Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

レクチャー第一回、カミング・スーン!

2007年01月31日 | Weblog
ダンスを知りたいあなたのための「超詳解!20世紀ダンス入門」、ぼくが担当する第1回が今度の日曜日に迫って参りました。目下鋭意原稿を書いたり書き直したり2日に一回ペースでラーメンを食べて覚醒し椹木野衣『美術に何が起こったか』になにやら励まされ何故か自分のなかで今流行ってしまっている嶽本野ばら(『エミリー』『シシリエンヌ』)を合間に読んでむらむら、、、している真っ最中ですが、当日は、その後の残る七回で議論されるダンスの全体像がわかりやすく理解出来るための見取り図(マトリックス)を紹介して、さらにその上で、ぼくがいま注目しているダンスのアプローチについて映像を通して解説する、という内容を用意しております。ふるってご参加下さい。当日、フラリとお越しになっても入れないことはないはずです、が、ネットなどで主催であるSTスポットに予約を入れて頂けると資料の事前準備などもありますので、いろいろと助かります(連絡先は左上の画像をクリックすると分かります)。結構「豪華」ゲスト講師の方々も第一回に足を運んで下さるという話をちらりほらり聞いております。ゲスト講師のファンの方もお越し下さい。

でも、このレクチャー、ぼくや制作の中村茜さんとしては、未来のダンスが生まれる土台作りなんですね。だから、来て欲しいのは誰よりもダンスを作ろうとしている方々なのです(スタッフ希望の方も含めて)。あとは、ダンスを見るお客さん、それとダンスの批評に興味のある方々のためにと思っています。ダンス批評のレヴェル向上のためにも、ここでフランクな議論をするきっかけを作りたいのです。村上隆は『芸術起業論』のなかで、美術史は宝の山だ、と言ってましたが、ダンス史も宝の山ではないでしょうか。まだ知らぬ色んなことが、僕たちの今後の糧になるのだとしたら。

それにしても、忙しい。金曜には、kiiiiiiiのなんと(なんと!)復活ライブがあるというし、土曜日は水戸芸術館で「夏への扉 マイクロポップの時代」展(松井みどりさんキュレイション)が始まるし、講演とレセプションがあるし。で、もう日曜日ということか!

Ko & Edge『D膜』(@麻布die pratze)

2007年01月30日 | Weblog
1/27『D膜』見る。
Aの記事(グビグビ)を読んだ後なので、あらためて全体を概観するような文は書かないことにしました、そちらを一読して頂ければ大枠は分かると思います。

あの透き通る薄いアルミの帯が誰もがそう思うように『美貌の青空』などで用いられた真鍮板の延長上にあるものだとすれば、それは、きっと、68年までのアヴァンギャルドでマッチョで硬い土方から70年以降の薄い細い柔らかい土方への移行であり、その移行をしかもマッチョな身体のままで遂行しようとする試みだった、と言えるだろう。即ち、男ぶりを発揮することも、女性的ないし脆弱な身体の魅力をあらわにすることも禁じ、そして、そこでなお男としてどうすんのか、というわけだ。それが、そして室伏鴻のありったけの誠実さ、倫理性の表明だった、と言うべきなのかもしれない。しかし、そうした途端にあまりに厳しい誠実さ故に、出す手が見出せなくなってしまった、ということだったのではないか。

正直残念な公演だった。まずもって室伏に元気がなかった。「元気がない」という評価もないと思うが、そうした一ダンサーの実存が気になる舞台こそ、室伏の舞台であり今回もそうだったということだ。それにしても音はどうにかならないか。音響のアイディアが希薄。真鍮板(アルミ帯)のリフレクションは、音響においても行われていていいのではないか。効果音としての音響など、必要ないはずだ。

yummydance『もももってきてちょうだい』(@駒場アゴラ劇場)

2007年01月30日 | Weblog
今年になってもう三度目である、アゴラでダンス公演をみるというのは。最近、本当に多い。ここは、密閉されている感じが高くて、黙っていると床と壁が真っ黒なのも手伝い、異空間性、スペクタクル性が勝手に過剰になったりする。それ、ちょっと好きじゃない。

