Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

庭劇団ペニノ「笑顔の砦」(@下北沢、駅前劇場)

2007年02月28日 | Weblog
う、うまい。凄い。微妙な絶えず変化するバランス。それでいて一場一場が極めて分かりやすい。「「天才タニノ」の呼び名は、何ら誇張ではないぞ」と、少し興奮しながら、そんなことばかり思ってみていた。
漁師町の若い漁師たち、彼らの兄貴的存在の男が主人公。45歳独身。押入にギターと小学校時代のピアニカ(ピンク色)を隠している。好きな女の子のを奪ったもの。男の秘めた欲望が仄かに垣間見える。こたつを囲み、中学生のように、ギターを弾きピアニカを吹き、自分の作ったメロディーを歌う、退屈だが楽しい男子たちの時間。若者に料理を振る舞う男。セリフ主導ではない、ギターを弾きあったりするなかで構成される時間はもう絶妙のバランスで、静けさと激しさとを次々と生み出していく。管理人の老婆が現れると、彼女を追い返そうとして彼らは突然けんかをはじめる。その荒れた暴力の演出は、時空につむじ風を描く。それは例えば、nhhmbaseの生み出す奇跡のごとき運動感覚に似ている。純粋に音楽的な快楽にあまりに似ている。見る者はほとんど恍惚としながらタニノが演出する時間の運動に身を任せていればいい。
彼らの平和を乱すのは、隣に住みだした老婆と薄幸そうな美女介護士。男たちは、介護士に中学生のように興奮し、無理矢理部屋に招くとはしゃいで、逃げられると途端にしょげかえってしまう。その後、女の忘れたハンカチを返そうと隣に向かった男が不意に老人に胸をもまれている女を覗いてしまう。それは明らかに、親のセックスを見てしまうトラウマを想起させるシーンだ。男がその後、3年も連絡を取ってなかった母に電話してしまうことからも明らかだ。マメ山田の極小のからだが、リアルで高解像度の舞台をシュルレアルに歪めている。それもしかし今回は、小皿の逸品としてさりげなくふるまわれるといったところ。女の訪問と突然の振る舞いに戸惑う男、それは現実のような妄想のような。伊勢エビを届けに帰ってきた弟分の1人が悲しい別れを告げる間、男のお尻の下に隠れて服を脱ぎかけた女がうつぶしている。この辺りも何とも言えない感じで、情けない男の性が実にシンプルなシーソーの設えによって描かれている。そこで渡した伊勢エビは、女の部屋の冷蔵庫でかさこそと物音を立てる。半ぼけの老人はその音が気になり、なんども杖で突っつき最後はつえでエビを粉々にしてしまう。その音。生命の消滅(のメタファー)。老人は力尽き開けたままの冷蔵庫脇で寝て(逝って)しまう。
庭劇団ペニノの演出上の独創的な試みは枚挙にいとまがないが、リアルな舞台空間というものに今日は前半気になってみていた。細部に徹底的にこだわり本物を置くことで生まれているのは、現実への忠実さと言うよりも、映像的「解像度」の向上のごとき事態ではないだろうか。(同じ細部にこだわるポツドールの場合、それぞれのアイテムはペニノのそれよりもより記号的に振る舞っている)ぼくの目は、この舞台を映像での出来事のように見てしまう。魚をさばくシーンでは、まるで手さばきにクロースアップするように目がそこに釘付けになる。細部を十分に作り込むことが、本物らしさ以上にそうした映像的演出に似た知覚を可能にしている。そうしたリアリティの新しい次元はハイビジョン映像など新しい映像感覚から生まれている気がする。演劇がその内部で探究するリアリティのレヴェルをペニノの舞台美術は遙かに超えでて、いわば舞台そのものを映像化してしまっている、と思うとぼくとしてはあの空間性に納得がいく。

これは必見です。

「山脈」評

2007年02月26日 | Weblog
wonderlandは、いま、演劇とダンスを論じるにあたって、紙媒体など含めても専門(批評)誌としてのステイタスを誇示している数少ないマガジン(ウェブ・マガジン)のひとつです。伊藤亜紗による神村恵カンパニー「山脈」評が載っています。面白いです。身内だからということではなくご一読を勧めます。

2/25

2007年02月25日 | Weblog
横浜から朝帰り。途中、どうしても横浜駅前の立ち食いそば「鈴一」に寄ってしまう。テンコロそば(天ぷらそばにコロッケのトッピング)が食べたい自分を拒めません、ごめんA付き合わせて。でもうまいっしょ?三十円くらい値上がりしていて、おばさんたちが計算に四苦八苦していた。景気よくなった証拠なのでしょうか。

自宅に帰ると青木陵子さんのDVDを大阪の某画廊さんから送ってもらい届いている。いやあ、青木さんは素晴らしいなあ。ぼくが捉えていたポイントなど遙かにはみ出す豊かさがあって、もうくらくらしながら一枚一枚に目を通す。また、水戸芸術館に行って生青木作品を見たい。旦那でもある伊藤存さんの作風に似ている面もあるけれど、伊藤さんが理知的だったり見る者とコミュニケーションしたい率直な意志が明白だったりする一方、青木さんは常に謎めいていてすべてを打ち明けてくれない感じがある。伊藤さんが犬なら青木さんはネコ、ってちょっと単純だけど、例えば。ちなみに、青木さんの最初の個展のタイトルは「青木ヶ原樹海」。

