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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

『歌謡曲という快楽』

2009年09月30日 | 80年代文化論(アイドル誕生)
宝泉薫+ファッシネイション編『歌謡曲という快楽』(彩流社、2002年)という本が昨日届く。

これは、七〇年代末から九〇年代の初頭まで刊行されていた雑誌『よい子の歌謡曲』のアンソロジー。『よい子』とは、いわゆる「ミニコミ誌」「投稿誌」で、最大部数は六千部。ぼくは、恥ずかしながら最近になって知った。

「もう黙っちゃいられない。歌謡曲を語るのは、本来歌謡曲が大好きな僕たち歌謡曲ファンがやるべきことだ。さあ、場所は出来た。後は君が集まってくるだけだ」(p. 10)

というのが創刊の辞。ファンが書き手となって誌面を構成する批評誌というのが『よい子』ということらしい。一般的に見て、まさに歌謡曲全盛の時代に、歌謡曲が好きな自分っていったい何だろうことを、フォークやニューミュージックを仮想敵としながら展開した文章が目立つ。例えば、

「とにかく、メジャー志向のフォーク歌手は「やさしさ」とか「思いやり」とか、自分をさらけださない抽象的な言葉を、小市民的な中流意識をくすぐるように、実にうまく使うんだよね。まったく生理的な嫌悪感すら感じますね。
 僕は、最終的にメジャーな産業であるところの歌謡曲を断固支持します。なんといっても、郷ひろみや石野真子などの無意識過剰型スターは、日本の歌謡界が生みだした根無し草的芸能人の代表ですからね。彼らの軽さ、スピード感は、パンクなんかよりよっぽど日本の現実状況を反映していると思えるものね。」(p. 12)

一発で「歌謡曲」の存在価値を言い当てたなかなか秀逸な文章。メジャーのなかの「過剰」が歌謡曲の魅力だと。

本書には、クロニクルに二十本ほどの文章が並んでいる。興味深かったのは、「アイドル・ポップスはしんだのか?」(晄晏隆幸)というタイトルの原稿が90年12月号に掲載されていることと、その1年後の最終号では「バカとマシンガン・パート2」(渋谷義人)というフリッパーズギター論が載っていて、しかも表紙も彼らのアップなのだ。90年に入ってアイドルは死を意識され、その代わりになったのがフリッパーズだったというのは、なんだか興味深い。その真意はと思って読みはじめると、これがとても素晴らしい論考なのだ。フリッパーズがそれまでの音楽と決定的に違うポイントが、単に音楽の系統を語ることによってではなく、いわばその思想を語ることによって説明されている。といっても、浅田が云々などと言う手法ではなく(この点がすでに90年代に入ったことを告げている気がする)、ごくごく平明な自分の言葉でつづられているのだ。

◎「距離感覚」の表現こそ本当のリアルなロック     「「僕」と「あなた」のあいだにある距離をナイモノとしちゃう、またはそのあいだにある壁を暴力衝動によってぶち壊せ!っていうのが今までのロックだったりしたのかもしれない。僕もそんな直接的なコミュニケーションには憧れないこともないけれども、いや逆にそういうのに憧れれば憧れるほど、実際にはそうなれない「僕」と「あなた」というものに自覚的にならざるを得ない。そういう「ドアの向こう気づかないで恋をしていた夢ばかり見てたそして僕は喋りすぎた」みたいな距離感覚をちゃんと意識した表現こそが、今の僕にとっての本当のリアルなロックなんじゃないか、と思う。」(91年11月48号 p. 182)

◎「ポスト・アイドル」としてのフリッパーズギター   「たぶん「絶対的な自分」というものを信じたいのだと思う。「あなた」に向けてなんらかの形で「自分」を表現した時、その表現された自分というものがとてももどかしくて、だから小出しにしか出してゆけない時にそこから落ちこぼれてしまっていった自分、表現した時にそこから落ちこぼれてしまった自分、が、とても大事なものに思えて、それが絶対的なもののように思えた。本当はそれは、表現されていないということによって未だ枠づけされたり相対化されずにすんでいる、というだけであって、それが「絶対」であるという訳ではないのかもしれないのだけれど。でも、そんな「あいまいな」ままでいられる段階の自分がやっぱりあきらめられなくて、そういうあいまいな、でも本質的な部分で、あなたと「関係」してゆきたかった。」(p. 184)

