Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

『入門 中国の歴史 中国中学校歴史教科書 世界の教科書シリーズ』(明石書店)

2005年04月16日 | Weblog
を気になって近くの大学で読んでいた。要するに中国の学校で使われている歴史の教科書。

いろいろなブログで同様のことが言及されていたりするのだろうけれど、これはやはり日本嫌い、日本憎悪を促す教科書であるのに違いない。どのようにこの教科書を使っているのかは分からない。四冊分全1200頁ほどの分量、その50頁以上を満州事変→終戦に割いている。そこでは、いかに日本が民衆に残虐な行為をしたのかをある村の虐殺について、具体的な人数まで挙げて記述している。当たり前といえばそうなのだけれど、太平洋戦争は中国にとっては「抗日戦争」なのだ。

歴史というのは、客観的な物語などではなく、世界史という物語の主導権をどう奪い奪われしてきたのか、のドキュメント。だとすれば、さらに、このドキュメントの行為自体もまた客観的にあるのではなく、どう書くかについての戦いは過去にではなく現在進行中のことなのである。いま、起こっていることはまさにこれなのだろう。

さらに、
スタロバンスキー『絵画を見るディドロ』『病のうちなる治療薬 啓蒙の時代の人為に対する批判と正当化』(ともに法政大学出版局)を借りる。後者の「お世辞について」がかなり参考になりそう、いまの研究にとって。

新学期

2005年04月14日 | Weblog
がはじまった。いや、なんとも、心地よい春のひかりと風。ゆっくりと駅から大学までの坂を上っていく。途中桜並木があって、ちりちりちりと風に飛ばされる花びらのなかを歩く。学生が教室にパンパンになる科目があって驚く。まあ、今日はお見合いみたいなもので、しばらくすると適当にばらけるのだろう。まだほとんどの学生はこのHPのこと知らないと思うけれど、一年間、よろしくおねがいします。

『マラルメの想像的宇宙』ジャン=ピエール・リシャール著、田中成和訳

2005年04月13日 | Weblog
を近くの大学から借りてきた。

大著。約750頁。まだ丁寧には読んでいないのだが、マラルメにとってバレエ・ダンサー(踊り子)あるいはロイ・フラーなどの新種のダンサーがいかに彼の詩の重要なアイコンであったのかを理解するには、大きな一助になるだろう。随分言及箇所が散見される。けれど、解るとなんだかなーな気持ちになりそうな予感。もっと動きの議論が出てくるのかと思ったら、ダンスはマラルメの過剰な読み込みのための素材であって、それ以上ではないよう、どうも。象徴主義というのは、やはり、象徴するものが象徴されるものをそういう風にいいように使うことでもあるのか、どうか。

岡本太郎『民族の生命力』

2005年04月12日 | Weblog
という文章を読んでいた。すると、こんな表現が出てきてぞくぞくする。

「その線をたどってゆくと、もつれては解け、混沌に沈み、忽然と現れ、あらゆるアクシデントをくぐりぬけて、無限に回帰しのがれてゆく」

「そびえ立つような隆起があります。するどく、肉ぶとに走る隆線紋をたどりながら、視線を移してゆくと、それがギリギリッと舞いあがり、渦巻きます。とつぜん降下し、左右にぬくぬくと二三度くねり、さらに垂直に落下します。とたんに、まるで思いもかけぬ角度で上向き、異様な弧をえがきながら這いのぼります。不均衡に高々と面をえぐり、切りこんで、また平然ともとのコースにもどるのです。」

縄文式土器の超日本的なあり方を表現するこんな文章は、まるでダンス批評のよう、というか、こんな批評文だったらそうとう面白いよな、とひとつのモデルにすべきものと思ったり。

上智の研究会(現代美学研究会)

2005年04月11日 | Weblog
のために、ポール・ド・マン『理論への抵抗』を読む、午前(4/11)。
外は雨が降り出した。しとしと具合が春っぽい。けど、ちとへこむ。低気圧は苦手だ。