原稿をすすめるエネルギーが切れてしまい、だらだらと過ごす。プールに行くがぼくもAもドロのような体で調子が出ない。いきつけの居酒屋十八番に行くと、一番仲良くしていたまっちゃん(通称しか知らない、そういうもんですよね)が今月限りで辞めてしまうとのこと。悲しい。悲しいので、セブンイレブンでプリンを買って帰る。『美術手帖』の68年のコピーを寝る前に読む。ラウシェンバーグの特集記事とハプニングの特集記事。「友人の画家のひとりがあるとき、私は絵の縁でおそろしく上手いといったことがある。これは冗談のつもりだったが、私はそれは本当だと思う。ど真中であろうと、壁ぎわあと半インチのところであろうと、どんなところであれドラマティックな優先権を与えるのをさけようとする意識的な試みがいつもなされていたからである。私はど真中になにか意味のないものをおくことによって形式的なコンポジションのあどけない考え方を無視してきた」(ラウシェンバーグ)。凄い、名言。そうかドラマティックであろうとやっきになっている表現は、真ん中以外のところ、例えば縁(へり)がおざなりになってしまっているのだ。そういう作品はだからぼくは愛がないと思ってしまう、優しさがないと思ってしまう、無視された気分になる、無視された縁の気分になってシュンとする。

the Ground-breaking 2007

2007年02月25日 | Weblog
にて、ほうほう堂×チェルフィッチュ「耳かき」をSTスポット、身体表現サークル「しんぱい少年」をBankART1929で見た。会場で松井みどりさん、内野先生、桜井さんにお会いした、そこにはなにやらまだレクチャーの余韻が残っているのだった。その後、大谷さん宅にて東京芸術見本市の打ち合わせ、晩餐(どんちゃん+チャンポン)、昔話、お歌の時間、楽譜への落書き、未来の語らいへと続いた。

松井さんのパルコ出版から来月でる御本『マイクロポップの時代 夏への扉』の出版記念トークショーに光栄なことになんとお話相手としてお呼ばれしました。場所は原宿のナディッフを予定してます(日時は未定)。詳細が決まったらまた紹介します。これも「マイクロポップ」ちゃうんすか?とダンスや演劇や音楽パフォーマンスを松井さんにお見せするなんて感じで行こうかと思っています(楽しみです)。

ほうほう堂×チェルフィッチュ「耳かき」
ほうほう堂のひとりがibookを覗き込みながらそこにディスプレイされている(だろう)岡田のテキストを読み、もう一方が踊る、ということを一回ずつやる。分離しているほうほう堂がまずは新鮮。テキストは、体に関すること。体を洗っている時足の小指を見ているが見てはいないこととか、浴室の角がしだいに角ではなく丸であると見えてくることとか、普段無視している体に不意に驚く(あるいは驚きそこなっている)時、あるいは現実が空想へと空想が現実へとスライドしていく時を、理知的な文章がトレースする。それを読む2人にはカメラがフォーカスしていて、2人の読んでいる体が壁に大写しになっている。巧みに仕立て上げられた複数の反映(あるいはバトンタッチ)。ほうほう堂のちっちゃいかわいさのなかに組み込まれるどこまでも繊細で冷静な運動と岡田の非理性的なものへと理知的に関わるアプローチが、見事に絡み合っている。そのグレードは高い。けれども、ぼくは欲深なので少し残念と思うところを書くと、三人が上手く出会える場所を作ることに重点を置きすぎた気がする。二組がコラボしたのは三回目ということだけれど、今回の何よりの新機軸は、ほうほう堂が岡田のテキストを読むという点だった。そして、どうしても注目してしまうのは、岡田の硬質なテキストをほうほう堂のどちらもがつっかえながら読んでいるという点だ。スラスラ読んで欲しかった練習しておけよ!と言いたいのではなく、むしろそこで岡田と2人とが出会っているその接触面が露呈していたわけで、そこにこそ今回の公演の見所があったのではないかと思っている。タイミングを計り、読むこととスクロールすることに集中して、体のそれ以外の部位がブラブラしている。足は変な形でつま先立ちになり、マイクを持っていない左手は心許なくぼけている。そこに「体」がある。徹底した反映の構築(その作品化)のベクトルをややゆるめながら、そうした現実の時に起き続ける偶発的なことどもをこそ拾い返してみたらどうだったろうか。あるいは、岡田のテキストが、ほうほう堂の身体に合わせて書き換えられていったものだったら。

身体表現サークル「しんぱい少年」
八十分ほど。いまの日本のダンスシーンのなかできわだってオリジナリティのあふれるクリエイティヴィティを炸裂させているのがこのグループの主宰者・常樂泰ではないかと、いや本気で思っています。凄かった。作品としてのトータルな完成度が云々かんぬんといったまともな評価などあまり問題ではない。今回際だっていたのは、自分たちがこれまで編み出した運動(タスクライクな!)を振付としてもう一度捉え返し、しかも身体表現サークルダンスとしか言いようのない審美性をもったパートを創り出していたこと!美しいというのではない、単に強いのでもダメなのでもない、なんともいえないやるせないような気分というものがそこにあった。それと全体のイメージが何故海だったのか(工事現場で使われていそうなブルーシートが1929の石の柱や床に巻かれ敷かれていた)、なぜ知的障害の男の子みたいなダッシュとかで笑いと驚愕を誘った長身のダンサーがフンドシをスクリーンにして見せたのは波打ち際で、そこで映像の中の常楽はスペイシーに泳ぎまくっていたのか。ぼくが連想するのは、サザン・オール・スターズを初めて聞いた子供の時のじれったいような焦っちゃうような気分(最初期のSASだよ)。未分化な身体が性に出会ってしまっている感覚というか。海=母と切り出してもいいけれど、もっと男の子マインドの微妙で濃密な部分がガバッと開かれてしまった瞬間に思える。友人は、もっと小学生モード全開でいっちゃった(「きんにくまーん」とか)身体表現サークルがみたいと言っていた。分かる。そうそう思い出すのは、小学生の時の「かんちょ」とかされたりする時のもやもや感みたいなもの。幼児性の記憶をまさぐるように異様に目をつむりながらダンス(?)し続ける常楽の姿が印象深い。