1/27yummydance『もももってきてちょうだい』を見る。
四国は松山出身の女性五人組。冒頭、観客へのアナウンスの時、山縣太一があらわれスタッフとして話し出した。チェル的な動きとしゃべりで笑いを取る山縣の脇に、山縣を見つめるダンサーがあらわれた。その時に、恐らくこれから始まる全てのことが予測出来たのだ。その1人のダンサーの佇まい、端的に言うと「わざとらしい」「芝居がかり」なのである。なにかことさらに何かをしているのではない、ただ山縣を見ている。けれど、それがチェルを気取る山縣以上に何かしら気取っている。考えてみれば、なかなか大胆なはじまりなのだ、チェルの山縣と横並びになれば、単に身体性の違いと言うよりも身体へのアプローチのレヴェルの違いが出てしまうのだから。「見る」ときの目が安易なのだ、それはその次に山縣から目を離すと前に進み観客に対面して眼差しを上方に向けるときにもあらわれていた。この「わざとらしさ」は、親密な関係をもった間柄であれば容認出来るかも知れないけれど、他方、一見さんに対しての敷居を高くしてしまっている。それは、作風に関してもそうだ。即興から練り上げられたように見える振りは、つねに曖昧であって観客の見る欲望を取りこぼしながら進んでしまっている。辛口になり、ごめんなさい、yummydance各位!でも、なんというか、おおらかな人間性というか、ぼくは下の記事で「野蛮」と書きましたが、ゆったりとした気分というものがカラフルな振る舞いの内にあったりして、そういうところは、うまく呈示してくれるとちゃんと美味として味わうべきものになるはず、とともかく期待したい。

yummydance

2007年01月26日 | Weblog
『美術手帖』に書いたプロフィールがチラシに転載されていることもありまして、yummydanceの明日明後日の公演をおすすめします。

東京周辺で活躍するグループにはない「野蛮さ」が売りです。珍味ですが、不味くはない、いや美味いです。ぼくのみならず桜井圭介氏と岡田君が推薦するyummydanceを見に、週末、アゴラへ行きませんか!!!

    ↓ ↓ ↓ 

yummydance 東京公演『もももってきてちょうだい。』
※岡田利規(チェルフィッチュ)キュレーションによるアゴラ劇場「冬のサミット」2007参加作品

「いざ踊りだせば奔放なアイデアが枠からはみ出し野蛮な快活さを解放させてしまう(中略)地方の集団ゆえのモードに束縛されないスタンスからは、今後も見たことのないアイデアが次々と繰り出されるに違いない。」(木村覚)
「僕の可愛い妹たちです。面白いダンスを作ります。どうぞよろしくお願いします。」(桜井圭介)

2007年 1月27日(土)マチネ15:00開演  / ソワレ19:00開演 
       28日(日)マチネ15:00開演 / ソワレ=「即興ライブ」18:00開演
      ※「即興ライブ」公演は28日18:00の回のみです。

こまばアゴラ劇場 03-3467-2743 http://komaba-agora.com( 京王井の頭線「駒場東大前」駅東口より徒歩3分)

● 料金 【Aプロ】「もももってきてちょうだい。」 前売り2800円 当日3300円   
    【Bプロ】「即興ライブ」   1000円
*お得な【A】【B】共通チケット 3500円 前売りのみ限定発売してます

●チケット取り扱い 
*yummydanceチケットウェブ予約販売からどうぞ 
yummy_ticket@yahoo.co.jp  ?お名前 ?ご来場日 ?枚数 ?電話番号を送信してください。当方の確認メールを送信させていただきます。
*JCDNダンスリザーブでもOK!      http://dance.jcdn.org/ 
   
