Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ヒッチコック

2009年12月30日 | Weblog
「アメリカでは、彼[ヒッチコック]はラブシーンをまるで殺人のシーンのように撮ってみせるということで評価されていますが、わたしたち[フランス人]は、彼が殺人のシーンをまるでラブシーンのように撮ってみせることに尊敬の念を抱いてきたのです。」(トリュフォー 『定本 映画術』p. 346)

12/29『ダイヤルMを廻せ!』(ヒッチコック 1954)
12/29『マクロス虚空歌姫』(2009)
12/30『舞台恐怖症』(ヒッチコック 1950)

ヒッチコックを見るというのは、美術史で言えばギリシア彫刻とかルネサンスの画家たちを見るようなもので、好きとか嫌いとかいいとかわるいとかそういった次元ではなく、映画を見るとはどういうことなのかを確認させてくれる経験。

マクロスは、すべてを見る者の欲望に忠実に造ったらどうなるかというきわめて「オタク」的な感性に基づく作品と思った。アイドル歌手が歌うとその途端にバトルが始まった。戦闘とアイドルという一挙両得がおかしく切ない。

インプット

2009年12月28日 | Weblog
講義の日々が続くと二ヶ月くらいでインプットへの猛烈な欲求が出てくる。12月入ったくらいには、アウトプットばかりでからからになってしまう、もともとはインプットの人間なので、どうしても。で、いまのところインプットの対象が映画になってて、シネフィルには全くかないませんが、一日二本のペースで見てる。簡単なメモ取りながら見ているので、それ専用のブログつくろうかな。などと、思ってます。こんな感じです。いまは、ともかくもトリュフォーがヒッチコックにインタビューした『映画術』を片手にヒッチを見るのが楽しくて楽しくて。お勧めですよ!

12/16『倫敦から来た男』(べーラ 2007)
12/○『アタメ』(アルモドバル 1990)
12/○『ラルジャン』(ブレッソン 1983)
12/17『女は女である』(ゴダール 1961)
12/18『バットマン・リターンズ』(バートン 1992)
12/19『バットマン・ビギンズ』(ノーラン 2005)
12/19『ヴァージン・スーサイズ』(コッポラ 1999)
12/23『見知らぬ乗客』(ヒッチコック 1951)
12/24『アバター』(キャメロン 2009)
12/25『ロスト・イン・トランスレーション』(コッポラ 2003)
12/25『バットマン』(バートン 1989)
12/27『私は告白する』(ヒッチコック 1953)
12/27『ドニー・ダーコ』(リチャード・ケリー 2001)
12/28『間違えられた男』(ヒッチコック 1956)
12/28『バチ当たり修道院の最期』(アルモドバル 1983)

ほふく前進

2009年12月27日 | 美術
いま水戸芸術館で、ヨーゼフ・ボイスが1984年に8日間だけ日本にいたその日々をめぐる展覧会が行われていて、その関連企画として、遠藤一郎が「愛と平和と未来のために」というタイトルのもと、パフォーマンスを続けている。

昨日(12/26)、この展示と遠藤一郎のパフォーマンスやワークショップを見てきた、参加してきた。今年は昨日でワークショップとパフォーマンスは一旦中断。来年もあるので、ぜひ見に行って、ほふく前進やってみて下さい。

11時ごろに芸術館に着くと、遠藤一郎は、噴水の脇で寝そべっていた(先に着いていたKATのYも寝そべっていた)。ぼくは立った姿勢で握手を交わししばらく話をした。そして、Yとまた同行した2人の学生と4人とで昼ご飯を食べた後、展示「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間 」を見た。正直、展示しているものに関しては、キャプションが0なので、何が何だかよく分からない。この展示で見るべきは、作品よりも84年にボイスが行った会見や対話集会のビデオ(ならびに、当時の日々をさまざまなひとが証言するインタビュー)で、しかし、これを見るには丸一日掛けてもたりない。

どうしようと思いながら、しばらく芸大で行われた対話集会を見ていた。ボイスの発言は一貫していて、それに対して、針生一郎や学生たちの質問は、ボイスとうまくキャッチボールできないでいた。ボイスは、「人気者」として日本で話題となり、その分、彼の思想や実践の意味は日本の中ではほとんど無視されてしまったようだ。実際、当時の証言インタビューでも、「無視」という事実を多くの人物が語っていた。

