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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

田中泯『赤光』(@新国立劇場小劇場)

2005年06月04日 | Weblog
を見た。

その前に、美学会東部会例会(@慶應義塾大学)という場所で、貫成人先生「ダンスのまなざし」研究発表を聞いてきた。「まなざし」とは、単にダンスは「みる」のではなく「引き込まれる」のだという点に関しての研究であることを指している。非常に興味深い研究だった。ぼくが最近考えているフリードの「没入」などのアイディアに近い気がした。また、最近のコンテンポラリーダンスは観客との間になにかを起こそうとするという視点が、以前からの貫さんのモティーフであることは存じていたが、やはり共感して聞いた。

その後、新宿に。

『赤光』をみた。
渋い舞台空間、掛け軸が空中を飛び回る。雨が降ったり、砂利が敷き詰められたり、能の舞台みたいな床があらわれ、最後は、赤い土の地面から炎の列があらわれる。実に、凝ったスペクタクル空間である。大人は金もっているんだぞ、という感じで圧倒される。『LEON』センスではなく「日本文化」好きな大人の渋いけど渋さに金はおしまない風のセンスを感じる。
大倉正之助、一噌幸弘の演奏が一層舞台の味わいを深める。けれども、あくまでもパーツでありイメージ、「そんな(日本文化のもつ何か)感じ」が醸し出されていればよしといった演出(それぞれは、ホーミーみたいな声を出す大倉さんとか笛を二本一度に吹いちゃう、しかもいろんな音楽をどんどん引用して来ちゃう一噌さんとか、面白いのだけれど)。そこに田中がいる。
正直、なんとも「わざとらしい」動きだ、というのが、避けることの出来ない印象。こんなに「わざとらしい」でいいのか。「手際よく」という言葉が浮かぶ。ある動きから次の動きへなんとも「手際よく」進む。実はその動きの移行の瞬間こそ、舞踏が他のダンスよりも遥かに重視する「賭け」の場所であるはずなのに。外側からイメージを押しつけているので、なんともそこへと自由に次に動いていってしまう。けれども、それが一体どんなイメージなのかは勿論判然としないので(その点は舞踏的とも言えるのだけれど)、観客はただ手際よくするすると進む「少しぼけたオジサン」をみることになる。いや逆だ、「少しぼけたオジサン」をするすると手際よくこなしていくダンサーをみる。そうであれば、実際ぼくだけではなく、見所を欠く動きにならざるをえないのではないか。そこを、どうにかフォローしているのが照明の暗さ、であった。

ぼくはここに、個人的にある発見をした。ああ、これは、デパートのギャラリーの美術作品だ。何とか美術館の美術作品ばかりが美術ではない。いや、デパート美術こそ、多くの美術家をまた美術関係者を育てているところだ。電車のポスター、小田急デパートのビュフェ、ジャンセンのことを思い出す。こういう感じだ田中の踊りは。一瞬、背後の黒い幕が上がると赤い土が巨大な四角をあらわし赤く光るところがあって、そのときぼくはマーク・ロスコのことを思い浮かべた。でも、ロスコではなく、ロスコ風の銀座で売っている色違いの絵みたいだ、と後で心の中で修正した。で、そのあたりのポイントこそ、田中が狙っている的に違いない、と思うのだ。
そこに、舞踏が活用される。そこが発見だった。ダンスは大抵、みるときにみるべきポイントがあって、それは少し訓練をつまないとわからない。ストリートダンスだってバレエだって、テクニックの達成度をみるにはそれ相応の見る眼を養う必要がある。また、物語がそこに含まれれば、物語を読むという労力もいる。舞踏の場合、物語があるのでもなく、動きは基本的に何をやっているのか分からなくて当然と言うところがあり、故にただ自分の印象のままにみればよい、ということになる。それは、何か美術における「印象派」や「シャガール」や「ルオー」などの人気に共通するところがあるような気がする。「ああ、いい!」と個人的な感想を自由にもてばそこで観賞が成り立つ。そういう意味で、敷居が低いのだ。敷居が低い=舞踏というありえない等式が、こうしてできあがる。

本当は、舞踏こそ観客に苦行を強いるところがある、じっと見ていないと何が起きているのか分からない。細部を見つめるしっかりとした視線がないと、なにもしていないようにしかみえない。でも、田中の動きは先程も言ったように手際よくどんどん進むので、この「苦行」を強いてこない。逆に言えば、苦行を与えてくれない。ここに、舞踏のデパート美術化の一端があると思う。

田中みんは(こういう意味での)近代絵画だよなーと思っていた矢先、「ゴヤ・シリーズ」「ムンク」といった作品が彼にあることをある小冊子で発見。余りに納得余りに符合する(ここでぼくは、必ずしも、近代絵画がいまデパート美術レヴェルの価値しかない、ということを言いたいのではない。例えば、近代絵画の解釈において田中のとぼくとで開きがある、ということである)。

こう考えてくると、ある世代の美術(芸術)観のなかで成立したもの、ということなのではないか、こういう結論が浮かぶ。だから、その共通感覚の中に生きている人からは、「うるさい」とおしかりを受けてしまうかも知れないけれど、ぼくはどうしても傍観してみて(疎外感をもってみて)しまいました、ということを言わざるを得ない。でも、どうして、60年代にある種の「左的」な思考を抱えて生きてきた人たち(あの世代の人たち)が、そういう気持ちをぽんと捨てちゃって、「日本文化」みたいなところで、こうやって地味豊かなある種の共通感覚の再生産に生きてしまうのか、わからない。どうしてこれでいいと思うのか、わからない。ここには、ドゥルーズもフーコーもデリダもない。彼らがあればいいと言いたいのではない、けれど、あれはあの気分は一体どうしてしまったの?と聞きたい。(6/4)

(いま、6/5。糸井重里がこういうこという、ぼくはこういうことが欠けていると思う。

それにしても、昨日の福岡ドームでの
『ゴールデンゴールズ』の試合はおもしろかったなぁ。
萩本欽一という人の「手作りプロデュース」というか、
おおぜいの人間の感情を沸き立たせる職人芸を見たなぁ。
いや、その、「技術」というものじゃないんだよね。
「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」というような、
何か困ったことが起きたときに、
それを必死でひっくり返そうという力が沸いてくる。
欽ちゃんって、そうやって欽ちゃんになってきたんだなぁ。
妙な言い方ですが、勉強になりましたわぁ。