ないことのわかっている、けど信じたい「絶対的な自分」を求めてさまようのが90年代なのだった。「絶対的」なものといっても、それは「表現されていないということによって未だ枠づけされたり相対化されずにすんでいる」ものかもしないなんて、とても秀逸な議論。メタのレベル(相対化のレベル)とベタのレベル(絶対的なもののレベル)がせめぎ合っている。けれども、この時点では、ベタのレベルはメタの視点にさらされていないだけで存続しているものという認識だったのだ。ベタなものをベタに存在していると思いこむ時代の手前のテクスト。

BRAINZ本 ようやく と『ニッポンの思想』

2009年09月17日 | ダンス
昨日、編集のOさんが拙宅に来てくれて、三校を渡し、これでぼくの仕事がなくなりました。

ふーーっ。

ようやく、BRAINZ本第3弾『未来のダンスを開発する フィジカル・アート・セオリー入門』が出版されます!予定では、10月中旬には書店に並ぶそうです。

四月のgrow up danceイベントでもチラシを作り宣伝していたのですが、ずるずると遅れ(主な原因は図版の手配にてこずったこと。なかなか大変でした)、気づくと講義から二年も経っていました。

ぼくにとっての初の単著で、どのように受け取られるのか不安な面もありますが、「ダンス」の枠を大きくはみ出して「フィジカル」な「アート」全般の可能性を追求するために武器となる「セオリー」を過去(主に1960年前後)に遡って収集し、拾っては捨て拾っては捨てを繰り返す本書は、ダンスや舞台芸術に関心のあるひとに限らず(単に「開発」したい制作の側のひとのみならず)、ひろくいろいろな読者の興味に応えるものになっていると思っています。

今後、塾長も交えたイベントもあるかも知れません。ご期待下さい。

というか、告白なんですけれど、ぼくは80年代文化論ノートなるものを制作していながら、実は、佐々木さんの『ニッポンの思想』を今日の今日まで読んでおりませんでした!なんということでしょう!深読みの出来る有能な読者さんは、なぜ佐々木さんがあそこであのテクストをこんな風に引用して解釈しているのに、木村はそれについて無視をしているのか、、、などと考えてくださったかも知れませんが、いや、単純な話で読んでいなかったのです。だから、ぼくがこだわって調べている新人類の話は、佐々木さんがちょびっとしか取り上げないのに対抗して、、、のことではなく、たまたまでした。

読まなかった原因は、一時期アマゾンで売り切れていたりとか、夏休み中で街の本屋に行く気がしなかったとか、そんな程度のことでした。いずれ読むんだから、いまじゃなくてもいいだろう、と思っていたり。いや、でも、すごい本ですね。なにより、佐々木さんの猛烈な熱意、もうこれまでの30年はこんな感じだったのはもう分かりましたよね、じゃあもう終わりにして「テン年代」を新しく始めましょう、という過去をイレーズして次に行きたいという熱意がすごいですね。この点に関しては、ぼくがいま「やんないとな!」と思って、佐々木さんほどの熱意は出ないまでもこつこつ続けている「80年代文化をふり返る」ワークは、動機として同じものがあるつもりです。

ただし、ぼくは「思想」のみならず「文化」に興味があって、そこはちょっと違うつもりです。文化のOSが「思想」かもしれないのだけれど、だから「思想」を検討することはそりゃ当然重要だと思うのですが、同時に、「思想」だけを論じることは、論壇だけを論じることになり、「思想」がどう論壇に興味のない多くの人々にエフェクトを起こしていたのかについては、ふれられなくなってしまいます。と、言った口が渇く前に、この前言を撤回するべきであって、佐々木さんのこの本のすごいのは、思想のコンスタティプな意味内容以上に、そのパフォーマティヴな側面に注目しているところにあるわけで、例えば、『構造と力』から『逃走論』へと展開した浅田が、前者の慎重さを捨て去ったかのように後者で「ポップな文体」化したのは、その原稿が「ブルータス」載ったものだからと指摘しています。

