Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

summer breeze (1)

2007年08月21日 | Weblog
久しぶりに更新。といっても写真のみ。8月のブログは毎年滞りがちな気が。講義のシーズンが一段落し、outputよりもinputのモードになるからだろうか。写真は、18日に行った江ノ島水族館のもの。イルカ・ショーは本当によかった。泣きそうになった。

もうアスファルトには蝉が倒れている

2007年08月12日 | Weblog
8/10
group_inouの自主企画「PR Vol. 1」(@UNIT)へ。いやあ、とっても面白かった。いろいろと考えた。YOU TUBE使って、あのときを再現。
にせんねんもんだい
□□□
サイプレス上野とロベルト吉野
Baffalo Daughter
DE DE MOUSE
group_inou

group_inouは歌詞が重要なはずのわりには、ライブでは聞き取りにくくてちょっと残念なんだけれど(クリアに聞こえてればいいというわけでもないが)、CD「foods」を購入したので確認した。「PR」は、そうかこんな歌詞だった。

「蠅の目線から壮大な視点で語る あくびと寝息の混ざる時間 全身タイツのパントマイム 文明の力 てこの原理 本気と書いてマジ それが解く鍵
イエス イエッサー オッス イエス イエッサー オッス イエス イエッサー オッス 脳細胞 ドン 爆発音
ちょっと大きいミニうさぎ ちょっと大きいミニうさぎ ちょっと大きいミニうさぎ 不思議ちゃんは絶対名器

オープンザプライスです この気持ち」

そうか、こりゃ聞き取れなかったと言うより、つながらない言葉の羅列だったわけか。それにしても、いちいち不思議な魅力のあるフレーズだ。「ちょっと大きいミニうさぎ」は聞き取ってました。好きでした。「ちょっと」って良い言葉。「もっとあぶない刑事」より「ちょっとあぶない刑事」の方があぶない気がする。


8/11
東京デスロック『ソラリス』(@アゴラ劇場)を見る。

帰りに、下北沢で広島風お好み焼きの店へ。いつもは行列が出来ているのに、今日は9時頃でお客が誰もいない。店長が「こんなはずはないのに、、、」と嘆いていた。ひとはもうお盆休みに入っている?

8/12
朝、6時台に起きてW。もうアスファルトには蝉が倒れている。数えながら歩く(10匹はいたか)。夏というのははじまったとたんにどんどん終わっていくのだ。ラジオでは、若松孝二の浅間山荘事件を扱った映画の話を森達也と若松とでトークしている。来年の上映だそうで、楽しみ。

午前、ようやく『10+1』の連載原稿を担当編集者Sさんに送る。ほんとに今回は書けなかった。考えすぎだったのだろうけれど、もうほんとに。

午後、nhhmbaseへのインタビューに付き合う。これからレコーディング中の恵比寿へ。楽しみだナー。

BRAINZ

2007年08月08日 | Weblog
告知致します。

HEADZ代表として、また多岐にわたる批評活動において知られている佐々木敦さんが、このたびBRAINZ(ブレインズ)という名の学校(塾?)を開校しました。場所は、渋谷の公園通り沿いにあるHEADZの事務所スペース。「原理的/理論的でありながら、かつ実践的でもある「サブカルチャーの訓練場」を目指します」と佐々木さんが言うように、専門学校でも、カルチャー・スクールでもない、インディペンデントな仕方で未来のカルチャーシーンを生み出そうとする一大イベント=事件です。

ぼくもBRAINZの講師を務めることになりました。「フィジカル・アート・セオリー入門」と題した、九月から月に一回(毎回金曜日)、一月までの計五回のプログラムです。ダンスという枠に囚われず(中心的な課題にはなるでしょう、とはいえ)、シアター的アプローチ、身体を用いた表現をめぐる可能性と不可能性をとことん、考え尽くしてみたいと思っています。今年二月に行った「超詳解!20世紀ダンス入門」からさらに進化+深化したものになるでしょう。

詳しくは、BRAINZのHPを参照してください!ダンサー(振付家)の方、役者(演出家)の方、美術系あるいは音楽系パフォーマーの方、それらの批評家(志望)ないし観客の方、その他身体をめぐる問題に興味のあるすべての方、お申し込みお待ちしています!!体を使うワークショップは盛んですが、頭を使って体へアプローチするワークショップはここだけですよっ(きっと)。

BRAINZでの講義に関する構想は逐一このブログなどを使って報告致します。よろしくです!

8/7
砂山典子『First-Class Barbarian』(@神楽坂die pratze)を見る。帰りに、神楽坂の広島風お好み焼きの店に行く。

テンションという物語

2007年08月07日 | Weblog
8/6
昭和な感じに映ってますが、写真は先日地引き網に行ったときのもの。一時間以上網をひっぱったあげくがこれかよって、失望の表情が切なくも可笑しい。

昨日、ジョギングを夕方にしたせいか、朝起きられず。早朝W+Rは次第に夕焼けW+Rになりつつある。朝は7時台でもう随分暑いのだ。昨日のは4キロくらいWなしでRし続けた。J-WAVEでピストン西沢のDJプレイを聴きながら。トークは笑わずにはいられないので、Rには不向き。笑いながらRできないよ。いや、どうだろう、そういえば、中学時代陸上部だった頃、ジョグの間中ギャハハ笑いながらしりとりをしていたのだった。語尾を「ま」とか「ち」とかに徹底的に絞って次の人に卑猥な単語を言わせようとしていたりして。「ま責め」とか「ち責め」と呼んでいた(くだらないっ)。

