Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

utauyo Miracle

2010年11月21日 | 極私的ベスト5
放課後ティータイム「utauyo Miracle」歌詞は、本当に素晴らしい。
と一緒にどうぞ。

なにをいまさらといわれること必死は覚悟で、いいよな、ともらします。

今年一番、ぼくのなかでは。

負け組とか、格差とかってしょげる場合じゃないって気分も合わせて。



「盛り上がるブルックリン・シーン」

2010年11月15日 | 極私的ベスト5
今日は出校日ではない。けど、事情があって大学へ。研究室の整理をしていると、9月号のMMが。「盛り上がるブルックリン・シーン」。試しに、取りあげられている何組かYou Tubeで視聴。ここここ、こ、れ、は!

Animal Collective-My Girl

いい。サイケデリックだが、臭くなくてファンタジックだし、なんつうか、センチメンタル。

MGMT-Congratulations

これもいいなー。サーフィンなんだけど、インドア。ハイラマズみたいな参照癖はなくて、だから開放的でもある。なるほどー、こういうのが出てきてるのか!なんだか、うれしい!

Vampire Weekend-Cousins

これも。抜けた感じがある。アイロニーで反っくり返り、ひっくり返るのはもう飽きたみたいにきこえる。




ドゥルーズ

2010年07月20日 | 極私的ベスト5
今朝は寝坊して、六時に起きて、六時五十分まで草と闘った。ようやく庭の2/3を草の支配から奪還した。草といる時間がなにより楽しい。

Iは、最近、ぼくと妻との違いをちゃんと感じており、もちろん圧倒的にぼくよりも妻の方が大好きなんだけれど、ぼくとの時間もそれなりに楽しいらしくて、ただ、妻にはぐずったり甘えたりするのに、ぼくとのときには結構そういう気持ちを我慢して、すこし緊張しているようだ。だからなのか、Iはぼくといると必ずうんちをする。本屋にいるとトイレに行きたくなるなんて話を聞くけれど、ぼくのうちにそういう本屋的ななにかをIは感じるらしい。六ヶ月のそういう気分ていったいどんななんだろう。思い出そうとしても全然思い出せない。

いま、室伏鴻さんとメールでやりとりしている。七年前に送った(元藤さんがご存命だった)ときアスベスト館で上演された《即興三夜》に対して書いた感想メールに、七年後に返信するなんて、なんてことを!と驚愕したのだけれど、七年前に自分のもっていたダンスへの思いがちょっとだけ甦ってきた。室伏さんは、こんな文章をつまんで書いた本人に送ってくれた。

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ぼくが強烈に良いと思ったのは、中盤、「衰弱体」とでも形容すべき、つまり『疱瘡譚』などで土方が見せたごとき、立てない、病を負った身体の微動がテンションを増し、ただ体をゆっくり起こすだけの所作に一瞬も目を離す隙がないように思えたその直後、背中から床へとダイヴしたその極端な素早さだった。彼のトレードマーク、故に見慣れてしまった感もあるそのダイヴは、今日はとりわけ強い説得力をもっていた。始まった瞬間に終わってしまう出来事は、終わってしまう前に始まってしまう出来事でもあった。前後を切り裂く、その時間の内にだけ一瞬、異なるもの同士の接触が、単に再現=表象による物語とともにではなく、反復(=運動)がもつ一つの可能性として生じた、という気がした。
すべてが出来事であれ、と念じる意志によってしか、ダンスが出現する可能性はない。ダンスは故に、意味を捉える目には見えない。ダンスへ向かう意志、すなわち見えぬものに向かう意志は、観客がもつもう一つの欲求である意味理解への欲求を常にすり抜け突き進まなければならない。
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ドゥルーズ/ガタリの「生成変化」論を自分なりに咀嚼して、室伏さんを論じた文章。そうそう、こんな一瞬が見たいと思っていたんだよ、いや、今でもそうだよ。ドゥルーズ/ガタリは、こんな瞬間を日本の「力士」の闘いのうちに見ていた。

「力士が進み出るときの動きは目にとまるには速すぎ、あまりも唐突だ。だから、相撲の取組で一つに絡み合うのは、二人の力士というよりも、むしろ待ち時間(期待)がもつ無限の遅さ(これから何が起こるのだろう?)と結末がもつ無限の速さ(いま、何が起こったのだろう?)なのである。」(『千のプラトー』p. 324)

