大橋可也&ダンサーズ『明晰さは目の前の一点に過ぎない』についてここで何を書くべきかまだ決まらず滞る。昨日、本郷2丁目の商店街に居たら、ある友人から電話が、内容は『明晰さ~』の感想を聞かせて欲しいと言うことだった。その友人の意見とぼくの感想とを重ね合わせると大体同じだったので、少し安心する。でも、電波が悪くて細かくは聞き取れなかったりした。電波め!
昨日はある雑誌の取材だった。というかあるテレビ局の撮影に同行してその番組の主人公(ダンスのグループ)を紹介する記事のインタビュー取材だった。はじめてちゃんとお話しする方だったので緊張したが、実によいエピソードがたくさん聞けた。グループを主宰するその方Iさんが最近グループ内で話題になっているビデオのダンスを紹介してくれた。ひとつは、ハルハートリー『シンプルメン』に出てくるダンス・シーン、またひとつは、ファット・ボーイ・スリムの『プレイズ・ユー』で踊る人々(これはぼくも大好きでここでもそのことは言ったことがあると思う)。でもうひとつあって、それがOK GOというグループのダンスだと。これがサイト。Iさんは「音楽はね、別に、たいしたことないんだけれど」と力説していたけれど、確かにダンスは面白い。というか、こういうのを面白いと言ってつまんでくるセンスにいまのコンテンポラリー・ダンスの一傾向が如実に示されていると思うのです、このことをもっと紹介したいです、はい。
と8月も最後の一日なので(?)、すこしはめをはずして。町山智浩さんのUSA娘の話を聞いていて(何を今更と思うかも知れませんが、いまアメリカでモー娘。ブームだそうで、それで)、YOU TUBEでモーニング娘。の映像が見たくなり、しばらく色々と見ていたのだった。なんだか困ったことにやたらと感動する。例えばこの練習風景なんか。あるいは「peace」の練習風景(なぜか今回練習の映像にやたら興味をそそられた)。身体の動きの全てがダンスであり得るわけで、この練習風景を見ていると隣の相手と目を見合わせるとか、ちょっとした仕草、些細な出来事のいちいちが全てダンスとして振り付けられていて、多彩な動きの全てがあるエッセンスを伝え観客と共有するための企みとなっている。一瞬の動きの「表情」に徹底的にこだわる感じは、尊く魅力的だ。ダンサーは、ファンを踊らせ熱狂(萌え)させるモー娘。に嫉妬したりしないのだろうか。ハイ・アート云々の理屈ではなく、あと「モー娘。」というブランドとか全く無視して、いいなと思ってしまうのだ。
昨日はある雑誌の取材だった。というかあるテレビ局の撮影に同行してその番組の主人公(ダンスのグループ)を紹介する記事のインタビュー取材だった。はじめてちゃんとお話しする方だったので緊張したが、実によいエピソードがたくさん聞けた。グループを主宰するその方Iさんが最近グループ内で話題になっているビデオのダンスを紹介してくれた。ひとつは、ハルハートリー『シンプルメン』に出てくるダンス・シーン、またひとつは、ファット・ボーイ・スリムの『プレイズ・ユー』で踊る人々(これはぼくも大好きでここでもそのことは言ったことがあると思う)。でもうひとつあって、それがOK GOというグループのダンスだと。これがサイト。Iさんは「音楽はね、別に、たいしたことないんだけれど」と力説していたけれど、確かにダンスは面白い。というか、こういうのを面白いと言ってつまんでくるセンスにいまのコンテンポラリー・ダンスの一傾向が如実に示されていると思うのです、このことをもっと紹介したいです、はい。
と8月も最後の一日なので(?)、すこしはめをはずして。町山智浩さんのUSA娘の話を聞いていて(何を今更と思うかも知れませんが、いまアメリカでモー娘。ブームだそうで、それで)、YOU TUBEでモーニング娘。の映像が見たくなり、しばらく色々と見ていたのだった。なんだか困ったことにやたらと感動する。例えばこの練習風景なんか。あるいは「peace」の練習風景(なぜか今回練習の映像にやたら興味をそそられた)。身体の動きの全てがダンスであり得るわけで、この練習風景を見ていると隣の相手と目を見合わせるとか、ちょっとした仕草、些細な出来事のいちいちが全てダンスとして振り付けられていて、多彩な動きの全てがあるエッセンスを伝え観客と共有するための企みとなっている。一瞬の動きの「表情」に徹底的にこだわる感じは、尊く魅力的だ。ダンサーは、ファンを踊らせ熱狂(萌え)させるモー娘。に嫉妬したりしないのだろうか。ハイ・アート云々の理屈ではなく、あと「モー娘。」というブランドとか全く無視して、いいなと思ってしまうのだ。