「思想」のみならず「文化」に興味があるというのは、東浩紀のこと(というか、彼世代のこと)を考える時に、浅田や宮台との関係以上に、テレビ文化や雑誌文化について、あるいは受験産業のことなどについて考える必要があると思うんです。もちろん、佐々木さんの本は『ニッポンの思想』を論じるものであり、故に「思想」の範囲に限定しているだけのことで佐々木さんも当然そのようなことは考えていると思います。

いや、とても単純な話なのですが、『ニッポンの思想』読みながら、その脇でぼくは届いたばかりの『AKB48 総選挙!水着サプライズ発表』という写真集をちらちらと読んでいたんです。それは昨今の選挙ブームに便乗して(もうこういったところがきわめて秋元的だと思うのだけれど)AKBの人気投票をし、人気のある女の子の順でグループを作り、そのグループがシングルの曲を歌うというイベントを開いたそのドキュメントなんですね。それは、おニャン子時代に、なんとなく人気者とマニア好みが区別できていたとか、そんな甘っちょろいものではなくて、きわめてドライに順位付けがされ、「勝ち/負け」が決まってしまう。これが今後どういう効果を生んでいくのかはよく分からないし、そもそもAKBについてはほんとに無知なので、なんだか曖昧なのですが、ただこうした今日の秋元の手法とゼロアカがやっていることってのは、どう関連するのかというのは、ちゃんと考えてみたいテーマです。

まあこうしたドライな「勝ち/負け」に対して、批判の力が乏しくなっているのが昨今の「ニッポン」なのでしょう。こうした順位付けは、例えばキャバクラ(行ったことないけど)やホストクラブなどでは当たり前なのだろうし、またそんなキャバクラ的な女性像が受け入れられているのは『小悪魔ageha』などで周知のことです。あと、順位について審査員という超越的な存在を置くのではなく、一般のひとに委ねるという傾向は、本屋大賞もそうだし例えば裁判員制度にだって言えることで、大きな流れなんでしょうね(そういう話で言えば、15日に美術出版社主催第14回芸術評論募集の授賞式がありました。過去の受賞者の特権で、パーティに参加させてもらいましたが、受賞者うんぬんではなく、この賞が社会的な盛り上がりに欠けるのは、超越者を立てるシステムにあるのかな)。

重要なのは、一般の人が選挙に参加できるのは民主的で良いと言えるのかというのがやっぱり疑問ですね。そもそもその選挙のイベントを仕組んでいるのは、一般の人ではなく秋元康や東浩紀という超越的な存在なわけです。そうしたもののもとに集う的なことが、選挙に参加することとパッケージになっている。超越的な存在者が仕立てたイベントに参加できることを楽しむってところもあるのだろうけど、それって主体的な投票の身振りを取らせることによるイベントへの従属化なのじゃない?って気持ちにならないのかと思ってしまう。昨今の衆議院選挙だって、「政権交代」の選挙ってなんだか向こうで決められてしまっていて、それに自分の投票行為が一元化されてしまった気になるわけですよ。

吾妻橋と『サマーウォーズ』

2009年09月13日 | ダンス
おととい吾妻橋ダンスクロッシングを観て、昨日『サマーウォーズ』を見た。どちらも素晴らしかった。

吾妻橋は、いとうせいこう+康本雅子や飴屋法水といった貫禄の力業も見ごたえがあったのだが、何よりもチェルフィッチュとライン京急が興味深かった。とくにライン京急の登場は、舞台パフォーマンスを確実に新しい段階へと導くこととなった気がする。役者とミュージャンが異種格闘技的に行うバンド、という画期的な上演は、大谷、山縣、松村がなんだかいともたやすくやっているように見えるので、あまり違和感なく見てしまうのだが、こんなものいままでなかったよ!すげーっと、もっと驚いたり、興奮して良いものだと思う。いくつのセッションをかけもちしているのか皆目見当のつかない大谷はもちろんのこと、チェルフィッチュの役者2人がいかにテクニシャンかがよく分かる公演だった。で、そのチェルフィッチュの岡田がこれまた音楽のたとえになるけれど「シングル曲を作る」みたいに軽快に作った一本は、動きのアイディアを楽しむというまっとうな鑑賞を自然に引き起こす力をみせつけた。「バンド」の面白さと「アレンジメント」(あ、でも岡田くんは台本も書いているのだから作詞・作曲の面もある、ならば中田ヤスタカというか、だから「作品」)の面白さ、といったらいいか。舞台表現はこんなことが出来るし、こんなことやりたくなるよね、ってお手本を示してくれた。けれども、こりゃ、ちゃんと出来るようになるには5年か10年修行が必要かも。でも、こんなこと出来るようになるなら、きっと楽しい修行だよ。
『サマーウォーズ』のことは後日。宮崎駿でなくとも世界を描く大衆娯楽アニメは可能であることが証明された、なんて思った。

