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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

雑感

2010年12月18日 | I日記
昨日は、朝九時半から夜の八時過ぎまで、しゃべりつづけた。
午後に二つの講義を挟んで、その前後にひたすら卒論の面接をした。十人以上の学生と三十分ずつは話したろう。最後は、舌と脳がまったくまわらなくなった。
あとは、ハプニングなくちゃんと提出してもらえたら。
本当は、それぞれの論文に対して残念な気持ちがある。もう少し、こうすることが出来たんじゃないかとか、不甲斐ない思いがしゃべりつづけからっぽになった自分のなかに充満する。ふー。
学生は、提出できたらそれでいいんだろうなー。それでも、それぞれの論文にちょこちょこ輝くところがある。そこに着目すれば、嬉しい気持ちにもなれる。

こんな感じの師走をぼくはしばらく送るのかな。退職の68才までこれやるのか、それはよくからないけど(大学が少子化のなかでどうなって行くのかも分からない、楽観はできない)。ぼくの人生は、大学で研究したり教えてりすることであといいのか。あまりいいような気がしないので、こんなこと書くのだろう。

一昨日は、午前に演習の授業を終えた足で、神戸に向かった。妻の祖父を見送るため。5時頃着くと祖母にもお会いできた。そのことがたまらなく嬉しかった。一時間ほど過ごすと、すぐにまた電車に乗って、帰路へ。こうやって、関東からはなれると、関東のひとの暮らしぶりがなんだかぎすぎすしていると感じてしまう。女子学生の佇まいとか、違うなと思う。関東あるいは東京をベースに日本人のことを考えるのはちょっと間違いを起こすことになりはしないかなんて思ってしまう。

文フリが終わって2週間近く経つ。ぼくは「KAT」という雑誌を学生たちと一緒に作ってみているけれど、そのことはそれなりに意味のあることではないかと思っていて、でも、あまりそのことに気づいてくれる人はいない。一本の記事(インタビュー)は、発売直前に没なってしまった。直接の理由はそうじゃなかったけれど、おそらくこの雑誌の「格」に対する反応なのだろうと思わされた。芸術の現場には多くの女性たちがいるのだけれど、また芸術を愛しているひとにも女性が多くいるはずなのだけれど、必ずしも芸術の現場は女性に優しくない。「KAT」を作ったメンバーの多くは、演劇やダンスや音楽やオタク系文化の優秀なユーザーで、彼女たちがどんな思いで芸術に触れているのかということは、それなりに知ってメリットのある情報だと思うのだけれど、あまり興味を世間はもってくれていない。女性×批評というテーマを出来たらいまのKATメンバーで展開してみたい。イベントを行うとか(「アラザル女子会」さんと協働してとか)、あるといいと思うのだが、なにぶんこればっかりは、彼女たちがその気にならない限りは、なにも動かないだろう。ほくがひとり盛り上がって見せても、無理矢理彼女たちをけしかけても、そんなのは意味がない。いま、芸術の分野でなにが不足しているって、「女性」についてちゃんと考えることではないだろうか。そのことをでも考えている人にあったことがない。基本的に芸術の現場はきわめてマッチョだと思う。それでも、ある瞬間、堰を切ったようにそのことはきっとはじまるだろう。予想だにできなかった仕方で、それは起こるだろう。でも、な、KATメンバーはいまリクルートスーツを着て就活をはじめた。なかなか、そういう意味でも、誘いにくい。ちょっと切ない。二年前だったら、早くても、就活にはいるのは後期の講義が終わってからだったはず。異常だ。学習や好奇心を育む余裕を企業は学生から奪っている。なぜそれがゆるされているのか分からない。

と、ひねたことを書きましたが、「KAT」「KAT vol. 2」ぜひ、ご一読を。近々通販でご購入できるよう検討しています。

同性集団を愛する異性

2010年11月08日 | I日記
演習で学生とAKB48の「ヘビーローテーション」を見ていた。この作品を通して、見る/見られる関係あるいは、見せる/見せられる関係を考えるとしたら、どんなことがいえるのかがテーマ。すると、かなりいろいろな議論か出てきた最後に、「ぼくは同性集団のいちゃいちゃに圧倒させられて、あまり気分がよくない」と告白したところ、学生から「先生のその感想はOLDだ!」との批判が出た。「OLD」と呼ばれたショックはそれとして、「そうかじゃあ、NEW TYPEは?」ときくと「「けいおん!」ににやにやするようなオトコ」というのがそれだ、という話が出てきた。