AbsT新作公演『しはに-subsoil』(@吉祥寺シアター)

2007年02月23日 | Weblog
白井剛の新作。満席の会場。凄い人気?やや戸惑うほどの。
七十分ほどの公演(「しはに」とは、「底土」「下土」という言葉で、「深い層にある土のこと」だそうです)。なんと言えばいいか、優男なルックスなどを無視すると「白井剛」とは珍味として味わうべきひとであって、これをマジメに「あの、軽く弱々しく吹けば飛ぶようなうすいムーヴメントが、現代の我々の存在の絶えられない軽さを見事に表現していて、、、」云々のように批評をしては不味い(表層的過ぎる)のであって(ましてやスローモーな「へにゃ」な動きを舞踏と呼ぶ批評家がいたら、レクチャー受講した皆さんは「くすっ」と一笑してあげましょう)、えっと、簡単に言えば、「くるってんなー、しらいさん、、、」とやや寛大でほほえましい気持ちになって受け止めるというのが正しいところではないかと。問題は「なぜそんなに我々に寛大さを強いるんだよしらいさん」というところであって、芸術という名のもとにあるものの「押しつけがましさ」というか、サーヴィスの欠如というか、他者の欠如というか、こういう晩は、夕方に食べた吉祥寺はハモニカ横町にある民民での餃子二皿、アサリチャーハン、ビール一本で1900円(Aと2人分)で享受した幸福感と満足感とその後の公演(ぼくは幸いにも招待を頂きましたが、Aの分2500円は精算しました)で得たものとを比較してしまうという野暮なんだかすこぶる真っ当なことなんだか分からないけれど、このギャップに驚くと言うことがあったりする。
いや、でも、真面目に言うと、民民と芸術を横並びにするなよ、と言われるかもしれませんが、間違いなく横並びにするものですよ(そうか大抵、民民で食べてから行くから、吉祥寺シアターでの公演には辛口になってしまうのかも知れない)。すべてが私たちにとっては等価な出会いの対象のはずであり、芸術か非芸術かはアプリオリにその対象の価値を規定するものではないはずです。そんな、アリもしない価値を後生大事にしていると「芸術か!」とタカアンドトシに突っ込まれます(いや、突っ込まれもせずに無視されるだけか)。
そう、白井剛の行き先不明の狂気のようなものそれ自体は悪いはずはなく、ただしそれが、「コンテンポラリーダンス」という名の、既視感が濃厚にただよう類の運動に案外支えられていることに、満たされないものを感じているというのがぼくの正直な気持ちなのだ。けれども、白井の周りで彼を支える四人が、必死に白井的な何かを達成しようと努めている姿には感動を覚えた。さすがに力量のあるダンサーたちのコントロールされている身体というのは見ていて面白い。純粋に面白い。とはいえそれぞれの運動の質は、既視感がつよい。見たこともない運動をして欲しいなどと言いたいわけではないのだけれど、どこをとっても、ある時期の「コンテンポラリーダンス」なるものをなぞっている気がしてしまうのだ、どうしても。身体を「もの」にしたい「もの」のレヴェルに至った身体とコンタクトしたいという白井の気持ちには、リアリティを感じるのだ。そこへ向かうアプローチには、でも、あまりリアリティを感じることが出来ない。バランスとか、軽さとか。どうしても、わざとらしさをぼくはそこに受け取ってしまう、そう「もの」として「見せている」という感じに見えてしまうのだ。
いずれにしても、ある種の「コンテンポラリーダンス」らしいセッティングというものに、ぼくは何らの魅力も感じない(ダンス以上に極め付きだったのは、美術と音楽の使い方だった!)。レクチャー第8回で、東谷隆司さんがさかんに「arty」という言葉を使っていたのを思い出す。「arty」なことというのは、あえてやるものであって、ベタにやるものではないだろう。けれども、「arty」であることがなにやら長いものにまかれるために必要なフレイバーであるとすれば、そこから脆弱なコンテンポラリーダンス業界は逃れられないのかも知れない。そういうことを「退廃」というのだろう。

The Door into Summer

2007年02月22日 | Weblog
眠りの国から覚めたぼくはだらしなく歩く
あの子はささやく何かぼくに、でも何も分からないよ
いまなんてぼくにいったの?
いまなんてぼくにいったの?
ふりかえったら、君は見ていたよ、ずっと昔の顔で
甘い気持ちも、風も残して、ぼくをみつめてるそんな眼差しが時を止めてくれる

あの子は呟く、だれた街でさえ渡ったセリフ
新しい気持ちつめたままでぼくに投げてくれる
また何かぼくに聞かせて
また何かぼくに教えて
君と見つけた今年の夏は新しい風さ
こんな気持ちは逃がしやしない秋風にのせて、ずっと遠くまで
(フィッシュマンズ「なんてったの」)