●お問い合わせ yummydance(ヤミーダンス)090-7574-5583   
 Mail : yummydance@yummydance.com

http://www.agora-summit.com/2006w/yummyd.html

近況雑記

2007年01月25日 | Weblog
いやほんと、失礼しました!artscape原稿で、何故か、黒沢美香&ダンサーズの次回公演を「~贅沢な肉」と書いてしまいました。正しくは、「なんという寛容な肉」です。制作の平岡さんには、「精神的に土下座してます」とメールしたんですが、「そんなぁ、土下座なんて」となんという寛容なお返事が!こちらこそ、「Thanx!」です。

備忘録的に、近況のメモ。
先週土曜日は、二件新年会をはしごした。一件は、大学のCOE関係の新年会で、長年(四年も)付き合ってきた人々だけのコアな集まりで、さあ3月にはこれ解散しちゃうけどどうしようか、と話し合うものの活路の乏しい正直煮え切らない作戦会議ではあったのですが、本郷の本格中華をビールで流して酔ってくると「どうにかなるじゃん」と鷹揚な気分になってきて、なんという無邪気なオレという感じで、後にすると恵比寿へ。こちらは、ダンス、演劇関係の制作会社主催の新年会。Nid Cafe系列の店(Le Lionというんですが、どの店よりもきれいでオサレでした)だというので、拙結婚バーティのことなど店長さんと話して盛り上がる。というか、ここでは、LOVE ARMの宇治野宗輝さんと二年前の「アート・ノヴァ」の話でなにより盛り上がったのだった。これはぼくがインディペンデント・キュレイターの東谷隆司さんをミュージシャンとして出演オファーした伝説のイベントでして。ぼくが「伝説」というのも何ですが、それというのも、いまだにあるところでは「木村覚」と言えば「あのとき、東谷さんを担ぎ出して、イベントのみならずネット上での一大パフォーマンスを仕掛けた男だろ」と思われているらしく、そんでそう形容してみたくなるわけですが、もちろんぼくはそのとき東谷さんをお招きしただけで、その後のあれこれは東谷さん自身のパーソナリティのなせる技であり、ぼくがしたことなんて、BBS上でのウルトラC的パフォーマンスにあっけにとられながら、なんとかしょぼいアクセスを少しだけ試みただけなんですけど。で、宇治野さんはそのときの東谷さんのパフォーマンスは一番東谷的音楽センスを示しているのだと話してくれて、ぼくはとても嬉しかったんですが、考えてみれば、東谷さんをぼくがオファーしたのは、宇治野さんの企画でZAKさんとかキノコとかがコラボしたイベントに東谷さんがクロージング・アクトで登場したのを見たからで、そっか、あの自動演奏のキーボードの前でスーツ姿の男が小さいぬいぐるみを掴みぶん回したり床に投げつけたりする東谷さんのパフォーマンス、宇治野さんのチョイスだったんだ!ということが発覚し、そんで宇治野さんからすれば、木村は「東谷さんのあの音楽センスに反応したひと」としてクレジットされていたらしく、オリジナルでインディペンデントで男っぽくてカッコイイなーとかねてから尊敬していた宇治野さんからセンスを共有しているじゃんみたいなこと言ってもらえて、なんとも幸福至極なひとときだったのでした。

おとといは、神保町の大手出版社の方とお話をした。久しぶりに、ビールを五杯も飲んだ!この出会いが素晴らしい成果を生むことを祈る!

昨日は、大倉さんを見る前に、今年ゼミを受け持った大学の卒論審査をしてきた。はじめての主査。副査の先生にちょこちょこ指導を受けつつ(笑)。夢野久作で書いた女子学生の原稿はよかったな。期待以上のものがあふれ出た卒論だった。自分でも気づかないうちに鉱脈に出くわしてしまったというような。教員冥利に尽きるって感じでした。副査の先生からは「ほめすぎ」的なことを言われてしまいましたが!

そうだあと、13日にアクラム・カーン「ゼロ度」を見たのだった。その直後、一時期「アクラム・カーン好き?良かった?」と聞くのが周りではやった。これを評価するか批判するかでかなりそのひとの鑑識眼、のみならず生き方まで分かるような気がした。「踏み絵」な作品?