ド・マンは、ベンヤミンの『翻訳者の使命』を引き合いに出しながら、原作の意味を伝達する手段として翻訳を考えるべきではなく、むしろ原作の言葉が持つ独特な「言い方」、ぼくの考えで言えば言葉の身体性をトレースしようとしてうまくいかず失敗することこそ、翻訳の意義だという。失敗するところで「とどかねー」とのぞき込んだ深淵にこそ、ふだん使う言葉がもともとそこにあったところの「純粋言語」が垣間見えるからだ。この翻訳の失敗(翻訳不可能性)に注目するところが、ド・マン=ベンヤミンの独自性なのである。

これ、翻訳を批評と言い直すことが出来る。さて、批評はならば、批評の失敗として自らを呈示することに独自の意義を見出すべきなのだろうか、否か。
個人的なこと言えば、『TH』に寄稿した少女=人形論はそういうスタンスで書いた。だって少女のことよくわかんないだもんね、ぼくには。いや、自分の欲望の対象として勝手に定義することは出来る、でも、それは男の欲望を彼女たちに投影しているだけで、そこで鏡となった彼女たち自身については全然わからないまま、じゃん。だから、ぼくは分からないものとして少女を置いた、そこには少女だけではなく少女を捕まえようとして失敗するぼくが描かれていたはず、そういう誠実さを目指してぼくはあれを書いた。

なーなんてこと、思い出しながら、研究会のいつものメンバーと静かに盛り上がる。

その後、田舎で塾をやっていたころの学生と飲む。ぼくと同じ上智に入った彼は楽しそうに部活のこととか喋ってくれた、ニコニコしてしまう、これまたかつていつも研究会の後行っていた「桑」という居酒屋でしゃべっていると、マスターが揚げた「たらのめ」をお裾分けしてくれた。春の匂い、だなー。

ところで、
上智大学で一ヶ月に一二回やっている「現代美学研究会」は、今年度「現代美術批評を読む」というテーマでいくことにしました。「現代」「美術」「批評」とはなんぞや?知っているようであまり知らない、のはよくないぜってことで、グリーン・バーグから、マイケル・フリード、ロザリンド・クラウス、ハル・フォスター等々のアメリカを中心とした90年代以降の批評の言語の検討を目指します。どなたでも、興味を持った方は自由にご参加頂けますので(学生、社会人、素人、玄人まったく問いません)、ふるってご参加下さい。基本的には読書会なのですが、合間合間に上智大の先生や、美術系批評家の方にきて頂きレクチャーをしてもらうことも考えております(何せ現メンバーにこの分野の専門家と言える人間がいるわけではないので)。
次回は、5/9、岡崎乾二郎『ルネサンス経験の条件』の最初の章(マティス)を読みます。ウォーミング・アップのつもりで。

夜のリズム

2005年04月10日 | Weblog
直前に原稿の心配のない時間というのは、半年くらいなかった気がする。それはそれでまた心配で、別に原稿の依頼がなくなってどうしよ、とかよりも、いまだいたいのプロットができあがっているものを実際書き上げることは出来るのか(原稿を書くことは何度やっても慣れない。一日であっという間すらすらと書くなんて全然出来ない。煉獄を毎回通るものだ、それには体力がいる)、長い原稿をしこしこと書いているけれど、それが完成に至る日は本当に来るのか、そういう不安がよぎる、基本的には脱力。

最近の韓国、北朝鮮、中国の日本に対する態度がかなり気になる。交渉という概念は、こういう場所でこそ考えるべきものであろう。どこの国も国内問題のガス抜きや隠蔽のためにこちらにげんこつを振り回している、そういうどーでもいー、戦う意味なしの状況こそ、じっくり思考する必要のある時なのだろう。哲学よりも、政治というか、経済というかが、気になる。具体的で実際的な場で思考することが必要な気がする。で、テレビ東京のニュース番組ばかり見ている。平日の午前、夕方、夜のニュース。午前のニュースの女性キャスター(名前は知りません)の首をやや左に曲げながら喋るのが気になる。経済ってそんなスタンスでつきあうものよって言っている気がする。どうせ株価なんて気紛れな女の子みたいなもんなのだから、その気紛れに真っ正面から立ち向かってもダメなのよ、って(つーか、このワープロは打っていると「つきあうもの酔って」「ダメなの酔って」変換されることがいまは気になる、何で酔っちゃうのお前、、、)。