超・日本・パフォーマンス論

2009年09月11日 | ダンス
美学校にて
「超・日本・パフォーマンス論」なるレクチャーシリーズがはじまっているのをご存じですか。

その後期が来週始まります。
後期の最初にぼくがレクチャーを担当させてもらいます。

9/14(月)13:00-17:00「痙攣する体」(暗黒舞踏)@美学校

平日の昼間ということでハードル高いですが、当日ふらっといらしても、入場できると思います。

いまコンテンツとして準備しているのは、暗黒舞踏が誕生した六十年代を考えることと、その今日的展開を暗黒舞踏の主要なアイディアとぼくが考える「リアクション」の観点から考えてみる、の2点です。



こんな資料も最近ではアクセスしやすくなったので、いろいろな視点から舞踏を考察するきっかけになればと思っています。

Driving Photo Music

2009年09月10日 | 美術
昨日は、大学の学生と遠藤一郎の写真展示を見に行った。

遠藤一郎エキシビジョン おいらとゆかいな野郎ども

昨日は、別府温泉での芸術祭に集まった仲間たちの同窓会のようなイベントで、部外者のぼくたちは若干疎外された気分になり困ったところもあったのだけれど、そういう場であったからこそ、遠藤の周辺に集まっている「野郎ども」(といっても半数は女子)の姿形をよくよく知ることが出来た。展示は、遠藤がドライブしながら撮影した車窓の風景を紙焼きし、その上に「未来へ号」のエンジンオイルを絵の具にして文字を書き込んだ写真作品が主。すべてを肯定したくなる、すべてがひとつにつながって見える瞬間がドライブしているとあって、そうした瞬間を写真に収めたのが、この作品たちだと遠藤。文字は、富士山の映る写真に「山」と書き、海には「海」と書く。メタファーを排除したほとんどそのままの無意味とも思える文字による指示(「山」の文字は「山だよ!見てみて」と言っている気がする)は、そこでそれを見たという感動こそを、ただそれだけを刻印するために置かれている。こうした即物的なものの提示こそ遠藤の遠藤らしさだと思う。このアプローチは、稚拙にも見えるけれど、またメタファーを排除する故に芸術性に乏しいと思われるかも知れないけれど、強さを感じさせられるときがある。独特の熱さ、「青春」っぽさは実はさほど重要ではなくて、熱さを放出しながら万物に触れることで、万物がその独特の美しい表情を示す、それをシュートしたいと考えているのに違いなく、その狙いに対して遠藤はとてもクールだと思う。

今日(10日)は、川染喜弘さんの日で、昼間っから演奏ははじまっているそうなので、どうぞご覧になりに行ってください。

あと、CINRA.NETで吾妻橋ダンスクロッシングにちなんだ鼎談が掲載されています。
ぼくは鼎談者ではありませんが、佐々木さんがぼくの快快観について言及してくれているので、佐々木さんの参照元だろうwonderlandのレビューを紹介しておきます。

舞台が遊び場となる条件
あと、『レビューハウス01』に寄稿した「「あて振り」としてのアート」も快快(小指値)論です。是非、ご一読を。

『僕は模造人間』(島田雅彦)

2009年09月07日 | 80年代文化論(アイデンティティとキャラ)
とタイトルはつけたものの、手許に本書がない。

島田雅彦をぼくはこの本から読み始めた憶えがある。中三の冬。高校受験が終わって、みんなが自己採点をしている時間に自転車で抜けて市の図書館で受験からの開放感にひたりながら、本棚を散歩している中で、手にしたのが『僕は模造人間』。その前年のぼくの愛読書は『ライ麦畑でつかまえて』だったのを考えるとすごい飛躍。本当のことをどうしたら守り抜けるかが『ライ麦』だとすると、本当なんてべつにないというところから出発する『僕は』。同時期に、ぼくが心酔していたのはThe Smithsだった。

