Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

研究中

2005年11月29日 | Weblog
『ART FIELD』03号に寄稿する原稿がようやく完成に近づいた。8000字強(ちょっとはみ出てる!)。細かいところのチェックなどを行う。Ebreoというルネサンスの舞踏教師の理論書をめくったり、すると彼もダンスの完成の内に優美を見ていることが分かる。Historisches Woerterbuch der Rhetorikいう事典でAnmut(優美)の項目を引くと色々なことが分かった。ルネサンスの宮廷人カスティリオーネの優美論は、ルーツを古代ローマそれもプリニウスに持っているらしいこととか。この点、原稿には盛り込めないけれど、今後の資料として取っておこう。イタリア・ルネサンスの奥行きの一端を覗いたという感じでまだまだ氷山の一角、本格的な研究は今後の課題と言うことになる。ともかくも、ダンスの謎にさらに一歩近づいた気がする。

本郷からの帰り、町田のいつも行く「でくの坊」という名のラーメン屋へ。ここに来ると気持ちが落ち着く。そういうのってなんだろうなー。あまり、饒舌ではない寡黙な大将のセンスがきっとそういう気持ちにさせるのだ。そして美味いこと!べつに流行の感じの味(香味油うかしたり、とか?)ではないのだけれど、スープが美味。帰るとあっという間に就寝。



プールとサウナ

2005年11月29日 | Weblog
体と心というのは多分対等な関係にある並び立つ二つで、心がこじれると体が固まってきてこってくるし、その体をほぐしてやると心の方が楽になってきたりする。プールとサウナ、こいつがいま一番頼りになる。一時間泳ぎまくってその後どっぷり汗をかく。すると、気持ちがスーッとする。そんなものなんだな、案外簡単なのだ。とぎれなく次、次と新しい原稿を書き続けているとさすがにストレスがたまるが、この冬はこいつで乗り切ろう。汗が普段の二倍出る体になって夜に上智大へ。クリスマス・デコレーションしてる、電球が植え込みに付けられてて、ベンチに座る学生達がなにやら浮かび上がっている。不思議な光景。ラバンだのカニングハムだのヴィグマンだの借りてくる、お勉強。そして、研究会、今日も盛り上がった。

ナカニワ 金魚と神村恵

2005年11月27日 | Weblog
横トリのナカニワ・ダンス・パフォーマンスも今日が最後。制作をされていた清水さんによれば、昨日のユン・ミョンヒと先週の伊波晋がよかったと、、、ぼくが見ていない二人じゃないか。そしてずっと記録係を担当全公演を観たスタッフの方にベストワン、ツーをうかがったら、やはりこの二人の名前が。そうだったかー。

神村恵
倉庫街の展覧会らしく、そこここにコンテナのボックスがあるのだけれど、神村はその上にラジカセ担いで登場。最初は寝そべって実に繊細な連続する手の動き。ソウルフルな音楽がなり始めると立ち上がり、こよりを捩るように両手の指をそれぞれ捩らせるとその内向きの「静」の動きの反動か片腕を突き上げながら頭を下にしてポリポリポリとかく。そのストロークもそうなのだけれど、「反復」が神村のなかで効果的に機能している。「反復」がダンスなのではないか。繰り返すと、同じ動きのなかにリズムがでる、でもそこに違いも発生しヴァリエーションが広がっていく。そこに神村のスリルがある。次第に動きが大きくなる。上体を静止させていると思ったら不意に体を斜めに斬るような動き、腕がしなる。一歩進むとその足が掬われるようにフラッとする動きが音楽にあって乗る、これを延々やる。こういう小さいけれど、ダンスに巻き込まれずにダンスを発生させようとするアイディアは、やはりピカ一。いかに神村がダンスに対して真摯かが分かる。けれども、最後にファンクなノリのいい曲をバックに小刻みな動きでからだがリズムそのものになっていく時、その気持ちよさが批評的で且つダンシーな神村のダンスを「フツーのダンス」と変わらなくしていく。カッコイイし実にダンシーなのだが、それが今回の「落ち」であることが正当であるのか否か、と分からなくなる。神村ダンスに対しては期待故に欲深くなってしまうということか。

