Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

歌の消滅と音楽のゲーム化

2007年04月30日 | Weblog
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・物語を描きイリュージョンを与える歌(とくに紅白的な万人が共有する歌)の消滅とそれにともなう音楽のゲーム化
(orange Rangeの近年のCMに用いられた曲なんかも含めて)について考えてみたい。

note

2007年04月28日 | Weblog
例えば、狩生健志の「何も用意せずにライブに挑み、実際に困る」というプレイについて、そこに

(1)一定のスコアがあらかじめない
からと言って、
(2)故に、完全に縛りのないインプロヴィゼイション
などと考えるのではなく、
(3)ともかく何か喋った言葉をどうにか次の時間をつくるフレームにして進んでいる
と見なし、スコアがなくともその場その場でDIY的に何かをスコア化しているのだと考えてみる。
、、、
ともかく打つ杭、を頼りに進む。それはスコアか。水を渡る。

expop、狩生健志など

2007年04月28日 | Weblog
4/27
前日拙ブログで大谷presentsのことを書きながら思っていたことのなかには、大学の講義も、イリュージョニスティックに観客を説得するのではなく、プロセスとして話をする仕方がよいのではないか、ということがあった。一方的に先生という立場のスピーカーが「君達は知らないだろうけれど、世の中にはこういうことがあってね」みたいに上段からプレゼンするのではなく、聴講生と常に具体的に何かを共有しながら話をするというのがいいな、と。理科の実験みたいに、というか。そういう講義がしたい。「立て板に水」な、すらすらと流暢なお喋りは、その「流暢さ」を芸として楽しむことはあるにせよ、案外話の内容は覚えてなかったりするものではないか。

そんなこと話すたび、よくAがぼくに言うのは、余計な脱線話こそ学生は記憶に残すものだ、と。確かに「あのさあ、くだらないことなんだけれど~」と前口上切った瞬間に、学生の顔がぱっと上がったり、表情が変わったりする。じゃあ、すべてが余計な脱線話のように講義が出来たらいいんじゃないか?全部「余談なんですけど」と言いながら進むみたいな講義。「余談」であることが大事なんじゃなくて、余談を話す話し手のテンションが聞き手を変えるんだと思う。「余計なことをでも言わずにいられない」といった「言わずにいられない!」のテンション。それが重要。ということは、自分がフレッシュでいることが重要と言うことで、それが難しいのはまさに、アーティストと同じなのだ。講義空間(教室)のシアトリカリティについて、、、

昨晩はcinraのexpopという企画に行った。理由は、Aがwonderlandに書いたd.v.dとnhhmbaseの原稿が評判良くて、感想メールをもらったらしく(激賞な感じで、いいな、、、)、そのなかにcinraの方がいて、イベントがあるというので行ってみた、というもの。トーク・イベントが6Fで、ライブが5Fで行われていて、トークは、音楽配信の問題を現場の人たちを招いて議論するというとても真摯なテーマ。ライブは、テーマが次世代シンガーソングライターで、青空ドライブ、沼田壮平、まつきあゆむ、→SCHOOL←の4組だった。まつきあゆむがちょっとだけよかった。顔は水道橋博士みたいなんだけど、そんなにかっこよくないが彼女がいないでもないというイマドキ一番表象されにくい若者の日々を、フツーに切りとる。わすれていたひとの名前を思い出した!という歌とか。「村上春樹」「ipod」「マルボロメンソール」とか、出てくる名詞が面白い。そうそう、以前から思っているんだけれど、ポップスの歌詞は、名詞が重要。名詞がぽんと置かれると、それがそれ自体として多様なイメージを勝手に光らせたりする。作り手の「自己」などとは自由に、名詞が自分勝手に運動しはじめると、聴いていて楽しくなる。キリンジとか好きだったのもそういった理由だった。今でもよく聴くCKBも、名詞を運動させるのがうまい。考えてみれば、未来派もシュルレアリスムも、詩において名詞を尊重し副詞や形容詞を軽蔑していたのだった。詩におけるもの化のベクトルは、名詞を重視する仕方の中にあるのではないか。なんて、まつきを聴きながらときどき考えていることをまた考えていた。

