Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

鈴木ユキオ「また、踊るために」

2008年02月28日 | ダンス
2/27
昼、目白にて大学での事務仕事を終え、お茶の水へ。ゆらゆら帝国「空洞です」パラダイス・ガラージ「奇跡の夜遊び」BATTLES「MIRRORED」などを購入。明らかに、あれの影響だわ、あれって今月の『STUDIO VOICE』。あとトクマルシューゴ「EXIT」と大谷能生×戸塚泰雄「2005.3.22」Otomo Yoshihide「modulation with 2 electric guitars and 2 amplifiers」。その後、森下スタジオにて、鈴木ユキオのワークショップ「また、踊るために」を見学させてもらった。彼の言葉は、きわめて明晰で、実体験に根ざしていて、本物で凄かった(いつかあらためて、どこかで取り上げたい)。新宿3丁目で餃子を食べ、帰ると、かわいいから見てーっと、こんな写真が送られてきていた。このメールの送り主とその仲間たちは、最近中国にそうとう興味があるらしく、その感覚が(世評に逆らって、無視して、かどうか?あえてなのかそうでないのかよく分かんない感じ含め)、ちょっと面白いと思うのだった。

Britannica on line

2008年02月26日 | 研究ノート 注記
Britannicaのdanceの項目。こうやって、ブログに貼り付けると、普通にアクセスしたら部分的にしか読めないのに、バリアが解けて全部読めるようになるそうです。貼っておきます。左上のSearchで検索が利用出来ます(しかし、実際に全部読める項目というのはかなり限定されているようですが、、、)。

ナルシスティック(行為者)-窃視症(見る者)的二元論の克服

2008年02月25日 | 『ジャド』(5)レイナー
以下はダンス研究者ラムゼイ・バート『ジャドソン・ダンス・シアター パフォーマティヴな足跡』第3章の部分訳と注釈です。これで、今回個人的に予定していた範囲は、訳し終わりました。ここから研究ノートの書き込みをさらにしていきます。それと、これをどうにかより立体的に理解し、味わい、ダンスを感じ考えるネタに出来るよう、さらなる工夫を考え中です。

後に言及されるように、70年代にレイナーはダンス作家から映像作家へと転身します。
例えば、Film About A Woman Who...(1974)

ところでYvonne Rainer: The Mind is a Muscleなる本が昨年末に出版されていたんですね。この辺りの研究というのは、近年、非常に熱気が高まってきている、という気がしますね。



(5)私の身体は永続する現実に留まっている

 「スペクタクルにノーを」で始まる1965年の声明の冒頭に、レイナーは次のような但し書きをつけた。つまり、自分は多くの演劇の形式を楽しんでいるけれども、その一方で、自分の声明はそれより厳密にただ「自分自身の芸術的な瞬間瞬間のゲームのルールや境界」(Rainer 1974: 51)の輪郭をくっきりとつけようとする、という但し書きである。ジャッドと比べると、レイナーの規則や境界は、年月を経て変化してきた。「擬似的概説」に自明なことに、これらのルールや境界はミニマル・アートに関連していた。1976年の『カメラ・オブスクーラ』誌の編集者とのインタビューで、レイナーは自分の映画はフェミニスト的ではないと主張したが、その後、ノエル・キャロルに対して、自分は「変化を手助けしてくれた『カメラ・オブスクーラ』に感謝している。自分がもっている道具を使い果たしていなかった点を指摘してくれたことで、彼らは私に自分の作品について考えるための特別な道具を与えてくれた」(Rainer 1999: 179)ということを認めている。1981年の論考「Looking Myself in the Mouth」(ibid.: 85-97)で、彼女は、バルト、フーコー、クリステヴァ、ヘイデン・ホワイトを引用しポスト構造主義を参照しながらジョン・ケージ批判を展開した。1985年の映画『女たちを妬んだ男』は、フーコーとのインタビューの抜粋とオーストラリアのフェミニストであるミーガン・モリスによる論考の抜粋を含んでいた。レイナーがひねくれて考えたように、彼女が楽しんだのは「オーストラリア人の声が、強い訛りのフランス女性であり映画作家であるジャッキー・レイナルによって彼女自身の権利において英語で主張されたフランスのフェミニズムを間接的に参照していた」ことだった。「それは、フェミニストの理論それ自体について問題化がなされた声だった」(Jayamanne et al. 1987: 44)。フェミニストの精神分析学的映画理論を論考「デ・ローラエディプス・マルヴェイと遊ぶ間、あるいは彼が私生活を過ごすだろう間の、エディプスコンプレックス的な罠(いらだたしさ)に対する映画的な逸話をめぐるある反芻、しかし……」(Rainer 1999: 214-23)←著述家としても名高いレイナー。彼女が書く論文は、ともかくタイトルが長い!あと、難しい単語をよく使うんです。のなかで議論するときに、レイナーは同様に、破壊分子的なスタンスをとった。

 かくしてレイナーは、異なった複数の理論的ポジションの連なりを媒介にして、自身の著作において、また自身の作品そのものにおいて活動した。自身の芸術的なゲームについてのルールについて話したり、考えるための道具立てについて話す際に、レイナーはそれ以前の世代----抽象表現主義の画家やモダンダンスのダンサーたちの世代----がそこにおいて自分たちの個人的で、内的な経験の唯一性について認めてもらおうとするような、公的な芸術的制作物の性格に迫り続けた。この文脈においてこそ、ジャスパー・ジョーンズや幾人かのミニマル・アーティストが言語についてのヴィトゲンシュタインの考えに興味を持つようになっていったのである。J. O. ウルムソンが提唱するように、後期の考察において、ヴィトゲンシュタインは完全な科学言語という考えを廃棄して、その代わり言語を「それぞれが異なった種類の目的に奉仕する社会的な活動の無限定な連なり」(Urmson 1989: 329)として理解し、それ故に、言語ゲームや言語ツールについての議論を展開していった。ヴィトゲンシュタインにとって問題が生じるのは、個々人が言語を言語以上のものにしようと望む場合である。『哲学探究』の23パラグラフでヴィトゲンシュタインはこう提案した。「言語におけるツールの多様性、また言語が用いられる仕方の多様性、語と文といった類の多様性を論理学者が言語の構造について行ってきたことと比較するのは興味深い」(Wittgenstein 1963: 12)。有名な例で、ヴィトゲンシュタインが指摘しているのは、痛いと感じると誰かが発言したときにその誰かが意味づけた事柄を知っていると我々は考えるかも知れないけれども、その発言を聞いた者が話者の指し示している事柄と同じ痛みの感じだと思い描く経験を論理的に確証することは、不可能である(ibid.: 89 passim)。サイモン・クリッチレイが指摘しているのは、ヴィトゲンシュタインにとって「哲学は、言語をその形而上学的な使用から日常的な使用へと導く実践である」(Critchley 1997: 118)。ヴィトゲンシュタインは『哲学探究』(1953年英訳1963年)のなかで「「言語ゲーム」ということばは、ここでは、言語を話すということが、一つの活動ないし生活様式の一部であることを、はっきりさせるのでなくてはならない」(23)と言っています。言語をゲームとみなすことは、話者をゲームのプレイヤーとみなすことでしょう。同様な仕方で、ミニマル・ダンスは、正しく、運動の形而上学的な使用を消滅させたのである。ロザリンド・クラウスは、なぜあるミニマルリズムのアーティストたちはヴィトゲンシュタインの考えに魅了されていたのかをこう説明した。