金魚
洗濯ばさみを髪の毛に20-30個つけたダンサー達が三つの展示作品に絡みながら移動し、最後には、自分たちで作った、顔の辺りに穴の開いた観光地によくある記念写真用の変装画(なんて言えばいい?)の前でバケツで水を頭から被り、終わり、という展開(その変装画?は公演後に観客と記念写真するため)。展示作品、例えばナカニワの真ん中にある公衆電話の作品ではそのなかに入っては出てを繰り返すなど、積極的に展示作品に関係するパフォーマンスは、観客と同じ位置から観客とは違う作品との関わり方を呈示しているようで、面白かった。何をするのか分からない人間達が観客の群れとは別に会場を闊歩している姿というのは、一旦会場を離れて日常に戻れば明らかに狂気なのだが、ここでは人々の意識を活性化させる良き装置になっている。からだが刺激に対してフットワーク軽くなる感じ、それが観客というかボクのなかに出てくるとなにやらここが荒川の『養老天命反転地』のような場所に思えてくる。

何度、「ナカニワ」関連で横トリに通ったろう。この企画が美術作品とダンスとの不必要な境界線をなくす一助になれば、それは凄く刺激的なことだろう。行儀良く一列になってタブローをじっくり見る的な観賞とは別の、わいわいがやがや「万博ノリ」で観賞を楽しむ観客にとって、動かない作品よりも動くダンサーの方が興味をそそられる存在だったに違いなく、ここでの「ダンサーの優位」が何か静かに新しい動向を産み出す一潮流になることを、静かに期待したい。

ケアと自己決定

2005年11月26日 | Weblog
今日は参加している死生学主催のシンポジウム「ケアと自己決定」が開催され、その運営の仕事で本郷へ。久しぶりにスーツ。

300人ほどしか席の用意がない会場に500人ほどのギャラリー。テーマといいパネラーやコメンテイターのメンツといい、魅力的な会には違いないとは思うけれども、これほどまでとは思わなかった。座れない人には体育坐りして貰う。でも、ね、大勢の熱気溢れるギャラリーと彼らに向き合う横並びになった学者(社会学者、哲学・倫理学者)との間の距離というものを凄く感じてしまった。学者が自分の説を説く。しかし、その内容(ケア-看護する立場と自己決定する患者の立場のあるべき関係など)を現場で生きているのはギャラリーのひとたちに違いなく(まあ、あまりそう限定できないところもある、ケア学の学生?らしきひとたちも多かった、であれば一層問題は際立ってくるわけだけれど)、ジレンマや難しさを感じながら生きているひとたちに、哲学的な理想主義を語ることに一体どんな意味があるのか、と思ってしまうのだった。「考え抜く」気迫が多分、机上の理論を操る学者側には必要になってくるのだと思う。それは、現場の思考を活性化し現場に活力を与えるものだろう。でも、現場の状況を描写する程度では、恐らく現場の人たちに語るべき言葉にはならないのでは。それは、現場の問題にはならず、アカデミズムの存続の問題にしかならない。研究対象が何であれ、それを水槽のなかを覗き込むみたいに研究していても、あるいは水槽に研究対象を囲い込んでしまっては、どんな研究でも同じカラーの成果しか産み出さないのではないか(そうそうこのことは、青年団の限界として普段考え今日たまたま行きの電車で反芻していた内容と被る気がする、この点を、青年団の方法とチェルフィッチュの方法の違いという仕方で明確にするべきだ、などと思う)。そして、そういう姿勢の問題こそ、「ケア」の問題であり「自己決定」の問題なのではないのか。僭越ながら。

そこで、ひとり気を吐く上野千鶴子(コメンテイター役)さんがまっとうで、いや「まっとう」というのはこの現今ではなかなか希有なことなので、実に感心して聴いてしまった。私がしているのは当事者学なのだ、という発言には、重要なメッセージが含まれていると思ってしまった。

実に秋が深まってきた。本郷の銀杏並木が美しく、風のない穏やかな秋。

インプット

2005年11月25日 | Weblog
昨日の日記に書いたことが原因で午前中まったく元気が出ない。ダメなのだ、あれは、ぼくの精神衛生上一番いけないのだ。気分転換にひたすら机脇の10個くらい積み上がった巨大キノコのような本の山、プリントの山、公演チラシの山を片づける。包括的な処理は半年ぶりくらいか。ほとんど、片づけられない人の家みたいになっていた、あれみると「嘘ー!」と思いつつ、内心「俺もかも」って、、、。次第に片づいていく、10冊くらいの『relax』が発掘される。ああ、一年くらい前までのあいつは、おれほんとに好きだったよな。渋谷直角はあのころ心のライヴァルだった、、、なんて感傷に浸っていると片づかないので、てきぱきどんどん。床が見えてきた!君、いたのね。