気分を取り戻しながら、大谷さんとのセッションについて、それとBT原稿について仕事を再開。両方、面白いんだから、考え出したら余計なことは考えなくなるのだから。

伊藤存

2007年02月21日 | Weblog
ちょっと気になることがあって、午前9時頃、某大学(ちなみに、国士舘でも来年度に担当する多摩美でもないですよ!)の教務課に電話するとどうも最悪の事態が発生している。まったく身に覚えのないことだ。具体的には書けないが(ぼくは書いてもいいけれど)、ぼくのまったくもってミスではないことで、ぼくのポストが消失しているという。一体何が起きたのか?分からないままとりあえず、Aと約束した「マリー・アントワネット」を見に新宿へ。すると、少し遅れたこともあるが、満席だと断られる。ガーン(悪い事って続くもの?)。仕方ないので、気分を替えて、美術館でも見に行こうと言うことになる。原宿の岡本太郎記念館で、伊藤存の展覧会があるということで、天気もいいからとてくてくと歩き出した。こりゃ、二時頃のタモさん坂道散歩コース?と思いながら、次第に腹が減って気がつくとラーメン屋(昼ご飯)を探す目が厳しくなってくる。裏原宿の終点あたりの博多ラーメン屋「ばさらか」で昼にする。Aがシューズが欲しいというので、近くをぶらぶらしているとル・コックの専門店発見。スゲー、こりゃ全部欲しいってくらいカッコイイ。しかも、女の子の店員が凄くノリが良くて、黒いTに闘鶏が描かれているちょっとヤンキーセンスのやつを「ワル・コック」とか言うから、ウケたりからかったり。ついついたくさん買った後で、ようやく、岡本太郎記念館へ。伊藤存「側線ベルト」がある。いいなあ、やっぱ、いいなあ。ワタリウムが協力しているという、そうかワタリウム所蔵なのかな「側線ベルト」。意識と無意識のあわいでイメージが生まれたり消えたりしているのが、カラフルな糸のステッチングによって描かれている。是非、見るべきっすよ。動物の名前を1文字入れ替えて生まれる「どうつぶ」もかわいい。「かるえ」とか「チャシ」とか「ラト」とか。写真は「ましむ」。
帰ると、再び、某大学にアクセス。担当の教員としばらく話す。非常勤講師の非力加減になけてくる。その他の仕事手につかず。大谷さんセッションとか!BTへの「マイクロポップ」原稿とか!

大谷×木村

2007年02月21日 | Weblog
TPAM(東京芸術見本市)に批評家・音楽家の大谷能生さんと出演します。平日の午前中というシチュエイションですが、夕方(乗越たかおさんプレゼンツのストリート・ダンス)→夜(佐々木敦さんによる「JOYFUL CALICULATION!/楽しい計算音楽」イベント)とおもしろ企画が続きますので、朝から東京国際フォーラムに集合というのが、この日日本での正しい過ごし方(!)でしょう。

映像ショーケース
「映された」身体表現にみる戦後から現在までのアートの諸相とこれから

テーマ:記録メディアとの相関関係から音楽を考えプレイする大谷とダンスの批評・研究をフィールドとする木村がおくる、終戦後から現在までの音楽、ダンス、演劇、美術、映画などにあらわれた我々の「身体」のさまざまなあり方を、映像を通して検証していきながら、そのスタンダードや特異点をあらためて規定し、即興・再生の問題を掘り下げ、再びファンクショナルなものにするためのトーク・セッション。(2007.3.6 10:00-11:30 東京国際フォーラム、ホールD1)

有楽町に午前というと、中学生の時、おこずかい貰ったその足で、授業さぼって「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を有楽シネマに見に行ったときのことを思い出しますね。狭い急な階段を上がり扉を開けると吸い込まれた映画館の闇というものに魔力を感じた中坊のころ。

レクチャー「超詳解!20世紀ダンス入門」は続く

2007年02月19日 | Weblog
昨晩、12時前に家に帰り着き、20時間ほど眠り続けてようやくいまブログの投稿欄の前に向かっております。

STスポット主催のイベント「超詳解!20世紀ダンス入門」は一旦終了しました。
初回はガチガチでつっかえつっかえのおしゃべりでした。うん、思い出すと全然あのときには、自分の主張に自信がなかったんですよ。その前日、松井みどりさんの展覧会「夏への扉」を見に水戸に行く間、制作スタッフや友人たちにぼくの原稿を読んで貰ったり「ダンスマトリクス」をチェックして貰っている時には、積極的な反応が全然なかったわけで。それでも、ともかく自分が「今」考えていることを話したくて翌日2時間半しゃべり続けたのでした(2時間半って聞いてくださった方々の忍耐力を試すような時間でしたね、悪しからず。それにしても、最近のハリウッド系映画並の時間、ひとりでしゃべっていたのかあ、今考えても我ながら驚きです)。しゃべり終わった瞬間は放心状態と不安を引きずっていた。その後、気づけば、その原稿を、第8回ゲスト講師の佐々木敦さんや東谷隆司さん、遊びに来てくれていた大谷能生さんたちが初回の打ち上げの席で積極的に評価してくれ、自分なりのアイディアを展開してくれたり、また第7回の松井みどりさんがマトリクスの「イリュージョン-プロセス」の軸を「テキスト性-事象性」と松井さん流に言い換えてくださったりということも起きたりして、すごく励まされ、自分が試みたことの波紋を明確に感じて、本当に生き返ることが出来たのでした(Life is coming back!って感じ?オザケン!)。ゲスト講師の皆さん、ぼくの初回の発言にコメント下さった全ての方々、本当にありがとうございました。