[ヴィトゲンシュタインにおける]言語と意味のこうした問いは、類比によって、我々がミニマリズムの努力の積極的な側面を理解する手助けをしてくれる。なぜなら、芸術作品にイリュージョニスティックな中心あるいは内部を与えるのを拒もうとして、ミニマリズムのアーティストは、審美的な客体に対する意味づけを否定するのではなく、意味の個別的なソースの論理をただ再評価するからである。意味は----言語との類比を続けながら----、個人的な空間よりも公的な空間から生じるものとして理解されるべきだと、彼らは問いかけるのである。(Krauss 1977: 262, emphasis in the original)

クラウスに従えば、レイナーのダンスまた彼女の仲間たちのダンスのミニマリズムとは、従って、この公的な空間において意味の豊かなダンスのヴォキャブラリーを見出すために、確証不可能な個人的な連想というダンスの実践を暴露しようとする熱望であると理解することが出来る。

↑このあたりで、バートが盛んにヴィトゲンシュタインを参照するのは、アメリカ『オクトーバー』系の美術批評家ロザリンド・クラウスのミニマリズム的なダンスについての見解を意識してのことだと思う。例えば、このエントリーのなかで、ロバート・モリスも含めたジャドソン系のタスクな運動を論じる際に、ウィトゲンシュタインが出てくることとか。

 この点を考えることで、私は、この章のはじめに据えた問い、つまり『心は筋肉』とテレビでヴェトナム狙撃死体を見たときの恐怖や不信との間の関係を議論する際に「私の身体は永続する現実に留まっている」(Rainer 1974: 71)と結論づけたレイナーは一体何を言わんとしていたのかについて、答えることが出来る。クラウスに従って、私が強く主張したいのは、レイナーの視点において、名人芸的バレエテクニックによって伝達される形而上学的理想と主流のモダンダンスの表現的なヴォキャブラリーによって伝達される心理学的経験の固有性はどちらも、イリュージョニスティックな中心あるいは内面性を据え置いてしまう、ということなのである。ヴィトゲンシュタインの用語では、そのような内面性の存在は形式論理学によって確証されえないのである。ただレイナーの踊る身体がもつ「現実の重さ、マッス、増進されていない肉体性」(ibid.)は、論理的に確証可能であり、それ故に、公的空間において意味をもちうる永続する現実に留まっているのである。レイナーがこの結論へといたったことの重要性は、1968年の公演パンフレットを1974年と1999年の論集であらためて取り上げた事実に明らかである。

↑ここでは、ヴェトナムの悲しい死体を映すテレビのイリュージョン、そしてそれを受け取り、何かとして解釈して分かった気になる内面性が、自分の身体のリアルな感覚と対照されています。イリュージョニズムに反対してマテリアルの次元を、そのリアリティ守ろうとするレイナー。しかし、その身体というものが「私の」身体であるという事実が、今度は、問題になってきます。↓

 レイナーは、こう認めてきた。「私にはいつも、公的な市民を私的な個人と統合したいという清教徒的な傾向があったし、一種のユートピア的な緊張があった。」(Goodeve 1997: 60)。これは、1968年の公演パンフレットのなかでの清教徒的道徳化への擁護と響きあう。1968年の公演パンフレットで、彼女が述べていたのは「ただイデオロギー的な諸問題が作品の本性に関係をもたず、また、近年の政治的で社会的な条件についての性格がいかなる実効性ももたなくなる」(Rainer 1974: 71)ということだった。言い換えれば、『心は筋肉』は芸術作品であり、政治的なプロパガンダの作品ではないということである。ドナルド・ジャッドは、非常に似た発言をしている。「芸術は、何か他のもののためのメディアではなく、教えることも出来ない。道徳的な事柄でもなく、倫理的な事柄でもなく、それは学問的な事柄でもない。それは芸術である」(cited in Raskin 2004: 93)。【中略】 

 従って、イデオロギー的な事項は、レイナーのダンス作品の本性あるいは実際と関係してこなかったかもしれない。しかし、テレビでヴェトナム人の狙撃死体を見たときの恐怖の感情は、ヴェトナム戦争への抵抗運動の正当性を確証した。さらに言えば、同じ感情がミニマリズム的な踊る身体の実際の重さ、マッス、そして促進されていない肉体的性格に価値を与える作品を作り上演する正当性を確証したのである。

 もしレイナーの公演パンフレットが、どのようにして芸術と社会的また政治的なものの領域とが互いに関係するのかという問題を明快に述べていたとしても、ダンスから映画へと自身の活動の中心を5年以内に移したことを鑑みれば、彼女が1968年に至った結論は、ただ彼女に暫定的な解決を与えたに過ぎなかったように思われる。ナン・ピエヌという『アート・イン・アメリカ』に寄稿していた批評家に向けて彼女が話した、ダンスを放棄したことについての説明は、1968年の公演パンフレットの言葉とこだまする。自分の身体が永続する現実に留まっているという事実は、疑いなく、レイナーにとって充分ではなくなった。目下彼女がダンスについて間違っていると感じていることは、有意義な公的な活動として見た場合のダンスの限界であった。なぜなら「私の身体と動作に固有な性質は、個人的な声明を作る」(Rainer 1974: 238)からであり、さらに言えば「事実としてダンスは「私の」についてのものである」(ibid., emphasis in original)。ダンスはただ「私」についてのものであり、「私の身体と動作に固有の性質」であるので、ダンスはレイナーが探究したいと望んでいる類の感情の経験を扱うことが出来ない。多くのことが明らかになるように、彼女はこの経験を公的な領域で存在する何かであると定義し、こう述べている「この感情の領域は、私たちの両方に必然的なほどに直接的necessarily directlyに関わるのでなければならない」(ibid.)。彼女が考えるに、これはダンスが探究する資格のない何かであり、というのも「いわゆる身体感覚的観者の応答にもかかわらず、それはただめったに行為者と見る者との間のナルシスティック-窃視症的な二元論を乗り越えない」(ibid.)からである。私がこの章で説明してきたように、ブラウン、パクストン、そしてレイナーが1960年代をかけて制作してきた作品は、このナルシスティック-窃視症的二元論を乗り越える試みであり、それらはときにそれに成功したのである。私は、次章で、ブラウンとパクストンがダンスを通してこのことを探究し続けてきたことを説明するつもりである。彼らのダンスはこの章で議論した作品をその起源とするような運動の研究へのラディカルなアプローチを鼓舞した。ふり返るに、後続のダンサーたちが受け継いだ彼らの遺産は、このナルシスティック-窃視症的二元論を超越するための模範となる作品と理論の実質bodyだった。しかし、私が本書のこの後の3つの章で示すように、ラディカルで実験的な劇場系のダンスの連なりは、1968年の落胆から喚起されるひとつの理解によって整えられた。それは、踊る身体が公的な領域にあることの意義が、その身体の社会的でイデオロギー的な構築によって境界画定されている、という落胆であった。

伊藤存 西尾康之 愛☆まどんな

2008年02月24日 | 美術
2/23
KODAMA GALLERYにて、伊藤存の新作「bi-bi-X」を見る。昨年の春のリトルモアではあまりなかったように思う、丸っこい、ぱらっと上から落とした紐みたいな線が各所にあらわれていて、面白かった。あのときは、横、縦、斜めの線がともかく印象的でキュビスムのようだと感じたりした(そのとき、そう解釈された批評家の方の意見にひっぱられつつ)のだけれど、今回は、ユルな線がそこにさらに加わって、なんというか「マチ」感が増量されていた。線と線の間、何かと何かの意味の間。こうも見えるしああも見えるように、決まってそうどっちつかずに見えるように仕組まれた線は(故に「bi」=×(かける)なのだろう)、やっぱり小さな迷宮みたいで、眩暈しそうなほど好きだ。