ポール・ド・マン『ロマン主義のレトリック』のシラーとクライストについて論じた最終章を読む。難しいけれど、実に面白い。続けて樋口聡『身体教育の思想』にも手を出す。面白いところもあるのだが、「身体」「教育」をめぐる他人の議論のザッピングに徹するという感じで、議論が煮詰まっていくところが必ずしも多くない。身体教育論オタクな感じで、議論は身体が教育によって疎外されているという話であったりするのだけれど、教育思想という学問もその批判を自らに向けるべきなのかも、とつい思ってしまった(身体、というか身体をめぐる具体的な現場を考察から疎外していない?って)。またこうした教育批判の教育学は、教育の新しい可能性をどういう風に見出すのだろうか、とそこが知りたいのだが、明確には出てこない(ぼくの読み込みが足りないのか?)。ところでそうそう、ド・マンの議論も教育が焦点だった。恐らく、教育というものは、それ自体暴力なのだと思う。そして教育はその暴力に居直る必要があるのではないだろうか。「必要な暴力なのだ」と自己弁明する必要があるのではないだろうか。それくらい、真っ直ぐに「教える」ことを教える側がしてくれないと生徒は困るだろう。そういう真っ直ぐなものに対してなら、生徒は正々堂々と反抗できるのではないか、例えば。そういう反抗する力を奪うシステムに教育がなっているところが、実によくないと思う。でも、多分この傾向は教育だけの問題ではないのでしょうね。広い意味でのリベラルな思想が人々をボディー・ブロー的に痛めつけているのだろう、、、

それでも、ダメだ。読書でもまだ気分があがらない。隣の隣の駅のティップネスに向かう。体験コース三回で3000円で(Aが誘ってくれた、彼女はもう入会までしたのだ)。今回、二回目。プールで泳ぐのだ。ピンクや赤の水着を着たおばさんと言うよりおばあさん達と泳ぐ。昼間だからね。誤植についてのエッセイを書くことを思いつく。誤植は正常な読解を妨げるノイズ。ああなんてことをしたんだい、ぼくの絵に落書きしないでよ、なんて叫びたくなる書き手。でも、その事実を書き手が過度に気にすることは、「過度に気にすること」をもって自らが狂気の主体になってしまいかねない。ミスを問いただせば、そんな問いただしをする自分がヤバイ人に思われてくる、そんなものだ。そもそもぼくのなかに過度に気にする理由が潜んでいるに違いなくて、つまり文章を書くにあたってミスをしない人間にみられたいという欲望とあるいはそうみられていないのではないかという不安とが、潜んでいるのだ。何かを「気にする」のは、気にさせるものの側よりも、気にしている主体の側に何か問題があるのだきっと(なんてひとり精神分析やったりなんかして)。まあ要は、時が経てば「まあ、しかたないじゃないか、、、」なんて気分が変わってきてくよくよしなくなる。それを待つしかない。中庸?そう目指す気分はそこ。正常と狂気の間って、だからほんとに綱渡りで、ちょっとこじれるとすぐ「やばく」なる。ヤバイのは逸脱することなのだ。やりすぎ、なのだ。そうそう、だからこんな感じで、ただぼけーっと25メートルプールを往復するのがいいんだ。隣ではインストラクターのかけ声に合わせて、水中エアロビみたいなのやっている。その勢いで波立ち体の左右のバランスが崩れる。波に抵抗することもなく体を過度に平衡させようとせず、でも、「足のけり」に集中して泳ぐ。左足がときどきすっぽ抜ける。きちっと蹴れれば気持ちがいい。この気持ちよさだけに集中する、あと一往復やってみよう。

と、その後サウナに入りすっかり余計なものが排出されたら、気分ややリカバリー。で、わざわざAと夕飯食べに吉祥寺へ「みんみん」。


訂正

2005年11月24日 | Weblog
まあ、こういうことは、よくあることなのだとは思いますが、、、ダンサーとのこともあるので、誤解なきよう訂正させて貰います。