それにしても、観客が明らかに変わったわけですね。90年代初頭にインディー系(当時の言い方における)のライブをよく見ていたぼくとしては、女の子が少ないということが、まず驚きなわけです。イカ天ブームあるいはバンド・ブームの頃のライブではパンク系でも7~8割が女の子だったりして、よく言われることでしょうが、そんな「女の子のデマンドにサプライするのがバンド」になったときに、バンドというものは明らかに魅力を喪失してしまったわけです(いまでも、新百合ヶ丘の駅前で、コブクロみたいな男の子二人組withフォーク・ギターに女の子が取り巻きを作ってたりしてます。あれ見ると、母性本能のようなものに演奏している方も聞き手も相互に依存している気がして、いやなんですよね。音楽を楽しんでいると言うよりも、癒しあっている、、、社会が心理学化しているってあれ)。じゃあいま、女の子じゃなく男の子が沢山集まっているかというと、両方そんなに集まっていないというのが現状で、故にフロアの前の辺りがスカスカな状態で演奏しなきゃなんないかわいそーな状態だったりするのだけれど、それでも、ちよっと奥田民生というか押尾なんとかに似たルックスのボーカリストが歌い始め女の子が10人ばかりフロアで揺れてたりすると、「あのとき」のことがフラッシュバックしてきて、嫌な気分になって出て行ってしまったのだった。

そこでやっていた物販で、狩生健志率いる国(というバンド名)の「国ドットコム」(DVD+Tape+CD-R、1500円)を購入。彼のことは、大谷さんのフランス革命を聴きに行ったらたまたまそこに出演していたことから、それ以来気になっていたのだった。このDVDまだ全部見ていないんですけど、いいです。演奏スタイルは「何も用意せずライブに挑み、実際に困る」(架神恭介)。30分話すネタもなく、楽器もなく、けれども見ている人は居て、だから何もしないわけにも行かず、、、という「見る者がいるので何か見せなきゃならない」=「シアター」の根源にある事態こそ、狩生が観客と共有しようとするものなのだ。何も起きないと言うことが不思議と面白い。せっぱ詰まったところが、なさけなくて可笑しいのだけれど、同時に「人間とは何か」とか「脳の運動」とかそんなデカイものまで意識させる。100%「芸」を取り除く=100%「ライブ」。

夜こうして渋谷に行く前に、多摩美で資料収集。最近、John Cageの「スコア」論に興味があって(というかここに60年代的芸術の議論が詰まっている気がする)調べている。
それとは間接的には関係するAllan Kaprow, Essays on The Blurring of Art and Lifeの「ジャクソンポロック伝説」を訳した。

Unit Gramophone+MUMU+GNU(@MANDALA2)

2007年04月27日 | Weblog
木曜日は講義の日。朝から3コマ。昨日(6/26)はしかし、さらに吉祥寺へ。大谷能生presentsのイベントを見に行った。

大谷能生PRESENTS 「Hard Wlred Vol.7」

LIVE
大谷能生(sax)+十三画(CORNER DISC)

MUMU
中根信博(Tb)
坂本一孝(Key)
植村 昌弘(Dr)
http://www.cooktone.com/k-skmt/mumu.html

GNU
大蔵雅彦(sax,B-CI)
塚本慎一(Key)
種石幸也(B)
イトケン(Dr)
熊田央(Dr)

まず、三時間たっぷり楽しんで2000円(+ドリンク代)のコストパフォーマンスはすごい、いやっすごい。帰りにはすっかり変拍子が体に染み渡って、自分勝手に体が音楽をどんどん生産してたりする(単純に、曲を記憶出来ず、正確に思い出せないので、デタラメに鼻歌やっちゃってる、って感じ?)。