同じ白金の同じビルで山本現代にてDream of the Skull展を見る。西尾康之の巨大な3つの女の首など。

やはり同じ建物にある高橋コレクションにて、鴻池朋子を見る。

本当は、そこからさらにGallery Countachにて、近藤恵介を見るはずだったが、風速28メートルの超強風が吹き荒れて、Aが風邪っぽいということで、断念。


2/24
まだ冷たい強風続く。昼、小指値とちょっと相談。夕方四時に、多摩美で知り合ったHくんと連れだって愛☆まどんなを見る。なんかまるで、渋谷のChim↑Pom、秋葉原の愛☆まどんなだな、なんて思った(図式的すぎるけど)。アキバはへんなおじさん天国だった。新宿で天ぷら「つな八」にはじめて入れた。ずっと、行こうとすると行列していたので、入れなかったのだった。五時に行けば入れるか(出る頃にはやはり待つ人の列が出来ていた)。

「泉の会」

2008年02月22日 | Weblog
2/19 正式名称「泉の会」(通称「シアトリカリティ研究会」)を自分の周囲にいる若い美学研究者たちと発足することにした。4月から、Sarah R. Cohen, Art, Dance, and the Body in French Culture of the Ancien R[e]gime, Cambridge: Cambridge University Press, 2000.を隔週ペースで読む。自分に何が出来るか分からないけど、ともかくいろいろなところを活性化したい、という思いで、とりあえずスタートさせる。

「シアター」「シアトリカリティ」「パフォーマンス」「パフォーマティヴ(ィティ)」という概念について、時代や地域、あるいはジャンルに囚われず、研究する会です。かなり専門的でつっこんだ議論をする会ですし、あまりオープンな状態にはしないつもりですが、興味のある方は、連絡下さい。いずれ会が進んでいったら、泉の会専用のブログで議事録のようなものをアップしていくつもりです。

レイナーのケージ批判

2008年02月21日 | 研究ノート 注記
レイナーは、ジャドソン・ダンス・シアターでの最初のコンサートに象徴的なように、ケージのチャンス・オペレーションのアイディアに彼らが影響を受けたことはみとめつつ、しかし、ケージに対して批判的な意識をめばえさせていった過程を、この論考「Looking Myself in the Mouth」で述べています。そこでは、例えば、「選択性とコントロール」という作家の意図的意識的な作業を持ち込んだことで、中軸たるケージから離れようとしたことが示されています。「コントロール」というのは、レイナー「擬似的概説」でも『トリオA』でひとが見るのは「慎重なコントロールの感覚である」などと言ってます。

「選択性とコントロールの再導入は、しかし、完全にケージ的哲学に対立する。そして選択性とコントロールこそ私がつねに直観的に--これで意味しているのは問うまでもないということである--私自身の作品でケージ的な工夫に圧力をかけるよう持ち込んだものである。記号論的分析の観点から、私はそれらの直観の正当性を見出した。同じ点で、現実と言うよりも表面上のものとして話す主体のケージの脱中心化をみることは可能である。」(Yvonne Rainer, Looking Myself in the Mouth, in October (17), the MIT Press, 1981, p.68)

もう少し言葉を重ねると、当時のアヴァンギャルド芸術の主たる指針とは、芸術artと生活lifeの境界線を曖昧にしていくことであり、例えば「ハプニング」の提唱者アラン・カプローがケージに触発を受けてこう述べているのが、代表的です。「芸術と生活の境界線は流体として保たれていなければならず、そしておそらく可能な限り判別出来ないものでなければならない。ひとが作るもの(the man-made)とレディ・メイド(the ready-made)との間の相互作用がこの場合、最大限の可能性をもつだろう。この接合点で、何かがつねに起こっている」(Kaprow)。こうした思考には、イリュージョンを提供するものという既存のartの役割からartを解放してそれをlifeの内へと連れ込むこと、artによってlifeの空間について反省を促すこと、artの空間にlifeの様々な事象を持ち込み反省を促すこと、などが目指されています。ケージで言えば、『4分33秒』のなかで観客が耳にするsilence(沈黙=ノイズ)は、そうしたartとlifeの境界線が曖昧になったところに立ちあらわれたものであり、それの聴取は、作曲された音楽の演奏という芸術的な場面に、生活が紛れ込んだ瞬間なわけです。

ところで、こうしたレイナーの新たな立場からすれば、ケージ主義は、観念論的でさえある、と言われます。そこにあるのは「この生活が非常に素晴らしく、相応しく、正しいと信じるよう導かれている仕方」(p. 68)であり、現実を見過ごしたまま(現実の生活には、様々な問題が当然あるはず。レイナーも意識し、バートのこのテクストで言えばシュニーマンが批判していたフェミニズム的な問題は、その一例でしょう)、生活=素晴らしいという考えに行き着くとすれば、それは観念論的な思考だと、レイナーは考えているわけです。

「これらの諸過程の外で操作をしようとする、ケージ主義的な「非意味呈示的実践nonsignifying practice」は、みずからを、言語以前の--心なし、欲望なし、差異化なし、有限性なしの、純粋な観念の領域にあるものとみなす。要するに、それは、関わらされている一方で、相変わらず踏みにじりそこねている観念論の領域なのである。」(p. 69)

レイナーによるミニマルアートとダンスの相関性(チャート)

2008年02月20日 | 研究ノート 注記
Objectsオブジェクト(美術)      //      Dancesダンス

Eliminate or minimize削除あるいは最少にするべきもの ×

1 role of artist’s hand作家の手の役割    // phrasingフレージング
2 hierarchical relationship of parts    // development and climax  
諸部分のヒエラルキー的関係        展開とクライマックス
3 texture                // variation: rhythm, shape, dynamics
表面の肌理                 変化:リズム、形状、ダイナミクス
4 figure reference 象徴的指示      // characterキャラクター
5 illusionism イリュージョニズム     // performanceパフォーマンス
6 complexity and detail         // variety: phrases and the spatial field
複雑性と細部                多様性:フレーズと空間的領域
7 monumentality     // the virtuosic movement feat and the fully-extended body
記念碑的な性格               名人芸的な動きの妙技と十分に伸展した身体

substitute代わりにあるべきもの ○
1 factory fabrication            // energy equality and “found movement”
工場の製作                 エネルギーの均等性と「見出された動き」
2 unitary forms, modules        // equality of parts
ユニタリー・フォーム、モデュール       諸部分の均等性
3 uninterrupted surface          //repetition or discrete events
途切れない表面               反復と散発的な出来事
4 nonreferential forms          //neutral performance
指示対象のない形              中立的なパフォーマンス
5 literalness               // task or tasklike activity
リテラルネス(直写主義)           タスクあるいはタスクライクな活動
6 simplicity             // singular action, event, or tone
簡素性                   単一の行為、出来事あるいは調子
7 human scale人間的規模        // human scale人間的規模


ダンスだけにして整理するとこうなります。左は要するに、モダンダンスないしバレエが念頭にあり、右はジャドソン・ダンス・シアター系のダンスが念頭にある、ということになります。