ぼくは、ボイスの発言を聴きながらずっと、芸術館の庭園でいまも黙々とほふく前進を続けているだろう遠藤のことを考えていた。「社会彫刻」という概念、芸術=資本(資本は貨幣とは関係なく、むしろ人間各自のエネルギーを指す)という概念、モダンアートを捨てた代わりに「人間学的芸術」を行っているのだということば、これらが84年に日本にばらまかれたものの、等閑視されたままだったのが、いま遠藤一郎一人のパフォーマンスによって、受け取られ、投げ返されようとしている。そんなことを思った。お昼を食べる前に遠藤が話してくれたのは、ほふく前進を続けている内に、お弁当屋さんが差し入れをくれたり、ベビーカーを押す母親が声を掛けてくれたりなど、今までにない何かが(彼のことばで言えば「大きなリング」が)生まれようとしている、という話だった。こうしたことこそ、社会彫刻なのではないか。などと思いながら、ぼくも14:00から始まったワークショップで、ほふく前進を実際にやってみた。

その感想の前に、遠藤が(ボイスの展覧会なのに、途中に遠藤ブースがあるのだ!そこに置いてあったプリントで)ほふく前進について語ったものを一部紹介したい。

「……なぜほふく前進なのかというと、人が進む速度の中で一番遅いからです。
地面を這っていると時間もとてもゆっくり動いています。
紅葉した枯れ葉が枝から離れ、地面に落ちるまでがはっきりと見てとれます。
石のタイルの隙間に育った苔のみずみずしい小さな緑の美しさに生きる強さを感じます。
そしてその空に向かって人の造った水戸タワーが伸びています。
ほふく前進の遅い速度で動いていると本来のありのままの形が見えてくるようです。
それは現代の早い波にのまれて忘れられてしまった人と自然が調和したとても自由な流れだと思います。……」

で、実際にほふく前進してみた。そのときを回想してみると……
芸術館の庭は芝生もあるけれど石畳が多く、スタート地点も石畳。さて、どうすんだ?右肘と左肘だけで進む?あっ痛ってー、こりゃ大変だ。あ、足も蜥蜴みたいにだったら使えるか。それでも、痛いよう。ん、石の間に苔が生えてる。見ると癒されると遠藤が言っている。確かにそんな気がしてくる。たんぽぽの種もあるぞ。うわっきついなあ、空が遠い。遠いが随分広く見える。ようやく、芝生まで来た。芝生は匂いがすごい。湿ってる。この景色は見たことない。この景色は、こんなタスクをもらわんと絶対見られないものだな。犬の目線というか自分が亀になったようだ。全然スムースに進めない、歩くのの十分の一くらいしかスピードが出ない。まさに亀だ。亀の人生はあきらめの人生だろうな。あきらめることで、でも、ちょっと自由になれる気がする。ここからあそこまですぐに行けない、何度も行けないという現実から生まれる自由。風が気持ちいい。一緒にほふくしている他人と笑いあい、ことばを交わす。あれ、スカートでストッキングなのに学生もほふくし始めた。見てるのがもどかしくなったようだ。そうそう、見ている人はここには必要ないよな。みんなでほふく前進してみればいい、それだけだ。してみるだけで遠藤が、今日最初に会ったときの遠藤がどんな気持ちだったかすごくリアルに分かる。見る者とやる者とではこんなに違うんだ。立つ者とほふくする者とではこんなに違うんだ。そのことにただただ感動。ひどく肘と膝が痛いけど、これを知っただけで充分。

MMBA2009

2009年12月25日 | 80年代文化論(音楽)
『ミュージック・マガジン』の1月号(特集 ベストアルバム2009)を読んでいたらいろいろと聴きたくなって、YTであさっている内にこんなリストが出来ました。いろいろな部門(ロックとかラテンとか10くらいのカテゴリーがある)の一位とか、二位とか、ただ気になったものとか、批評家などの個人的な推薦盤とかから、YTで見つけられるソースを適当に。これがMM的な今年の音楽、か。通して聴くと、ソウルとアジアとPrefab Sproutに惹かれるという「なんだか小学五年生の時の感性と全く変わっていないジャンおれ!」と思わされたのでした。こう聴いてみての、ベストはJAY-Zですかね。個人的には秋にKREVAばっかり聴いていたけど、これには音響的な説得力という点で全然かなわんですね。でも、今年の最大のショックは、ソニョシデでした、はい。安室のBest Fiction Tour見たのも印象に残ってます。

Joe Henry Bellwether (from "Blood From Stars")

The Cribes Ignore The Ignorant (from "Ignore The Ignorant")

図書館 「わかれのうた」『図書館の新世界』他

Ledisi Please Stay (from "Turn Me Loose")

T-Pain Silver & Gold (from "Three Rings")

Maxwell Playing Possum (from "'Black' summer's night")

Joe Worse Case Scenario (from "Signature")