8回あれば、もう本当に色んなことがあるわけでして、、、それもその内の7回はゲスト講師を1人ないし2人お招きしたりと豪華きわまりなく(ゲスト講師1人頭の持ち時間が少なかったこととか、贅沢という以上にもったいないって感じで、とくに内野先生と林先生の「30分で演劇と美術の60年代を話してください」というオファーはいくらなんでもむちゃくちゃで日本で食べられる世界中の料理の極上のひと皿ひと皿を一口ずつ食べ続けるみたいな感じでしたよね、、、講師の方々この点に関しての非礼をどうかお許し下さい!)、また個性的な方たちばかりだったので、ぼくみたいな若造がどれだけ講師の方のポテンシャルを引き出せたかは心許ない気持ちで一杯です。ゲスト講師の方々、この場で失礼ですが、お礼申し上げます。ありがとうございました。

また、何より感謝しなきゃなのは、お越し頂いたお客さん皆さんです。あの、なんていうか、ダンス公演の会場で普段見かけないお顔が多くて、そのことは「いつものひとたちはなぜ来てくれないんだろう」という気持ち以上に、「何か新しい動きが始まってしまうのでは、この新顔たちから!」という期待の方が上回っていました。みなさんは、もうダンスの正しい見方を恐らくどのダンス研究者・批評家よりも知ってしまったのです。本当に。ここから何かが始まっていくと思います。そして、是非是非コンテンポラリー・ダンスの公演に来てください。最近ならば、身体表現サークル、ほうほう堂+チェルフィッチュ、吾妻橋ダンスクロッシングなどの公演が待っています(そうだ、あと、今回のレクチャー全体を通して一番話題になっていた手塚夏子の公演も3月にあります)。是非足を運んでみてください、そして、思った正直なところをブログとか、BBSとか友人へのメールとかで書いてください。そこから、新しいダンス批評は始まります。そう、本当にそうだと思っているんです!

こんなメール頂きました(どうもありがとうございました。感激しました。どうか転載することおゆるし下さい)。メールの件名が「「超詳解!20世紀ダンス入門」のお礼 」ってこちらこそ、お礼をいいたい。

木村覚様

はじめまして。○○○○と申します。
佐々木敦さんのブログで「超詳解!20世紀ダンス入門」の存在を知り、その豪華なゲストのメンツと5000円という値段の安さに「これはぜひ行かねば!」と思い、それ以降のレクチャーをすべて聴くことができました(三時間に及んだという第一回を聴けなかったのがとても残念です。もっと早く知っていれば!)。
ぼくは大学生の頃から演劇が好きになってちょくちょく小劇場に足を運んでいたのですが、ダンスを見るようになったのはここ一年くらいのことで、ダンスの歴史とか見方とかまったく知らないいち素人だったので、このレクチャーは知らなかったいろんなダンスの見方を教えてもらえて、ほんとうに目から鱗の連続でした。 ダンスを見る目が確実に変わりました。もちろん、ただダンサーの動きを快楽的に眺めているだけでも気持ちがいいし楽しめるのですが、ダンスの歴史やダンサーの狙いを知ることよって、いろんな観点からより重層的な楽しみ方ができるようになりますよね。
もともとはその豪華なゲスト陣が目当てで参加したこのレクチャーですが、最大の収穫のひとつは木村覚という批評家を知ることができたことかもしれません。毎回熱心にダンスについて熱く語る木村さんの姿を見ながら、この人はほんとうにダンスが好きなんだなあと、ぼくは毎回心ひそかに胸を熱くしていました。とくに ぼくにとって大きかったのは、第七回の松井みどりさんとのトークです。ダンスへの愛に溢れたお二人による濃密なトークには、ぼくはこころのなかでずっとニヤニヤ笑いと、感激で胸がいっぱいになった気持ちが、二時間のあいだじゅう続いていました。
ぼくはいま社会人一年生で、演劇やダンスとはまったく関係ない仕事をしています。ぼくは演劇やダンスを見て感じたり考えたりすることはあらゆる日常と無関係ではないどころか、それはときには人生や価値観を大きく変えてしまったりするものだとさえ思っているのですが、それでもやっぱり普通の社会人にとって演劇や ダンスは自分とは無関係のもの、あるいはただのエンターテイメントという認識でしかなくて、しかも悪いことにぼくは人と付き合うのがちょっと苦手で、ちょっと気障な言い方をすれば現実よりも演劇や小説などの夢の世界のなかに住む住人なので、ぼくはこの乖離感にずっと息苦しさと虚しさを感じていた日々だったのです。
だからこそなおさら、お二人のダンスが好きで好きで仕方がないといった熱い気持ちに溢れたトークには、「ぼくはこれでいいんだ!」という、こう言ってよければ勇気のようなものをもらった気がします。ここにこんなにダンスを愛する仲間(といわせてください)がいるのだから、ぼくだってダンスをいくら愛していたっ てかまわないのだ、と。
木村さんはこれからいろんな方面で名前を目にする機会が増えてくるだろう方だと思いますので、名前を見かけたときにはチェックしようと思いますし、ブログも読ませて頂きます!実は、東京芸術見本市も、会社を休んで行こうかと思っています。こっそり陰のほうから大谷さんとのトークを、そしてこれからのご活躍を拝 見させて頂きたいと思います。これからのダンスシーンを支える存在として、これからのご活躍を期待しています。ほんとうは直接感謝の気持ちを伝えれればよかったのですが、どうもそういうのも苦手で、このような形で失礼します。レクチャー、ほんとうに楽しかったです。ありがとうございました。