大谷さんと十三画(Unit Gramophone)は、20代半ばくらいの若いマシーン操作する四人組が反復と差異のグラデーションを生み出しながらどんどん進んでいくところを、一層若いというか小学一年生なマインド(?)を感じる大谷さんのSAXが重なっていくという演奏(40分)。なんでか「夏休み」の気分にずっとなっていた(冒頭に虫の音が出てきたから?)。くねりながら吹く大谷さんの体は観客にとって共鳴しやすいのだけれど、十三画の四人の手首をねじったり指で押したりといった小さな動きはどう音と関連しているのかダイレクトには分からなくて観客はその体に共鳴しにくい(といっても、ライブ感は十分伝わる)。その二つの対比が面白かったな。

MUMUは、ドラム+キーボード+トロンボーンの3人組。めちゃうま。気持ちよくて難解な角度にずんずん進んでいく。ラフにびやっと引いた線みたいなもの(ポロックのドロッピングのような、ある種の書道のような)を即興ではなくスコアに一旦落とした上でスコアに忠実に演奏する、このことに驚く。そこにあるのは、「曲」の再現なんだけれど、それ以上に再現できるか?というスリリングなゲームなのではないか。難解さ故に、スコアが一種の「タスク」になっていて、それをクリアする「ゲーム」として音楽を観客と共有する、ということが発生してるのでは。それ(難解)でいて、しかしとてもチャーミングでポップなんだよな。

GNUもやはり、(強烈に難解な、と少なくともぼくには思える)作曲された曲を演奏する。ツー・ドラムが面白い。こうなるとドラムについての概念が変わる。ぼくのなかでドラマーは、サッカーで言えばキーパーなんだけれど、キーパーが二人いたらサッカー変わっちゃうよな、というようなドラスティックな変化を感じた、と言うこと(?)。こういうアイディアが、ケージあたりに端を発するスコアについての思考の変革の延長線上にあるに違いなく、つまりそれは、スコアは再現するべき音像の記譜法による翻訳ではなく、ミュージシャンのパフォーマンスに向けたインストラクション(指令)であるという思考の変革に基づいているのに違いないのだ。ここに、イリュージョンの呈示からプロセスの呈示へ、という芸術の展開があるのだ。50-60年代に起きたこの展開は、「超詳解!」レクチャーで発言したようにダンスのなかに当然指摘できるのみならず、美術にもまた音楽にも(映画にも)起きたことだろう。そして、さらに重要なことは、現在それは、プロセスの呈示でありながらのみならず音楽としても十分豊か、という両取りの状態に達しているということ。これは、d.v.dにもnhhmbaseにも言えることだ。

多摩美講義

2007年04月23日 | Weblog
4/23多摩美での講義、第2回。250人の学生を前に話をするというのはほぼはじめてのことで、いろいろと戸惑ってしまう。もうこの人数になると一人一人の顔とかキャラクターとか把握することは不可能だから、圧倒されると言うよりは不感症状態に近くて、独り言の感じになる。今日は、フリードの「シアトリカリティ」論について概観した。

その後、都心に向かう。H社のWさんと居酒屋で打ち合わせ。バリ土産を持参するつもりが、忘れてしまい、お詫び申し上げた。Wさんはお酒が強い。ぼくも負けないようにペースを合わせる、と帰りには普段の二倍くらい飲んでしまい、飲み過ぎになる。一月にここではじめてお会いした時は、凄い緊張していたことを覚えている。あれから四ヶ月、いろいろなことが前に進み出した。