                    Dance
削除あるいは最少にするべきもの  ×      代わりにあるべきもの ○
1フレージング              →  エネルギーの均等性と「見出された動き」
2展開とクライマックス          →  諸部分の均等性
3変化:リズム、形状、ダイナミクス    →  反復と散発的な出来事
4キャラクター(特性描写)        →  中立的なパフォーマンス
5パフォーマンス             →  タスクあるいはタスクライクな活動
6多様性:フレーズと空間領域       →  単一の行為、出来事あるいは調子
7名人芸的な動きの妙技と充分に伸展した身体→  人間的規模

↑1の「代わりにあるべきもの」として挙げられた「見出された動き」という概念にはファウンド・オブジェあるいはケージのFound Soundなども含めたFound Artというものの文脈上に、自らのダンスを置こうとするレイナーの意図が垣間見られる。「フレージング」は、過度に芝居じみていて、はっきり言って不必要だと断じたレイナーにとって、じゃああるべき動きとは何かといえば、要するに「レディメイド」な動きだった。「フレーズ」についてはこのエントリーの末にレイナーが整理した部分が引用されている。

(Yvonne Rainer, A Quasi Survey of Some “Minimalist” Tendencies in the Quantitatively Minimal Dance Activity Midst the Plethora, or an Analysis of Trio A, in Minimal Art , Gregory Battocock (ed.), 1968)

正しくない者同士が交わす応答が唯一、正しい方向へ行く可能性を持っている

2008年02月19日 | Weblog
2/19
「みんな自分が正しいと思っているから、応答が反論になるんです。赤木[智弘]さんのいいところは、決して自分が正しいとは思ってないところだと思います。僕だって何が正しいのか、実を言うと分からない。だけど、正しくない者同士が交わす応答が唯一、正しい方向へ行く可能性を持っているのです。」(高橋源一郎「世界は間違っている。それでも、明日のことを考えましょう」)『論座』(2008.3)



「『トリオA』でひとが見るのは慎重なコントロールの感覚である」

2008年02月17日 | 『ジャド』(4)3モリス『無題』他
以下は、ラムゼイ・バート『ジャドソン・ダンス・シアター パフォーマティヴな足跡』の部分訳です。第3章の後半「ダンス理論と美術理論」と小見出しのついた部分が終わるところです。レイナーの「擬似的概説」論考のなかで展開される事柄のなかでも、特段に興味深い論点がここで取り上げられています。「コントロール」や「エフォート」について、など。あらためて、ノートとしてこのあたりのこと、整理してみようと思います。原書で35ページある第3章の翻訳は、あと、最後の3ぺージを残すのみとなりました。

写真はRobert Morris『無題』(Three L Beam, 1965)です。

(4)ダンス理論と美術理論(下)


 ジャッドが論考「スペシフィック・オブジェクト」のなかでした有名な議論はこうである。

作品は興味深いことのみが必要である。たいていの作品はただひとつの質のみを最終的にもつ。……作品が見るべき、比較するべき、相互に分析するべき、観照するべき多くの事柄をもっている必要はない。全体としてのものは、その全体としての質は、興味深いものである。(Judd 1975: 184, 187)

ここでのキーワードは「興味深いinteresting」である。デヴィッド・ラスキンが指摘しているのは、ジャッドはこのキーワードを特殊行動主義的な仕方で用いているということである。彼らの活動がその内に興味を表しうるがために何かに彼らが価値を与えていることをひとは誰かの活動から観察することが出来る、とラルフ・バルトン・ペリーは論じている。ラスキンが論じているのは「ジャッドはペリーの言う興味を彼の主たる原理とした、なぜならその興味は実証出来る身体的なキャラクターや私的な反応と調和しており、ジャッドはアートが客観的な経験でもありまた価値ある経験でもあることを認めているのである」(Raskin 2004: 84)。「活動あるいはひとのすることは、キャラクターやアティテュードを展示することよりも興味深くまた重要であるという点で、パフォーマンスの技術は[ジャドソン・ダンス・シアターのあるメンバーたちによって]再評価されてきた」(Rainer 1974: 65)と述べるとき、レイナーは「擬似的概説」において、ジャッドと同様の行動主義的視点を表現していたのである。

 ジャッドの理論的な淵源が行動主義にある一方で、モリスは最初、知覚に向けたアメリカのゲシュタルト的なアプローチによって影響されたていたし、さらにその後には、モリスはそのアプローチを、メルロ=ポンティの思考と同調させようとした。モリスは美学に向けたゲシュタルト的なアプローチに興味をもった。それが示唆しているのは、個々人は基礎的なレヴェルで、複雑だったり混乱していたりすると薄くなってしまうような強い感覚を通して、全体を知覚していると言うことである。「彫刻についてのノート」のなかで、モリスはチャールズ・ハリソンが「現象学的に知られる、芸術作品と出会う条件に向かう焦点、つまり時間と空間の内にある身体的な客対物と出来事の具体化された知覚」(Harrison and Wood 1992: 799)と呼んだものを分析している。芸術的客体物には、相互に関係を創造する分割可能な部分があると観察する際、モリスは、ひとつの特性のみをもつ客体物を作ることで、この潜在的に二元論的な状況から逃れるというコンセプチュアルな問題を提示する。彼が見ているのは、これが完全には到達可能ではないということであり、というのも

どんな状況においても、ひとは同時に諸々の部分としてひとつ[の特性]以上のものを知覚することが出来る。つまり、色であれば、面に着目し、平面性であれば、肌理に着目する、など。しかし、もし色が肌理に対してもつ無数の相関関係を諸形式が否定出来ないとすれば、それが形状に関して確立されたこれらの種類の関係のために分離された諸部分を呈示しないというある諸形式が存在する。そうしたものは強いゲシュタルトの感覚を作る単純な諸形式である。それらの部分は、知覚的な分離に最大限の抵抗を見せるといったやり方で一緒に結び合わされる。固体に関して、彫刻へと適用出来る形式に関して、これらのゲシュタルトは単純な多面体である。(Morris 1993: 6)

それだから、モリスによるミニマリズム彫刻は、1960年代半ばを通じて、おおよそ単純で、正方形の、灰色の箱ないし多面体から構成された。モリスが指摘するのは「単純さは、経験が単純であることと必ずしも同じではない」(ibid.: 8)、むしろ、単純さは以前には気づかなかった身体感覚的で生理学的な感覚を見る者に意識させる、ということだった。すでに示唆したように、まさにアン・ハルプリンとのダンス即興で経験したことを通して、モリスはこうした身体感覚的で生理学的な感覚に気づくことが出来たのである。