Anthony Hamilton The Point of It All (from "The Point of It All")

Bobby Valentino Knock Knock (from "The Rebirth")

JAY-Z Empire State of Mind (from "The Blueprint 3")

Kid Cudi Cleverland (from "Man on the Moon")

Wale Beautiful Bliss (from "Attention Deficit")

Pitbull Krazy (from "Rebelution")

Luciano Calestial (from "Tribute to the Sun")

The Zawose Family Afriksfestival Hertme

Tinariwen Lulla (from Imidiwan)

Staff Benda Bilili Sex Machine

Siti Nuhaliza Bukan Cinta Biasa

Quantic &His Combo Barbaro Linda Morena


Mario Ortiz Tu Forma De Querer

Likkle Mai "Mairation" Tour in Hawaii

サイプレス上野とロベルト吉野 Wonder Wheel

SEEDA 的を外し続ける退屈な主張

デス Politicians in My Eyes (from "For the Whole World to See")

Brown Eyed Girls Abracadabra

遠藤賢司 君にふにゃふにゃ

Prefab Sprout Falling Love (from "Let's change the World with Music")

12/16-12/24

2009年12月24日 | Weblog
12/16
『倫敦から来た男』をみた後で、渋谷から歩いて四谷まで。近畿大学の「批評の現在」に呼ばれたので、「他者のパフォーマンスを(パフォーマンスとして)理解すること」なるタイトルで、「performance」「performative」などのことばについてとくに「約束と行為遂行」の関係性から論じてみた。まだまだ全然不十分な発表ではあったけれど、これはぼくなりには、レディメイドなどのコンセプトをパフォーマンスの問題として考える下準備のワンステップ。

12/19
壺中天『2001年壺中の旅』を見た。このあたりの日、カポーティの『ティファニーで朝食を』を読んだ。カポーティの孤独な主人公にいまのぼくは共感しない。けど、20才くらいのときにびんびん感じていたある部分の所在を確認することは出来た。

12/20
ロマンチカの横町慶子(名前間違えてました!すいません!)ソロアクト『かわうそ』。手を振る繊細なリズムや振り加減とかは、いわゆるダンスの大袈裟さとは対照的でひかれた。なんとなく、いろんなところで既視感がそうした特徴よりも勝ってしまった印象はあったとしても。行き帰りで『バットマン・ビギンズ』をPSPで見た。

12/21
卒論の提出日。その後、提出してさっぱりした顔の四年生とゼミの三年生とで打ち上げ。下北沢。カフェみたいなところを貸し切り。女子25名対男子1名で、あらかじめ勝とうなんて思わなければ全然大丈夫ということが最近分かってきたので、のんびり過ごす。お嬢様系の方がお酒もひとのコントロールも得意ということを再確認。

12/22
一限で演習。今年の講義はこれでおしまい。土井隆義『キャラ化する/される子供たち』を読む。学生の方が敏感にいろいろなポイントを察知してくる。勉強になるのはこちらの方だったりする。昼休みに二年生(KAT)とパスタ、ハンバーグ、ケーキなどで小さなパーティ。その後、銀座に向かいvia artの授賞式へ。高田冬彦に審査委員賞を渡したが、現状の作品には満足していないよ。もっとよくできると思っている。

12/23
HP+。8組出たのでしょうか。とにもかくにもOpen Reel Ensemble最高。contact Gonzoも毎回新趣向があっていいね。柴幸男くんの作品も素晴らしかった。あとのはそんなじゃなかった。とくにダンスがぼくのなかで本当に苦手科目になってきてしまった。身体が生き生きしているときってのは、身体が何かに縛られている時なのじゃないか。身体を自由にさせるととたんに身体は生き生きしなくなる。一番生き生きしていたのが、OREの和田くんで、彼の笑顔もMCも何となく出てくる踊りもなんだかとても魅力的だった。あと、背中向いているひとがいいってなんだ?オープンリールの操作で背を向けているとか、contact Gonzoの場合だと華奢な女の子のドラマーを呼んできたんだけど、むちゃくちゃに激しく叩くその姿が背中を向けているからよかったんじゃないかなと思った。そう言う距離が観客との間に設定されているというのは、本質的な表現の何かと連関してはいないか。

12/24
午前中に上柚木公園陸上競技場にて1時間ほど走る。高校の陸上部が二組。なんだか短距離の冬練ののんびりした感じって好きだな。ぼくは中学時代短距離走者だったので、スピードに乗って走っているのを見ると、追体験している気になる(もう一回あんな風に走ってみたいものだ!来年の抱負?)。午後に『アバター』を見た。結構酔ってしまった。本当に3Dの時代になってしまうのでしょうか。こんなに酔ってしまうのならば、ぼくは映画館にいかなくなるかも。

HP+

2009年12月24日 | Weblog
きょうは、これから「AVATAR」見に行ったりと忙しいのですが、ともかく昨日のHP+の

Open Reel Ensembleはすばらしくよかった!