明日(2/17)のレクチャーでは、

2007年02月16日 | Weblog
第6回の目玉として、
黒沢美香「WAVE」(1986@スタジオ200)
ラ・フラ・デルス・バウスの「ヨコハマ・アート・ウェーヴ」(1989)の映像
などを、借りることが出来ましたしたので、楽しみにしてください。

第7回では、
泉太郎さんの映像作品を松井さんが作家から借りてくださったとのこと。

第6回、第7回、第8回

2007年02月15日 | Weblog
あと、三回を残すのみになって参りました「超詳解!20世紀ダンス入門」。
次の土日に行われるレクチャーの内容を紹介します。難しいと不評ですが(笑)、懲りずに以前書いた要旨を載せます。とうとう20世紀ダンス・ヒストリーを辿るのは、第6回で最後になります。そして第7回は、すでに六年が過ぎた(すでに歴史化しつつある)21世紀の日本のダンスを振り返る。第8回は、趣向を変えて、そもそもダンスって何だろうということを、ダンスの専門家ではないお二人からうかがう、という回です。


第6回 PART1 ダンスには何が出来るのか
    --サープ、バウシュ、フォーサイスetc.(80-90年代)
ゲスト講師 桜井圭介(+うにたもみいち)
サープ、バウシュ、フォーサイス。80年代に注目され今日のコンテンポラリー・ダンスの礎を築いた中心的存在である彼らは、それまでのアヴァンギャルドなダンスのアイディアを受け継ぎつつも、再び作品主義の姿勢を取りつつ、ダンスの可能性がさらに拡張するような多様な発明を試みていった。すなわち、ジャドソン・ダンス・シアターから発したダンスのアヴァンギャルディズムがダンスにまとわりつく諸要素をそぎ落としまたそれらに反省を向ける姿勢を取ったのとは異なり、80年代に登場するのは、それらダンスの多様な要素を縦横無尽にリミックスし(サープ)、舞台上の身体に多義的な状態を充満させ(バウシュ)、ダンス(バレエ)のもつ可能性を最大限引き出すことで異形なものへと変貌する(フォーサイス)といった革新的でありながら高い芸術性を含んだアイディアだったのである。プロセスの重視から完成した作品の再評価へ、さらに一層スリリングな観客との関係性の構築へ。アヴァンギャルドの時代に深まった批判/批評性からさらに展開して「ダンスには何が出来るのか」という問いへと彼らが積極的に突き進んでいった過程を明らかにしたい。

PART2 90年代日本のダンス・シーンを振り返る
ゲスト講師 うにたもみいち(+桜井圭介)
ローザス、バウシュ、ラ・フラ・デルス・バウスらの出演した89年の「ヨコハマ・アート・ウェーブ」に触発され、珍しいキノコ舞踊団がローザスの物まねをすることから現在につながる日本のコンテンポラリー・ダンスははじまった。92年のイベント「Performix」(珍しいキノコ舞踊団、NEST、H・アール・カオス)や同時期に行われた「地ノ果テノ舞踏会」、また90年代後半のパークタワーホールでの「ネクスト」シリーズなどいま忘れられがちな歴史的公演を振り返りながら、日本のダンスが、世界の先端的なシーンを意識しながら、新しいリアルなダンスに向けて様々な模索をしていた足跡を辿っていきたい。

第7回 いま日本のダンスに起きていること
    --00年以降の日本のコンテンポラリー・ダンスについて
ゲスト講師 松井みどり
00年以降、日本のコンテンポラリー・ダンスは西洋追従型ではないユニークな展開を引き起こした、と近年しばしばいわれている。しかし、奇抜さや新しさが重点的に評価されてきたあまり「なんでもあり」と言った理解が一般に横行しているのも事実だろう。そうした安易で偏狭な視点から、コンテンポラリー・ダンスはルーツ不在の根無し草とみなされがちだ。しばしば作り手の側も自らの作品のルーツを安直に自分の内面にのみ求め、他方、観客にしても非歴史的な一過性の感動のみを頼りに作品に向きあうだけといった貧しい状況が生じ始めているようにみえるのだ。そのようななか、いまするべき課題は、ひとつに日本のコンテンポラリー・ダンスの主要な作品を20世紀ダンス史のトピックスと重ね合わせ歴史的な文脈から俯瞰することであり、またひとつにその上で、彼らの今日性、ダンス史の枠からはみ出てしまう独自性を明るみにしていくことだろう。「マイクロポップ」をキーワードに現代美術にアプローチする松井みどりを迎え、いま日本のダンスの内に煌めく豊かな魅力の内実を掘り下げてみたい。

第8回  増殖し、拡散し、逸脱するダンス
--クラブその他の場所や諸々のメディアで起きていた/起きていること
ゲスト講師 東谷隆司 佐々木敦
詳細は、いざ会話が始まってからのお楽しみですが、私がお願いしているのは、お二人のなかで「ダンス」という言葉はどういう意味をもっているのかを、とっておき映像をお持ち頂きそれを見ながら説明してもらう、またお二人に、日本のコンテンポラリーダンスを見て頂きながら、率直な感想を聞かせてもらう、ということです。

あと、残るは三回

2007年02月14日 | Weblog
ある知人がこんなコメントをメールで寄せてくれました。転載させて貰います(いいですよね?)。ぼくが「手前みそ」で何かを言うよりも、正確な気がします。

>コンテンポラリーダンスをみてもよく分からない、しかし何か大事なものがあると直感的に分かる-。そんな感覚を共有する人たちが集まってきたのだと、満席の会場を見て感じました。

>週末の2回[ジャドソンの第四回と暗黒舞踏の第五回を指すと思われる]は、60-70年代社会のうねりの中から生まれたダンスが「思想」であり「運動」であり「活動」でもあったことが、映像によって明示されました。これまでのもやもやがすっきりしました。ダンスだけみたのでは分からない、当時のカオス的な交流の中から、さまざまな芸術パフォーマンスが噴出していった様子が感じられました。ケージの役割が大きかったのだとあらためて分かります。

レクチャー第2回~第5回終了!