4/22

2007年04月22日 | Weblog
大橋可也さんの主催で第2回の出張ダンスレクチャーを行う。ぼくとしては20代の若い作家が集まることを期待しているのだけれど、今回はそうした方とともにぼく世代(三十代前半~半ば)の作家の方も来てくれた。暗黒舞踏の方法をジャドソン・ダンス・シアターの方法と重ねてみる、そして暗黒舞踏の外装にこだわらずに形式的に捉えることでその方法の今日的応用可能性を考えてみるという話をするつもりで、準備をしたのだけれど、いざはじまるとこの部分はどちらかというと刺身のつま的な位置に置かれ、中心になったのは、「いまコンテンポラリー・ダンスの作家たちはどう新しいシステム(作品作りの環境)を構築していくか」というより切実で、重大な問いだった。研究者とか批評家という立場であぐらをかいていては、返答できない問いに向かい合う、ぼくにとって貴重な時間となった。踊れないぼくがすぐれたダンサー・振付家にダンスについて語るというのは横暴だよなあ、と思って緊張するなんて、まだ生やさしい話だった。ダンスについて考えることは、社会について考えることであって、それは抽象的で単に学術的な「社会」のことではなく、具体的で実践的な関係の連鎖、その集合体のことだ。土方巽が60-70年代になしえたコロニー(アスベスト館)をいま実現することは可能か。実現することに意味はあるか。ダンサーと言えば聞こえはいいが、ようはアルバイター兼ダンサーがほとんどの状況。そうした状況がいまのダンスのA TO Zを作っているという面があるわけだ。六時に始まり十時前に一旦お開きになり、その後さらに居酒屋で延長戦をした。延々としゃべったが、ダンスを作る環境として大学に期待するという話題は、気づけばまったく出なかった。そのことはぼくの立場として考えるべき点だ。アカデミズムはダンスを巡る社会にどういう寄与をしているのか、ということ。

こういう場所を用意してもらって大橋さんには感謝している。本当に価値のあるしかるべき言葉を探す作業、模索しながら、闇雲にその場その場で思考を深めていきながら言葉を希求する作業、そんな機会を与えて貰えて幸福だな。

4/21

2007年04月22日 | Weblog
適度に冷たい風に暖かい日差し。春らしい土曜日。

午前中に、多摩美の講義のことをまとめる。あるいて十分ほどの和光大で資料を集める。クールベの「闘技者たち」(1853)とか。斉藤環の「関係の化学としての文学 (七)アブソープションと関係平面」(『新潮』2月号、2007年)をコピーしたり。マイケル・フリードの「シアトリカリティ」について、話をしようと思ってまとめているわけ。残念ながら、斎藤はせっかく原著のデータを本文中にのせていながら恐らくフリードを読まずに、岡崎乾二郎『絵画の準備を!』での議論を転用して用を済ませている。ドラマ(物語の内容)とシアトリカリティ(物語を語る形式)との違いを、フリードはダヴィッドの作品を例にかなり丁寧に論じていたりするのだ。小説のシアトリカリティあるいはアブソープションを語るなら、なぜそこに突っ込んでいかないんだろうと、思う。

午後、Nadiffへ。桜井圭介×佐々木敦×松井みどりのトーク・イベントを拝聴しに行く。観客に20代前半くらいに見える若い人が多い、そのことがちょっと嬉しい。何分、本屋のなかでのイベント、本棚のわきにいたぼくは、どうしても本に目がいってしまう。イベントが終わるまでに、三冊くらい欲しい本が見つかってしまう、困った。イベントは、なかなか白熱したものに最終的になっていき、面白い話が沢山出てきた。資本主義との問題、マイクロポップが「生き方」であるという点に関わる問題、ノイズについて、などなど。ぼくが参加した回のときもそうだったんだけど、話題の中心が山賀ざくろだったりする。ともかくも、エクストリームな存在であることは間違いない。ただし、佐々木さんがもらしていた、山賀公演の会場で感じた「アウェイ」な気分というのは、一考に値する問題だと思う。要するに、内輪っぽい会場の雰囲気にどうしてもまとまってしまいがちだと言うこと、それは山賀が公演したGOOという小さな場所のみならず、大きな会場でもそういうことは起きているだろう。そうそう、ダンスを見に行き始めた頃、周囲の和やかな感じとか、すごいイヤだったな、思い出す。

