Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

KAT vol. 2ただいま編集中!

2010年11月23日 | Weblog
日本女子大学の三年生六人とすすめているKATが今年も雑誌を作ってます!
と、以前も紹介しましたが、乞うご期待です。

twitterもはじめました。
アカウントは、

kkatkatkatt

です。よろしくお願いします。

12/5は文学フリマにお越し下さい。ぜひぜひ。ブースはU-08です。

今回は、インタビューがテーマ。学生たちが、緊張でばくばく心臓いわせながら果敢に挑戦してきました。
ラインナップは、「エクス・ポ」に負けないぞ(笑)!

エリイ(Chim↑Pom)、小泉篤宏(サンガツ)、武田力(チェルフィッチュetc.)、tomad(Maltine Record)、篠田千明(快快)その他、あのひともこのひとも!

いまは、ふろくの話で盛り上がっております。

「CD-Rつけよう!」

「じゃ、なに入れる?」

「クリスマス・プレゼント?」

……


今日は、「トランスフォーメーション」(東京都現代美術館)→託児所→飴屋法水作品と遠征予定。合間に、3331でエイブルアートジャパンに立ち寄れれば。佐々木卓也さんの作品がみたいな、と。

11/20は

2010年11月22日 | 美術
美術作家の平川恒太くんの展示が原爆の図丸木美術館で行われており、ぼくは20日にトークで呼ばれて行ってきた。最近は、土曜日のおでかけは、車で妻とIとでというのが多い。思いのほか渋滞がはげしくて、予定の倍近い時間がかかってようやく到着。丸木美術館なかなか素晴らしい田舎にありました。

はじめて見た「原爆の図」は、ぼくには裸婦群像に見えました。子供も描かれているけれど、大人の男は基本的に描かれていない。描かれている女はほぼ全員が裸。この裸は衣服が焼かれてということではなく、まただからか裸体はとてもきれいなのだ。そして、ふくよかで柔らかで美しい。女性の、おそらく子どもを産んだ女性のつよく柔らかい美しさが、屏風にほぼ等身大の大きさで描かれている。だから、裸体の女性に直接出会っている感じに近く、そこには、例えばピカソの「アヴィニヨンの娘たち」を見るような手応えさえある。美しい裸体がしかし、単に美しいだけだったら、あまり説得力はないのだけれど、そこに赤・黒・青などの色が強くその美しさを汚している。両者のバランスがなんともすごくて、ここに圧倒されてしまう。うーん、やっばり、これはいい作品ですね。見ておいてよかった。

それでトークは、平川くん、ぼく、楠見清さんとバトンを渡しながら進んだ。平川くんは、これだけ表現的には「戦争」や「平和」を連呼していながら、そうした言葉は本当は使いたくない、自分は日常に向き合っていたいと話していた。そして、おそらくそのことと関連して、自分はアートを超えたいのだとも話していた。正直、彼の描く油彩画はなかなか素晴らしく、説得力があり、その方向も決して忘れて欲しくないなあと思うのだが、彼が今回「The Never Ending Story」と題して展示した作品群は、戦争と平和のテーマを、コンセプチュアルな方法で展開するものだった。彼の敬愛するボイスに確かに似ているところもある。ぼくは、そうした彼のコンセプチュアルな作品のなかにも滲み出てくる、彼らしいかわいらしさやユーモアに惹かれてしまう。透明な旗の連なる万国旗に、反戦のメッセージが描かれているものには、旗のエッジに切れ込みが1センチごとくらいにあって、それによって透明プラスチックがきらきらと光るのだけれど、こういうセンスが彼らしく、また魅力的だ。

ぼくは以前、ここにも描いた、9月の広島の旅の話をした。ヒロシマをテーマに描いた芸術家の作品よりも、広島平和記念資料館やヒロシマの人々が描いた絵の方がずっと優れているのではないかという話をした。すると、楠見さんが、それは自分の力を表現するpaintと客観的な事実を伝えようとするpictureの違いなのではないかというまとめをしてくれた。なるほど、ぼくはpictureの可能性について興味があるのかも知れない。

「けいおん!!」のことを下に書いた。と、いうより、これいいと思うと書いた。さっきお風呂に入りながら「サイゾー」の11月号(2010)を読んでいたら、アニメーションの合評が載っていた。中川大地なるひとが言うには、

「性愛や闘争といった近代的ドラマツルギーの一切をあえて排除し、成熟社会における最大限の可能的「幸福」のイメージを結晶化することで、「抵抗」が失効した世界でのロックやパンクの代替的モデルを新たに示す達成が本作だ!」