とぶつぶつ物思いに耽る、と夜が更けてくる。
十時頃になってようやく夕飯が出来た。うまいぞ、Fat Boy Slimでグニャグニャ踊ろう。

ルビィ岡田・シェリー中村『おこって・いいよ』

2005年04月09日 | Weblog
を見た(@Studio Goo 4/9)。

ワン・アイディアをひとつひとつの積み上げていく。そのアイディアはすべて「動く」ことへの問いに向かう、その根本的なものへの集中度において、彼女たちは原理を問うひとたち、だとぼくはやはり今日も思ってしまう。

例えば冒頭、
喪服姿のルビィ(和装)とシェリー(洋装)は、包みからとりだしたはしを二人でもってかりんとうを舞台奥から舞台前へ掴んで運ぶ。これがアイディア、さてあとは、すべてこの日起きることに委ねられる。最初の一本はうまくいった、けれど、二度目三度目、苦心する。これが運動会だったら、はやさを競う姿を見る、ことになるのだろうが、ぼくは二人の何を見ることになったのだろう、ただその力の入り加減はずし加減、息の合方、異なる二人の体の別々の方向へと向かうブレを、見る。残念だったり、おっかしかったりする、ふたつの身体を、見るのだ。

あるいは、
シェリー、本を積み上げ、その上に乗る。膝を超えるくらいの高さがあるので、見ているよりも相当危ないようだ、不安げに乗ると堪えきれず倒れる(曲は「ビーナス」)。これ、よくよく考えれば、ルビィの作品「ルビィ」のなかの、椅子にのって「ダンシングクイーン」をバックに体が動いて振幅がレンジを超えると椅子から落ちる、というシーンのシェリー版、だった。見ている時は、全然気づかなかった。それは、中村の作品に積み上げた本を頭にのせる、というものがあるせいで、連想がそっちの方に入ってしまったことも原因ではあろう、でも、それより、「高いところからいつか落ちる」点では共通していても、他の点で二人のやり方は大いに異なっていた、そのことが原因としてはより大きい気がする。シェリーはいつも、ものの持っているつきあいにくさ、こちらのいいようにはならないことを無視せず丁寧に引き出してくる。今回も、本から落ちるのは、それがグラグラするからだ。本の無言の抵抗に身体も饒舌に勝手に意識のままならぬ様を開いていく。けれど、岡田の場合は、かかっている音楽に体が反応して内側から溢れてくるものがどうしようもなくなり、制御できなくて、その表面張力を超えた水のように、椅子から落ちるのだ。あえて単純化して言えば、シェリーはものと身体との接触面が重要で、ルビィは内側の出来事が身体を駆り立てるところが重要、だということになろうか。けれどどちらも、意識レヴェルで身体を御すことから遠く距離を置こうと、そうして身体の自由を呈示しようとする点では、共通しているのである。
あるいは、
白い梱包用のテープの玉をシェリーから渡され、それをただひたすら引き出すルビィのシーン。これはもとはシェリーの作品の一部だ。集中して引き出すその和装のルビィを端で見ているシェリーの様子が突然、ぼくの気になるところになる。交互に見てしまう。今回、「休憩」という一場があって、まさにお茶とおにぎりで二人は一休みするのだけれど、その時に普通に会話したり、客におにぎりのはんぶんを渡したりした。こういうことは、案外と重要な瞬間だな、と思う。視点を一カ所に固定させる普通の舞台公演とは違って、観客はリラックスして、むこうとこっち、見るものと見られるものの境界線を曖昧にさせられる。そういう空気が出来ているからこそ、ぼくはひもを繰るルビィのみならず、それを端で見ているシェリーにも注目してしまうのだ。多視点的というかね。そのシェリーが、実に面白そうにルビィの無表情な四苦八苦を見ているのだ。眉がくっと上がったり口が窄まったり、その顔の意図せぬ表情が無性に面白い。ああ、ぼくは中村(シェリー)の公演中、彼女の顔をよく見ていたのだな、と思う。ダンサーの顔は時に見ている側の解釈の基点になったりする、日常ぼくたちが人付き合いの中でそういうことしているように。無表情は例えば饒舌にその舞台が非日常の何かだと言うことを語っていたりする、例えば。そいで、ひもに没頭するルビィの表情も気になると見れば、無表情の中にちょっと恍惚とした(ナチュラル・ハイ!)なニュアンスがこぼれている。ひもの先端を見つけようと一旦バァーと広げた束を足下にたぐり寄せ丸める、その大胆さと和装で楚々とした感じとが不似合いでおかしい。
あとは、
二人ともソロで即興的な踊りを見せた。シェリー中村の踊りらしい踊りというのは、初めて見た。もともと微細な味わいのひとが一層微妙なものをひらいていて、まだまだつかみ所がないのだけれど、もちっとのぞき込んでみたくなる。ルビィの方は、「ウラテンカイズ」というタイトルが付いていることも関係しているのかも知れないが、身体を開いていく方向に動きが転がっていく。そこに内向きの力と同時にそこから自由になろうとするエネルギーのようなものを感じる、それがなんとも言えないエロティックな余韻を受ける。でも、それが「熟女の…」でも「少女的な…」でもなく、どこにも落ち着き処のない余韻だったので、「エロティック」なんていうより、「開いていく」力の情緒と考えるべきなのかな、と思い直す。