島田は、『神々』である。島田は、新人類に対して距離を保っている。例えば、『モダンほら公爵の肖像』(北宋社 1986)では、「新人類」に対して島田が「自己プロデュースだけでやってるような人はもうダメでしょうね。……新人類みたいなやつ。賢い消費者がね、あのー、ジャーナリズムをにぎわす時代じゃないと思いたいですね。」(pp. 94-95)


この『モダンほら公爵の肖像』を頼りに、島田の「模造人間」を少々まとめておこう。

「人間は〈僕〉や〈私〉という部分と亜久間一人とか三島由紀夫といった模造人間の部分とが強引に合成されたものだ。〈僕〉は遺伝子とタンパク質への翻訳機械、有機的な器官から成る。そして、模造人間は他人の意識の中に住む〈僕〉の幻であり、〈僕〉の意識の中に巣喰う他人どもの幻である。人間はこの二つの部分がよじれてつながっているからおかしなことになる。〈僕〉の中枢や諸々の器官は〈僕〉の意識の中に巣喰う他人どもの幻の作用なしには活動せず、他人の意識の中に住む「僕」の幻は〈僕〉の中枢や諸々の器官の活動なしには存在しない。」(第五楽章)p. 55

『僕は模造人間』は、悪魔一人(あくま・かずひと)なる少年の恋愛小説・青春小説で、物語の推進力となっているのは、こうした「僕」と「模造人間」の不安定な関係。これは、社会学的には個人的アイデンティティと社会的アイデンティティの関係ということになるのだろう。自分が他者へと向かう恋愛という場が、自分と自分との関係へとすべて読み替えられてしまうところに、小説の面白さはあり、また少年の手前勝手さ、マゾヒズム傾向が露出される。

本書収録の論考の中で、川端隆之という書き手は、こうした側面に関連してこんなことを述べている。

「さて、付録には「私は島田雅彦という飽きっぽい性格の物書きですが、実はその謎の模造人間に会ったことがあるのです」と、「島田雅彦」と「模造人間」は別人のように書かれているが、この「島田雅彦」も現実の島田雅彦も模造人間であり、別人の如くごまかして書いてしまうところに島田氏の含羞と分裂気質(ルビ:スキゾフレーズ)がうかがわれる。そもそも作家(「偽作家」と自称したとしても)は模造人間の集合体である。」(p. 55)

分裂気質の小説家、分裂気質をトレースした小説。浅田よりも僕は島田からこうした思考を摂取したのだった。うんうん、思い出す。

『若者たちの神々』での発言も整理しておこう。上記したようなアイデンティティについて、筑紫と島田はこうやりとりしている。

「筑紫 アイデンティティ探しをやめようっていうのが一つ、たとえば浅田彰君のメッセージであったりするわけだけれど、いろんな大学に行って話をすると、出てくるのはほとんどアイデンティティをどうやって見つけたらいいかという質問ですよ。自分が何をやったらいいかとか、どういうふうに振る舞ったらいいかとかということを含めてね。それは世代に関係なくずっと続いている、一種のビョーキみたいなもんだね、人間のね。

 島田 たとえば、ある集団の一員たることでアイデンティティが獲得されるかというと、それはうそでしょう。そんな気がするというだけの話じゃありませんか。ただ、ある程度それで我慢せざるを得ないように社会はできている。そういう社会に気の利いた抵抗をするためにスキゾフレニーという一種の戦略を持ち出すのは楽しいと思います。人間観を書き換える作業をしなくてはいけないんです。そこで浅田さんですが、あれは、やっぱりヒモの思想だろうと思います。
 筑紫 ヒモ?
 島田 ……ひたすら逃げ続けるというのは、まあいいかもしれない。しかし、どこに逃げるのかということをもし考えたとすると--逃げる行為自体が大事なんですけれども--結局陳腐なところに逃げざるを得なくなったりするわけですね。だから、やっぱりヒモなんですよ」(pp. 221-222)