 『無題』(3つの「L」ビーム)(1965)のようなロバート・モリスのモジュラー彫刻において、ひとつのモジュールは地面の上にあり、別のモジュールは「L」の形状を見せ立っている、他方、3つ目のモジュールは、2カ所の端を地面に触れるようにして、ひっくり返った「V」のように配置されている。それらのマッス[質量感]に対する観者の知覚は、地面に接触したモジュールの程度に反比例している。それ故に、ひっくり返った「V」は横倒しのモジュールよりもずっと軽いものに思われる。しかし、観者はその3つの構成部分の同一性を認識することが出来る。モリスと同様、レイナーは観者の知覚に関心をもっており、ダンサーが使う現実のエネルギーと観者がダンスを観る際の明白なエネルギーとが関係する場合には、観者の視点やダンサーの視点がつねに重なり合わないよう考えた。それだから、彼女が述べているように『トリオA』でひとが見るのは、次のような慎重なコントロールの感覚である。[そのコントロールとは]「強要された命令通りの時間を忠実に守るというよりも、規定された動作を経験する身体の現実の重量がかける現実の時間の長さに対応しているように思われる」(Rainer 1974: 67)。それだから、彼女が人目にさらしてきたのは「伝統的には隠されてきたタイプの努力effort[エフォート]であり……[彼女は]伝統的に呈示されてきたフレーズを隠してきた」(ibid.)のであると、こうしたアイロニーを彼女は続けて論説したのである。このことを実証するのは、経験的に確証出来るリアリティのみを唯一受け容れる道徳性という信仰である。これは、レイナーがドナルド・ジャッドの経験主義に迫った一例である。デヴィッド・ラスキンが指摘しているように、ジャッドは芸術が生む審美的質を道徳的な主体に帰したのである。

 ジャッドが自分の芸術理論へのアプローチという点と自分が生み出す作品の種類という点でキャリアを通じて一貫し続けていたのに対して、レイナーはその後、映画制作などをするにあたってダンスを放棄した、ただしミニマル・アートを支えた理論的な思考をすべて捨てたわけではなかった。レイナーの「擬似的概説」は、1960年代半ばという特殊な歴史の瞬間に帰属する戦略的な介入だった。トーマス・クロウが述べているように、ジャッドとモリスのミニマリズム彫刻が、

視覚的快楽の標準的な多様性を押しのけて……アート・ワールドにおける制度上の力に批判的な意識を向ける可能性を掲げたとしても、[彫刻に含まれる]説明のつかない純粋さによって、それらの彫刻は、美術館が内包する諸物体に押しつける中立的な地平に相対しつつ、分離した形状の標準的な関係の内に、あまりにも容易に、引きずり込まれてしまう。(Crow 1996: 152)

同じように、ダンスにおけるミニマリズムの言説もまた、サリー・ベインズによって展開されたアメリカのポストモダン・コリオグラフィについての純粋な、ハイ・モダニズムの視点のなかで再評価され続けてきたのである。

『REVIEW HOUSE 01』完成

2008年02月16日 | Weblog
ビールをこよなく愛するAが編集長を務める『REVIEW HOUSE 01』がとうとう完成しました。「見開き2ページの批評実験」というのがキャッチコピーの芸術批評誌です。ぼくは小指値とChim↑Pomについて批評文をそれぞれ2頁ずつ担当しました。
あと、nhhmbaseのことも1000字くらいで書きました(「気まぐれな気象のようなライブ・パフォーマンス」)。インタビューページ+批評ページ+美術批評家・林道郎のレクチャーともりもり盛りだくさんの内容です。

この雑誌の面白さは、インタビューページのラインナップに一番はっきりと出ているかも知れません。
青木淳悟(文学)
nhhmbase(音楽)
横内賢太郎(美術)
このクロスぶり。ジャンルレスぶり。あと、書き手はみなかなり若い。ぼくなど年長組です。『ベクトルズ』で共同作業をしている大谷能生さんもHOSEなどについて原稿を書いています。

ダンスについては、いま公演中の神村恵カンパニーについてAが、黒沢美香について振付家・手塚夏子がとりあげています。
こちらに購入方法の詳細があります。今日と明日にBankART 1929にて行われる神村恵カンパニー公演『どん底』の受付でも購入出来るようにする予定らしいです。書店での販売もするそうです、ただしもう少し時間がかかると思いますので、確実にお手に取るには、こちらからの購入をお勧めします。

「そうしたアプローチは、過剰なほど芝居じみている」

2008年02月16日 | 『ジャド』(4)2美術理論
引き続き、以下に、バート『ジャドソン・ダンス・シアター』の第3章の後半にある「ダンス理論と美術理論」の中盤を訳し、研究ノートにします。ここでは、レイナーの思想的背景が研究されています。とくに、
ジャッド「スペシフィック・オブジェクト」(1965)
モリス「彫刻についてのノート」(1966)
ローズ「ABCアート」(1965)
といった美術理論からの影響、そしてさらに、当時の流行していた現代哲学であるヴィトゲンシュタインの言語哲学、メルロ=ポンティの現象学などに注意が向けられていきます。ちなみに、
オースティンの『言語と行為』出版が1960年
メルロ=ポンティの『知覚の現象学』
の英訳が出版されたのは1962年でした。
ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』の英訳は1963年。
いかにアクティヴに、当時の現代思想をダンサーたちが吸収していたのかが、明瞭になるでしょう。あえて言えば、東浩紀(でなくてもいいんですけれど)などの思考に刺激を受けたダンスが出てくるみたいなものですよね、いまなら。

写真はアンソニー・カロの彫刻。これと、モリスの例えばこんな(あまりよい図版ではないけれど)作品と比べてみる。




(4)ダンス理論と美術理論(中)

 特徴のあるぶっきらぼうな率直さをもって、レイナーは、自分が「擬似的概説」を書いたとき「ドナルド・ジャッドの1965年の論考「スペシフィック・オブジェクト」、モリスの「彫刻に関するノート」、バーバラ・ローズの1965年の論考「ABCアート」に強い影響を受けていた」(Rainer 1999: 103)と述べている。一緒にするならば、これらの3論考は、その時代のニューヨークで流行っていた知的な思考がどんなものであったか、そのスナップショットを与えてくれる。コロンビア大学で哲学学士を取得していたジャッドは、行動主義者的な視点をもっていて、また今ではほとんど名の知られていないアメリカの哲学者・ラルフ・バロン・ペリー----ウィリアム・ジェームス著作集を編纂した----の思考にとくに興味を抱いていた。モリスの「彫刻についてのノート」はゲシュタルト心理学に基づく理論的なフレームワークから現象学に基づくフレームワークへの移行を示している。とくに、それはメルロ・ポンティの『知覚の現象学』に基づくフレームワークであり、1962年にルートリジ&ケーガン・ポール社から英訳書が出版されていた。ジャッドやモリスが自作の反響に向けて理論的なコンテクストを作る実務家である一方で、ローズは、批評家で歴史家であり、その論考は、ダンスを含めた広範なミニマルアートへの視点をもっていて、当時になって英訳が出版されるようになった、ヴィトゲンシュタインを含めた哲学を引用し、ロラン・バルトやアラン・ロブ・グリエの論考を含めた文芸批評を引用する、その時代の美術批評としては最初の著述物のひとつだった(see Meyer 2001: 147)。

