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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

「レイナーはダンサーの眼差しを振り付けた」

2008年02月14日 | 『ジャド』(4)1『トリオA』
以下は、ラムゼイ・バート『ジャドソン・ダンス・シアター パフォーマティヴな足跡』の部分訳+コメントです。第3章の終盤にさしかかってきて、議論としては次第にひとつの結論へと向かって速度が上がっているんですが、その分、というべきか、内容はどんどん細部へと、とくに『トリオA』とその同時期に彼女の書いた論考「擬似的概説」へ向けた解釈へとバートの筆致は急角度で突入していきます。この後、議論は更に、小見出し通り、当時、1965年頃、レイナーがどれほど美術理論に影響を受けていたか、またどのような仕方でその影響下から新しいダンスを捉えようとしていたかへと展開していきます。

フォローしていくのがめんどくさい部分かも知れませんが、ようは「私の身体は永続する現実に留まっている」と語ったレイナーの真意を開いていく前段階なのです、ここは。

以前にも貼りましたがRainer「Trio A」 の映像(You Tube)をここにも貼っておきます。ちなみこれは、レイナーが踊るサリー・ベインズ版(1978)です。


(4)ダンス理論と美術理論(上)


 イヴォンヌ・レイナーの『トリオA』は、形式的でコンセプチュアルな事柄とこれまで私が議論してきたような諸作品のもつ審美的な感性とを結び合わせた。モリスが『サイト』において上演した題材のように、『トリオA』は一連の運動のタスクから構成されており、フォルティの『シーソー』のように、これらのタスクをいかなる仕方であれテーマによって連関させようとしていない。『トリオA』は、シュニーマンの『サイト』やブラウンの『インサイド』と対立することで、パフォーマンスという問題を扱った。『サイト』や『インサイド』で彼女たちが観客を直接見る一方で、観客の眼差しに出会わないように、レイナーはダンサーの眼差しを振り付けた。『トリリウム』のように、『トリオA』は、既存のコード化されたダンスのヴォキャブラリーとは関連のない、逆立ちやその他多くの日常的な動きを含んでいた。従って、『トリリウム』のように、この作品は、ブラウン、フォルティ、モリスそしてレイナーが皆ハルプリンから学んだ、具体的な経験へと集中的に注目する状態を推し進めていった。つまり、自分の振り付けた動作が互いにどんな論理的な繋がりもなく、どんな同定可能な移り行きもないことを確固としたものにしようとして、レイナーはこれを用いた。『ワード・ワーズ』のように、同じ題材が没個性化されたパフォーマーたちによって、平板化された気の進まない風のやり方で、演じられた。

↑ここでは、とくに振り付けに「論理的な繋がり」のないことと「ダンサーの眼差しdancer's gaze」を振り付けるということが話題になっていますが、例えばレイナーは近年こう、この作品についてふり返っています。「[『トリオA』という]ダンスの二つの主要な特徴は、ダンスが調子を変えることなく続いていくことと、必ずダンサーの眼差しを参与させることである。頭部が独立して動いたりあるいは目を閉じまた眼差しをひたすら下方に投げることによって、つねに観客に直接的な仕方で直面しないように目を逸らすのである」(Yvonne Rainer, Trio A: Genealogy, Documentation, Notation, Dance Theatre Journal, volume 20, no. 4, 2005, p. 3)
観客を執拗に無視する、という状態は、実際に作品の映像を見ればよく理解出来ると思います。普通そうだろ、と言われてしまうかも知れないですが、普通は、無視しているのではなく、観客はいないという「振り」なわけです。観客の居る現実の空間から切り離されたイリュージョンの空間にいることを示す約束事(コード)なのです。レイナーの場合、観客と同じ現実の空間にダンサーがいることを示しながら、しかし無視の状態にある、という点が重要なのです、そして、そうだから(レイナーの戦略通り)『トリオA』のダンサーは「不可解」(「なんなん?」と問いたくなるような、添付した30秒ほどの映像でも、感じますね「あなたは何を考えてこんなことしてんの?」とツッコミ入れたくなる感じ!)なのだ、と思います。そうしてイリュージョンを最小にして、目の前の身体が起こすことに付き合っていく「具体的な経験」に注目するようにしていったのです。