そうか、いまや単体の異性を単体で愛する類の物語よりも、異性の集団がわいわいやっているのを、旗から眺めるみたいなのが受けているわけだ。

ということで、あらためて「けいおん!」みてみると「なるほど」と思わされるし、以前からAと気になってみていた「ストライク・ウイッチーズ」も、同性の集団がわいわいやっている物語。

もちろん、このことは、AKB人気のみならず、少女時代、KARAなどのK-POP人気について考えるべきポイントを示唆しているだろう。

なぜ、単体のアイドルはさっぱりで、集団だとオッケーなのか?

まだ、女性が男性を見る場合では、単体もオッケーになっているかもしれない。い、いやそうかな?ジャニーズはもちろんのこと、いろいろなところで集団受けに出会う。その総本山は、BLということになろう。

ひとりを愛することの難しさ。集団を愛でることの気安さ。






untitled

2010年10月17日 | I日記
岩渕貞太ソロ・パフォーマンス「untitled」を昨日見た(10/16@STスポット)。

ぼくは岩渕作品を正確に語る言葉をもっていない。

見ていながら自分がうまく目の前の光景とつきあえていないと思い、その気持ちのまま終演してしまった。以前もそういう感じがあった。

ぼくだけがそうだったらいいのだが。
「岩渕言語」が理解できる者にはちゃんと理解できるのならばいいのだが。

ダンスを見ていると、ときどき、はじめて接する外国語を聞いているような気持ちにさせられることがある。意味が分からない。けれども、見ている側はどうにか接点を求めようとして、この響きはなんだか好きだなとか、迫力のある声だとかみたいにして、分からないなりに理解可能な何かに変換できるところを探して、楽しみを見つける。それで作品に接したことになるのか分からないけれど、自分としてはこの印象を持って帰ろう、そうするしかない、という曖昧な思いで帰路につく。ダンス作品を見るたび、ぼくはこんなことばかりこのブログに書いてきたのかもしれない。ダンスの公演に少ないながらもそれなりの人数の観客が足を運んでいる、現状そうである限り、ぼくこそが少数派なのだ、と最近は思うようにしている。ぼくのダンス公演とのつきあいは、以前ほど「まんべんなく」という感じではなく「ぽつぽつ」になってきている。

いや、大谷さんの音楽はなかなか素晴らしかったと思うし、岩渕くんの鍛え上げられた肉体、端整な顔立ち、眼の美しさ純粋さ、奇妙な衣装、シルバーに統一された空間などひきつけられるところはいくつかあった、ダンスでもこんがらがった紐がほどけるような解放感を感じさせる瞬間などは見所だった。強く激しく真っ直ぐな岩渕の肉体は、それ自体面白いとも言える。

でもぼくにはなにをしているのかがよく分からない。ほとんど恥ずかしい気持ちで正直に言うのだが、よく分からないのだ。ダンサーだったら、なにに立ち向かっているのか(そこで試みられている課題はなになのか)分かるのだろうか。

ぼくと大谷さんはある時期よく「記録された身体」というテーマについて、もっと振付家の試みがあったらいいのに、と話していた。もちろん、それはいまでも思っている。20世紀の芸術が試みたある種共通のテーマだった。ダンスにおいてそれがどう試みられるべきかという課題は、自分でもよく考えるし、そうした課題に関わる作品があれば見たいと思っている。

端的に言えば、いまぼくは「未知のもの」へ向かう表現よりも「既知のもの」を利用した表現に興味がある。「未知のもの」へ向かう探究というのは、どんどん難解になっていく傾向がある。その難解さに意味があるのか、そこで生じているものが過渡的であるならば、いずれそれがするりと分かりやすいものへと変化し、なるほどそういうことだったのね、となるかもしれない。だといいけれど、難解さそれ自体に意味はない。しばしば難解さは「難解だなこりゃ」というある種の不快感を観客に催させる信号としてしか機能しない。

大谷さんの音楽などそういう意味ではきわめて分かりやすかった。例えば冒頭のノイズ。「鉢に球を入れて回し、ごりごりと音を立てている」なんて状況ははっきり分かるし、その音は、聴く者の記憶のあれこれを引き出し、そうして観客の関係をつくりだしていた。具体音を重ねつつも、構造が読みとれ、リズムも感じられ、素材の割にポップとさえいえるものだった。