 ミニマルアートに関する3つの論考に共通していることは、アングロアメリカンの、広くいって経験主義の哲学が確実にその根拠になっている、と言うことだった。このことは、特殊アメリカ的であり、実証的で懐疑主義的な傾向をもっており、モリスやローズのようなアメリカ人の興味をかき立て始めたフランスの理論が最初に受容される際に影響を与えた(これは、60年代の終わりにポスト構造主義や脱構築の思考がアメリカに上陸する前のことである)。既に記したように、レイナーはとりわけ身体についての理論的な考えに注目していた。このアングロアメリカ的経験主義は、心と身体を二元論的に分岐させる思考を推し進める大陸合理論とは対立するものだった。合理主義者が信じていたのは、世界についての本質的な知識に純粋な理性の働きによって到達することが出来るということであり、他方で経験主義者は、すべての知識は(具体的な)経験に由来すると信じ、実際に起こっていることの観察を除いては知識を獲得する手段はないと信じた。合理主義者は、具体的な知覚からもたらされる感覚情報を疑う傾向にある。なぜなら、デカルトが論じたように、それはイリュージョンか夢かだからである。彼の論じるところによれば、ただ考えることだけが自分の存在していることを疑いえない仕方で証すのである。いくつかの著作において、身体は純粋に機械的であり、魂は機械のなかの幽霊であるとデカルトは呈示している(その後の著作で彼は、身体と魂には一層複雑な連合があると認めてはいるけれど)。経験主義者は、そうした二元論に向かう合理主義的な基礎を拒絶する。デヴィッド・ラスキンが指摘してきたように、アメリカの行動主義者が信じているのは「内的な心理状態は外的な行動の延長である、しかし、唯一外的な行動だけが客観的に観察され研究対象となる」。それだから、行動主義者たちは「感情、欲求、情動は世界のなかの活動であり、心の出来事ではない」と考えるということである(Raskin 2004: 81)。この章で論じられてきた作品が実証するように、ジャドソン・ダンス・シアターと連関しているアーティストたちは、内的な心理状態よりも外的な行動や活動に携わっているのである。

 ダンス作品に『心は筋肉』というタイトルを与えることで、レイナーは合理的で二元論的な思考に反対していることを示唆した。先に引用した「私の身体は永続する現実に留まっている」という1968年の公演プログラムでのレイナーによる声明は、デカルト的コギト「我思う故に我あり」への直接的な異議申し立てである。チャールズ・ハリソンが指摘するように、反二元論は、ミニマルを標榜するアーティストの重要な関心事だった。彼らは、諸部分間の関係としての構成はあるという考えを、デカルト的な二元論によって知られた流行遅れのヨーロッパ的感性であるとみなしていた。ハリソンが示唆するように、モリス、ジャッド、そして彼らの仲間にとって、全体wholenessとはモダンでアメリカンなものだったのである(Harrison and Wood 1992: 798)。「芸術と客体性」という論考のなかで、フリードは彫刻家・アンソニー・カロの作品を、自分の視点で、成功したハイ・モダニストの作品の一例としてとりあげた。フリードが提案したのは、カロによって結び合わされたモダニスト彫刻は、多くの異なった要素が一緒に組み合わされることから構成されており、それらの諸要素は「ある要素と別の要素との相互変化」によって芸術的な全体へと達する、ということだった(Fried 1969: 137)。観者は、そうした彫刻を、距離をとった客観的な視点から見ることが出来る。自律性と完成性という質がその作品にあるからである(図版3.4)。モリスやジャッドにとって、カロの彫刻が諸要素を組み合わせたものであるという事実は、二元論的でヨーロッパ的であることを暗に示していた----カロは英国のアーティストだった(Harrison and Wood 1992: 798)。ダンスに関していえば、レイナーは、彫刻の空間的な質と振り付けの時間的な質との間に相関性のあることを見いだしていた。それ故、彼女はこう述べている。

「フレーズ」という語は……始まりと中間と終わりを含んだより長くあるいは完全である持続のメタファーとして働きうる。どんな高まりないし見所になるクライマックスを含んだ連続性が暗示されようとも、そうしたアプローチはいまや、過剰なほど芝居じみていて、より単純に言えば、不必要である。(Rainer 1974: 65)

そういうわけで、モダニスト彫刻における二元論的な諸部分の空間的な関係性は、モダンダンスやバレエにおける高まりやクライマックスhigh points and climaxesの間にある時間的な関係性に該当するのである。これらの高まりやクライマックスが不必要と考えて、レイナーは調節されずに統合されている調子で行われる単一的な諸活動に価値を認めたのだった。

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ロザリンド・クラウスによる「タスクのパフォーマンス」の説明

2008年02月15日 | 研究ノート 注記
「ニューヨークのジャドソン・メモリアル教会に集まったパフォーマーたちによって水路が開かれ、ありふれた動作のダンスあるいは「タスクのパフォーマンスtask performance」というこの新しい概念は、「内面」をもたない身振りを作るというひとつの方途を活発に追求していった。バレエ的な身振りは、我々が感じるように、つねに内面に潜む意味を、音楽ないし身体の洗練された情念の意味を、現実の時間と空間が閉じ込められ既に確立された慣習によって構造化されている不可触的な領域の意味を表現する。ダンサーの身体は、決まって、これらの意味を外在化するよう働いている。従って、こうした意味がなければ、身体はありふれており、ジョガーや労働者やただ階段を降りるひとの身体と大差なくなるのである。
 「ありふれた動作ordinary movement」というダンスを考えることで、ジャドソンのダンサーたちは、いわば「日常言語ordinary language」という観念との連帯を宣言した。「日常言語」とは、言語についての行動主義的視点の内へ心/身の区別を解消させようとする哲学がもっていた観念である。語の意味はその使用である。彼らはこうしたヴィトゲンシュタインの思考をよく諺として引き合いに出したものだった(実際に読んでいたかどうかはともかく)。語の意味するところが何かを知ることは、ひとが言及するその語の「意味」の像を心の内にもつことではない。むしろ語の意味とは、その語を用い、その語を実際に運用するperformあるひとの隠れようのない能力が持ち合わせている機能にすぎない。もし心の内に想定されている像が全く主観的で私的で、私だけがアクセス出来る何かだとしても、その語が成就することは公的である。つまり、私はそれを正しく使用するか、そうでないかのどちらかでしかない。」(Rosalind Krauss, “The Mind/ Body Problem: Robert Morris in Series” in Robert Morris: The Mind/ Body Problem, New York, 1994, p. 6)

「レイナーはダンサーの眼差しを振り付けた」

2008年02月14日 | 『ジャド』(4)1『トリオA』
以下は、ラムゼイ・バート『ジャドソン・ダンス・シアター パフォーマティヴな足跡』の部分訳+コメントです。第3章の終盤にさしかかってきて、議論としては次第にひとつの結論へと向かって速度が上がっているんですが、その分、というべきか、内容はどんどん細部へと、とくに『トリオA』とその同時期に彼女の書いた論考「擬似的概説」へ向けた解釈へとバートの筆致は急角度で突入していきます。この後、議論は更に、小見出し通り、当時、1965年頃、レイナーがどれほど美術理論に影響を受けていたか、またどのような仕方でその影響下から新しいダンスを捉えようとしていたかへと展開していきます。

フォローしていくのがめんどくさい部分かも知れませんが、ようは「私の身体は永続する現実に留まっている」と語ったレイナーの真意を開いていく前段階なのです、ここは。

以前にも貼りましたがRainer「Trio A」 の映像(You Tube)をここにも貼っておきます。ちなみこれは、レイナーが踊るサリー・ベインズ版(1978)です。


(4)ダンス理論と美術理論(上)


