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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ブルー

2005年06月29日 | Weblog
反省するべき事があって、ずーっと切ない気持ちになっていた。自分の思う正しい事は、必ずしも口にすると美しく響かないものだ。切ない。低音でずっと自分を責めている、、、なっ!

明日で前期最後になる講義。さて、すると本格的に超長い論文に取りかかる煉獄的日々に突入だ。

『ファウスト』最新号読む。驚くほど、同じところであらゆる文章が反復運動している。これが、ロマン主義文学論に何かしらリンクしたりするのでは、と思ったりしているのだが、あまり盛り上がるような感じにはならない。むしろでも、その単調な反復に、批評を射しこむひとたちがさまざまいたりするのではあろう、ああ、もうすでに何人かやってますよね。そうだ、どうも彼らの「アイデンティティ」に拘泥している感じに共感が出来ないんだった(舞城の「マンガ」に漂うそれ、とか)。そして、そう思いながら、昨晩カント(KU)研究会で、Tくんと盛り上がったのだった。要するに、中島義道の悪論は、どこまでいっても悪いオレを憂う仕方で、アイデンティティを問う言説(「オレって、、、」と自分の事ばかり論じている類、自己嫌悪することによる自己愛というか、でも、『悪について』まだ読んでません、あしからず)の内部にぬくぬくしている、なんてこと話ながら、ぼく(木村)はそういうのもういやで、社交論とか狡猾な世渡りの美学とでもいえるものを画策しているということで落ち着いたり。「青春の中島に比べ、おとなのぎろんだなー」なんて、半ばからかわれつつ。ぼくとしては、いきいきとした現場を考えたいし、現場を活性化させる思考を考えたいだけなのだ、あ、その思いが過剰になって昨晩は、自爆したのだった。コドモみたいに、コドモのときみたいに。

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