『BT/美術手帖』12月号のp. 111に岡本真理子さんのことを私が書きましたが、(『ササササッ』)は(「ササササッ」)の間違いです。つまり”ササササッ”の表記はそこに書かれている通り、音を表した擬音であって、作品タイトルではありません。ご了解下さい。この原稿には、締めきりの期日の関係上校正原稿が届けられず、校正を電話の応対でするということになりました。私はその電話で、「何も直すところはありません」と申し上げたので、「ササササッ」が『ササササッ』に変更されていることは、まったく私は知りませんでした。多分、締めきりに追われた編集部の方の勘違いのためにこうなったのでしょう。私の間違いではないことと、岡本さんの作品には『ササササッ』などないことをご了解頂きたいと思いまして、自分のブログという届きにくい環境からではありますが、訂正を述べさせて頂きます。こんなこと、コンテンポラリーダンスの観客や関係者ならば間違えるわけないですよね。また他にも同様の、編集部の方による「手元が狂った的」なミスも起きていますが(yummy dance原稿)、どうか関係者様ご理解の上、ご了承頂けないでしょうか、ペコリ。

ヤマタツとサザン

2005年11月23日 | Weblog
の新譜を借りて聴いてみた。

「夏が似合う」という点では共通するかも知れないけれど、だからといって並べて聴かない二組、だとは思う。でも、七十年代末頃にデビューという点では(ヤマタツはもうちょっと前か)近いところもあるわけで、、、そんないまでも元気な「オジサンのロック」の聞き比べ。

で、これが圧倒的に山下達郎がいいんですよ。まず、音が圧倒的にいい。澄み切っていてシャープ。冬の空気すって感じる心地というか、、。『ボクの中の少年』が出た時だったか、このひとがデジタル機材とどう付き合うのか、という課題にある時点から果敢に取り組んでいたのを思いだす。そういうトライアルの結果としてこの音があるのだな。徹底的にアコースティックな音の粒だちが素晴らしい。でも、それはアナログセンスをデジタル機材のなかでどう成立させるのかという試行錯誤がなければこんな風に「鳴ら」ないのだろう。この音は「フレッシュ」だ「若い」。明らかにぼくのipodに入っている音のどれよりも若い。どこまでも抑揚の細部までがすべて「料理人の技」としてデリケートに聴いていける。そうそう、新鮮なネタで握られたスシ。

キンキキッズにあげた曲だったか『KISSからはじまるミステリー』すごい、いい。

それに比べると、サザンは「ブルース」にこだわることでオジサンになった自分をロックに駆り立てようとしているように見える。「ルーツ」へ。でも、それは基本的には自分たちの再生産をルーツに託しているような感じで、新鮮さはない。いままでやって来たことを肯定することに集中している姿勢に取れる。

ということで、いまのヘヴィー・ローテはヤマタツ『ソノリテ』なのだ。

ルネサンス期の優美論

2005年11月22日 | Weblog
についていま書いている。

『BT/美術手帖』になかば「唐突」という感じで書きだしてしまった「優美」という概念について、少し丁寧に考察した文章。これとあわせて、18世紀イギリスの画家ホガースが書いた唯一の著作『美の分析』のなかに眠っていたダンスについての考察を分析した論文(これも優美論)も来年の春には出る。ホガースの方は『舞踊学』という学会誌に、いま書いているルネサンスの優美論(タイトルは「さりげなさについて」となる予定)は『ART FIELD』というミニコミ誌に。「ミニコミ誌」といっても、編集長はかつてBTの編集長だった方で、またこれまでの執筆陣は谷川渥先生、宮下誠先生など、ある一定の水準のものではあるはずです(というわけで、末席を汚さないよう、努力しなきゃなのです)。ナディッフなどでは購入できるはずです。この辺りを読んでもらえればいまぼくが「優美」という概念を介してダンスの感性論(美学)をどう画策しているかを理解して頂けると思います。

あと、そうだ、ある舞踊学科のある大学の紀要に書かせて貰えることになって、そこでは日本のコンテンポラリーダンスにおける「目の働き」を焦点にした論考を書くつもりです。締め切りが来年一月中旬で、出版(というか配布?)は三月頃だそう。うーん、うれしいことだけれど、書かなきゃいけない原稿がこれでもかとたまっている(締め切りは過ぎていないからたまっているというよりは「待っている」。あと二つは間違いなく年末年始締めきりで「待っている」)。でも、ブログを拝見する限り、宮沢章夫さんほどではないか(ちなみに面識はありません、ほぼ毎日ブログ読んでいますが)。なんか宮沢さんの状況をみていると、洗濯機に入れられたタオルみたいな気持ちなってしまう、ぐるぐるぐる、、、。