 イヴォンヌ・レイナーの『トリオA』は、形式的でコンセプチュアルな事柄とこれまで私が議論してきたような諸作品のもつ審美的な感性とを結び合わせた。モリスが『サイト』において上演した題材のように、『トリオA』は一連の運動のタスクから構成されており、フォルティの『シーソー』のように、これらのタスクをいかなる仕方であれテーマによって連関させようとしていない。『トリオA』は、シュニーマンの『サイト』やブラウンの『インサイド』と対立することで、パフォーマンスという問題を扱った。『サイト』や『インサイド』で彼女たちが観客を直接見る一方で、観客の眼差しに出会わないように、レイナーはダンサーの眼差しを振り付けた。『トリリウム』のように、『トリオA』は、既存のコード化されたダンスのヴォキャブラリーとは関連のない、逆立ちやその他多くの日常的な動きを含んでいた。従って、『トリリウム』のように、この作品は、ブラウン、フォルティ、モリスそしてレイナーが皆ハルプリンから学んだ、具体的な経験へと集中的に注目する状態を推し進めていった。つまり、自分の振り付けた動作が互いにどんな論理的な繋がりもなく、どんな同定可能な移り行きもないことを確固としたものにしようとして、レイナーはこれを用いた。『ワード・ワーズ』のように、同じ題材が没個性化されたパフォーマーたちによって、平板化された気の進まない風のやり方で、演じられた。

↑ここでは、とくに振り付けに「論理的な繋がり」のないことと「ダンサーの眼差しdancer's gaze」を振り付けるということが話題になっていますが、例えばレイナーは近年こう、この作品についてふり返っています。「[『トリオA』という]ダンスの二つの主要な特徴は、ダンスが調子を変えることなく続いていくことと、必ずダンサーの眼差しを参与させることである。頭部が独立して動いたりあるいは目を閉じまた眼差しをひたすら下方に投げることによって、つねに観客に直接的な仕方で直面しないように目を逸らすのである」(Yvonne Rainer, Trio A: Genealogy, Documentation, Notation, Dance Theatre Journal, volume 20, no. 4, 2005, p. 3)
観客を執拗に無視する、という状態は、実際に作品の映像を見ればよく理解出来ると思います。普通そうだろ、と言われてしまうかも知れないですが、普通は、無視しているのではなく、観客はいないという「振り」なわけです。観客の居る現実の空間から切り離されたイリュージョンの空間にいることを示す約束事(コード)なのです。レイナーの場合、観客と同じ現実の空間にダンサーがいることを示しながら、しかし無視の状態にある、という点が重要なのです、そして、そうだから(レイナーの戦略通り)『トリオA』のダンサーは「不可解」(「なんなん?」と問いたくなるような、添付した30秒ほどの映像でも、感じますね「あなたは何を考えてこんなことしてんの?」とツッコミ入れたくなる感じ!)なのだ、と思います。そうしてイリュージョンを最小にして、目の前の身体が起こすことに付き合っていく「具体的な経験」に注目するようにしていったのです。


 『トリオA』には、よく知られた、ビデオで見られる2つのソロ・バージョンがある。サリー・ベインズは1978年にレイナーの踊る16ミリ・フィルムを制作した。1980年に最初に放送された、公共放送のドキュメンタリー・フィルム『ビヨンド・ザ・メインストリーム』(Brockway 1980)のために、『トリオA』の大部分は、訓練されていないダンサー・フランク・コンヴェルサーノ、ニューヨーク・シティ・バレエのバート・コック、そして長年トワイラ・サープと踊っていたサラ・ラドナーによって、撮影用に、ソロとして上演された。これらのダンサーたちそれぞれが入れ替わるソロ・バージョンを制作するために、彼らのパフォーマンスはその後、ベインズのフィルムからの場面も合わせて編集された。私自身は幸運なことに、レイナーによる演目『トリオA・プレッシャード』を、1999年にジャドソン・メモリアル教会で見ることが出来た。これは、『トリオA』のリヴァイヴァルを含んでおり、まるで1966年の1月にそこで初演されたもののように、パクストンとレイナーというオリジナルのダンサー2人がいて、不在のデヴィッド・ゴードン役でダグラス・ダンがいた。私はまた『トリオA』のホワイト・アーク・プロジェクトのバージョン、6人のダンサーによって上演され、チェンバース・ブラザースの『アット・ミッドナイト・アワー』を音楽伴奏にしたものを見たことがある。『トリオA』は、多年にわたり、様々なパフォーマーによって、様々な組み合わせで上演されてきたのである。レイナーは、どんなひとがどんなひとに『トリオA』を教えてもいいと暗黙の許可を与えている。「私が思い描くのは」と後にレイナーは書いている「自分がポスト・モダンダンスの熱烈な伝道者として、私のエリート主義的創作を不可避的に骨抜きにするショーを、ウィル・ロジャース的慈しみの情をもって見つめながら、大衆に運動をもたらすさまである」(Rainer 1974: 77)。ウィル・ロジャースは、初期映画やヴォードヴィルのコメディアンで、気さくな「クラッカー樽」[20世紀はじめに米国のどこの田舎の食料雑貨店にもあったクラッカーを入れる樽:これを囲んで男たちが世間話に花を咲かせたという(『リーダース英和辞典』)]哲学で知られている。

 『トリオA』を構成する動きの連なりは、フォルティが自分のダンス建築を制作したコンセプチュアルな仕方よりも、むしろ慣習的で断片的な仕方で振り付けされた。先に述べたように、ダンス建築においてフォルティは、個人の審美的な感性を凝らした連なりを進展させるよりも、むしろ動作の個別的なあり方を規定する考えをもって作り始めた。『トリオA』が配役を決められ多年にわたり舞台化された様々な仕方は、しかし、ダンスを審美的に同定するのに不可欠だといわれうる運動が経験出来るどんな方法もないということを、実証した。確かに、それを審美的に同定することは最小化され中立化されたので、行われたどんなパフォーマンスでも、『トリオA』をキャスティングし舞台化するものによるコンセプチュアルな決定こそが『トリオA』をほぼ完全に規定した。

↑このことは、ぼくが思うにそんな特別なことではなくて、まさに誰でも踊ろうと思えば踊れる「振り付け」作品を作ったということなんだと、思うんですよね。ダンサーとダンスが密着していない、故にさまざまなヴァリエーションが可能な(さまざまなコンセプトが盛り込める)振り付けが『トリオA』なのだ、と。