2007年02月13日 | Weblog
「急な坂スタジオ」に土日お越し下さったみなさん、おつかれさまでした!

ぼくは、昨日(月曜日)は、朝帰りのふらふらの体で夕方から第4回にお越し下さった林先生とやっている「現代美学研究会」(@四谷、上智大学)に行ったんですが、ほとんど「幽霊」のようにぬぼーっとしてました。それでも、林先生と番外編をそこで少しお喋りしたりしてまだ、best goes on!てな余韻を楽しんでいました。

ちなみにそこで林先生が言っていたのは、トリシャ・ブラウン『ウォーター・モーター』は本当に背筋がぞくぞくするくらいいいよね、そしてそういうレヴェルというのは、ぼくが解説したような「立方体のなかにいて番号を触っていく」といった話では説明がつかない豊かさをもっているよね、ということでした。それはそうです、同感。ダンスの最終到達地点というのは、本当に言語を絶するところにある、ただ引き込まれる巻き込まれる「踊らされる」=controlにあるわけで、、、ちなみに、ぼくの「ダンス五本の指」には、第5回の後にお見せしたおじいちゃんカニングハムの「バレエ・バー=杖?ダンス」とフレッド・アステアとともに、やっぱりこの『ウォーター・モーター』、入りますね。良かったでしょ?

朝帰りになってしまったのは、ジャズ・プレイヤーで批評文も書くOYさん(とは、3/6の東京芸術見本市でトーク・セッションをする予定)とprecogのOYさんと打ち上げ後さらに二次会をしたからで、そのとき、ぼくらは飽かず延々とカニングじいちゃんのあのキュートなダンスを見続けて、笑ったり感動したりしていたのでした。やおらジャズのOYさんが力説し始め「この(バレエの)バーは、ヌード・ダンスのポールに見える」と言いだし、試しにibookを90度傾けて水平のバーを垂直にしてみるとさらに熱は上がり「ほら、時空を超えたポール・ダンスだ!マドンナ+ショー・ガール+バレエ!しかもポールを握る手は、ゲイのカニングハムにとってみれば、、、」と息巻けば、一層あのダンスがかわいく可笑しく素晴らしく見えてきて、「みなと」というレトロ・フレイバーの野毛の外れの静かな喫茶店で一同大爆笑していたのでした。その後、なんとタクシーでワンメーターのところだからとOYさんのご自宅におじゃまになって泊めさせてもらったのでした。そこでOYさんと、色々と大事なセッションがあったりして、、、それがいつか形になっていくとちょっと面白いことになりそうです。

まだ来ていない方に、少し状況を紹介します。
このレクチャー、これまでの印象を挙げれば、
・来ている観客に若い人が多い、
・みなすごく熱心で、ノートを取る手が休まらない、
・かなりリラックスした雰囲気になってきた、
・若い人の質問が率直で、まじめで、簡潔で、故に必然レヴェルが高い、
・ゲスト講師の個性で回のノリが毎回違っている、
・通しで来てくれている人がかなり多い、
というところです。キャパは初回が50人くらいで、第2回~5回は平均70人。去年の時点での想定キャパが20人前後でしたから、これはこちらとしては異常な事態です。

さて、ぼくにとって少し(じゃないな、大いに)残念なのは、いわゆるダンス批評家の人たちが殆どいないことと、ダンサーや振付家の方たちが殆どいないことです。「勉強なんて今更、、、」といったところだったんでしょうかね。この土日で議論されたことは、かなり重要なものでした(手前みそですが、、、)。ダンスは、他のジャンルと違って、教科書的に通史を理解出来るよい本がほとんどなくまた映像で過去のものを知る他ないとしてもそれを知る機会が極めて少ない、という問題があります。このレクチャーはその欠を埋める機会であり、ぼくとしてはその機会を十二分に生かして欲しかった。残念(出前レクチャーどこでもやるから、連絡して欲しい)!ちなみに、ぼくは毎回のレクチャーのために、それぞれの専門書を5~10冊は読み、その成果を生かした回にしてきました(まだ言い足りないこととか、言い逃したこととかあったりするのですが)。貴重な映像も制作サイドにかなり甘えて調達してもいます。ぼくとしては、このレクチャーが刺激になって1人でも魅力的な未来のダンサー、振付家、批評家、研究者が生まれてくれればいいと思ってやっています。

でも、まだ3回ありますぞ、どれもすごい面白そう(手前みそですが、、、)、気合い入れて準備しますので、期待して下さい。

□□□ クチロロ Kuchiroro

2007年02月08日 | Weblog
日曜日にお会いした佐々木敦さんのブログに、日曜日のことが書かれてあった。ありがとうございます!あの打ち上げはすごく刺激的な時間でした、とってもとっても。それで、佐々木さんブログで「檄文」が送られていた□□□ クチロロ Kuchiroroを早速、You Tubeでチェック(打ち上げでも話題になっていた)。すご、おもし、ろいです。こうやってひょうひょうと明るい未来はやってくるのかー。

□□□クチロロKuchiroro「Twilight Race」

レク第2回~第5回まで(2/10~11)