『美史研ジャーナル 1』という武蔵野美術大学が出している論集をたまたまいま事務仕事している東大の研究室で眺めていたら、藤枝晃雄さんのエッセイが載っていた。それはバーネット・ニューマンの作品を安易に崇高な絵画として解釈するのはいかがなものか、という問いかけで結論する。つまり、そういった解釈者は、実際の作品を丁寧に見てそういっているのだろうか、と問うているのだ。「当の観者が画面については口を閉ざすのはなぜか」、と。何かここに、モダニズム批評(ぼくは藤枝さんはそうした立場の第一人者の一人と思っている)の真髄があるような気がした。「美術研究の世界は、美術なきそれとしてこのように過ぎ行くのだろうか」との最後の言葉、形式主義とか、純粋主義とか言う以前に、彼らは見ることの価値や意味にしっかり定位している。モダニズム批評というのは、この目の尊重に礎を置くものなのだろう。

ナカニワ・ダンス・パフォーマンス

2005年11月19日 | Weblog
にて、ボクデスと南烏山ダンシング・オールナイターズを見た(@横トリ)。

横浜最近異常に来ている。すべてダンスがらみだ。BankART関連の企画も多いし、なにせ横トリだ。今日も、横浜駅相鉄線改札近くの鈴一で「てんころそば」を食べ、感涙の腹ごなしをしたあとで、埠頭の美術パークへ。

南烏山ダンシング・オールナイターズ
は、最初、室内で。横一列に並び(十人ほどか)、全員が薄い生地のスカートを手にしている。それを軽く揺する。「スカートのダンス」という趣向だ。STスポットのような小さい場所でこそ活きるアイディアだと思う。この倉庫でこれは、ちょっとそこにある「ダンス」を感じ取るのは難しい。距離の余り離れていないところで、じっくりみたいものだ。で、次にはナカニワにでて、最初はひとりふたりさんにんと分かれながら大きく渦を描いていく。クレヴァーじゃないローザス?ある者が地団駄を突然踏み出すと、それに同調して全員が地団駄。それから『パルプ・フィクション』のテーマ曲でそれぞれが痙攣する。こういうとき、みちゃうのは、「上手い」感じの人ではなく「ヘタな」人というか気になる人。メガネを掛けたやせのオジサンが妙に気になる。周りのギャラリーも彼についてお喋りしたり笑っている。あと、やっぱり中年のちっこいおばさんだ。きっとおばさんの痙攣なんて目に新鮮でつい見ちゃうのだ。次に、ばたっと倒れ四つんばいでゆっくり進む、背中には脱いだ靴片っぽ。そこに、坂本龍一のボサノヴァ調の曲が流れる。これもデリケートなんだけれど、いかんせん遠くて感じられない。そこから、かごめかごめ的遊びがあり、最後には、マンボ調の曲(?)であるグループはあごやひじを基点にいろんな動きをして見せ、あるグループはひたすら中指を動かしたり、ひとつの部位にこだわる動きが全体でオーケストラになっている、といった作品を披露。

ボクデス
くちゃくちゃむにゃむにゃひとりごとのような脈略が次々変わっていくおしゃべりを続けながら、それがときに体の動きと連動していたりいなかったり、といった作品。ボクデスが口でいったことは、どんな荒唐無稽なことであれいやおうなしに観客は想像してしまう、その想像の領域が奔放に玩ばれた気がして、今回のパフォーマンスは、今年見たボクデス史上一番面白かった。

それにしても寒かった!ストーブが幾つか会場に置かれるようになったけれど、今後横トリに行く方は是非、防寒には十分配慮して下さい。

帰りに、中華街に来ると必ず行っていた中華料理屋へ。でも、ああ、味が変わっていた。コックが変わってしまったということなのだろうか、いつも居た、看板おばあさんも居ない。切ない、時の移り変わりを感じる。

BTダンス特集

2005年11月18日 | Weblog
発売されました。

ラインナップはこんな感じになってます。

インタヴューが多く(室伏鴻さんのはとくに舞踏入門という意味でもいいのでは)、また黒沢美香さんには書き下ろしの文章を書いてもらったり(これは若手ダンサー必読ですよ)、それとそれと岡崎乾二郎さんや松井みどりさんという最前線の美術批評(造形作家)の方にダンスを語ってもらっていたり、という実に充実したものです。ぼくもいろんなところで関わりましたが、ぼくのことはともかく、コンテンポラリーダンスの世界を知るための必携の一冊です。是非、ダンスに興味のある方(ない方も!)書店で手に取ってみて下さい、また一ヶ月で基本的には消えてしまいますので(雑誌という性格上)、ご購入を検討下さい。