という整理をしていた。といっても、中川氏本人は、それを「信者な皆さんの心情」とし「わかるし、否定しない」として、肯定はしない。その理由として「普遍性は低い」から。つまり、「学園」ものは卒業してしまえば終わってしまうので、そんな幸福論は、人生の一時期のみのものだから空しい、ということだろう。「おれたちの身体も入りうる、その先の「楽園」像を、諦めずに探そうぜ」というのだ。

多分、「けいおん」が終わって生き甲斐を亡くしたみたいなネット上の誰かの発言に対するリアクションなのだろう。その意味では分かるのだけれど、また相も変わらず「学校」モデルにしがみついてしか物語(ここで展開されるのは、物語なき物語だろうけれど)が描けない(=普遍性は低い)のかという意味の批判としても分かるけど、大事なことは読み手がそこから転じて自分でなにをするのかに委ねられているわけで、物語がある場面を舞台にする限り「普遍性は低い」のは当然だし、もし普遍性が高い物語を描こうとしたらいいのかといえば、ぼくは疑問に思う。といって、ぼくはまだアニメーションをまったく見ていないので、なにかをいう資格はないのだけれど。

ところで、「おれたちの身体も入りうる」のくだりあたりで気になることなんだけれど、以前も書いたでしょうか、同性集団を描く物語がいま多いですよね。あるいは、歌のグループでも同性集団がとても多い。ここに、身体の入りがたさを気にするひともいるのだろうけれど、人気があるところを見ると、それがいいということもあるはずで。AKB48「ヘビロテ」なんか見てても、監督した蜷川実花の金魚を撮ったシリーズみたいな、かわいさとグロテスクさを感じる。そのあたりが気になるなあ。

と、久しぶりにちょっと長く書けた。昨日は、Iと二人でいて、そうするとパソコンの前で文章を書くなんて全然出来なくなる。しかたないので、体力作りで、長沼公園を散歩。山下達郎のラジオを聴きながら、ぷち遭難を繰り返す(たぶん、人口密度としては高尾山の100分の1というか、藪のなかを登ったり降りたりしているのはぼくと負ぶったIだけだった)。秋を堪能。Iは最近、ぶぶっーと口を尖らせてつばを飛ばすのがお気に入り。食べながらそれをするもんだから、米とかなんだとかが飛び散りまくる。インプットとアウトプットは別々にして下さい。

人間を認識する装置としての芸術

2010年11月18日 | 美術
「ある作品がよいのは、それが完成したものであるからではなく、人間の状況についての別の種類の真実が、つまり人間であるとはどういうことかを教えてくれる新しい経験が--要するに別の正当な感覚が--そこに現れているからである。」(スーザン・ソンタグ「キャンプについてのノート」)

「KAT vol. 2」近況

2010年11月16日 | Weblog
昨日、学生たちがインタビューを実行してきた。エリイ(Chim↑Pom)と武田力(チェルフィッチュなど)さんに。ぼくは先週大学にサンガツの小泉さんをお招きしてトークした。そして明日は快快の篠田にインタビュー。これで、tomadくんとあと何人か済んでいるのを含め、記事はそろってきた!なかなか、盛りだくさんの雑誌になりそうです。

いまのアートシーンを女子大学生たちが伝える!ってなかなかレアですよね。

乞うご期待!


「盛り上がるブルックリン・シーン」

2010年11月15日 | 極私的ベスト5
今日は出校日ではない。けど、事情があって大学へ。研究室の整理をしていると、9月号のMMが。「盛り上がるブルックリン・シーン」。試しに、取りあげられている何組かYou Tubeで視聴。ここここ、こ、れ、は!

Animal Collective-My Girl

いい。サイケデリックだが、臭くなくてファンタジックだし、なんつうか、センチメンタル。

MGMT-Congratulations

これもいいなー。サーフィンなんだけど、インドア。ハイラマズみたいな参照癖はなくて、だから開放的でもある。なるほどー、こういうのが出てきてるのか!なんだか、うれしい!