あと、三人のお話を聞きながら考えていたのは、音楽とマイクロポップはあまり上手には重ならないのではないかという点。佐々木さんもこの点には言及していて、いまよりも90年代前半くらいの「ロー・ファイ」な音楽の方が、マイクロポップ的であろうとお話ししていた。確かに。で、最近ちょこっと音楽系のライブとか見てますが、その度に、彼らの音楽性の高さに驚き、それ自身はとても面白いものを生み出す力になっていると思うのだけれど、ただそれがマイクロポップであるかどうかは疑問だった。そのことに興味があって、お三人のイベントに足を運んだというのが本心。クチロロとか、d.v.dとか、あるいはぼくがいまお気に入りのnhhmbaseとか、カッコイイしリアルだけれど、マイクロポップ的な「へたれ」がない。松井さんがマイクロポップを説明する際に時々用いる「日常以下」とか「人間以下」ということがなく、少なくとも音楽的快楽を与える極めて厳密で狭いヒットゾーンをはずすことなく、きちんとミートしていく(だから、共感の輪が広がりやすい、人を巻き込みやすい、すぐに入っていきやすいのではないか)。簡単に言えば、演奏レヴェルが高いのだ。ダンスの場合、ダンス的快楽のヒットゾーンは音楽よりも広い。ゆるさが魅力になったりする。この余白の多さが、ダンスをマイクロポップとなんらか親和的なものにしている気がする(それでも、以前書いたように、森司さんは、ダンスは真面目だとおっしゃっていたわけで、、、マイクロポップ的美術作家のある種の「ゆるさ」=ポップ=ユーモアにはかなわないところがあるのも事実)。音楽でヘタな演奏って「味」ってよりも単にヘタ=ダメ=聞きたくないってなっちゃうもんな。ダメが魅力な演奏もあるかも知れないが、少なくともいまの音楽界のモードはそこにはないと予想される、恐らく。

その後、仕事をするのに直帰するはずが、あまりに天候がよいので、しばし散歩に勤しむ。青山あたりのいいのは、店が住宅みたいにさりげなくて、住宅が店のようにすこし気取っているというところ。歩くのが楽しい。久しぶりにニド・カフェに行くと帰りに店員の女性が覚えていてくれて少し会話をする。そんなところも、いとおかし。すっかり気分が良くなって、飲み過ぎて、帰宅後、あっという間に寝てしまった、とほほ。

青年団「東京ノート」(@アゴラ劇場)

2007年04月21日 | Weblog
初演(94年)は確かビデオで見た。役者の顔を演技と共に思い出した。10年前には気づかなかった多くの要素に驚く。そもそも最も重要な「戦時下」という設定をぼくは完全に忘れていた。フェルメールの絵画が日本に沢山集まっている、それはヨーロッパが戦争時様態にあり、緊急避難のため、という設定。舞台は美術館のロビー。そこへ定めた小さなフォーカスが世界戦争という巨大な暴力へ広がるレンジを含んでいる。

ビデオで見た時には、二組同時に会話をする「多焦点的な演劇」ということばかりに気を取られていた。それは確かに斬新だったろう。重なって互いの内容をかき消してしまう会話もそうだが、観客に背を向けることもそれと同じくらい斬新だったろう(やっぱり、これはフリードの没入論と絡めて真剣に論じなきゃ!なものですよ)。そして、この手法は、ポツドールや五反田団やチェルフィッチュなどのなかに当たり前のものとしてとけ込んでいるものである。すでに応用が多々試みられている手法のスタンダードとして今回青年団のそれを見た。古さを感じることはなかった、むしろ原型のもつ強度に驚いた。冗談で帰りにAに、「ポツやチェルがジジェクだとしたら、青年団はカントというかラカンというかだね」と言ってみたが、そんな感じだった。手法のみならず、ある古典的な人間性が描かれているという点でもそういう印象をもつ。ひとりひとりは別々の人生を生きている、そのことを観客にヒリヒリと感じさせる。そんなひとりひとりがあるひとりの小咄や身振りで一斉に笑う。共有的なものを仮想的にも必要としている、それによってかろうじて「人間」を個々の内に留め置こうとするそんな近代的な主体の輪郭が見える。ただし、それはつねに薄氷の上にある。そこをわたる危うさが、この劇にスリルを生む原動力になっている。その一方、ポツや五反田団やチェルの舞台に登場するのは、もはや近代的主体ではない、かつてそのような主体が信じられていたことも覚えていないかのような、そこから遠く隔たってしまった「人間」ならぬ人間、動物的な人間なのである。