ああーたくさん書いた。
それにしても、ほんとに面白い、本質的な探究に邁進している二人のようなダンサーはもっともっとポピュラーになるべきだと切に思う。なってと願う。どうすればいいんだろ。この辺りのツボをプロデュースすること、やりてーなー。こういうアプローチをほとんど生のままで「トヨタ」の舞台に上げてしまった手塚夏子は、こう考えると、やはりスゲー偉大だ。と、手塚が赤ちゃん連れてきてた。ぎゃーなんとカワイイ!つーか、赤ちゃんの首の微妙に過剰に動くところまったく手塚のダンスジャン!

そういえば、その前に、昼頃、ある舞踏家のワークショップを見学させて頂いた。ワークショップは、公演とは別の意味で、また公演よりもダンスというジャンルに相応しい仕方で観客とコンタクトする場なのではないか、そういう見込みを個人的に持っていて、そのことを考えるのにこれからワークショップ行脚をしていきたいと思っていたその第一弾。実に楽しそうだった。二時間半ノンストップで参加者は相当大変そうでもあったけれど。大変そう、でもどんどん巻き込まれて言葉に促されて体を揺すっている間に真ん中の舞踏家のエッセンスが注入されていく、それが凄く興味深かった。
えっと、今後、さまざまなワークショップを見学したいと思っています。もし、見に来てもいいよ、といって下さる方がいれば、ご連絡下さい、よろしくお願いします。

ローザス『Bitches Brew/ Tacoma Narrows』

2005年04月09日 | Weblog
を見た。場所は彩の国さいたま芸術劇場大ホールにて(4/8)。

90分というローザスにしては長い作品は、フルヴォリューム、いまの彼らダンサー達のまた彼女ケースマイケルの力量ないしはヴォキャブラリーの幅を大いに見せつけるものだった。いや問題は「幅」だけではないだろう、というよりもボッンと突きつけられたのは、もっと強いシンプルなもの、ダンス(ダンスすること)への強い思いなのだった。