「島田 かりに真・善・美をぼくが追求しているとすれば、あくまで人工的に作ったもの--ぼくが作ったもの--の中で具体的にしていきたいですね。みんながみんな、これが真だ、善だ、美だと思うものに対しては興味がない。そこに、あえて見る前に跳ぶハムレットのように反逆を試みるということはいつもしたいし、それをすることが美しいと思う。美意識ということでいえば、あるところで妥協するのも美しいと思うし、人々に幻滅を与えるのも、また美しいと思いますね。」(pp. 226-227)

「島田 今回、「若者たちの神々」の一員に入れていただいたのはぼくにとっても得なんです。」「それで、このお話が最初にあったときに、神々の黄昏ということをふと考えたんですけれども、神々というのは、やっぱりたそがれるようにできてるんですね。いままで「若者たちの神々」に出てきた神々は、音楽にしろ、評論にしろ、映画にしろ、技術者なんですね。そもそも「神」とはちょっと別な部分なんですが、自分が神々になりたいとかなりたくないとか、それとは無関係に神々になるわけです。それは彼らが苦心して身につけた技術とはいささかも関係がない。一方的に神々にさせられる、そして一方的に黄昏を強いられるわけです。」
「筑紫 神々がたそがれるものだとすれば、そこにいちばん若い人を引っ張り込むというのは、あなたにとって相当迷惑な話だね。
 島田 たそがれたいんですよ。
 筑紫 早いじゃない、まだ。
 島田 ええ。ですから、たそがれる前提として神にならなきゃいけない。人知れず片隅で死んでいくよりは、たとえ冗談であっても神と呼ばれて、たそがれて死んでいきたいというう、これは大時代的なロマンティシズムですけれども。」(p. 227)

この部分を深読みしたくなる。「神々」だけに許される「たそがれる」ことを、『神々』の一人として取り上げられたことで、許されるかもしれないと思いつつ、島田は、文芸作家として「神々」であることの烙印である芥川賞をまだ得ていない。まだ若い、この時期、当然と言えば当然なのだけれど、しかし、結局彼はその後、この烙印を押されることのないままの『神々』だった。というところから、島田は、新人類に近い神々なのかもしれないと、そうしたコンプレックスを宿していたのかも知れないと思ってみたくなる。「たそがれる前提として神にならなきゃいけない」というロジックは、新人類的な何かを感じさせる。これが「自称の神」になったらまさにそういうことになるだろう、辛うじて「冗談でも神と呼ばれて」と「呼ばれる」ことにこだわる限りでは、島田はやはり神々であり、少なくとも神々であろうとする存在だと考えられる。

なんて、つらつら考えていたら、ゼロ年代の神々はこんなだったな、と思い出した。

モンスターエンジンの「神々」

ドネルモ

2009年09月06日 | ダンス
ドネルモがリニューアルしていた。
けれど、これまでのとくに、Kなる「ライター」が書いている批評に関しての、また匿名に関しての文章が痛がゆくてちょい面白い。コンテンポラリーダンスに憂えている若者に、つい「ご、ごめん」と言いたくなってしまう。

一読者として期待してます。スゲー面白い!っての書いてください。

宮台・中森『サブカル真論』

2009年09月05日 | 80年代文化論(おたく-新人類 族 若者)
『サブカル真論』(ウェイツ 2005)は、2004年に行われたトークイベントを基に翌年に出版された。そのなかに宮台真司と中森明夫と宮崎哲弥の鼎談が収録されている。80年代が生んだ「サブカルチャー」が00年代に停滞しているのは何故かをめぐって、宮台と中森が興味深い議論を展開している。80年代文化論にとって、必須の文献である。
細かい解説を加えるときりがないので、さしあたり、重要な発言を引用しておく。

「宮台 一口でいうと、差別語としての「サブカル系」とは、実は「自意識系」の別名なのね。サブカル趣味が、ある種の痛々しさの自己表明みたいに受け取られていたんです。サブカル系ということで、『エヴァンゲリオン』の碇シンジ扱いされてしまうんですよ」(p. 157)

「宮台 九〇年代前半に大月隆寛がよく言ってたでしょ。「どこかでうまいことをやっているやつがいるという八〇年代的感覚」と。正確には八〇年代後半的なものだけどね。ところが、いまはあまりない。その意味で、ルサンチマンはかつてほどはないというのが現実です。」(p. 164)

