の距離を生じさせてしまうのではなく、また単に実存的な賭けでもないとすれば、むしろ親密さや同時にとらえ難さを感じさせることで、魅力的な距離の関係(ほっとけない無視できない、でもダイナミックでスリリングな関係)を転がしていくものである、と考えることは出来ないだろうか。「うまうま」に対して不満を感じる椹木氏に同調しつつも、「ヘタうま」にもなんらかの違和感を感じてしまうぼくにとって、しかし「ヘタヘタ」だけ(子供だけ)が魅力的ではないとするならば、大事なことは、「うま」という事柄の内実に含まれる反省性をどう(新たに)解釈していくことができるか、ということになるのである。そこに、必要なのは、多分観客と作品との間の関係・距離ではないのか。さて、しかしこのような視点を捨象する時、大人は、自らを「リトルボーイ」と自称することになるのだろうか。

またこの点について書いてみます。

講義の後では

2005年06月23日 | Weblog
いつも、さまざまな気持ちが交差して複雑な感情の中で漂う(一日に三コマやるので、するとだいたい100人くらいの学生の会うので)。だから、『十八番』という焼鳥屋でしばしクールダウン、してから帰宅することにしている。

夕方、三時間目(時間割的に言えば五限目の)の美学特殊研究は、「笑い」を論じている。いまは、フロイトの機知論二回目である。アブジェクション概念がでればキャシー塚本も登場する実に享楽的な授業なのであるが、難解な素材を実に生き生きとすくすくと聴講してくれる学生達。帰りに、話をしなければ確実にヤンキーorやくざと思い込むだろうルックスの学生二人と話し込み、泣きそうな気持ちになりながら(感動しててってことで、かつあげされてってことじゃないです、よ)、別れた。

こういう日のビールは格別である。来週はもっと活きのいい授業がしたい、最近、授業の話題に比してぼく個人に元気がないもので、学生諸君失礼してます。

菊池成孔『南米のエリザベステイラー』

2005年06月21日 | Weblog
を以前買った、ipodに入っている。
何度か聞いた。けど、あまり引きつけられない。最近サルサのダンスレッスンに行くようになったAによってぼくのipodのコレクションに入っている、本場のサルサ、サンバなど南米音楽にあるシンプルで徹底的な享楽・快楽はここにはない。「ない」ことが、現代的な何か(洗練?あるいはポスト・コロニアル何とか?)なのかどうかは分からないけれど、残念ながら快楽をたからかに語りながら実際は不感症の音楽というのが、ぼくの耳の結論だ、いまのところ。猛烈に反応し始めるときがくるのだろうか。あたまでっかちな気がどうしてもしてしまう、からだに「こ」ないのだから、しようがない。

なんだかやけに、彼の日記は毎日読んでいるのにもかかわらず、、、。

なかに、DVDが付録に付いていて、そこでの「京マチ子の夜」のミュージックビデオは、正直ぼくが乗れていない部分を肥大化したようなものだった。踊り子の楽屋裏での情事、という設定は悪くないとしても、そこで表象されるセックス・シーンは、まさに、快楽の手前で考え込む(故に快楽的ではない=不感症の)女性の表象に他ならなかった。

朝、本郷に出かける前に、スピヴァクを読み直す。面白い。『ポストコロニアル理性批判』の冒頭にあるカント崇高論批判は、危うい解釈も部分的にはあるが、重要な論点を多く含んでいるものだと思う。さあ、崇高論の整理がすめば、本当にゴールは近い。ポイントはだいたい掴めた。そして、そこから全体を見渡すと、随分締まってくるように思う。よし。

夜は、久しぶりに近所のデニーズで食事。もう五年は行っていない「丘釣り人」であるぼくが、無意識裡に「いきたいいきたい」と思っていたのか、「オレたちには、千葉がある!」と叫ぶ表紙につられてデニーズ行く前に購入した『Basser』(つり雑誌)。食後にこれ読みながら興奮していると、「今度帰ったら(ぼくの地元にあるバス池の)御蛇が池に行こうよ」と最初乗ってくれていたAは、次第に口数少なくなる。つりの分かる女性というのは、なかなかいないものだ。「つりってのはあ、自然に対峙する大義名分として優れているんだよお。竿もってなきゃ水面を5時間も見つめるってこと出来ないでしょ」と、うんちくを言ってみるが、飽きた時のボート遊びをどうするのかに思いを寄せている(あの、静かにしてくれてないと、魚どっかに行っちゃうんだけど、ね、、、)。