基本的には、マイルス・デイヴィスの69年のLPが音楽として用いられる。ただし、そこから拾い上げられてくるダンスは非常に多彩だ。多彩?やはりそういう鳥瞰的な視点から繰り出されてくるものに大きな違和感を感じる、どうもそうじゃない、ここにあるのは「ゲーム」への愛好(中毒・熱中)とでもいったものにより近い。ただしそのステージがどんどん変わっていくのだ。そこにはそこの流儀とか、振る舞いの繰り出し方とか、センスとかがある。それに個々のダンサーがトライアルしてゆく。見ている間はそういうことをあらかじめ感じてみる、という必要を感じなかったのだが、どうもケースマイケルがポストトークで強調していた言葉を尊重すると、このトライアルは「即興」に捧げられたものだと言うべきなのだろう。ただし、ぼくにはこの時間をあまり即興という枠組みで捉える気がない。これまた本人がトークで話していたように、構造をどうしつらえておくか、ということに主にケースマイケルの努力が注がれているわけで、「どれだけのストラクチャーがあれば自由になれるか 自由になるためにはどれだけのストラクチャーが必要か」という発言を鑑みれば一目瞭然なように、単に「思いつきを転がす」といった程度の他愛もない一般的な即興感とは、天と地ほどの隔たりがあるのだ。
そして、そのダンサー達による即興的な時間のトライアルの内には、確かに多くのケースマイケルのトライアルの跡が輝いており、その戦略はコンテンポラリーダンスの現在の最高到達点を示しながら、他ならぬダンスへの愛とでも言う以外にないものをこちら見る側にぶん投げてくる。
とりわけ、ぼくが参ってしまったのは、いわゆるジャジーな後半の後半に至る前のところで、ヒップホップのさまざまなヴォキャブラリーが取り上げられながら、しかしそこに求道的に迫っていくのではなく、むしろユルく気軽にファッションで着こなすみたいに踊るなんて感じの部分だ。「ホワイトソウル」なんて言葉が浮かぶ。けれども、黒人のものを白人が操る時に起こりがちなリズムの喪失は巧みに避けつつ(ある程度のリズムの魅力はきちんと感じさせながらも)、ユルい独自のタイム・ラグを生み出しさえもする。このタイム・ラグの妙味を添えるアイディアがいわゆるコンテンポラリーダンスと呼ばれるもののそれとして舞台にあることが、まさにコンテンポラリーダンスのいまの最高到達点とぼくがいいたくなってしまう当のものなのだ。
そしてそれは、アートとしてのダンス=コンテンポラリーダンスが限りなくクラブ的なダンスに近づいて見せた危険なトライアルでもある。もう、観客が「観賞」の姿勢でいることがアホらしくなる、その際際まで責め立てる、踊っちゃいたい、椅子をどけちゃいたい(それを邪魔するのはどこのどいつだ!ああ、アートとなったダンスの作法ね)、と、じゃあアディオス!元気でセニョリータ!と言い切ってしまいそうなくらいの素晴らしいクリシス。でも、そのクリシスを呼び込んだのは他ならぬコンテンポラリーダンスだという、そんなオチ。
即興というか、これまでの作品作りにも顔を見せていたカポエラ的な、要するにファイティング/ダンシングの要素がぬるい解決を拒否しながら、しかしまたもうひとつのローザスの要素である気流や渦巻きを思わせる「自然の運動」の群れがその周りにとりつき取り巻き、舞台を揺らし続ける。揺らされる舞台は、ダンサーを水槽を泳ぐ魚のように観客の安心した観察対象にすることもせず、しかし個々のダンスが際だったものとしてひとつひとつ蠢く状態にあることを決して止めない。その点、「ドラミング」と「ワンス」の見事な「折衷」と纏めるのは、単純すぎるかも知れないが、そんなこと言ってみたくなるくらい、新鮮でかつきちんとローザス的だったと言うことなのだ。
ああ、もっと整理すべきこと、纏めるべきことが幾らでもあるような気がする。とくに、長身の男性ダンサーがぐんにゃりしながら激しい動きを繰り出すところが、気持ちよかった。こういう形状、要するにヒップホップのグラフィティなどにみられる形、がどんどん吸収されて呈示されて融合されて批判されて、いく、そんなところ、ついつい盛り上がってしまった。他にも思い出したら、ここに備忘録的にどんどん後から描き残しとこ。
少なくとも言えるのは、ローザスの今日の公演によって、ダンスはダンスだということが明らかになった。ダンスがダンスである時に一番ダンスが輝くというあまりにも当然な帰結、に酔った。見た方がいいよ!とくに、ダンサー&振付家諸氏!

ところで、なんか今日の作文変だ!そじゃない?多分朝方に、変態評論家(?)の抱腹ぜっとう文を読んだことと、田口賢司の『メロウ』(こりゃまた素晴らしいのだ)を電車で読みながら埼玉を行ったり来たりした、せいだ。Aはサルサの教室にウキウキで初日行ったりきり日付変わっても帰ってこないし、ねー、今日はイイものの周りで翻弄されてグラグラしてた一日だった!