こういう速さと遅さの関係が「生成変化」なのだ、と二人は語る。ぼくが、室伏鴻に見ていたのは、確かに、そんな見えないなにかだった。

ぼくは、この一瞬だけをもとめて室伏鴻の動きを見ていた。ぼくは室伏鴻については厳しい、とりわけ厳しい。なぜなら、この一瞬をぼくに教えたのは室伏鴻で、室伏鴻にだけはそれをもとめる理由があるから。ぼくが相撲の取組みたいにほとんど同じに思える所作のなかで(純粋にダンスのことだけを思えば、所作なんて何だっていいのではないか、同じで)、いつもその遅さと速さの関係が示されるのを期待しつづけていた。

キェルケゴール

2010年07月19日 | 極私的ベスト5
最近、毎朝、庭の草とりをしている。梅雨の間、2週間くらい放っておいたらそのうちにぐんぐん伸びてしまった草たちに、いま、反旗を翻している。開始は四時半か、五時くらい。乳児との夜は早く(九時くらいにはうとうと)、乳児との朝は早い(四時台にはだいたい起きていて、六時起きは「罪悪感」を催させる時間帯であり、うちでは明らかに寝坊)。

ようやく、庭の半分くらいの草たちをむしり取った。残りの半分の方が手強いのだけれど、少し達成感が出てきた。来週は、学生たちがバーベキューしに来ることになっているので、ちょっと張り切った、その成果が少し出てきた。

手で一本一本摘んでいく(途中十本くらい一度に掴んでむしる横着もする)。Aはそれを見て、「逆点描派」と命名してくれた。絵を描いてるわけじゃないけどね、広い空間を点で攻める。全体を見ると無謀に思える。けれど、こつこつ「バケツ一杯分」と決めて続ける。と、四〇分くらいで一平方メートル分くらいはきれいにできる。

ある日は、ちいっさな羽虫が足を吸って、血の玉が一〇個くらいできたこともあった。向こうは自分のテリトリーが荒らされて必死なのだろう。といって、こっちも負けていられない。いつの間にか、目の中に草の映像が充満して、目をつぶると草が浮かんでくるまでになってしまった。まさか学生に「今、先生、ボーとしているあいだ、草を思っていた」なんていえないけど、実は、草のイメージにボーッとなっていたりしてました、ごめん。こんなだから、道端で、雑草を見ると、むしり取りたくなったり、バリカンで「ガーッ」と刈った後をイメージして、爽快な気持ちになったり、無意味なことばかりしている。

草はずるくて、摘んでも葉だけとらせて根は残るように、根がすごく長かったり、茎が柔らかくなっていたりする。そういう自然の生存しようとする力に、ちょっとだけ魅了され、それ以外の比率でいらいらさせられている。こういう日々とか、Iとの日々とかが、いまはともかく楽しい。

庭をもつ楽しさとか、子どもと過ごす時間の濃さとか、こんな話ばかりすると、嫌われそうだ。十分、「おっさん」と呼ばれるにふさわしい話題だ。「きむら終わった」と言われてそうだ。そう、終わったのかもしれない。過去のぼくのある種の部分は確かに終わっているのかもしれない。それでいいと思う。どんどん、大事だな、思うことだけを大事にしたくなってきた。もっと強烈に我が儘になるべきだなと、草に見習って、そんなことを思ったり、思っていなかったり(「草に見習って」は明らかに単なる言葉の勢いです)。

土曜日に、吾妻橋DX
今日、月曜に、トヨタコレオグラフィーアワード
見てきた。

さっき、twitterでトヨタの結果を知った(最後の作品を見た瞬間に会場を出てしまった、オーディエンス賞の投票もせず)。twitterというのは、ぼくは1月に始め2月くらいにほぼ完全にやめてしまったので、ぼくにとっては過去のメディアなんだけれど、まだひとはやってるんだー、と呑気な感想を抱き、その後、ちょっといやな気持ちになって、でも、中毒的に見ることが止められなくなってしまうという、例のあの状態になって、眠れなくなって、それでいま24:00なのに珍しく起きている。トヨタは「どこかの国のダンスコンクールをVTRで見ている」みたいな、遠い眼差しで見てしまった。結果も、ぼくにはよく分からないものだった。そんなこと誰も求めてこないだろうけれど、この結果を説明して下さいと求められても、ぼくには「よく分かりません」としか答えようがない。例えば、よく分からないことがぼくのダンス観の決定的な欠落を意味していて、故にぼくは「おっさん」であり、対して「次代を担う」ダンスがいまここに生まれたというのならば、それでいいと思う。せめて誰かに理論的に説明してもらいたいけれど。