けれども、ここまで書いてきて、ああそうかと思うのは、岩渕くんはきっと、そうした観客との関係にはあまり興味がないのかもしれないということで、彼の目指していることを昨日の感想をもとに仮に言ってみるなら「奇妙な踊る彫刻になること」なのではないか。この世の中にあって徹底的に浮いた存在としての奇妙な、踊っている彫刻。そうした彫刻を彫り上げる目標の最中にあって、ぼくの考えていることなんていうのは不純なアイディアに過ぎないのかもしれない。

仮にそうだとすれば、室伏鴻もそんなことを考えているダンサーかもしれない。室伏だったら、独特な奇声を伴う呼吸音や不意打ちのリズムをつくるだろうところで、岩渕は淡々とある一定のテンポで動き続けるのだなと思ったところがあった。その一定のテンポが気になった。観客をダイナミックに自分の世界に引き寄せるのではないやり方をあえてとっているのだとすれば、、、そうしたポイントから、岩渕のダンスとぼくは接点をもつことができるのかもしれない。

Corinne Baily Rae

2010年10月10日 | I日記
昨日は、久しぶりに林さんとお話しをして、もちろん研究者として素晴らしい人物でいらっしゃるのはそうなんだけれど、ポップスにも詳しくて、レミオロメンの「粉雪」は構成が不思議でいいとか、いきものがかりは最初よかったとか、そんな話題が出てきて驚かされたのだった。で、とくに共感したのは、コリーヌ・ベイリー・レイいいよねという話で、ぼくはたまたま数ヶ月前にラジオでこの曲を聴いて、「すごい」と思ったのがはじまりだった(横山剣が紹介していた)。この曲もとてもいい。

Like a Star

大学の学生の何人かはこのブログを読んでくれているらしいのですが、ときどきはそんな読み手に向けて、どうですか?


I日記
先週の日曜日は、府中市美術館にて行われた快快のパフォーマンスに、Iとぼくとで車で出かけた。はじめての男二人旅(大袈裟?)。片道三十分くらいのドライブの後半は、行きも帰りもIはぐしょ泣きでになってしまいかわいそうだったけれど、いろいろなところにでかけた方がいいので、その点ではよかったかも。快快のパフォーマンスは、小沢剛のワークショップの一環で行われたもので、小沢が小さなスペースの壁にものを並べ、その壁に縦長のカラフルなバーが横に流れてゆく。快快メンバーは、バーがものの上に来るとそのものの色とかものの名前とかを声に出す。そんなアイディアを中心に構成された小品で、何人かのメンバーがその声を出すプレイヤーになって行われた。目に見えるものの名をひたすら口にするなんてのは、篠田の「アントン、猫、クリ」で見られたアイディアに通じていて、ちょっと面白い。ただ、「アントン」はあらかじめ脚本にあった「雨、雨、雨、雨」なんてセリフを口にするものだったけれど、今回のは、即興的に、バーとものが重なった瞬間に声が出るといったものだった。「シンプルな名詞の連呼ってそれだけでちょっと面白いけど、なぜ?」って思った。KATメンバーも3人見に来ていて、しばらくおしゃべり。イクメンな姿を見られてしまった。




I日記

2010年09月27日 | I日記
今日は大学、午後、自分の研究とは関係のない論文を読み続けている。午前中は、この1年くらいの「CanCam」の変遷について雑誌を分析していた。すごいです。今月のコーディネイトのページでは、主人公の女の子は、会社が外資にのっとられてしまいました!にもかかわらず、さすがCanCamガール、上司に気に入られ見事キャリアアップに成功してます。その後、ついでに「S Cawaii!」の最新号も読んだのだけれど、10周年の特集号、最初期のあの輝くような異質性はもうなくなっていて「ゆるエロ」がいまは「ゆるカジ」になって、いまのキーワードは「大人め」。なんだか、この10年の間にどんどん力を失っていった日本をそのまま映したみたいだ、なんて思ってしまった。CanCamが呈示するようなハッピー・パワーは、いまとても貴重だな。最近、こうしたこととかもまた、学生に不人気だということもあり、一層「CanCam」を応援したい気持ちになってしまう。