上智大での研究会

2005年11月14日 | Weblog
のことは、ここで何度かお話ししていると思います。現代美学研究会といいます。また、紹介しておきたいと思いました。

現代美術批評を読む、というテーマで、今年度は東京藝術大学の院生の方々、また慶應義塾大学の学部生の方も来て下さりと、なかなか活発な議論の場になっていたのですが、今日はなんと当上智大学の先生でモダニズム系美術批評の専門家であるH先生がいらして下さり、一層深く面白い場所になってきました。実に、面白い感じです(次回以降も先生参加して下さる模様です)。専門家は先生の他にはいないので、その分自由闊達な意見の交換があったりしています。

次回は、再来週の月曜日、よる七時から。テクストは、マイケル・フリードを批判したロザリンド・クラウスの短い論文と、フリードのクールベ論です。学部生にはちょっとハードル高い状態ではありますが、真剣にこの分野について研究したい知りたいという方には、この会、良い場所になろうとしている気がします(手前味噌ですが)。参加者は随時募集しております、メール頂ければ詳細をお伝えします。






中村公美

2005年11月11日 | Weblog
を、移動WALLプロジェクトの企画で見た(@大塚アウトラウンジ)。

二十分ほどのパフォーマンス。針金がまかれ綿がはみ出したクマのヌイグルミと共に。ヌイグルミは、彼女の動作の抵抗体にはなっておらず(いつものビニールテープほどには)、動きのきっかけは彼女のなかになければならない。そういういわゆるダンス的な設定が課せられている今回の彼女のパフォーマンスは、ぼくにとっては「難解」だった。すなわち、どういう「きっかけ」が彼女のなかで起きているのかがわかりにくかったのだ。ダンスはある力が体を通して形になったりならなかったりする、そういう力とからだの関係が起こす運動なのだと思う、とすれば、その力が何なのかが見えにくかった。正直。
ぼくにとってはビニールテープをいじくっている彼女の方がずっとポップに、ダンスなものに見えてしまう。あの、なかなか恐ろしいこと言っちゃった気がしますが、事実そうなんです。反対に、彼女のダンスっぽい動きは難解。

執拗にやられるとある時点からほっとけなくなってしまう、ということが起きる。せめてそこまで一個のことをやっちゃってくれていいのではないか、というのが、正直な感想です。

それにしても、大塚駅周辺て、まだ「昭和」ですね。すごい、なんか「昭和のテーマパーク」みたい。

ブログ再開

2005年11月10日 | Weblog
ようやく、あの激務から解放された。
あと一週間すれば、ともかく発売(11/17)されてしまいます。『BT/美術手帖』の次号は、日本のコンテンポラリー・ダンス特集です。もちろん基本的には編集部の方々が決定してできたものですが、ぼくもそれなりの関わり方をしています。対談、インタビュー、書き下ろし、エッセイ、ダンサーズ・ファイルなどなど盛りだくさんの内容になっている「はず」です。「はず」とつけるのは、まだ表紙はおろかぼくの担当分以外の記事のことはほとんど知らず、またあんな短期間でこんな分量の記事が生まれ出たことがいまでも信じられないゆえです、いや本当に信じられない。特集担当編集者の方は最後には本当にゾンビー化してました、し(こういうときに、雑誌編集者にだけはならなくてよかったと思ってしまいます、もちろん仕事の内容のことではなく、「身を粉にする」激しさの一点で……できないよ!と)。
だいたい二週間くらいの間でしょうか。自分のエッセイを書く傍ら、インタヴューというものを三つこなし、一つの対談に司会で関わり、しかもその間に、ダンスとはまったく関係のない研究プロジェクトの合宿に参加するために南紀白浜に行き、一本研究発表(テーマはデリダの美学批判から見えてくる彼の喪の働きの思考、かな)をし、翌日とんぼ返りをする(はじめて紀伊半島に行きましたが、素晴らしい海のきれいなリゾート地でした、いつか、個人旅行で行きたい!)というアクロバットまでありました。車中2日で計12時間(!)、その間もワープロに向かっていましたね。
それで、日記の更新が滞っていたわけです。事情を知っている方以外は、「どうなってんの?」と思ったりしたのでしょうか(思ってくれてましたよね?えっ?)。
その間も、ダンス関係の公演は目白押しでしたね。こんなんでも、そこそこ見てました。その他、見た映画のことも合わせて、見たころの日付の箇所に書きこんでおきます。