タイトルに「キェルケゴール」とあるのは、いま読んでいるからです。『おそれとおののき』など。理由は、ドゥルーズ/ガタリが『千のプラトー』で「生成変化」を論じる際に、盛んにとりあげているからです。「信仰の騎士」について。

『KAT』お買い上げありがとうございました。

2009年12月07日 | 極私的ベスト5
昨日は文学フリマでした。
『KAT』は強気の800円設定で押し通しましたが、40部以上が売られていきました。いやー、周りを見ると体裁の綺麗な冊子が多くて、それにもかかわらずほとんどが500円。午前中はとても不安で、実際出足はよくなかったのですが、結果としては、いろいろな方が詰めかけてくださり、二年前に専修大学で非常勤をしていたときの学生がふらっと来てくれたりとか、うーん、ほんとにいろいろな方が、わざわざ足を運んで下さいました。感謝です。

今後この研究会どうしようか?という話を打ち上げでしたんですけれど(大久保・松屋)、イベントやりたいとか、マイペースのんびりとすすめたいとか、まあ、まとめ上手は少なくて、わがままなのばかりが集まったので、意見がバラバラなのは仕方ないのだけれど、どうなることやら、、、いつか次号作りたいねというのは共通の思いでしたが。

ぜひ、ご購入下さったみなさん、ぼくと会った折にでも感想を聞かせて下さい。

リワインド

2009年11月15日 | 極私的ベスト5
まあ、だっあーれも興味をもってらっしゃらないことは重々承知の上なのですが、ブログは木村個人の備忘録的な役割を兼ねていますので、お知らせ的なもの研究的なものレビューに近いもののみならず、きわめて個人的なメモも書き残しております。ジョグについては、まさにその類で、まあだっあーれも興味をもっていないどころか、興味ないのに読んだばっかりに、木村にあったらジョグの話だとか「やせましたね」の一言とか言わなきゃいけないプレッシャーさえも与えて(先週実際に2人からそんな雰囲気の「やせたね」の一言をいただきました、ごめんなさい!)、面倒くさいことありゃしないのだと思いますけど、今日も書きます。

一昨日走って、風邪っぽかったので昨日はお休みして、今日は全快したようなので、八王子駅まで往復60分走。帰って計ってみると62キロ。これはたしか、23才の頃とほぼ同じはず。体重で言うと15才若返りました~。今年後半のぼくのテーマ・ワード(テーマソングみたいな)はリワインド(巻き戻し)に決定。

あと今頃になって「星間飛行」聴きまくってます。映画見に行こう!

フィジカル日記

2009年11月11日 | 極私的ベスト5
昨日は、大学の附属高校が所有しているプールにて500m。週2回1時間だけ職員に開放されているというので、はじめて泳いでみた。久しぶりの水泳。

四年生がようやく卒論のアクセルを踏み始めた。わいわいと研究室に集まる学生たちは、数ヶ月すれば卒業してしまう。なかなかせつない仕事である。

『This Is It』→菊地さんインタビュー→アイドルナイト

2009年11月10日 | 極私的ベスト5
『This Is It』を昨日見たんですけれど、前半はずっと泣いてしまいました。これはThis is it.どころかThis isn't it.じゃないか(これは本公演ではない、永遠に出会えないのだ本公演には!)。見ていると神のイタズラというか、あるときからMJのほんとうの姿を神は隠してしまい誤解ばかりが生じ、そしてその姿が世界に発信されるその直前に本当に隠してしまった。なんということだ、このリハーサルは延々とリハーサルでしかない。出演する若いダンサー、若い女性ギタリストなどはいまどんな風に巨大な喪失感とともに暮らしているのだろう。けれども後半になると、これこそがThis is it.なんじゃないかと思い始めた。これしかないんならこれこそがそれなんだと、これを見ている喜び楽しさはそれはそれで嘘ではないのだから、と。そもそも、ぼくはリラックスして、7割くらいで踊るリハーサルのダンスが大好きだし。お見逃しなく!