Iが大人になる20年後は、この国はどうなっているのだろう。

そうとうタフじゃないと。

Iは最近、夜泣きがはげしい。「夜泣き」といっても、涙を流して泣くというよりは、「遠吠え」にちょっと似ていて、ともかく大きな声を「あーあー」と出して際限がない。妻によれば、それは新しいことを覚えるときに出るらしく、脳が新しい段階に自分をアップデートする音なのかもしれない。赤ちゃんらしい「ばーぶー」みたいな声が出るようになってきた。とてもかわいい。寒くなり、暖かくするのに着ぐるみみたいなもこもこしたものを着るようになって、これまたかわいい。指でモノをはじくのがとても上手。離乳食にがっつくようになった。最近、新宿で託児所に預けたら、「もう少し、人前に出すようにして下さい」と保母さんに怒られてしまった。甘えん坊の内弁慶。人見知りもそろそろか。

8月26日(木)のつぶやき

2010年08月27日 | I日記
09:41 from web
恵比寿で見逃した森村泰昌、昨日豊田市美術館で見た。キェルケゴール=ドゥルーズ(ガタリ)を読んでいる体には、かなりのインパクトだった。実存哲学としての森村作品。一部と二部が「男になる」と「女になる」に分かれているんだけれど、男になる方がずっと面白いのはなぜなんだろう。
by kmrsato on Twitter

8月25日(水)のつぶやき

2010年08月26日 | I日記
00:51 from Keitai Web
「森の奥」は、もちろん基本的にはすごい面白かったのだ、けど「人間との会話がスムース」=リアルなのか「人間との会話がたどたどしい」=リアルなのかが学生との会話で問題となった
08:20 from Keitai Web
喫茶店をはしご。淺井くんのカップでコーヒー。クラウンからコメダへ。名古屋の喫茶店文化にはいつも驚く。仕事前のくつろぎの時間を楽しむ余裕が、かっこいいなー
08:23 from Keitai Web
今日は名古屋市美術館→豊田市美術館。
13:42 from Keitai Web
いま豊田市歩いてる。暑い~学生はふらふら
19:08 from Keitai Web
あいちは「性能」問題に溢れてた。平田の「ロボット」しかり、山本高之の「子供」しかり、魚をさばける島の「漁師」(島袋)しかり。
19:11 from Keitai Web
それにしても出に会いたい。こんなに長く離れて暮らしたことなかった~。四日目。
by kmrsato on Twitter

8月24日(火)のつぶやき

2010年08月25日 | I日記
11:50 from Keitai Web
いまあいちトリエンナーレに来ています。
11:52 from Keitai Web
今日と明日。久しぶりにツイッター使ってレポートみたいなことします。
14:21 from Keitai Web
いま「いば昇」。ひつまぶし待ちです。
15:29 from Keitai Web
二度目のいばはやっぱり美味。名古屋めしはぐちゃぐちゃカオス
15:30 from Keitai Web
いまから長者町会場へ!にしても暑い?
16:45 from Keitai Web
山本高之の子供にじごくの景色をつくらせたり歌を歌わせる作品はおもしろい
16:48 from Keitai Web
アウトサイダーとアーティストの中間的存在としての子供
16:54 from Keitai Web
山本いま暫定一位
ジンミ・ユーンもちょっとよかった。
18:17 from Keitai Web
長者町が面白い。芸術文化センターより。ピップ&ポップに学生たち夢中です。「死んじゃう!」と
18:27 from Keitai Web
ピップ&ポップは中央広小路ビル。そしてこれから平田オリザ。学生たちねるなよ~
by kmrsato on Twitter

I日記

2010年06月09日 | I日記
artscapeのレビュー/プレビューがアップされました。

いま十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』を読んでいます。読んでいる途中ですが、Iのことを考えるのに役に立ちそうなところを抜粋します。

「さて、ここで自己システムと社会システムとの関係を考える上で参考となる一つの情景を想定してみることにする。それは、乳児が両親のコミュニケーションを傍らで聞いているといった、どこの家庭でも見られるごくありふれた光景である。そこでは両親は会話をする一方でときどき乳児にも話しかける。しかし乳児にとって両親の言葉はコミュニケーションとして機能しているのではなく、単に音を聞いているに過ぎない。つまりこの場面において、コミュニケーションは乳児の外部で作動していて、乳児はここで形成されているコミュニケーション・システム、言い換えれば社会システムの外に位置している。このような状況から、自らがコミュニケーションを生みだし、コミュニケーションの連鎖を形成する状況へと移行することが、乳児の自己システムが社会システムと交差するということである。それがどのようになされるかということがここでの問いになる。」(十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』p. 74)

