Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ピナ・バウシュ『ネフェス』(@新宿文化センター)

2005年06月11日 | Weblog
をみる。

学会発表の後、以前からチケットを買っていたこともあり、学会を途中で抜けて新宿へ。いつもよく行く回る寿司やで昼食。昼にはあまり来たことがなかったが、ネタが随分よかった。ひと皿136円の快楽。

そこから新宿文化センターへ。

バウシュ(ブッパタール舞踊団)の日本初上演作品は、ぼくには本当になにも「こ」なかった。もはや、これはバウシュおばさんとファンの集いなのではないか、ということはもう随分前の公演の日記に書いている覚えがあるが、やはりそうとしか思えない。観客に批判的意識なんてない。なのに、妙にハイソな雰囲気。「わたしたちみたいなビンボーニンが見に来ちゃ行けない代物なのよ」(Aさんのご意見、聞き覚え書き)まあ、そういうことなのかな、要するに保守層の知的な娯楽。いや、どこが知的なんだ、でもさ。

おどろくのは、多種多様なダンサーの扱い方。背の低いのから高いのまで、華奢からグラマーまで。若いのから年期様まで、カラーも様々。が、印象的なシーンを作っていたのは古のこと。いまは、何か嫌みなくらいに、それぞれの個性はそれぞれの配置に小さくまとまっている。背の低い女性ダンサーは、空中浮遊などをするのにかり出される。その時の、男女関係が、おじょうちゃんをいいようにあつかう男達、な感じがどうしてもして、いやだ。なぜこれを、グラマーな女性達を使ってやらないのだ?重い、からか?いや、だったら、重いからこそやるべきなのであって楽しちゃいかん。そこに、何かクリティカルな意識を欠いた配置を感じるのは、ぼくだけではないだろう?!
唯一ぼくにとって印象的だったのは、前半の最後のあたり、インド系?の白いドレスが濃い肌の色に映えている女性ダンサーがインド舞踊(足さばき以外はエッセンス的にバリ舞踊に近い)をモダン(モダンダンス的にというよりも、最近のブッパタール舞踊団的に)に換骨奪胎した踊りを踊った、それはよかった。よかったんだけれど、ね。でも、「伝統」を洗練させる、ってことにどんだけ意味があるんだろうという気にもなってくる。「洗練」(これはぼくのカント研究の一部でもあるのだけれど)の意義はいまどこにあるのだろう、「西洋的芸術」のこういう側面を受容するのにぼくらはどういう意義をみいだせばよいのだろう。「かぶれ」じゃないレヴェルで。
ああ、でも、クリティカルな意識は、本当に消えた。ただ、あるのはひたすらな子供っぽい欲動の発散。女達十人くらいに若い男の子がナデナデして貰うシーンとか、様々な「ちちくりあい」の場面とか。とくに気になるのは、女の女性性が平凡なのと男の男性性がやはり単調なことだ。バウシュおばさんに変な期待をするぼくがバカなのか。そうなんですよね、きっとそうだ。

でも、それならば、本気で次回見に行くべきか否かと言うことは、ぼくにとって、クリティカルな問題になってきた。


さて、そんなこんなのおしゃべりのためにも、打ち上げ気分で、新大久保へ。

新宿文化から結構近いところにあるのね、松屋。ほんとにスゲーうまい。カムジャタン(ぐるっと見渡すとほぼすべての卓でこれが食べられている)。なんかの打ち上げでいつか大勢で来たい。え?いまから?ほんと?代々木上原まで?あるくの?ここから?

一時間半ほど闘ったでしょうか、ヒメというのは気紛れであることが信条ということをAもぼくも全うしまして(いや途中まで、か)。ノートパソと資料などを両手に、参宮橋まで歩いたところで、ギブアップ。コーヒーフラペチーノで息を吹き返して。帰路。

学会発表

2005年06月11日 | Weblog
が終わった、ほっと。

コンテンポラリーダンス関係でご存じの方は、ぼくの研究者サイドは知らない(興味ない)かもしれませんが、ぼくは自分の熱量の60%は研究者として燃やしてます。今回は18世紀学会という西洋の18世紀の思想や人物を研究している人たちの学会、きわめてコアな集まり、でもこういうところこそ、少数精鋭だったりする。

「思考において他者の立場をとる 名誉欲をめぐる初期カント美学の分析」

というのがタイトル。40分喋って10分質疑応答。喋っている途中で、いい気分になってくる。説得口調になってきて、啖呵を切る、ような言い回しになってきたり(用意した原稿読むだけなんですが)。ああでも、質疑応答はなんどやっても慣れない。いつも意外なところからの急なカーヴが投げ込まれてくる。それを打つ、でも打てないで大抵は空振りやチップの状態で苦い思いをする。んーん、ここが今後の課題。それでも、発表後の諸先生方の評価は概ね上々で、とくに当番校のS先生からのお褒めの言葉は、嬉しかった。やっぱり、研究者というのは、発表をしなくちゃいけないな。自分の研究を世に問い、それにいろんな方が反応を返してくれる。その応答が、次の研究の推進力となる。このよい循環を繰り返していくこと、は大変だけれど、大事だよな、って再確認。
それにしても、半年で三回の研究発表ってありえないッスよ。ダンサー(振付家)が新作三本半年で発表するようなモンですから。ほんとに、最近の自分の生産力にはおどろかされる。こわ。いやいや、今年はまだあと二回発表する気でいます。働き盛り、でございます。

それにしても、出かけるのが意外に遅くなり、「経堂からタクシー」という不意に浮かんだアイディアで九死に一生をえる(はちと大げさかな)。京王線桜上水近くの日大文理学部が会場だったので、ほんとだったら下北沢経由で明大前乗り換えとかなんだけれど。のったタクシーの運転手さんが細かい道を知っている方だったので、びっくりするほど近かった。

というのは、今日の午前中まで、午後は、ピナ・バウシュへ。