それを四時頃に見終えると、約束の時間まで二時間半ほど余裕がある。新宿をひたすらぶらぶらして、6時半、約束の場所に行くとご本人が到着していない。三十分遅れであのマンションのあの部屋ではじまった菊地成孔インタビュー。CINRAで12月半ばに配信されます。ぼくのテーマは「菊地成孔入門」だったのですが、そんな感じになったかなと思っています。乞うご期待。

その後、もともと約束していたメンバーと新宿南口で飲み会→カラオケ。ぼくはKREVA(!)の「瞬間speechless」と松田聖子(!)の「風立ちぬ」を歌ったのだった。カラオケ・アイドルナイト。

11/9

2009年11月09日 | 極私的ベスト5
今朝もいつものコース。6時半。浅川の靄がちょい幻想的。小学生姉弟。川岸の運動場では、ラジコン飛行機おじいさん達。野球親子。

今日のインタビューは上手くいくだろうか。場所がまだ決まっていない。ipodであらためて聴いてみる。同じ感想。そんなこと言ってもいいのだろうか。予習のつもりで『THIS IS IT』を見に行こう。

「道徳」展

2009年11月08日 | 極私的ベスト5
ぼくは彼らがすごく好きで、彼らと喋っているときが今の自分にとって本当に楽しい時間なんですけれども、彼らは作品もいいと思っています。まだ20才くらいなんですけれど、38才のぼくにとってはその間の年代を抜かして(快快とか好きな作家も一杯いますけど、もちろん)、彼らにシンパシーと未来(テン年代!)を感じている昨今です。平川恒太と高田冬彦、タイトルが「道徳」って????まあ、彼らより年長の作家では絶対つけないタイトルですよね。なんちゅうか、愚かしいほどに率直なテーマ性、だからこそ骨太な未来が垣間見えのかもしれないですよ~(ぼくのおしゃべりもありますが、高田君のパフォーマンス見てみて下さい!きっと、なんか、やることでしょう!)

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人類の大いなる希望、未来、平和といったテーマを理想的に表現し続ける画家、平川恒太。対していじめやエログロといったネガティブなテーマを偏執的なパフォーマンスで表現する高田冬彦。今回「道徳」というキーワードのもと、正反対にも見える二人の作家がぶつかりあいます。
会期中には、平川恒太の中学時代の恩師や、評論家の木村覚氏もお呼びし、道徳と芸術と未来について広く考えます。
11/22のレセプションではトークショーなども交え盛大に行いますので、たくさんのご来場心よりお待ちしております。


■平川恒太 1987年生まれ。多摩美術大学油画在籍。2008年群馬青年ビエンナーレ(群馬県立近代美術館)、「Curriculum Vitae」(ワダファインアー ツ)「人間、自然、社会」(lammfromm)他

■高田冬彦 1987年生まれ。東京造形大学デザイン科在籍。「強い子」(node)「hero」(ターナーギャラリー) 「via art 2009」(シンワアートミュージアム)


場所:ターナーギャラリー
    
会期:2009 11/18(水)~11/25(水)
時間:11:00~19:00

レセプション:11/22(日)17:00~21:00
トークショー:11/22(日)
   第1部:「現在の教育現場から」17:00~18:00
       ゲスト:渡辺祐子( 大戸小学校教頭)、 大原照光(埼大属中 教員)
   第2部:「アートから見る道徳」19:00~20:00      
  ゲスト:木村覚(美学研究者)

高田冬彦パフォーマンス:「LEAVE BRITNEY ALONE」
       11/22(日)18:00~19:00

11/7

2009年11月07日 | 極私的ベスト5
今朝は、七時に出発し九時半にゴール。20キロ走った。いい加減なにやってんでしょー、自分でも自分がわけ分かりませんが、なんだかともかくはしりたくて、昨日は用事があるということで車を大学に置いて、五限の講義を終えると電車で浅草橋へ、おやつテーブルを見て、四谷で同時刻に行われていた現代美学研究会の帰り支度に到着し、新宿でごはんを食べて帰宅。今朝は「車を取りに行く」という口実の下、平山城址公園から西生田までジョギングしたわけです。 後半はばてましたが、案外いけました。



11/5

2009年11月05日 | 極私的ベスト5
走りたい気持ちがあっても調子のでない時があり、今日はそんな日。精神的になにかあると身体も覇気がなくなるのだろうか。

昨日新宿に出たのでジュンク堂を覗いてみると、乗越たかおさんの本の隣だった。黄色い大きな本に小さくて黒いぼくのが押されていた。フェア棚にもあって恐縮した。

11月は何かと忙しくなりそうで、ちょっと怖い。拙書がらみのイベントも企画してもらっている。平川恒太+高田冬彦の「道徳」展でのトークもある。インタビューの仕事も来週頭にあって、翻訳の整理の仕事も月末締め。来月は、四谷アートストゥディウムで話す予定もあり、準備せねば。その上で、学生達との雑誌『KAT』もある。なんてやっていると、artscapeレビューを飛ばしそうになるのが危険(備忘録)。