「CLOSURES」批評文、大倉摩矢子など

2007年01月25日 | Weblog
久しぶりにアップします。忙しくしてます。

Wonderlandにて、大橋可也&ダンサーズ「CLOSURES」の批評文を載せてもらいます。いま、「週間マガジン・ワンダーランド」の最新号で読めるようになっています。HPでも数日後に読めるはずです。ご一読を!

Artscapeにて、今年のアーティスト100人、ダンス編というものを書かせてもらいました。こちらも、ご一読を!(黒沢美香&ダンサーズの次回公演のタイトルが間違っていました。「なんという寛容な肉」です。関係各位にお詫びします、失礼しました!)

あと、10日を切りました、「超詳解!20世紀ダンス入門」(@横浜、野毛、急な坂スタジオ)、初日から是非、ノートもって聞きに来てください!映像(貴重映像含む)を多数用いたりなど、難しくなく充実した時間になるよう、準備中でッス。いや、実は空前絶後なのでは?こういう豪華講師陣でのダンス史レクチャーというのは(と、力んでみたりしてます)。制作の中村茜さんも頑張っています(ちょっと体調崩しちゃって心配なのではありますが)、急な坂スタジオのスタッフ大平さんは石野卓球に似てます、いい意味で。


大倉摩矢子「スプリング」(@アゴラ劇場)を見た。
目下、舞踏の世界のなかで(あまり網羅的には見ていないので「恐らく」と付言しときます)見応えのある時間の作れる数少ないソロダンサーである大倉。久しぶりに見た。二年は見ていなかった。

白い床。黒いアゴラの舞台空間に、注意深く白を敷いている。赤のスカート、薄ピンクのカットソーで顔の小さい大倉が登場。ともかく、50分ほどの公演で、10メートルくらいしか動かない。それで何をしているか、というと、ひたすらスローモーションでしゃがんだり立ち上がったりその間にほんの少しだけ気づけば前に進んでいる、それだけだ。ただ、その「より目」しながらのスローモーションの最中、内側から引き起こされる痙攣的な微動に全身が満たされているので、退屈さは感じない。というかほっとけない強さが観客の身体に伝わってくる。

ただ、後半になるに従い、汗が顔を中心に滲み出て玉になり明るい照明に照らされてくると、そして頬が紅潮し出すと、内側から生じる痙攣からなにやらエロティックな表情が大倉の身体にあらわれてくる、これが気になる。「自慰」という言葉が浮かぶ(そういえば、タイトル「春」だし)。より目が身体の自閉を際だたせて、その籠もった状態を一層際だたせる。ただし、顔は執拗にこちらに向いているのだ。自閉をさらす、それを明るみで覗き込む、という、ダンサーと観客の関係。屈んだ姿勢は少女のような雰囲気を醸す。確かに、舞踏は昔から「少女」が好きだ。けれど、どうにも満たされない気持ちになってしまうのは、その動きが自慰的な動機から発せられているように見えるからだ。(実は、おなかの辺りは痙攣的に動き続けているとしても、手とか足とかの細かい部分はそれほど動いていない。運動はその分おなかの他は顔に集中している。で、どうしても「自分」が立ちすぎに見えてしまうのだ、それが何より気になった)舞踏は、内側からではなく、外側から不意に襲われ操られるものではないだろうか。同じ受動性でも、後者がつねに自分ならざるものとの関係のなかで生まれる動きであるのに対して、前者にはそういった他者がいない。でも、こういう閉じた乙女に「萌え」る観客、という図式は今後有効なのかも知れない、けど、でも、舞踏の未来としてどうなのかな、と思ってしまうのだった。

チラシが出来ました2

2007年01月07日 | Weblog
これはチラシの裏。クリックすると中身が読めると思います。
二月四日からはじまります。二月の毎週土日は横浜の急な坂スタジオ(桜木町→野毛)で前世紀のダンス史を一緒にお勉強してみませんか。いま、ダンスについて知るために。いま、ダンスを踊るために。いろんな手がかりがきっと見つかると思います。