非常に面白かった。なんかダメなんじゃないかと勝手に思っていたのだがそんなことは決してなくて、面白くて参った。面白さは、そう、上記した手法のみならず、戦争を扱っている点にあった。そうか、こんな小さな「美術館のロビー」という場所から戦争を語ることもできるんだという感動があった。とくに、そのレンジの広がりに(そういえば、「三月の5日間」の場合も、デモが出てきたりと通奏低音として戦争のことは響いているわけだけれど)。そうそのことに感動した。だけれど、今見ると同時にその様子がSF的なものに感じられることも事実(誤解した戦争オタクが見たら喜ぶのでは、と微弱に連想した)。戦争が演劇というフィクションのフィクション性を切り裂いて演劇に突き刺さるということも観劇中なかったとはいえない。が、これがもし2007年の初演作品だとしたら、戦争は演劇のフィクション性を増幅するものとして意識していただろう。その遠さ、歯がゆさを若手の演劇は取り上げてきた。それは、若者の保守性として批判される部分でもある。

若手のリアリティと青年団の理想主義とが、どちらもぼくにとってリアリティを感じるものだとすれば、その間にどんな心の形があるのかが一番気になるのだ、ぼくとしては。

ノシロナオコ

2007年04月20日 | Weblog
ノシロナオコ×池田光宏「a CHAIR by the WINDOW」(@中野区、RAFT、4/19)

小さなギャラリー、10人弱の観客。高さと幅が180cmほどの白いスクリーンが床の高さから垂直に立っている。そこに裏から照らされ七色の光が回る。その裏にノシロナオコは椅子と登場する。ムーヴメントはきわめてミニマル。椅子に凭れて腰が落ちる、とか、横倒しの椅子にのってじわりと体を変化させるとか。何分、シルエットなので、こちらの得るものも限定されている。三十分くらい経つと、その「与えなさ」が面白いかな、と眠る代わりにチラと思わされるが、どうなんだろう、結果として(四十分ほどの作品)。椅子との関係において、タスクな縛りは乏しい、だから身体は自由を得る。となるとその分、身体の自然が運動を発生させることになる。その自然は、観客をおどろかせたり、不意打ちを掛けたりは決してしない。はっとする時間もはっとする空間もないまま、「出」と「入り」の間だけがわずかに、その貧しさを与える図々しさとともに、観客に興味を抱かせる要素になる。なのだから、2時間くらい延々とやって、その真ん中だけを観客に味合わせるみたいにすればいいのに、と思った。初対面の当人にそう恐る恐る告げたが、あまり反応は良くなかった。

Chim↑Pomインタビュー

2007年04月20日 | Weblog
月曜日、多摩美術大学での初めての講義を終え、高円寺へ。彼らの所属する無人島プロダクションの小さな空間に、Chim↑Pomの6人全員が集まってくれた。話はとても面白かった。そして何度も感涙しそうになる。ぼくはインタビューが凄いヘタなので申し訳ないと思いながら2時間ほど丁寧に話をしてもらった。この二日後に、メンバーの一人がカンボジアに行き地雷を撤去するという。紅一点のメンバーEriが、ダイアナ元妃好きで、ダイアナが地雷撤去するなら、セレブを目指す私たちも当然しなきゃと言うことらしい(!?)。もちろん、行くのはEriではない。彼女のわがままに従うというのは彼らの大事なタスクになっているのである。詳細はアレだが、作品の一部になるようだ。無事五体満足なまま帰国することを祈る。

