Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

テレビでコンドルズ

2005年06月12日 | Weblog
を見たら、何かテレビ的エフェクトによって、「結構いいジャン!」ってひとなみに思えるかと期待したのですが、、、いやはや、いやはや。

コンドルズ人気とは何か?最近のぼくは、ピナ・バウシュについても、田中泯にしても、彼らの公演とは何か(どうだったか)?じゃなくて、彼らがどうして人気があるのか?の方にばかり目がいく。というのは、簡単に言うと、公演に乗れないがためだ。乗れない状態というのは、単純に「恐怖」である。みんなが笑っているのに笑えないのは、優越感よりも疎外感を感じる。それだから、どうにか知りたいのだ。どうしてみんなコンドルズって言うの?

正直、これぼくの学生達に見せたら「あー先生って、この程度のギャグセンスなんすかー、ダンスっていってこれなんすかー」って一蹴される気がする。あるいは、延々いい訳を言いそうな気がする。そうなってくると、ぼくはなんで「コンテンポラリー・ダンス」の周辺にいるのかよく分からなくなる。Aは、「なんか「あべこうじ」みたくなった、、、」とぽつり。そうそう、お笑いの方が今遥かにレヴェルが高いし、高いところで、マンネリとか番組作りとか、の話になる。もうちょっときついなー、誰か、コンドルズの魅力を語って下さい。匿名でも、なんでもいいです(ただ「キャー」みたいのはちょっと遠慮します)。頼みます。


『ミリオンダラーベイビー』

2005年06月12日 | Weblog
をみた。

ラスト30分の展開の、どんなドラマティックな表現も避けた、ただ淡々と「人間はこういう時どう考えるのか」へと向かう眼差しに圧倒される。この時間帯、観客はただシーンと黙り込む。「人間の本気」にはじめてであって、戸惑っているような雰囲気さえある。いやでも、ぼくも打ちのめされた。「ここまでが人間の出来る限界」と線を引かれた、といった気分だ。ぼくも自分の仕事の中でここまで出来るのか?イーストウッドおやじに静かにさとされた気にもなる。

「傷」の話から始まる、「肉(体)」とは何か(ゆえに、有限な生とは何か)?を問う。実に明瞭で、かつある一点に向かって疾走する映画。