ぼくはともかく、この講師陣、なんと豪華な!こんなことそうそうないっすよ、楽しみにしてて下さい。

自家撞着、囲い込み、退屈と倦怠

2007年01月06日 | Weblog
元旦は、ほんとうに食べる(朝食:雑煮とおせち+一番搾り)と寝て、食べる(昼食:おせち)と寝て、食べる(夕食:お刺身と一番搾り)と寝た。その前には、近所の寺に119番目の除夜の鐘を打ったり(なんか来たひと全員打ってとか言って、全然「108」という煩悩の数守らない!Aは118番目の煩悩をストライクっ)、一瞬の沈黙と静寂を味わった。リセット。すると、なんかリセット以前のものでどうでもいいものが「どおっでもいー」ものにはっきり見えてくる。もうほんとに大事なものしか大事と思いたくなくなる。大晦日と元旦は、まだぼくにそんな気分を味あわせてくれるのな、と。(写真は、Aとぼくの友人、ワルシャワのアーニャから。涙が出そうなほど心がこもってた)

四日からまじめに英会話の学校に行く。ちょっとその前に新百合の駅ビルにある本屋でなんでか『snoozer』なる音楽雑誌を購入。こういうデコースをしちゃうのが正月明けというもの。いまどきの音楽状況をチェック。しらんものばっかだ。知らないぶりがすごいぞオレ、知っているのがボブ・ディランと曽我部恵一しかいない、という(笑)。

そんでそこで一番話題になっていた、arctic monkeyの『Whatever People Say I Am, That's What I'm Not』を買ってみた。なるほど、まず思うのがこれBlanky Jet Cityじゃん、ということ。次にスミスじゃん、と。しかし彼らみたいな美意識は希薄で、敢えて言えば、代官山や渋谷臭ではなく町田臭がする。味が単調、でもそこが重要なのだろう。ついつい過去の何々を連想して聞くことをしてしまい「おじさん臭」が漂ってくる自分を責めつつ、熟読玩味してみようかな、たいてい魅力的なものは体に入ってくるまでに時間が掛かったりするのだ。他には

The Raptureの『Echoes』
Bob Dylanの『Modern Times』

を買う。曽我部の『ラヴ・シティ』は新百合のHMVにはなく(絢香は100枚くらいあるのに!)、『snoozer』で昨年ベスト・ワンのKlaxonsもなかった(これじゃアマゾンひとりがちになるわけだよ)。でも、いまはすごいね、たいていのバンドはHPでPVが見られるようになっている。 これ。

まあなんか見てると自ずと思うのは、ダメ身体、コドモ身体は別に日本のダンスに特別当てはまるものじゃなくて、デフォルトなんだな、と。マイクロポップ(松井みどり)しかり。それは目下のツボとも言えるし袋小路(ドツボ)かもしれないとも思ってしまうのだけれど、このユルさダメさ汚さ(arctic monkyのCD盤の表面は100本くらいのタバコの吸い殻がプリントしてあったりする)が、果たして今後もある種のカウンターであるのかむしろ現状肯定の保守主義なのか、どちらでもありうるだろうけれど結局どちらともはっきりしないまま、なんとなく自家撞着、囲い込み、退屈と倦怠を継続させて行くのか、この辺りの決着がつくと少し今年明るくなると思うのですが。

ところで、もうちょっと怒りというものをぐつぐついわせていいと思うんですよ。摩擦音を響かせてもいいんじゃないかと思うんですよ。ぼくはその意味でチェルフィッチュ『エンジョイ』に一票なんですよね。怒りというのは、発散させるものだけでなくため込むものでもあって、『エンジョイ』にはそんな怒りの膨張のようなものを感じたのです。ポツドール(『恋の渦』)にも五反田団(『さようなら僕の小さな名声』)にも同様のイライラ感があって、その行方知れずの澱みのようなものから何かが発見されるといいなと思うんですよね。それが、それ以前のパラダイムをぱっと一掃してくれるんじゃないかな、と期待してしまう。いまはそんな怒りの体力を鍛える時期ではないか、と思うのです。