 『トリオA』には、よく知られた、ビデオで見られる2つのソロ・バージョンがある。サリー・ベインズは1978年にレイナーの踊る16ミリ・フィルムを制作した。1980年に最初に放送された、公共放送のドキュメンタリー・フィルム『ビヨンド・ザ・メインストリーム』(Brockway 1980)のために、『トリオA』の大部分は、訓練されていないダンサー・フランク・コンヴェルサーノ、ニューヨーク・シティ・バレエのバート・コック、そして長年トワイラ・サープと踊っていたサラ・ラドナーによって、撮影用に、ソロとして上演された。これらのダンサーたちそれぞれが入れ替わるソロ・バージョンを制作するために、彼らのパフォーマンスはその後、ベインズのフィルムからの場面も合わせて編集された。私自身は幸運なことに、レイナーによる演目『トリオA・プレッシャード』を、1999年にジャドソン・メモリアル教会で見ることが出来た。これは、『トリオA』のリヴァイヴァルを含んでおり、まるで1966年の1月にそこで初演されたもののように、パクストンとレイナーというオリジナルのダンサー2人がいて、不在のデヴィッド・ゴードン役でダグラス・ダンがいた。私はまた『トリオA』のホワイト・アーク・プロジェクトのバージョン、6人のダンサーによって上演され、チェンバース・ブラザースの『アット・ミッドナイト・アワー』を音楽伴奏にしたものを見たことがある。『トリオA』は、多年にわたり、様々なパフォーマーによって、様々な組み合わせで上演されてきたのである。レイナーは、どんなひとがどんなひとに『トリオA』を教えてもいいと暗黙の許可を与えている。「私が思い描くのは」と後にレイナーは書いている「自分がポスト・モダンダンスの熱烈な伝道者として、私のエリート主義的創作を不可避的に骨抜きにするショーを、ウィル・ロジャース的慈しみの情をもって見つめながら、大衆に運動をもたらすさまである」(Rainer 1974: 77)。ウィル・ロジャースは、初期映画やヴォードヴィルのコメディアンで、気さくな「クラッカー樽」[20世紀はじめに米国のどこの田舎の食料雑貨店にもあったクラッカーを入れる樽:これを囲んで男たちが世間話に花を咲かせたという(『リーダース英和辞典』)]哲学で知られている。

 『トリオA』を構成する動きの連なりは、フォルティが自分のダンス建築を制作したコンセプチュアルな仕方よりも、むしろ慣習的で断片的な仕方で振り付けされた。先に述べたように、ダンス建築においてフォルティは、個人の審美的な感性を凝らした連なりを進展させるよりも、むしろ動作の個別的なあり方を規定する考えをもって作り始めた。『トリオA』が配役を決められ多年にわたり舞台化された様々な仕方は、しかし、ダンスを審美的に同定するのに不可欠だといわれうる運動が経験出来るどんな方法もないということを、実証した。確かに、それを審美的に同定することは最小化され中立化されたので、行われたどんなパフォーマンスでも、『トリオA』をキャスティングし舞台化するものによるコンセプチュアルな決定こそが『トリオA』をほぼ完全に規定した。

↑このことは、ぼくが思うにそんな特別なことではなくて、まさに誰でも踊ろうと思えば踊れる「振り付け」作品を作ったということなんだと、思うんですよね。ダンサーとダンスが密着していない、故にさまざまなヴァリエーションが可能な(さまざまなコンセプトが盛り込める)振り付けが『トリオA』なのだ、と。