と書き残したくて、とりあえず、久しぶりにアップします。ぼくはこんな若者が好きです!

『KAT』お買い上げありがとうございました。

2009年12月07日 | 極私的ベスト5
昨日は文学フリマでした。
『KAT』は強気の800円設定で押し通しましたが、40部以上が売られていきました。いやー、周りを見ると体裁の綺麗な冊子が多くて、それにもかかわらずほとんどが500円。午前中はとても不安で、実際出足はよくなかったのですが、結果としては、いろいろな方が詰めかけてくださり、二年前に専修大学で非常勤をしていたときの学生がふらっと来てくれたりとか、うーん、ほんとにいろいろな方が、わざわざ足を運んで下さいました。感謝です。

今後この研究会どうしようか?という話を打ち上げでしたんですけれど(大久保・松屋)、イベントやりたいとか、マイペースのんびりとすすめたいとか、まあ、まとめ上手は少なくて、わがままなのばかりが集まったので、意見がバラバラなのは仕方ないのだけれど、どうなることやら、、、いつか次号作りたいねというのは共通の思いでしたが。

ぜひ、ご購入下さったみなさん、ぼくと会った折にでも感想を聞かせて下さい。

女子大生のなんちゃって批評誌『KAT』乞うご期待!

2009年12月04日 | Weblog
12/6に開催される文学フリマにて、ぼくがナビゲイターをしているKAT(二年生6人組)という研究会が雑誌を販売します。『KAT』といいます。よろしくです。400円の予定ですが、88ページ。正直安いです(→前日の12/5、製本中に愛着がわきすぎて値段が勝手に上がっていきまして、いま800円で売る予定です)。あと、100部しかつくらないので、貴重なアイテムになるかも知れません。

ぼくはKREVA論とブリトニー・スピアーズ論を書きました。

学生達は、個人ページでたとえば、こんなの書いてます。

「差出人: 中村
件名: おねぇ
日時: 2009年9月1日

"ギャル系"
"non・no系"
"CanCam系"

日本人はなんでも
分類して
仲間を作りたがる

常に群れて
独りにならないように
しているみたいだ


去年の春くらいから
気になる分類があった


"おねぇ系"


どんなお姉さんなんだろ

パッと聞いた感じでは
"お姉系"いわゆる
お姉さん系という
印象しか受けない

しかし、
既存の概念には
当てはまらない

なぜなら
"おねぇ系"と
言われる人たちは
お姉さんではない

むしろ女性ではない

いや、この表現は
正確ではなかった
かもしれない。

"彼ら"は間違いなく
男性という性を
受けて産まれているが
気持ちは女性
……」

この学生は、女っぽい男達を恐らく史上初めてマップ化して分類し分析しています。しかも、携帯をツールにして。史上初の携帯小説ならぬ携帯批評です。

他には、「キャラ化する現代女性」というトークセッションを収めたページでは、

「着まわしを紹介する写真がスクリーンに出ていますが、人の形に背景が切り抜かれているんですね。人物も、一ヶ月コーディネートの一ヶ月分全部見たんですけども、主人公のさやさん以外に、彼や友人などは文章では出てくるんですけども、写真にはこの人以外は出てこない、背景にいるはずのそうした人間関係がくり抜かれていて写真に登場しない、その点に注目してみたいと思っています。「SWEET」はこういう特徴があるんですけれど、その一方で、着まわしページがより劇場化されている雑誌というのもあって、というかそちらの方がこれまでは主流で、そこではキャラクターの設定を見ると架空のものではあるんですがやたら細かいものが多いです。その代表例として「CanCam」を取り上げて調べてみました。これは10月に発売された号で、先ほどの「SWEET」と同じ時期に発売されたものなので、比較するにはいいかなと思ってこの号を取り上げます。この一ヶ月コーディネートでは、「ミックスエレOLみうの一ヶ月コーディネート」という題名になっています。」

なんて、「SWEET」VS「CanCam」が、実は、キャラ/キャラクターやポスト・モダン/モダンの区別をもって分析されていきます。これ、四年生の卒業研究の一部なんです(このトークの全貌は二万字)。


すごいです。こんなのどこでも読めないです。彼女たち曰くこの雑誌

「女子大生によるなんちゃって批評誌」

なんだそうです。

乞うご期待!