 こうして示したすべての説明からして、『トリオA』は、観賞するのが非常に困難なダンスである。ジャドソン・メモリアル教会で上演された、1966年の最初のバージョンで、レイナーは、スティーヴ・パクストンやデヴィッド・ゴードンとともに、ユニゾンというよりもそれぞれがちょっとずつ異なるタイミングで始めた。「トリオ」という語が示唆するようには、ダンサー間にはどんなインタラクションもなかった。なぜならば、演舞空間でのそれぞれによる横向きのストリップといった状態で、それぞれが動作していたのである。ダンサーたちは空間の右側面で動きだし(観客が見えるように)、徐々に左へと、そして後ろへと、それぞれが水平面の内にあり、一人はもう一人を後ろにして、誰も他人の空間に侵入しなかった。この作品を習得する際に3人のダンサーたちは自分自身の身体の内にその動きを発見していかなければならなかったので、彼らはそれぞれ自分自身の個別的なペースを展開し、それだから、パフォーマンスをする間、互いにたまたま合ったり合わなかったりした。これだから、慣習的な意味で、ダンサーたちが動作を同期させる役を担ってしまうどんな音楽も存在しなかったのである。その代わり、美術アーティストであるアレックス・ヘイ(私は次章で、デボラ・ヘイの作品『ウッド・ゼイ・オア・ウドゥント・ゼイWould They or Wouldn’t They?』での彼のパフォーマンスについて議論するつもりである)は、教会のギャラリーのなかに立ち、薄い木材を一本ずつ落としていった。規則的に凄まじい音を立てて木材は教会の床に落ち、それがこの作品の「音楽」となった(図版3.3)。落ちる木材の積み重ねは、ピーター・ムーアが撮影した『トリオA』の写真の左側に発見される。上に添付した写真の奥に、確かに木材がバラバラ倒れている。これ、面白いなーと思った。「音楽」であるのみならず、「平板化」された振り付けを踊るダンサーの身体と倒れた木材が等価に見えてくる仕掛けでもあるだろう。ところで、この木材とダンサーとの関係は、先日(2008.2)の大橋可也&ダンサーズ公演『明晰の鎖』の、ダンサーたちと巨大な箱との関係となんだかすごく近いものではないか!そこでは、3人全員は、明らかに互いに同期していない。1968年、完成した『心は筋肉』のアンダーソン・シアターでの初日、『トリオA』は再び、衝突する木材の音付きで上演された。今度は舞台脇の梯子の上から落とした。1999年の3人のヴァージョンを見たとき気づいたのは、ユニゾンがないことで、観客として、私が当惑を感じ始めたということ、また、見ることが困難となるような事態を強いられるということだった。「目印landmark」な動きが欠如しているということは、ダンサーの一人が別のダンサーによってすでに見せられた運動のタスクを繰り返しているのだなとときどき分かったとしても、一人のダンサーから別のダンサーへと視点を切り替えたときさらに一層当惑してしまうという怖れを抱かされることを意味していた。これは、ダンスの観客がカニングハムによって教わった作品を見る見方だった。もし『トリオA』をその歴史ないし文脈に関する知識なくひとが迫ったら、ダンスは全然理解出来ないだろうし、きっと故意に、劇場のダンスが慣習的に意味を示してきたほとんどどんな仕方においても理解することを拒んでいると思われるだろう。しかし、まったくありえそうにないのは、ひとがこうしたなかで「つまらない」と『トリオA』を理解したことである。『トリオA』について書いたほとんどどんなひともレイナーの「擬似的概説」ないし「スペクタクルにノーを」を参照していただろう。マルセル・デュシャンの『大ガラス』が分かちがたく制作中に作ったノートやプランをすべて入れた『グリーン・ボックス』と繋がっているように、「擬似的概説」は、分かちがたく『トリオA』と繋がっている(第2章を見よ)。

↑先に引用した2005年のレイナー発言にある「ダンスが調子を変えることなく続いていく」という持続durationが、ここでいわれている「目印landmark」の欠いた状態を指すのでしよう。


 レイナーの「擬似的概説」は、主流の劇場のダンス----バレエ、モダンダンスあるいはブロードウェイ・ミュージカルにおける----が観客に向けて投げかけている暗黙の慣習に『トリオA』はどういう仕方で挑戦し否定しようとしていたのかを明らかにしている。しかし、トリシャ・ブラウンとのデュオ作品『テレイン』が不断に暗黙裏に行われていることを明らかにしたように『トリオA』は規範的に慣習に基礎を置く状態を明らかにしただけではない。『トリオA』が解明して見せたことは、観客が積極的な価値を感じるその条件であった。その積極的な価値とは、削除するかミニマルにするべきとレイナーの考えた慣習的な価値にかわるべきものだった。「擬似的概説」は『トリオA』の見方を観客に語っているわけではない。しかし、直接的にせよ間接的にせよ、レイナーがそこに書き記した知見は、見る者が関わる過程を明示することで、見る者がダンスを読み取るやり方を挑発した。両者を一緒に受け取るなら、『トリオA』と「擬似的概説」とは、それ故、ダンスを見て読み取る経験に関連する際、見る者を自己意識のある主体であるよう位置づける。この自己意識こそ、『トリオA』を見る際に要する努力をどう意識してきたか回想するときに、私が既に述べてきたものである。既に記したように、マイケル・フリードの用語法に従えば、この自己意識はこの作品をシアトリカルにする。なぜならば「それ[シアトリカルな状態]は、観者がリテラリスト[ミニマリストを指すフリードの用語]の作品と出会う際の実際の状況に関連しているのである」(Fried 1969: 125)。「シアトリカリティ:演劇性、劇場性、芝居がかり(わざとらしさ)」については、フリード「芸術と客体性」という論考が重要です。『モダニズムのハードコア』という本に収録されています。また、このあたりの問題については、木村覚「至高の虚構 絵画のシアトリカリティ批判とその行方」(『國學院雑誌』平成19年5月号)に詳しく論じました。が、ネット上でデータ化していないものなので、、、アクセスは難しいですね。フリードが指摘するのは、ロバート・モリスが「彫刻についてのノート」の第1部で述べているように、以前の芸術において作品から受け取るべきものは、厳密に作品の内部に配置されていたのに対して、ミニマル・アートの経験は「「状況のなかにある」オブジェの経験であり、実際の定義に従えば、「観者を含んだ」経験である」(ibid. Fried’s emphasis)。『サイト』と同様『トリオA』は、当時生じていたモダニズムとミニマリズムとの間の理論的な論争の内部に、パフォーマティヴな介入を行った。第1章で論じたように、レイナーは『トリオA』や新しいダンスを、ミニマルのアーティストやコンセプチュアルのアーティストがグリーンバーグやフリードという芸術批評家の視点に抵抗して展開していた理論的なアイディアと緊密に連携させたのだった。

ちょっと込み入った話ですが、モダニストであるフリードとアンチモダニストであるレイナーの思考が重なっているかに見えるポイントが、ここにあります。つまり、レイナーは、次のように「擬似的概説」のなかで、パフォーマーは観客に直面してはならないと、それだけ読むとフリードがレイナーたちアンチモダニストたちを非難するのとさして変わらないかに見える言動をしているのです。「[『トリオA』では]パフォーマンスの問題は、パフォーマーが観客に直面することを決して許さないことによって、とり扱われた。眼差しは逸らされ、また頭の働きは動きにかかりっきりになる。望まれる効果は、展示的な表象というよりもむしろ仕事的な表象なのである。the “problem” of performance was dealt with by never permitting the performers to confront the audience. Either the gaze was averted or the head was engaged in movement. The desired effect was a worklike rather than exhibitionlike presentation. 」(レイナー「擬似的概説」)。
ただし、もちろん両者は異なる方向へと向かっているはずです。引用の最後でレイナーが言っていることがヒントです。

整理すると、
・レイナーにとって、眼差しを逸らすことは(バレエやモダンダンスのような)「展示的exhibitionlikeな表象」ではなく「仕事的worklikeな表象」となる戦略です。「worklike」とはタスクないしタスクライクと直接に連動する言い方でしょう。
・対して、フリードにとって、作品が本質的に観客との直面を含んでいるのが否定されるべきなのは、「作品から受け取るべきものは、厳密に作品の内部に配置されて」(自己の内部で作品が完結していること、作品の自律性)いるべきであるからです。

すると、こう言えると思います。
・レイナーは、シアトリカルな状態前提にした上で(そこはアンチモダニストとして揺るぎないはず)、既存の劇場のダンスのように見る者をイリュージョンによって陶酔させる単に展示的な表象ではなく、見る者をいらだたせ自己意識を喚起する(「オレ今何見てるわけ???」と思わせる)「仕事的な表象」を呈示するために、眼差しを振り付けた。
・フリードは、単にシアトリカルな状態を批判して、アンチシアトリカルな自律した作品のあり方を評価した。
わけです。

結論
→フリードは完結した作品に観者が受容し易くするために、反対にレイナーは観者を混乱させ、そうして自分自身を意識させるために、観客との直面を避けた、わけです。

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