「このようなシステム論的な観点から、フロイトのエディプス・コンプレクスの構想を改めて捉え直すならば、エディプスとは自己システムと社会システムがカップリングを形成(および調整)していく過程で生じる自己システム内の作動上の変化だと再定義することができる。」(p. 76)

「フロイトのエディプス・コンプレクスは、両親に対する欲動水準の葛藤が、三歳から五歳までの性器的段階にある子供に起こることだが、クラインはその同じ葛藤が生後六ヶ月の乳児の心的世界においてすでに起きていることを見出した。これが彼女が早期エディプスと名づけた状況である。」(p. 77)

「早期エディプスは、クラインが児童のプレイ・セラピーから得た着想であり、彼女は零歳児が抱く空想を視覚的な形で鮮やかに示している。生後三、四ヶ月の乳児は、母親の身体の中に(赤ん坊やミルクなどの)宝物が満ちていることを妬み、母親に攻撃性を向ける。この攻撃性は生後六ヶ月からの離乳期にピークに達するが、この時期のフラストレーションを、乳児は母親の内部にあるペニスに口唇的欲求を向けることによって解消しようとする。これがクラインが描くエディプス状況である。」(p. 78)

I日記

2010年06月06日 | I日記
いまぼくは片手でこれを書いてます。左腕にIが寝ているからです。

とても不思議なことだけれども、そしてちょっと恥ずかしいことでもあるかもしれないけれど、ぼくは、Iがぼくに似ているのではなくてぼくがIに似ているのではないかという思いにとりつかれている。Iのなかに自分を見るのではなく(探すとしたら自分のというより妻の面影だったりする、いや、一番やってしまっているのは父の面影探しだ)、自分のなかにIを探してしまう。なにをしているんでしょうぼくは。Iが言語を話すようになったらぼくは「父」をやることになるだろう。その手前の不思議な時間。

Iはともかくダンスや歌が好きだ。乳児に共通のことなのだろうか。昨日は、朝、『シェルブールの雨傘』を一緒に見た。ギャハハ笑っていた。

昨日は、外出日。大学での仕事を四時頃終えると、夕方には國學院大學の常勤・非常勤の親睦会に出て、さらに夜にドイツの大学で舞踊論の博士論文を提出した旧友と渋谷のカフェ・アプレミディ(久しぶりに行ったら座席数が増えていてその分賑やかに、若干猥雑になっていた)でおしゃべりした。

I日記

2010年06月03日 | I日記
「幼年時代やその他あれこれの思い出からは、どこか買い占められていない感じ、したがって道をはずれているという感じがあふれてくるが、私はそれこそが世にもゆたかなことだと考えている。「真の人生」にいちばん近いものは、たぶん幼年時代である。幼年時代をすぎてしまうと、人間は自分の通行証のほかに、せいぜい幾枚かの優待券をしか自由に使えなくなる。ところが幼年時代には、偶然にたよらずに自分自身を効果的に所有することのために、すべてが一致協力していたのである。シュルレアリスムのおかげで、そのような好機がふたたびおとずれるかに思われる。」(ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』岩波文庫、pp.71-72)

I日記

2010年05月30日 | I日記
昨日(5/29)、渋谷のライブハウスで聞いていたあるバンドの歌の中に、「春の風が吹いて~」みたいな歌詞があって、そのときに不意に思ったのは、Iはいままさに春の風に外に出れば吹かれているわけだけれど、それを「春の風」などとIは言語化できないということで、またそれはなんていいことなんだろうということだった。人間になる予定のまだ文明化されていない動物。ぼくは彼といる時間と芸術的な表現を見に行く時間とどちらをとるか悩む。文明化されていない人間の魅力と文明化されてしまった人間が文明と闘っている状態の魅力との勝負。最近は、週一回主に土曜日に、出かけるのを集約してしまっている。すると、自ずとこの時間にこっちとそっちどれを見るかという選択にも迫られたりする。昨日は、「空き地」を断念することになった。

