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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

『僕は模造人間』(島田雅彦)

2009年09月07日 | 80年代文化論(アイデンティティとキャラ)
とタイトルはつけたものの、手許に本書がない。

島田雅彦をぼくはこの本から読み始めた憶えがある。中三の冬。高校受験が終わって、みんなが自己採点をしている時間に自転車で抜けて市の図書館で受験からの開放感にひたりながら、本棚を散歩している中で、手にしたのが『僕は模造人間』。その前年のぼくの愛読書は『ライ麦畑でつかまえて』だったのを考えるとすごい飛躍。本当のことをどうしたら守り抜けるかが『ライ麦』だとすると、本当なんてべつにないというところから出発する『僕は』。同時期に、ぼくが心酔していたのはThe Smithsだった。

島田は、『神々』である。島田は、新人類に対して距離を保っている。例えば、『モダンほら公爵の肖像』(北宋社 1986)では、「新人類」に対して島田が「自己プロデュースだけでやってるような人はもうダメでしょうね。……新人類みたいなやつ。賢い消費者がね、あのー、ジャーナリズムをにぎわす時代じゃないと思いたいですね。」(pp. 94-95)


この『モダンほら公爵の肖像』を頼りに、島田の「模造人間」を少々まとめておこう。

「人間は〈僕〉や〈私〉という部分と亜久間一人とか三島由紀夫といった模造人間の部分とが強引に合成されたものだ。〈僕〉は遺伝子とタンパク質への翻訳機械、有機的な器官から成る。そして、模造人間は他人の意識の中に住む〈僕〉の幻であり、〈僕〉の意識の中に巣喰う他人どもの幻である。人間はこの二つの部分がよじれてつながっているからおかしなことになる。〈僕〉の中枢や諸々の器官は〈僕〉の意識の中に巣喰う他人どもの幻の作用なしには活動せず、他人の意識の中に住む「僕」の幻は〈僕〉の中枢や諸々の器官の活動なしには存在しない。」(第五楽章)p. 55

『僕は模造人間』は、悪魔一人(あくま・かずひと)なる少年の恋愛小説・青春小説で、物語の推進力となっているのは、こうした「僕」と「模造人間」の不安定な関係。これは、社会学的には個人的アイデンティティと社会的アイデンティティの関係ということになるのだろう。自分が他者へと向かう恋愛という場が、自分と自分との関係へとすべて読み替えられてしまうところに、小説の面白さはあり、また少年の手前勝手さ、マゾヒズム傾向が露出される。

本書収録の論考の中で、川端隆之という書き手は、こうした側面に関連してこんなことを述べている。

「さて、付録には「私は島田雅彦という飽きっぽい性格の物書きですが、実はその謎の模造人間に会ったことがあるのです」と、「島田雅彦」と「模造人間」は別人のように書かれているが、この「島田雅彦」も現実の島田雅彦も模造人間であり、別人の如くごまかして書いてしまうところに島田氏の含羞と分裂気質(ルビ:スキゾフレーズ)がうかがわれる。そもそも作家(「偽作家」と自称したとしても)は模造人間の集合体である。」(p. 55)

分裂気質の小説家、分裂気質をトレースした小説。浅田よりも僕は島田からこうした思考を摂取したのだった。うんうん、思い出す。

『若者たちの神々』での発言も整理しておこう。上記したようなアイデンティティについて、筑紫と島田はこうやりとりしている。

「筑紫 アイデンティティ探しをやめようっていうのが一つ、たとえば浅田彰君のメッセージであったりするわけだけれど、いろんな大学に行って話をすると、出てくるのはほとんどアイデンティティをどうやって見つけたらいいかという質問ですよ。自分が何をやったらいいかとか、どういうふうに振る舞ったらいいかとかということを含めてね。それは世代に関係なくずっと続いている、一種のビョーキみたいなもんだね、人間のね。

 島田 たとえば、ある集団の一員たることでアイデンティティが獲得されるかというと、それはうそでしょう。そんな気がするというだけの話じゃありませんか。ただ、ある程度それで我慢せざるを得ないように社会はできている。そういう社会に気の利いた抵抗をするためにスキゾフレニーという一種の戦略を持ち出すのは楽しいと思います。人間観を書き換える作業をしなくてはいけないんです。そこで浅田さんですが、あれは、やっぱりヒモの思想だろうと思います。
 筑紫 ヒモ?
 島田 ……ひたすら逃げ続けるというのは、まあいいかもしれない。しかし、どこに逃げるのかということをもし考えたとすると--逃げる行為自体が大事なんですけれども--結局陳腐なところに逃げざるを得なくなったりするわけですね。だから、やっぱりヒモなんですよ」(pp. 221-222)

「島田 かりに真・善・美をぼくが追求しているとすれば、あくまで人工的に作ったもの--ぼくが作ったもの--の中で具体的にしていきたいですね。みんながみんな、これが真だ、善だ、美だと思うものに対しては興味がない。そこに、あえて見る前に跳ぶハムレットのように反逆を試みるということはいつもしたいし、それをすることが美しいと思う。美意識ということでいえば、あるところで妥協するのも美しいと思うし、人々に幻滅を与えるのも、また美しいと思いますね。」(pp. 226-227)