2007年02月07日 | Weblog
今週末、土日に、四回のレクチャーが待っています。
「難しい」と不評な(笑)要旨ですが、何かの参考にして下さい。
これからでも、予約可能です。また当日でも入れます。
また、第1回よりも広い会場で行いますので、第1回の会場が「狭い」と思った方はご安心下さい。



第2回(2/10 土曜、13:00~) エイリアン身体が踊りはじめる
    --アメリカとドイツのモダンダンス、バレエ・リュス(20世紀前半)
ゲスト講師 大貫秀明  実演 馬場ひかり
巨大なスカートを蝶のようにはためかせるフラー、トゥ・シューズから足を解放し音楽とともに踊るダンカン--20世紀に誕生したモダンダンスは、既存のダンス(バレエ)のあり方や技法からの解放・自由をすすめ、異質なもの(エイリアン身体)へと踊る身体を同化させていった。そしてこの新しいダンスは、とりわけアメリカでの展開において自らの自由な表現をテクニック(技法)の内に昇華させていくことになる。形式からの解放からその解放(とそこから可能となった感情表現の)の形式化・システム化へ。その進展にともなうのは、あくまでも形式からの自由と言えるのかそれとも新たな形式による身体の束縛に他ならないのか。形式(とテクニック)をめぐるこうした緊張関係、ここにこそ、いまモダンダンスを読み解く際のキーポイントがある。20世紀の前半をまたぐモダンダンスの動向のなかに生じたいくつもの革命的事件、とくに発端となったフラーとダンカンのアイディア、そのバレエへの影響、また中心となるドイツとアメリカ合衆国での展開に注目しながら、馬場ひかりによるテクニックの実演も交え、20世紀ダンスの根本的な問題である形式と自由の関係について概観したい。

第3回(2/10 土曜 15:30~) モダニズムのひとつの完成と次の時代の台頭
    バランシン、カニングハム、ベジャールetc.(50年代)
ゲスト講師 松澤慶信
モダンダンスの分野のなかで醸成されてきた諸々の感情表現の形式を総合したアルビン・エイリー。運動の美(優美)として結晶化するダンスの本質だけに立脚し、バレエにおいてその舞台が他のジャンルの本質と混合するのを可能な限り最小化したバランシン。彼らが目指した形式主義の傾向は、当時の諸芸術とくにグリーンバーグやフリードらが美術批評を通して理論的に構築した動向と相まって、モダニズムのひとつの完成へと歩みを進めるものであった。彼らの美学は何だったのか。また彼らのスタイルを受容しつつも、チャンス・オペレーションなどのアイディアによってまったく新しい知覚体験をダンスにもたらしたカニングハムの戦略とは一体どのようなものだったのか。ベジャールやプティなど若者の苦悩や生の喜びを謳う実存主義的な作品を残した同時代フランスのバレエ・シーンとも対比させながら、当時の形式主義的なモダニズムのダンスが内包していた美学とその可能性そして限界について俯瞰していく。

第4回(2/11 日曜13:00~) あらゆることはダンスでありうる
    --ジャドソン・ダンス・シアターとアヴァンギャルド芸術(60-70年代)
ゲスト講師 内野儀 林道郎
62年、三時間に及ぶ公演を皮切りに、レイナー、パクストン、チャイルズ、ブラウンらが展開したジャドソン・ダンス・シアターの活動は、それまでのダンス史を刷新するのみならず、当時のアヴァンギャルド系の芸術潮流にとって重要な一翼を担うものであった。タスク(ないしタスクライク)な動きや即興性、プロセスを重視した彼らのダンス(=ノン・ダンス)は、当時の演劇や美術のアヴァンギャルドと同様に、芸術(空間)と生活(空間)の境界を曖昧にし、観客と舞台上のパフォーマーの間に設定されていた既存の関係性へ揺さぶりをかける試みだった。身体にまとわりつくコノテーション(指示作用)を否定した客観主義の60年代、そしてコノテーションの機能に対する反省へと向かう再帰的技法の70年代。とくにそうした身体に向けた取り組みに注目しながら、当時の演劇(グロトフスキー、ウィルソンなど)や美術(ラウシェンバーグ、ミニマル・アート系ないしフルクサス系の作家など)で起きていた事例と交差させ、彼らのダンス論の可能性の中心にあるものを明らかにしたい。

第5回(2/11 日曜 15:30~)土方巽が追い求めたダンスの本質
--暗黒舞踏について(60-80年代)
ゲスト講師 國吉和子  実演 正朔
“Butoh”の名で世界中に広く知られるものとなった日本発の20世紀ダンスは、それまでの西洋的な規範を逸脱するオリジナリティに満ちたアイディアが評価されてきた。その一方で、誤解も含むきわめて多くの解釈が施されてきたために、いざ核心を掴もうとすると曖昧模糊としたイメージしか抱けなくなっているのも事実である。ならば、群雄割拠する今日の舞踏の多種多様なあり方へ目を凝らす前に、そもそも、暗黒舞踏の創始者・土方巽が追い求めたダンスの本質とは一体何だったのかを明らかにしておく必要があるだろう。80年代の半ば、晩年、土方は自らの舞踏観を比較的明瞭に弟子に伝えはじめた。その時期に薫陶を受けた正朔をガイドに迎え、土方の稽古場の風景を会場に蘇らせることで、痙攣的でありかつ繊細で優美でさえあった後期(70年代初頭)の方法論を中心に、また同時代の芸術潮流と共鳴しつつセンセーショナルな「硬い」ダンスを目指した前期(60年代)もフォローし、これまであまり光をあてられてこなかった〈土方舞踏の動きの秘密〉をひもといていきたい。