昨日は、なかなか濃密な一日だった。2時から、高橋コレクション日比谷にて行われた会田誠と遠藤一郎とのトークイベントを聞き、その後、銀座の画廊を少し回ろうとしたが、資生堂ギャラリーをひとつ見た後で外苑前に向かってワタリウム美術館の落合多武の展覧会を見た。渋谷に移動して、HEADZ15周年アニバーサリーイベントの2日目を見た。ぼくは遠藤一郎という作家に特殊な期待を抱いていて、それはひとつには『Review House 02』に掲載された拙論「彼らは「日本・現代・美術」ではない」で書いたのだけれど、そして、そこでは会田と遠藤がいかに違うのかということを書いたのだけれど、そこに書いた以上の何か説明の難しい気持ちというものをぼくは彼にもっている。それをあわてて明らかにする必要なんかないと思ったりもするけれど、ほふく前進イベントで感じたことを中心に近々ぼくなりの遠藤一郎論を書いてみたいという思いは強い。落合多武は、2階が建築物という人間の行いをドローイングという方法で描き横一列にえんえんとに並べていて、人間の営為と手で書くこととの絡みが面白く、3階に行くと今度は無意識と意識の問題が明確に出てきて、とくに熱帯雨林を目をつぶって描いたという何十枚ものドローイングにまさにその無意識的なものと意識的なものの交差を感じ、4階では、自然と人為という事柄へと焦点が絞られていた。ちょっと思ったけどあっという間に忘れてしまい消えてしまうものを、それこそを捉まえたい捉まえるべきだという作家の意志を感じた。それって、メモとかノートとかブログとかTwitterとかそうしたものに近いなと思わされた。

Iの話に戻ると、Iは多分今のこの時期を将来思い出せないだろう。非言語的なときのことを言語的になってしまってからのぼくたちは思い出せないそうだ。ちなみにぼくは全然思い出せない。そうであるにもかかわらず、ぼくたちは非言語的だった時代を糧にして生きるのだそうで、ぼくがときどきIを見ながら胸が苦しくなるのは、そうした決して思い出せないが思い出したい何かの面影をしているからなのかもしれない。

I日記

2010年05月23日 | I日記
「妻がもだえ苦しんでいるのを見て、ジョルジュは見ていられなくなり、納屋に逃げてしまった。カトリーヌがそこにやって来て、娘が生まれたと告げた。ジョルジュは気が狂ったように階段を降りてウージェニーのベッドに駆け寄ると、彼女にキスを浴びせた。それから、ゆりかごに寝ている赤ん坊を奪い取ると、高く掲げて言った。

「これこそ魔術だ、創造だ!」

彼は何日間も赤ん坊を眺めて過ごした。赤ん坊が少しずつ世の中に慣れてくる様子を見ていると、飽きることがなかった。」(マドレーヌ・マルテット=メリエス『魔術師メリエス』p. 105)

ぼくもIと一緒の時間に飽くことがない。新しいテーマで勉強をはじめて、読みたいものはたまっているのだけれど、とはいえIとの時間も欲しい。となると、これまではさほどそう思わなかった諸々の用事がとても面倒に思えてくる。水曜日は、午前に横浜である会議で選考委員を務め、とんぼ返りで原宿に行くとチェルフィッチュの最終日公演を鑑賞し、その後、ひとつミーティングをした。こうして、詰めることをよくするようになった。なるべく家にいたいのだ。

といって、いまは日曜日なのに大学にいる。大学は閑散として、平日のにぎやかさは皆無。こんな時間もいい。ラジオが友だち。山下達郎の番組は聴く度に、これをエアチェックしないで人間としていいのか!などと思わされるので、あまりに思わされるので聴かなくなったりする時期もあるが、聴けばやっぱりいい。今日は、妻の旧友さんたちがお子さんを連れて来て、家で遊ぶのだという。誘われたが断ってしまった。

Iは最近よくぐずる。とてもよく泣く、そして激しく泣く。いやなことがどんどん増えているみたいだ。わがままともいえるが、赤子のわがままは怒れない。ようやく「我」が出てきたのだ。これをむしっちゃいけない。木曜日に行った3ヶ月検診ではダントツトップで泣きまくっていたらしい。周りを鼓舞していたらしい。その割に、妻がガイダンスを聞いている間は、Iはまるで自分がインストラクターであるかのように、ずっと「うわうわ」としゃべっていたらしい。起きているときは、泣いているかしゃべっているかだ、確かに。親に似たらしい。