モダニズムのバイアス

2005年06月20日 | Weblog
今日は、午前中に黙々と超長い論文の崇高論部分を整理していき、午後には、上智大での現代美学研究会(随時参加者募集中です、当然ですが無料です、四谷に五時です、次回は7/25です)の準備をして夕方四谷に向かう。

グリーンバーグとダントのつばぜり合い、それはカントとヘーゲルのけんかでもある。純粋性に重きを置くグリーンバーグに対して、多元性を重視するダント。問題は経験の質、どっちが実際豊かなのかどうか。終わりかな?と思ってからの30分に議論白熱、「サバルタン」なんて言葉もつい漏らしたりしながら、美学と芸術哲学との相違にも検討を加えながら。

帰りに、いつもの新宿の回転寿司。ネタがいい、ここは。板さん以外は、アジア系の人ばかりが働く寿司屋。「生だこ」って上手く言えない新人がいたり、ここはどこだ?ってところも楽しい。でも、Aお気に入りの女の子がいなくなってしまった。寂しい。

『日本におけるダダ展』

2005年06月18日 | Weblog
に行った(@東京芸術大学陳列館)。

展覧会よりめあてはダダの映像関連、ということで上映される映像群を見にはせ参ず。でも、どんなねらいで集められているのかは、今一歩不明(ぼくの知識不足が大きいのではあろうが)。


ヴィッキング・エッゲリング「対角線交響曲」(1921)
ハンス・リヒター「リズム21」(1922-24)「リズム23」(1923-24)
オスカー・フィッシンガー「スパイラル」(1926)
マルセル・デュシャン「アメニック・シネマ」(1925)
ジェルメーヌ・デュラック「Disque957」(1928)
マン・レイ「ヒトデ」(1928)
ポール・ストランド/チャールズ・シーラー「マンハッタン」(1921)

アンリ・ショメット「Cinq Minutes de Cinema pur」(1925-26)
デスラウ・ウージェーヌ「La Marche des Machines」(1928)
オスカー・フィッシンガー「スクエアー」(1934)

オスカー・フィッシンガー「ラブプレイ」(1931)
ラースロー・モホイ=ナジ「光の遊戯、黒・白・灰」(1930)
ハンス・リヒター「フィルムスタディー」(1926)
ルネ・クレール「幕間」(1924)

どれも基本的には一発芸的な構成主義的動きの単発(5~10分程度)、そのラッシュ。最後の「幕間」はかなり面白かった(以前教育テレビの何かの特集で見た覚えがあるな)。最後の最後、「fin」と書かれた紙を破いて主人公が飛び出してくるシーンは、村上三郎?と思いもしたが、その飛び出したからだが地面に着く手前で頭を誰かに蹴り飛ばされ、また元の位置に戻っていくところなんかは、もうただただギャグ。この作品には前面に渡って程度の低い(知性的の反対、ようするにお馬鹿な)笑いが漂っているのだけれど、こういう笑いのセンスとダダやシュルレアリスムの関係は、かなり重要だろうと思う(ダダとシュルレアリスムの違いは笑いの角度にある、なんて証明できたらかなり面白そう)。

なんて、しばらく暗闇の中で、実験的映画の目に全然優しくなーい映像を見て、すっかり疲れた後で、てくてくと散歩。御徒町あたりで、地下鉄に乗り、久しぶりに表参道近辺をぶらぶら。

南烏山ダンス教室

2005年06月16日 | Weblog
に向かう。

授業が終わり、急いでバスに乗る。小田急線祖師ヶ谷大蔵駅から、京王線千歳烏山駅から徒歩十分ほどの会場まで歩いて行ってみることを提案。小田急から京王線に乗り換えてとやるよりも、直線距離で考えれば絶対に近いのだ。でも後で考えれば、相当無謀だった、雨も降っているし。結局45分はかかったかな、最初の祖師ヶ谷大蔵近辺の「ウルトラマン通り」とかは、風情もあり、にぎやかでうきうきしていたのだが。商店街は、個人店が多い。その光景をみているうちに、「入院した店主が客に病室からテレビ電話かなんかで話しかけ、売り込みをするなんてこと、こんだけ技術が発達した時代なんだからあってもいいよね」なんて思いつきをAにしゃべって顰蹙を買ったり。「いやだから、店頭に液晶テレビがあって、そこから店主が話しかけるの、『ああ、奥さん奥さん、きょうもまいどー、今日はね、キャベツがいいよ、俺じゃないけど息子が競りしてきてさ、もう自信をもって任せられるってモンだよ、って退院したらすぐに交替するけどさ』なんてね、でも、親父実は不治の病で、みんな知っててここにあえて買いに来るの、でにぎわってて、そういうのがまたテレビで話題になって、、、なんてことあってもいいよね」