「島田 今回、「若者たちの神々」の一員に入れていただいたのはぼくにとっても得なんです。」「それで、このお話が最初にあったときに、神々の黄昏ということをふと考えたんですけれども、神々というのは、やっぱりたそがれるようにできてるんですね。いままで「若者たちの神々」に出てきた神々は、音楽にしろ、評論にしろ、映画にしろ、技術者なんですね。そもそも「神」とはちょっと別な部分なんですが、自分が神々になりたいとかなりたくないとか、それとは無関係に神々になるわけです。それは彼らが苦心して身につけた技術とはいささかも関係がない。一方的に神々にさせられる、そして一方的に黄昏を強いられるわけです。」
「筑紫 神々がたそがれるものだとすれば、そこにいちばん若い人を引っ張り込むというのは、あなたにとって相当迷惑な話だね。
 島田 たそがれたいんですよ。
 筑紫 早いじゃない、まだ。
 島田 ええ。ですから、たそがれる前提として神にならなきゃいけない。人知れず片隅で死んでいくよりは、たとえ冗談であっても神と呼ばれて、たそがれて死んでいきたいというう、これは大時代的なロマンティシズムですけれども。」(p. 227)

この部分を深読みしたくなる。「神々」だけに許される「たそがれる」ことを、『神々』の一人として取り上げられたことで、許されるかもしれないと思いつつ、島田は、文芸作家として「神々」であることの烙印である芥川賞をまだ得ていない。まだ若い、この時期、当然と言えば当然なのだけれど、しかし、結局彼はその後、この烙印を押されることのないままの『神々』だった。というところから、島田は、新人類に近い神々なのかもしれないと、そうしたコンプレックスを宿していたのかも知れないと思ってみたくなる。「たそがれる前提として神にならなきゃいけない」というロジックは、新人類的な何かを感じさせる。これが「自称の神」になったらまさにそういうことになるだろう、辛うじて「冗談でも神と呼ばれて」と「呼ばれる」ことにこだわる限りでは、島田はやはり神々であり、少なくとも神々であろうとする存在だと考えられる。

なんて、つらつら考えていたら、ゼロ年代の神々はこんなだったな、と思い出した。

モンスターエンジンの「神々」

ポストモダニズム-キャラ-シャーマン

2009年08月06日 | 80年代文化論(アイデンティティとキャラ)
シンディ・シャーマンを80年代文化論の内部で考えるということは、どんな意味があるのだろう。彼女の最も有名な作品「アンタイトルド・フィルム・スティル」は、1977-80年にかけて撮影されたものであり、彼女のアイディアが70年代を跨いだものであるのは事実である。とはいえ、80年代的なものを考える際に、きわめて重要な存在であることは間違いない。

・シャーマンを60年代までの「アンチ」の姿勢から生まれた身体表現とは別の身体表現を行った人物として捉えてみること。
・シャーマンのそれまでとは「別の身体表現」をポストモダニズムの問題、特にキャラの問題として考えてみること。
・そうしてキャラといった問題設定を美術史と接続可能なものにしておくこと。

今触れた
Untitled Film Still
が重要なのはもちろんのこと、近年発見された
Cindy Sherman "Doll Clothes (1975)"
は、彼女のキャラ的なものへのアプローチを理解するのに大きな手がかりを与えてくれるものだろう。

ハーヴェイは、『ポストモダニティの条件』の冒頭で、こう記している。
「これらの写真が異なった身なりをした同一女性の写真であることに驚きをもって気づくまでには、少し時間を要した。写真の女性が芸術家そのものであることを教えてくれるのはカタログだけである。著者が自己を対象として自己言及的に位置づけるのと同じように、外観およびうわべの可鍛性によって人間のパーソナリティのフレキシビリティを説くラバン【『ソフト・シティ』の著者】の主張とそうした写真との類似性は人目をひく。シンディ・シャーマンはポストモダニズム運動の中心人物の一人と考えられる。」(デヴィッド・ハーヴェイ『ポストモダニティの条件』p. 18)

ハーヴェイは、シャーマンを論じた辺りでイーグルトンの次のポストモダンの定義に触れている。

「典型的なポストモダニズム的人工物は冗談好きで、自虐的で、精神分裂症的でさえあるということ、そしてそれは商業や商品の言葉を破廉恥に取り込むことで高度に進んだモダニズムの厳格な自律性に反発してするということについては、たぶんある程度の合意が得られるであろう。文化的伝統にたいするポストモダニズムの立場は、軽薄なごたまぜの立場であり、その無理をした深みのなさは、しばしば悲痛とショックからなる野蛮な美学により、あらゆる形而上学的な厳粛さを根こそぎにしてしまうのである」(イーグルトン1987)p. 21

ちなみに、美術界の1980年代をまとめた椹木野衣『シミュレーショニズム』の出版が1991年。そこには、こうある。

「初期のシャーマンは、すでに述べたように、万人が映画の細部に無意識的に欲望する典型的な場面を、彼女自身がある種の匿名性において、それも演じるのではなくなぞってみせるというものであった。」(椹木野衣『シミュレーショニズム』2001版、ちくま学芸文庫、p. 206)

2001年に書き足された1998年の「特別講義」ではこう書かれている。
「言い換えれば、写真のなかでは「唯一の私」は存在していなくて、実のところ、そこで「わたし」は誰にでもなれてしまう。いわば写真とは、この「わたし」を複数の「わたしたち」へとかき消してしまう装置なのだ」(p. 32)