 こうして示したすべての説明からして、『トリオA』は、観賞するのが非常に困難なダンスである。ジャドソン・メモリアル教会で上演された、1966年の最初のバージョンで、レイナーは、スティーヴ・パクストンやデヴィッド・ゴードンとともに、ユニゾンというよりもそれぞれがちょっとずつ異なるタイミングで始めた。「トリオ」という語が示唆するようには、ダンサー間にはどんなインタラクションもなかった。なぜならば、演舞空間でのそれぞれによる横向きのストリップといった状態で、それぞれが動作していたのである。ダンサーたちは空間の右側面で動きだし(観客が見えるように)、徐々に左へと、そして後ろへと、それぞれが水平面の内にあり、一人はもう一人を後ろにして、誰も他人の空間に侵入しなかった。この作品を習得する際に3人のダンサーたちは自分自身の身体の内にその動きを発見していかなければならなかったので、彼らはそれぞれ自分自身の個別的なペースを展開し、それだから、パフォーマンスをする間、互いにたまたま合ったり合わなかったりした。これだから、慣習的な意味で、ダンサーたちが動作を同期させる役を担ってしまうどんな音楽も存在しなかったのである。その代わり、美術アーティストであるアレックス・ヘイ(私は次章で、デボラ・ヘイの作品『ウッド・ゼイ・オア・ウドゥント・ゼイWould They or Wouldn’t They?』での彼のパフォーマンスについて議論するつもりである)は、教会のギャラリーのなかに立ち、薄い木材を一本ずつ落としていった。規則的に凄まじい音を立てて木材は教会の床に落ち、それがこの作品の「音楽」となった(図版3.3)。落ちる木材の積み重ねは、ピーター・ムーアが撮影した『トリオA』の写真の左側に発見される。上に添付した写真の奥に、確かに木材がバラバラ倒れている。これ、面白いなーと思った。「音楽」であるのみならず、「平板化」された振り付けを踊るダンサーの身体と倒れた木材が等価に見えてくる仕掛けでもあるだろう。ところで、この木材とダンサーとの関係は、先日(2008.2)の大橋可也&ダンサーズ公演『明晰の鎖』の、ダンサーたちと巨大な箱との関係となんだかすごく近いものではないか!そこでは、3人全員は、明らかに互いに同期していない。1968年、完成した『心は筋肉』のアンダーソン・シアターでの初日、『トリオA』は再び、衝突する木材の音付きで上演された。今度は舞台脇の梯子の上から落とした。1999年の3人のヴァージョンを見たとき気づいたのは、ユニゾンがないことで、観客として、私が当惑を感じ始めたということ、また、見ることが困難となるような事態を強いられるということだった。「目印landmark」な動きが欠如しているということは、ダンサーの一人が別のダンサーによってすでに見せられた運動のタスクを繰り返しているのだなとときどき分かったとしても、一人のダンサーから別のダンサーへと視点を切り替えたときさらに一層当惑してしまうという怖れを抱かされることを意味していた。これは、ダンスの観客がカニングハムによって教わった作品を見る見方だった。もし『トリオA』をその歴史ないし文脈に関する知識なくひとが迫ったら、ダンスは全然理解出来ないだろうし、きっと故意に、劇場のダンスが慣習的に意味を示してきたほとんどどんな仕方においても理解することを拒んでいると思われるだろう。しかし、まったくありえそうにないのは、ひとがこうしたなかで「つまらない」と『トリオA』を理解したことである。『トリオA』について書いたほとんどどんなひともレイナーの「擬似的概説」ないし「スペクタクルにノーを」を参照していただろう。マルセル・デュシャンの『大ガラス』が分かちがたく制作中に作ったノートやプランをすべて入れた『グリーン・ボックス』と繋がっているように、「擬似的概説」は、分かちがたく『トリオA』と繋がっている(第2章を見よ)。

↑先に引用した2005年のレイナー発言にある「ダンスが調子を変えることなく続いていく」という持続durationが、ここでいわれている「目印landmark」の欠いた状態を指すのでしよう。