ダンス教室は、四谷で見たのの二倍の時間で堪能。基本的には、ダンサーが新しくダンスを作るためのアイディア集みたいなヴィデオを桜井さんの解説と共に見る。帰りの、中華屋がひとり1500円でこれでもかと食べさせる。美味いんだけれど、深夜、どうやって帰ろう?途中までタクシーでも、運転手「一方通行で、、、」などとぶつぶつ言うから降りて、行きと一緒で歩く。いやいや、歩いた一日だった。

諸書雑感

2005年06月15日 | Weblog
ということで。
昨日は、色々と本を買った。たまっていた読書(欲)を少し満たそうかと。乱雑なざっぷ読み。

山田詠美『風味絶佳』文藝春秋
肉体労働の男の子達の恋愛というか性と生活と仕事の日々を描く。かなり洗練されている山田の文体は、ときに過剰に複線を用意しているなあと思う時など、さめることもあるのだが、描きたい一点を浮かび上がらせる力量に飲み込まれる、それはとても気持ちいい。あと、やっばり肉体労働へ向かう眼差しって、他の文芸誌に載っているものとかちらっと読んでみたりすると、例外的なものだなあと感じる。自分のセンス(味覚)だけを信じて進む、その頼りなきしかし確かな一歩一歩、にちょっと共鳴。その点から言えば、中原昌也なども随分「トレンド」コンシャスに見えてくる。

北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』NHKブックス
いま超話題の一冊(宮沢章夫さんのブログで言及されていたあたりで、気になり始めていた)。遅ればせながら斜め読み。何よりもナンシー関が理論的に文脈化されていることを評価したい。この人がいなくなったことで日本から失われたものは甚大だと思っていた(いる)から。いまでもよく、「ああ、いまナンシー関が生きてたらこのことなんて言うんだろう」って思ったりする。それにしても、「反時代的思想家としてのナンシー」なんていう小見出しには、ちょっと笑いが吹き出す。あと、ロマン主義論(あるいは反省の論理)から今の日本を読む視点は気になるところ、よくもわるくも。
でも、この人の最大の欠点は、事象・対象にのめり込んでいないところだ。いかにも、東大助教授な姿勢を崩さない。ぼくほぼ同い年なんですけど、同世代として、このひとが、一体あれやらこれやらをどう見ていたのか(体験していたのか)あまり判然としない。60年代を語るのと同じように80年代を語るその姿勢は、2004-5年のことでも、同様な対象への距離感を保ち続ける。社会学の研究者的な態度といえばいいのか。それにしても、「電車男」で泣いた、っていわれても(冒頭で筆者がそう告白するのだが)、リアルタイムでの経験でない(2ちゃんでの更新とともに読んだのでない)ならば、ちょっと、ね。その自分の振る舞いに対してこそ、自分で距離を感じてくれれば、いいのに。

西村賀子『ギリシア神話』中公新書
これは純粋に講義の準備のための読書。かなり平易。

村上隆(編)『リトルボーイ』イェール大学出版(アマゾン経由)
今後この本は日本・現代・美術を理解するためのひとつの準拠枠になっていくのだろう。面白いのだが、どうしてもキャッチフレーズが先行的になりがちで、その整理に言葉が終始している気がして、ちょっと残念だ。気負いの強さで読ませる(見せる、あっ基本はジャパン・ソサイエティでの展覧会のカタログなので)一冊。


昨日はカントの研究会のある日。10時過ぎまで本郷にいて、そこから帰るので、帰宅は12時近くになる。帰ってから、夜の散歩にAを連れだし。「散歩」といってビール買いに行くだけなんすけどね。

きんじょのはて

2005年06月13日 | Weblog
片瀬江ノ島まで一時間弱、横浜行くのとさほど変わらぬ距離にあったんだ、近所の果て。

ちょっと気持ちがぽっかりしてしまったので、こういうときは、「おれってちっちゃいにんげんなんだよな、ほんとなー」なんて自嘲しながら自愛する時間が必要。ひとりふてくされる時間。

江ノ島という小さい島は、まったく東京のこじんまりとした感じに呼応していて、ニア東京らしい世界。さまよいあるく余裕もなくあっという間に島の奥に着いてしまう。

よきリハビリになった。