田山明子『情熱の花 Ⅱ』

2005年04月08日 | Weblog
を夜見に行く(@テルプシコール)。

その前、今日(4/7)は、部屋掃除をばんばんする。布団を干し、洗濯をし、強い風に揺れる花を撮る。
ジョグを昼にする。向かい風に息が上がる。

で夕方中野へ。
初めて見た。田山は端的に言うと日本的な中年女性の身体である。この身体が彼女の用いるメディアだとして、その個性(そのからだが自ずと示す表情や特性、動きの質)がそれ自体として悪いということは、決して言えない。そこには、時代の跡(60-70年代、ぼくが幼少の時の微かな記憶に残る感触)のようなものも感じる。ただし、重要なのは、そのような条件のなかで静止しているのか運動を目指しているのか、ということ、それだけだ。
暗黒舞踏は、内向をひとつの方法として採る踊りだと、ぼくは考えている。外側につまり相手のダンサーや観客に向かっていくのではなく、あたかもそういうものが存在しないかのようにただひたすら内を向く。さて、でも、この「内」とは簡単に特定できる「自分」のようなものであるとは限らない、というよりも、「向く」という没入の具合こそが見所、見せ所なのであり、その際、どこまでも「内」なる「自分」が固定されずにズレ続けていく、そうであることによって、時間は延長され、そこにそのズレの時間に運動が生じるのである。
さて、田山はこの「自分」の特定を静かにかわしながら進んでいく。冒頭の冒頭は、その手振りが、その黒いロングスカートを扱うさばき方が、先に記したような「ある年齢の女性」的なものを呼び込んできた、その時には、それで済んでしまうものと思ってもいた。いや、でも見れば見るほど、微妙でしかし個性的な形象が次々繰り出されてきて、横に照明でラインを引いた道筋で、インベーダーゲームのような横への移動をゆっくりしながら、そこに出てくる運動は、どこまでも何かでありそうで何ものでもない生物の生成変化をくり返しながら行くのである。神社の境内?でとってきたような音、鳥の声、車の音が聞こえ、するとこの生物は、何かその音響の中でさまざまに変転しながらそれ自体は動くことのない植物に思えてきた。ああ、そう言えばタイトルにも「花」とあった。映画『誰も知らない』をぼくはひとが植物化する映画だと考えたのだけれど、ただそれは決して悲観的なメタモルフォーゼではないな、と田山の運動からそんなこと思ったり。
時間へと運動へと引き込む、その引き込み具合だけが、きっと重要なのだ。その際起こる身体の諸形象は、必ずしも印象として残っていかない。そこに記号化や意味付与はほとんど生じてこない。だからどんどん忘れてしまう。そしてだからこそ、ここには何らの主体もないのだ、と思う(この点、この点に限って最近読んだ青木淳悟の読後感と似ている)。この人は誰なのか、この人の「自分」はどんななのか、特定できない。特定できないところにただただ存在するエナジーが、彼女曰くの「情熱」なのだろう。

中野ではどこでご飯を食べればいいのかわからず、味のテーマパークみたいなサンモール脇の小路をふらふらして「味七」というミソラーメン屋で「特みそ」を食す。美味い。でも、これで、昼のジョグは帳消しだなー。

帰り道、『relax』購入、なんと特集はファッション&ダンスだと!

タモリ二冊

2005年04月06日 | Weblog
朝、アマゾンから書籍が届く。

『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社)
『Quick Japan Vol.41』(太田出版)

だ。
前者は早稲田大学の文学部西洋哲学専攻を中退したタモリ氏による、傾斜の思想キルケゴールと平地の思想ハイデッガーとを対比した哲学的考察(ただし、「学生の頃、一度読んだことがあるが、あまりに難解なため、壁に投げつけてヒステリーをおこしたことがある。従って内容はなんにも理解していない」という)を基に東京の坂道が紹介される。幼少の坂道体験など、タモリ氏の自分を見る視線が強烈に坂道を舞台に煌めく、いいね、と思って頁を捲っていくと、その本はただの坂道ガイドブックと化していた、坂道近くの甘味処が紹介されてたり、なんだよ。

そんで目黒川沿いで

2005年04月04日 | Weblog
大竹伸朗の画集『so』(宇和島現代美術)を牛のマークの古本屋で購入。

ちょっと高かったけれど、ビビビッときてしまい、隣のAも好感触だったので買っていくことに。
素晴らしい。
作品も相当面白いが、何よりこの人のエッセーがいい、カッコイイ。
とくに、『イレブン』に寄稿したサッカーのエッセイ「異端児ジョージ・ベスト万才!」。