この数日、ダンスの公演がいくつかあったはずだが、いかず、いけず。

古川日出男「ハル、ハル、ハル」(『ハル、ハル、ハル』所収)を読んだ。

13才(♂)、16才(♀)、41才(♂)の名前に「ハル」が入っている3人がひょんなことからタクシーをジャックして銚子は犬吠埼へ向かうというお話。60頁強のそれほど長くない小説中で何度も出てくるのは「この物語はきみが読んできた全部の物語の続編だ」(これは小説の冒頭)といったフレーズ。「続編」なのだから(大きな、あるいは全部の)物語の失効というよりはその継続なのではあろう。冒頭には続けて「いいか、もしも物語がこの現実ってやつを写し出すとしたら。かりにそうだとしたら。そこには種別(ジャンル)なんてないんだよ」とある。それならば「現実」を写し出すことがこの全部の物語が語られた後の「続編」が目指すべきことなのだろう。

全てが語られた後の物語が現実を写す物語であろうとしている、というのはぼくとしては何やら興味が惹かれてしまうわけで、さて、と読むと、この物語には「現実」という言葉をあえて用いるほどのノイズ(軋轢)はなく、むしろたまたま合った3人の名に共通に「ハル」が隠れていることなどを筆頭とする「ひょんなこと」=ご都合主義的展開が待っているのだったりする。不調和な衝突よりもここにあるのは、ひょいひょいことがすすんでいく調和的展開、なのだけれど、そこにあるのは確かにもう物語という言葉が抱えている「変化」「成長」のごときものではなく、ただの高まったテンション、高揚感とでもいうべきものであり、それしかないのだ。古川の小説は、このテンションを物語とする。主人公の成長とか変化とかではなく、ただ高まって(そしていつか静まって)いくもの、それが小説となっている。16才のハル姉が13才晴臣に合ったとき、こんな話をする。

いい?健全な絶望は健全な肉体に宿るの。そして健全な絶望っていうのは絶望しないことなの。かわりに何をするかは知っているわね?
絶叫?
晴臣は声に出さずに問う。
あたしはまあ絶叫したりねと三葉瑠(ハル姉)は言う。それから踊るね。たっぷり踊るの。

この絶叫=テンションこそ、古川の物語なのだ。だいたい「ハル、ハル、ハル」ってタイトル、テンションそのものだ。犬吠埼に行くというのも、ようは犬の吠える岬へ行く(叫ぶ)ためなのだ。テンションしか信じる物語がないという感覚、テンションだけがリアルという感覚。最近ぼくが気になったのもそんな人たちだった、と思い返す、岩渕貞太(ダンス)とか小指値(演劇)とか。

手塚夏子『人間ラジオ』(@神楽坂die pratze)など

2007年08月02日 | Weblog
7/31
泉太郎『ゲーム台(倉)』
手塚夏子『人間ラジオ』
感想は後日。泉さんはひとつ気になったことがあるが、それでも、やはりとても面白かった。手塚は、もうどこまでも展開していく彼女の「速さ」に驚く。これだけ短い間にどんどん方法的に新しいことへとチャレンジする精力的なダンサーはこれまでいただろうか。すごすぎて、Aは気分が悪くなっていた。そう、ほとんどホラーなのだ。一番似ていると思ってしまうのは、映画『リング』に出てくる見てはいけないビデオの画像(?)。

8/1
4月以降の疲れが出てたのか、親知らずと口内炎がひどく痛み、歯医者へ。あとスポーツ・マッサージへ。
ちょっと状態が良くなり、夕暮れてからWalking(ほとんど強迫症)。新百合ヶ丘にある音楽大学の脇を歩きすぎる。「のだめ」っぽい雰囲気を横目に。
ぼくの住んでいるところが特殊なのか、最近、日本人の体型が「小錦」化してきている気がしてしようがない。いや、ほんと多いのだ。それは、気温上昇傾向(温暖化)と何らか関係があるのか、、、などとぶつぶつ考えながら、ふっくらした老若男女をチラ見する。ポリネシアン、ミクロネシアン、コニタン。

8/2
朝、雨の中W。
多摩美で仕事。雑誌の陳列棚が、鰻の寝床みたいなうねうねとした机になっていて(分かりづらい?)楽しくしばらく遊ぶ。『現代のエスプリ』(475)の特集、構成構造主義なるものについて読む。新しいのか当たり前なのか分かりかねる。『d/SIGN』の最新号がロボット特集。大澤真幸の論考はいつものような感じではあるが、読み応え有り。でも、ほとんどカント(の「啓蒙とは何か」)。近年、ますますカント再評価が高まっているのだ。『芸術新潮』の特集「正直な住宅」は写真が良くてぼんやり読みふけってしまった。
数年来ファンだった相手と話をしてきたAとともに近所の廻る寿司へ。込んでいた。子ども連れが多いが、母親の金髪度がことのほか高い。というかほぼ100%。向いに座った若い親子四人の、母親と父親があまりに似ているので、Aと2人で妄想がふくらむ。