たまたま最近『美術手帖』を辞めたAさんも無人島に遊びに来ていて、近くの居酒屋でみんなで飲む。Aさんなんかさっぱりした顔してて良かったな。くらくらしたふらふらのところしか見たことなかったから。

デュマス、ウィンター、中平

2007年04月20日 | Weblog
火曜日に、Aと美術館巡りをした。今年の二人のテーマは、美術を極める(!?)。2週に一回は必ず美術館巡りをすることにした、その第一回。午前中、東京都現代美術館にてマルレーネ・デュマスの「ブロークン・ホワイト」展を見る。タイトルの意味は清純の喪失ということらしい。そういうところにもあらわれるように、どうもフェミニズム的なバイアスのかかった作家らしいのだけれど、ぼくはそんなことは関係なく面白いと思った。写真を用いて人物の主に顔を描いているんだけれど、なぜ、写真を元にした絵だと思ってしまうのかが不思議だった。スーパーリアリズムではない。油絵の具のマテリアルが強く残った画面。それでいて、写真的なリアリティが不思議にもある。写真的なリアリティは、被写体の表象というよりも痕跡を感じさせるところがある。当人が現にこの世に生きている(生きていた)その痕跡を残したものとしてこの絵がある。ぼくはそんなことを思いながら、同時に手塚夏子の「トレース」のことを思い浮かべていた。トレースとして映像を描く、映像を踊る。「トレース」のことを考える素材としてデュマスとしばらく付き合ってみようと思う。

その後、歩いて深川を通り抜け(食いしん坊のぼくたちが黙って通り抜けられるはずはなく、しばし深川丼を賞味して)、Tomio Koyama GalleryでTerry Wintersを見る。ミニマルなんだけれど静的ではなく破壊とか崩壊を感じる作風。面が好きみたい。ドリアンみたいな多面の立体を描いた過去作品もあった。あとこのギャラリーのあるビルの他のギャラリーでは、中平卓馬展をやっていた。横浜図鑑。光、まぶしがる目、ネコ、浮浪者。

本当は、ここから山本現代でできやよいをみて、さらに六本木界隈にも行き、さらにさらにミズマアートギャラリーへも、という予定だったが、二時から上智大で研究会があったので、四谷へ。

この日はとても忙しく、さらに四時から新宿で打ち合わせ。ある建築系の雑誌に論考を書く、あらためて編集の方と打ち合わせ。25~30枚くらいで、もし40枚くらいになりそうだったら連絡してくれ、と。そんなアバウトなオファー初めてだ。雑誌は本当にいろいろだな、と思う。大学も本当いろいろ、だし。

その後、Aと合流。新宿のやすべえで夕食。

出張ダンス・レクチャー

2007年04月15日 | Weblog
3月に大橋可也さんの主催で行いました出張ダンス・レクチャーがシリーズ化することになりました。毎月一回、一回三時間ほど、毎回ひとつのテーマに絞って20世紀のダンスを概観し、そこからいまのダンス・クリエーションの金鉱を探り当てていこうとするレクチャーです。二月の「超詳解!20世紀ダンス入門」に重なる面もありますが、より先鋭な議論、より具体的実際的で作家の明日の創作に活かせる内容を目指し、またディスカッションの機会をより多く設けていきます。よって作家(振付家、演出家、ダンサー)のためのレクチャーですが、その前提を理解していただければ、ダンスの歴史や方法や今後に興味をもつすべてのひとに門戸を開くつもりでいます。

第2回 暗黒舞踏の方法について(仮題)
日時:4/22(日)18:00-21:30
会場:中野区のスペース(JR中野駅北口下車徒歩15分、西武新宿線「沼袋」駅下車徒歩10分)
参加費:1000円

場所はここには載せません。参加希望の方は、ぼくに直接メールを送って下さい(ぼくのHPのAboutをご覧下さい、アドレスがわかります)。


写真は、バリの王宮跡で撮ったもの、レクチャーとは関係ありません。