「見てはいけないもの、それがジョージ・ベストだった」

とはじまる文章は、サッカーを借りたアート批判になっていて、例えば、ジョージ・ベストという天才的かつ不良のサッカー選手を礼賛する際、その反対に位置する「健全なスポーツ精神」なることばを「大嫌い」と断言してその理由を、

「「健全」という単語が精神などという漢字を形容するのが恥ずかしいし、まして精神の直前に「スポーツ」なんていう名詞が顔を出しているフレーズなど絶対信用できるわけがない。フレーズからは、頭から入った音楽のうそくさいノリとか、サッカーやってなかったサッカーマニア連中のサッカー論などに通じる不健康さが逆にムンムンにおうではないか。」

ときた後で、「スポーツ」概念の批判=「アート」概念批判(ぼくにはどうもそんな風に読めてしまう)は、最終的に美(感性)学の擁護というところに向かっていく。つまり続けて大竹はいう、

「そんなのは運動神経とは行きつくところ「センス」であるということが解ってない連中専用のフレーズに過ぎない」

ああ、こういう文章読んじゃうと、この文章の作者に全幅の信頼を置きたくなってしまう。ああ、中学時代のぼくは陸上競技とロックと文学をこういう「センス」のレヴェルですべて同列に置きながら、ガンガン反応しまくってたよな、とかなんとか思い出す思い出す。

青木淳悟『四十日と四十夜のメルヘン』(新潮社)読んでる中。

(写真はバリと銚子出身の楽団in本棚)

晴れやかな日

2005年04月04日 | Weblog
昨日(4/3)は、友人の結婚パーティーが渋谷と代官山の中間くらいの場所であった。不思議な縁である。ダンスの公演を頻繁に見に行くことになった3-4年前くらい、そこで頻繁にお目に掛かるので「知人」とでも言う存在になった新郎は、気がつくと悩み事なども相談してしまう、ぼくにとって一種「兄貴」的なひとになっていた。しがらみが薄い分楽につきあえる相手というのは、このような年頃(本人はぜんぜん若いぜ!と思ってても、ね)になってくるとごくごく貴重だ。そのひとが、一年ちょっと前に出会ったよきひとと、はれの日を迎えた、、、なんて、なんていい日なのだろうと自然とにこにこしていると周りの知人とにこにこの連鎖を起こしたり。
春だ。
午前中からの結婚式に出席していたAは、今日二回目のお祝いで、もうすでにいい感じで酔っている(幸せに)。さあ、ではでは、おひらき後は、目黒川沿いのさくらでも見に行くか。
まだまだつぼみばっかりで、二分咲き?くらいか。でも、ういういしいとも言えるね。


『半島を出よ』読了。凄かった素晴らしかった。これ、読んだ方がいいっスよ。一種の認識論であり、川口隆夫を思い出させもする一種の崇高の生理学-美学でもある、いやいやそれより何より、、、

東雲舞踏『ど』と塩田明彦監督『カナリア』

2005年04月03日 | Weblog
を見た(4/2)。

東雲舞踏は、チラシがそうであったように、舞踏のパルプフィクション(三文小説)というか舞踏を翻案した漫画、という感じだった。最初始まった時に思い浮かんだ言葉は、「舞踏のモダンダンス」というもの。モダンダンスが舞踏をやるといったことではなくて、モダンダンス的な「中庸」とでもいった姿勢でやる舞踏という意味で。大駱駝艦が主に保持している舞踏のスペクタクル性を引っ張ってきて、そのセンセーションの前に置く身体はきわめてフツー。どこ見所にすればいいんだ?と思ってしまうが、同時に、時代は舞踏をこのようにまでペラペラにして利用するところまで来たのか、ということにちょっと驚く。「大衆化した舞踏」という言葉も浮かぶ。でも、それは端的に舞踏という概念に背反しないか。いやべつに、そんな目くじら立てないでよ、と彼女たちから言われている気になる。やりたいことやっているだけなんだから、と。んー、そんな雰囲気が漂い出すと、これはもう学園祭の演目みたいに見えてくる。学生が一生懸命。やりたいことやっているんだから、それでいいじゃないですか?そう、です、ねえ。舞踏が個人の趣味になったもの、、、として見える。
それがでも、学園祭ではなくて、シアター・トラムで行われている限り、何らかの市場の中で、何かしらのユーザーを想定して、そこから何らかの利益を得ようとして行われているものだということに、ふと意識が目覚め、だとするならば、彼女たちが想定しているユーザーとはいったい誰のこと?という問いが浮かぶ。パルプフィクションは、それなりに必要なメディアなのだろうな、と思う。だからぼくはべつにそれ自体としてパルプフィクションとしての暗黒舞踏を批判する気持ちはない。でも、本当にそこにユーザーはいるのか?そこだ。だからこそ、チラシにあったような海外での評判の信憑性が気になる。これは海外にユーザーのいる舞踏なのか。本当にそうなのか。

