Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

いま泣きそうになった(いやちょっとだけでた)

2005年06月08日 | Weblog
それは、さっき(水曜日の午前中)、明日の授業の準備をしていると、ある学生がこんな小レポートを書いてくれたことに、思わずたまらず感動してしまったからだ。この講義では、前期は笑い(機知の概念)を後期にはダンス(優美の概念)を話す、れっきとした堅い美学の授業。ただ、今回集まった15人ほどの学生は実に気持ちよく誠実に「笑い」について考えてくれる(また十分楽しみながら)。その雰囲気をちょっとこの日記を読むいつもの皆さんにも伝えたくて、本人に内緒(ゴメン、後で話す)で、のせちゃいます。


「今日一番面白かったのは、先生が機知の絵を書いている時、「カメンライダーに似てるな」とボソッと言ったことです。なぜおもしろかったのか考えてみました。まず授業という「かたくるしい?」中で、予想もしなかった「ごらく的」な存在が出てきたことです。これは以前授業でやった、常識が破壊されたことだと思います。そして、次に、ほとんど似てないのに分かる気がすること。そして先生の描いた図がカメンライダーという言葉を聞いた途端、とてもこっけいなものに変わって見えたこと。これはいままで見ていたものが違った見え方をすることの発見に対する楽しさであると思う。人間は新しい世界を知ることは無条件に楽しいのかも知れない。そして楽しいと思った一番の原因は、先生がボソッと言ったことだと思います。先生が「ボソッ」と「カメンライダーに似てるな」と言ったことによって、先生の人間性を少し見たような気がしました。ようは「先生そんなこと考えてたのか」と僕は思ったわけです。それは少し身近に思えたと言ってもいいのかも知れません。人間は知らない人間には不安を抱くものだと思います。その不安がとけ安心することは楽しいのかも知れません。」


やはり、もう一度読んでもパーフェクト。いやむしろぼくこそ君の文章から君自身を受けとったよ。機知という概念を学生達と共有しながら、どこまでいけるか、これからも実に楽しみ。明日は、初期ドイツロマン主義、Fr.シュレーゲルの機知論です。さて、ネタは先週の「うたばん」にするか。あれは、歴史に残る素晴らしい番組だった。