「宮台 すなわち、「モテるもモテないも、自分の責任」という場所を通過したあと、「過剰にモテ『ようと思う』のも過剰に退却し『ようと思う』のも、自分の責任」というふうに、いっそう再帰化--かつて前提だったものを選択対象にすることですが--しました。」(p. 165)

「中森 九〇年代に僕が何をやったかというと、「中森文化新聞」とかその他諸々そうですが、舞台をつくったわけですね。つまり新人類を増やせばいいんだと。もちろん僕が才能をつくったわけでも何でもなくて、舞台を提供しただけなんですけど、その中には鶴見済さんとか、しまおまほさんとか、いろいろな方がいました。」(p. 174)

「宮台 僕は湾岸戦争からオウムへの流れを見て、中森さんだけが「八〇年代文化人」だと思いました。というのは、何もかもわかったうえで「楽しくなければ文化じゃない」(フジテレビのキャッチコピーのもじりですが)ばりに戯れていたのは、中森さんだけだったなと。
 中森さんであれば、「いつまでも戯れていちゃいけない」はありえないでしょう。むしろ、「戦争が起こったのなら、なおさら、いつまでも戯れていよう」となるはずです。少なくとも僕ならそうです。表では永久に戯れつつ、裏でロビー活動をする。
 その意味で言えば、やっぱりネタで始まったものがベタになっていたんですよ。だからこそ、他国で戦争が起こった程度のことで「こんなふうに戯れていちゃいけない」などとベタに言いだすわけ。
 「あえて」が続いていると思っていた僕らは、頭を抱えたわけ。「エーッ」って。このセリフはあまりにマズイ。ベタに遊んでいたって話になっちゃう。過去が貶められちゃう。最初の「闘争ならぬ闘争の勧め」や「パラノならぬスキゾの勧め」はどうなっちゃったの」(p. 177)

「宮台 僕の認識では、オリジネーター(原新人類)は、高橋留美子『うる星やつら』の友引町のような「戯れに満ちた、外のない異世界」をつくって戯れようとしたけれども、わざわざそうするぐらいだから、自分たちには間違いなく「外」があったんですよ。
 それが、わかって「あえて」やっているんだという意識でした。それが、すでにつくられた「異世界」に単に住み込むだけのサクセサー(後期新人類以降)になると、外が消えてしまう。そのことを詳しく記述したのが『サブカルチャー神話解体』だった」(pp. 177-178)

「宮台 三島由紀夫は周知のとおり「サブカルの権化」です。」「サブカルというのは、三島由紀夫のような、劣等感や屈折ゆえにアイロニーや諧謔をよくわかっている人間が、そうした感受性をベースにして、ベタにではなくメタに、あるいは、ナイーブではなくあえて表現するときにこそ、大きな力をもつものです。」(p. 186)

「宮台 八〇年代は確かにスカだった。でもその意味は、中森さんのような確信犯が少なく、ベタな人が多すぎたということ。「メタ八〇年代的」よりも「ベタ八〇年代的」がもっぱらだったこと。「九〇年代に入ってみたら、八〇年代の本義を貫徹する者がいなかった」ということです。
 だから、僕は逆に「八〇年代的なもの」すなわち原新人類的な「メタ八〇明代的なもの」を完全貫徹するぞ、という明確な意図をもちながら、九〇年代の活動を開始しました。すべては横並びか?然り。「やっぱりリアルがあった」などとホザくヘタレ文学者は、クズ。
 「すべてが虚構だ。然るに、虚構のゲームを俺はこうやる!」という言い方をするのが、僕ですよ。」(p. 195)

「宮台 現実社会で上昇できないやつが教団内での上昇を目指すという宗教的な「地位代替機能」と同じで、性的なフィールドで上昇できないやつが「オタクの階級闘争」での上昇を目指すという振る舞いがありました。
 でも、援交ブームがピークを過ぎる九七年には、オタクの階級闘争も終わる。現実のセックスにコミットするのも「ときメモ」みたいなギャルゲーにコミットするのも等価。本当の島宇宙=フラット化が、九六年から九七年にかけて起こったというのが、僕の分析です。
 その結果、オタク連中の抑鬱状況が消えて、ハッピーになる。すると、上質な送り手がどんどん減って「萌えー!」的な受け手ばかりになる。それが理由で、ワンフェスが一時中止になる。」「社会が幸せになって文化が衰退する」(p. 211)