Vampire Weekend-Cousins

これも。抜けた感じがある。アイロニーで反っくり返り、ひっくり返るのはもう飽きたみたいにきこえる。




同性集団を愛する異性

2010年11月08日 | I日記
演習で学生とAKB48の「ヘビーローテーション」を見ていた。この作品を通して、見る/見られる関係あるいは、見せる/見せられる関係を考えるとしたら、どんなことがいえるのかがテーマ。すると、かなりいろいろな議論か出てきた最後に、「ぼくは同性集団のいちゃいちゃに圧倒させられて、あまり気分がよくない」と告白したところ、学生から「先生のその感想はOLDだ!」との批判が出た。「OLD」と呼ばれたショックはそれとして、「そうかじゃあ、NEW TYPEは?」ときくと「「けいおん!」ににやにやするようなオトコ」というのがそれだ、という話が出てきた。

そうか、いまや単体の異性を単体で愛する類の物語よりも、異性の集団がわいわいやっているのを、旗から眺めるみたいなのが受けているわけだ。

ということで、あらためて「けいおん!」みてみると「なるほど」と思わされるし、以前からAと気になってみていた「ストライク・ウイッチーズ」も、同性の集団がわいわいやっている物語。

もちろん、このことは、AKB人気のみならず、少女時代、KARAなどのK-POP人気について考えるべきポイントを示唆しているだろう。

なぜ、単体のアイドルはさっぱりで、集団だとオッケーなのか?

まだ、女性が男性を見る場合では、単体もオッケーになっているかもしれない。い、いやそうかな?ジャニーズはもちろんのこと、いろいろなところで集団受けに出会う。その総本山は、BLということになろう。

ひとりを愛することの難しさ。集団を愛でることの気安さ。






雑記2

2010年11月03日 | Weblog
artscapeのレビューを更新しました。ご一読下さい。

ところで、昨日(11/2)神奈川県身ホールギャラリーに泉太郎「こねる」展を見てきました。
ここにも何度か書きましたが、今回カタログに4000字程度の原稿を書きました(カタログは今作含め泉くんのこれまでを網羅した作品集になっています。泉くんのエッセイ、学芸員の中野さんの論考とあとぼく以外では五十嵐太郎さんが執筆しています。2000円)。段落替えなしで五つのパートに分かれた文章、自分としてはちょっと特殊な原稿です、遊び心で泉くんに負けないようにしたいと思ったのでした。展示の内容は、ぼくが今回そういう仕方で関わっているからいうのではなく、素晴らしいです。少なくとも、金沢の「フィシュリ&ヴァイス」に匹敵する、いやそれ以上の面白さです。泉くんの作品は一見しただけでは単にふざけているように見えるかもしれませんが、そこにはそうとう知的な仕掛けがしこまれています。カタログにも書いたことなんですけれど、彼の作品のひとつ大きな特徴として、展示する空間で展示される映像作品を撮る、というやり方があります。すると、空間と映像は相互に照らし合い反省的になるわけですけれど、そうした仕掛けに頭がクラクラしまたそのクラクラに中毒的な感覚をもつのですが、今作ではとくに会場が広いために、映像が奥行きを活かしたものになっていて、とくに前後(手前と奥)に広く使っているために、遠近法的でありキュビスム的でもあるダイナミックな空間性が生まれています。かなり新鮮です。昨日の時点では、まだすべての空間が作品に埋めつくされていなくて、今後さらに新しい展示が増えていく予定だそうです。必見。

ところで、
いま12月の文学フリマに向けて、KAT第2号を制作しています。
KATというのは、ぼくが大学生と作っているサークルのことで、昨年、レビューやエッセイなどを載せた「KAT」という名の雑誌を文フリで販売しました。今年のテーマは「インタビュー」。学生たちが話を聞きたい相手に直接オファーし、インタビューを目下進めているところです(ぼくもインタビューしてます)。いまのところでオッケーが出ている(orインタビューを終えた)方を紹介すると、

チェルフィッチュの役者で独自の活動も行っている武田力さん
Chim↑Pomのエリイさん
快快の篠田千明さん
Maltine Recordsのtomadさん
サンガツの小泉篤宏さん
などです。

なかなか豪華なラインナップではないですか?
乞うご期待です。

ちなみに、先週の木曜日、tomadさんに新宿に来てらって学生二人とお話しをうかがいました。いやあ、すごい面白かった。生まれたときからポストモダンな世界に生きている人間がどう音楽や表現一般に向き合っているのか、すごい参考になりましたね。

ぼくがこの雑誌に期待するのは(この雑誌、ぼくはファシリテーターかもしれないけれど主導者ではないのです、編集長もぼくではなく学生だし)、若い女性の思考のかたちが言葉になること、です。いつまでたっても軽視・無視されたままでありつづけているそれを、どうにか顕在化させたいのです。