首がすわってきたので、「たかいたかい」が出来るようになったので、盛んにやる。きゃほきゃほいって笑う。「たかいたかい」は、大人にはしない、されたら怒るだろう。ってことは、大人の「たかいたかい」は自分が自分にするものなのだろう。人にされちゃかなわんものなのだ。

I日記

2010年05月17日 | I日記
昨日は、先週同様、Iとぼくと2人きりで昼間を過ごした。今回はひとつの試みをした。妻は母乳を搾乳し(育児がはじまってから、ひとにも搾乳という行為があり、例えば搾乳器というものが売られていることを知った)、冷蔵庫で5回分くらい溜めてくれたのだった。粉ミルクは受けつけないが、ほ乳瓶は大丈夫という判断だった。実際、試したらIはほ乳瓶越しの母乳をごくごくと飲んでいた、数日前のこと。

しかし、昨日は飲まなかった。断固とした拒否だった。7:30頃に母乳をもらい、妻が出かけてから、3時間が経ち、5時間が経っても、絶対に飲まなかった。口に含ませてみる、ちくびの部分に母乳をつけてそれで口に寄せる、いろいろやってもダメだった。こうなったら妻の帰りをひたすら待つしかない。夕方は、延々と廊下を行ったり来たり、自宅散歩をした。Iの機嫌は、夕方に不思議なくらいよくなって、妻が帰ってきたときには、にこーっと笑顔で迎えた。

こちらは、なかなか必死の思いである。妻が最近歌っているトトロの歌とか、ポニョの歌とか、トーマスの歌とか、You Tubeで流しながら、不安を減らしてやろうとする。と、「あるこー」とトトロの冒頭の曲を流したら、それまで笑っていたのが大泣きをはじめてしまった。妻を思い出したのだろうか、妻を思い出せると安心するけど妻がいないという事実を感じるまで妻の存在に近づくと逆に不安になってしまう。難しい。ところで、ミルクが飲めない状況というのはどういうものなのだろう。例えば、自分が8時間飲まず食わずでいろと突然いわれたら、そうとう気が動転するだろう。それも、赤ちゃんには、あと1時間待っていれば、事態は好転するなどという事情を説明することは出来ない。だから待つということが、うまく出来ない。延々に待っているともいえるし、そんなものを待っている状態とはいえない、ともいえる。赤ちゃんは、だから基本的にゆううつをかかえた存在だ。哀しみを生きている。

けれども、なんという笑顔だろう。なんだかずっと笑っている。全身で笑って、身をよじって体をぶつけて、泣いたりそれでも笑っていたりする。手のにぎりがとても強くなってきた。手が次第に意志をもってきた。そう「意志」が生まれてきたのだ。ほ乳瓶の断固拒否も人間への一段階なんだ。

土曜日に、田村一行(壺中天)「オママゴト」と大橋可也&ダンサーズ「春の祭典」を見た。

I日記

2010年05月09日 | I日記
今朝、妻が仕事に出かけるときには、こんなことになるとは思っていなかった。ぐずりがちだったのは確かにそうなのだ、九時前くらいに一回つくったミルクをIは口にするのを拒んだときには、だからまあそんな気分なんだろうなと思って、最近は、三時間おきくらいだという出がけに妻がいっていた授乳間隔の話も思い出して、あまり心配していなかった。けれども、十時、十一時になっても飲まない。つくって捨てた回数が4回目になったころ、これはさすがに問題だろうと思って、妻の仕事先に電話をかけた。Iは、なんど口に差し込んでも、粉ミルクあるいは人工の乳首を拒んだ。えんえん泣いて、ちょっとだけなめて、確信して、徹底的に否定した。のど乾いてるだろうに、おなかすいているだろうにと思っても、飲んでくれなければこちらの出来ることはない。GW前くらいから、ぼくがひとりでIを見る日はなかった。久しぶりの親子2人、そして久しぶりの粉ミルクだった。もうIにとって授乳は、たんなる栄養補給ではなくなっていた。お母さんとのスキンシップ、愛情の確認行為を含むものになっていた。他のことならば大丈夫でも、男親にはこれが出来ない。イクメンのゆううつ。なかなかの悲しさである。つらいだろうに、飲めない苦しさのなかでも、ときどき一緒に遊んで笑ってくれたりするのがまた切ない。ぼくの人差し指の曲がった第二関節を嘗め始めたときには、涙腺がゆるゆるした。