 レイナーの「擬似的概説」は、主流の劇場のダンス----バレエ、モダンダンスあるいはブロードウェイ・ミュージカルにおける----が観客に向けて投げかけている暗黙の慣習に『トリオA』はどういう仕方で挑戦し否定しようとしていたのかを明らかにしている。しかし、トリシャ・ブラウンとのデュオ作品『テレイン』が不断に暗黙裏に行われていることを明らかにしたように『トリオA』は規範的に慣習に基礎を置く状態を明らかにしただけではない。『トリオA』が解明して見せたことは、観客が積極的な価値を感じるその条件であった。その積極的な価値とは、削除するかミニマルにするべきとレイナーの考えた慣習的な価値にかわるべきものだった。「擬似的概説」は『トリオA』の見方を観客に語っているわけではない。しかし、直接的にせよ間接的にせよ、レイナーがそこに書き記した知見は、見る者が関わる過程を明示することで、見る者がダンスを読み取るやり方を挑発した。両者を一緒に受け取るなら、『トリオA』と「擬似的概説」とは、それ故、ダンスを見て読み取る経験に関連する際、見る者を自己意識のある主体であるよう位置づける。この自己意識こそ、『トリオA』を見る際に要する努力をどう意識してきたか回想するときに、私が既に述べてきたものである。既に記したように、マイケル・フリードの用語法に従えば、この自己意識はこの作品をシアトリカルにする。なぜならば「それ[シアトリカルな状態]は、観者がリテラリスト[ミニマリストを指すフリードの用語]の作品と出会う際の実際の状況に関連しているのである」(Fried 1969: 125)。「シアトリカリティ:演劇性、劇場性、芝居がかり(わざとらしさ)」については、フリード「芸術と客体性」という論考が重要です。『モダニズムのハードコア』という本に収録されています。また、このあたりの問題については、木村覚「至高の虚構 絵画のシアトリカリティ批判とその行方」(『國學院雑誌』平成19年5月号)に詳しく論じました。が、ネット上でデータ化していないものなので、、、アクセスは難しいですね。フリードが指摘するのは、ロバート・モリスが「彫刻についてのノート」の第1部で述べているように、以前の芸術において作品から受け取るべきものは、厳密に作品の内部に配置されていたのに対して、ミニマル・アートの経験は「「状況のなかにある」オブジェの経験であり、実際の定義に従えば、「観者を含んだ」経験である」(ibid. Fried’s emphasis)。『サイト』と同様『トリオA』は、当時生じていたモダニズムとミニマリズムとの間の理論的な論争の内部に、パフォーマティヴな介入を行った。第1章で論じたように、レイナーは『トリオA』や新しいダンスを、ミニマルのアーティストやコンセプチュアルのアーティストがグリーンバーグやフリードという芸術批評家の視点に抵抗して展開していた理論的なアイディアと緊密に連携させたのだった。

ちょっと込み入った話ですが、モダニストであるフリードとアンチモダニストであるレイナーの思考が重なっているかに見えるポイントが、ここにあります。つまり、レイナーは、次のように「擬似的概説」のなかで、パフォーマーは観客に直面してはならないと、それだけ読むとフリードがレイナーたちアンチモダニストたちを非難するのとさして変わらないかに見える言動をしているのです。「[『トリオA』では]パフォーマンスの問題は、パフォーマーが観客に直面することを決して許さないことによって、とり扱われた。眼差しは逸らされ、また頭の働きは動きにかかりっきりになる。望まれる効果は、展示的な表象というよりもむしろ仕事的な表象なのである。the “problem” of performance was dealt with by never permitting the performers to confront the audience. Either the gaze was averted or the head was engaged in movement. The desired effect was a worklike rather than exhibitionlike presentation. 」(レイナー「擬似的概説」)。
ただし、もちろん両者は異なる方向へと向かっているはずです。引用の最後でレイナーが言っていることがヒントです。

整理すると、
・レイナーにとって、眼差しを逸らすことは(バレエやモダンダンスのような)「展示的exhibitionlikeな表象」ではなく「仕事的worklikeな表象」となる戦略です。「worklike」とはタスクないしタスクライクと直接に連動する言い方でしょう。
・対して、フリードにとって、作品が本質的に観客との直面を含んでいるのが否定されるべきなのは、「作品から受け取るべきものは、厳密に作品の内部に配置されて」(自己の内部で作品が完結していること、作品の自律性)いるべきであるからです。

すると、こう言えると思います。
・レイナーは、シアトリカルな状態前提にした上で(そこはアンチモダニストとして揺るぎないはず)、既存の劇場のダンスのように見る者をイリュージョンによって陶酔させる単に展示的な表象ではなく、見る者をいらだたせ自己意識を喚起する(「オレ今何見てるわけ???」と思わせる)「仕事的な表象」を呈示するために、眼差しを振り付けた。
・フリードは、単にシアトリカルな状態を批判して、アンチシアトリカルな自律した作品のあり方を評価した。
わけです。

結論
→フリードは完結した作品に観者が受容し易くするために、反対にレイナーは観者を混乱させ、そうして自分自身を意識させるために、観客との直面を避けた、わけです。

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