と、ブツブツ考えながら渋谷まで歩く。途中で、古本屋に寄る。以前も福田定良の本をここで買った。ロシアびいきの不思議なおばちゃんが店番する古本屋、ぼくが大信頼の店。
そこで、今日も凄いいい本をゲット。

ジャン-クリストファー・アグニュー『市場と劇場 資本主義・表象の危機 1550-1750年』平凡社。
イェジュイ・グロトフスキ『実験演劇論 持たざる演劇をめざして』テアトロ刊。
矢内原伊作編『芸術の思想 14』

とくに、アグニューの本は、ぼくがダンスのなかに見ようとしている「社交のスキル」になにほどかの示唆を与えてくれるに違いない。というか、この時代に考えられていた「演劇性」なるものが、市場という極めてリアルなしかしまさしく演劇的な場所を舞台に語られると言うことはそりゃもうそれ自体でたまらなく面白そう、でしょ。

で、夕方さらに、
塩田明彦の『カナリア』を見る(シネアミューズCQN)。
明らかにオウム真理教を意識したニルヴァーナという教団に入信した母と二人の子供。二人の子供の内の一人が保護施設から飛びだした。て、というお話。
そこに、またかよの少女が関わってきて、少女=母性的存在の周りで世界が動いていく。困ったなあと思ったら、最後はちょっと違っていた。
素晴らしい作品と太鼓判を押す程ではないかも知れない、実際。でも、オウムを表象することの意義というものを再確認させる力はある。95年(十年前か)ぼくたちはすっかりオウム漬けの日々を過ごしていたのだ、そのときには必ずしもすべての人がオウム批判をしていたわけではなく、擁護するもの、一部に(すべてではないとしても)賛同の気持ちをもつもの、ファンクラブ的に熱狂するものなどいたのだ。そして彼らはいまもぼくたちの周りで生きており、またぼくたちがそのような人たちでもあったのだ。すっかり忘れて生きているけれど。オウムにのめり込んでいった気持ちは、けっしてすべて意味のないものだったわけではないはず、ぼくたちはもはや何にものめり込むことなくただ口をぱくぱくして生きている、けど(なんて、帰りの渋谷の喧噪のなかで考えてみたり)。

それにしても、『半島を出よ』凄いことになってきた!!あと残すところ70頁ほどに。ああっ、やっちまった!

石井恵梨子のもっと音楽を聴きましょう(bySPA)

2005年04月02日 | Weblog
『SPA』などはほとんどまったく買うことはないのだが、駅で拾ったものを何気なく読んでみた(いや、別に毎日そんなことしてるわけではありませんよ、あしからず)。
女と車が通常の若者男性誌のネタだとすれば、投資と心理術がSPAの主たるネタ。要するに経済なのです。シンプルな「男性的欲求」はもはや否定気味の本誌では、目指す欲求は金(世渡り)。
まあ、それはそれでおいといて、ちょっと気になった「石井恵梨子のもっと音楽を聴きましょう」というコラムの一言(に行く前に、そもそもこのタイトル変だよな。なんで石井ちゃん読者に音楽聴こうって勧めてんの??この「ススメ」な感じが、経済誌的なのだ。「聴く」と言うより「知っ」とけってな)。

「nobodyknows+やHOME MADE家族などを擁する名古屋シーンですが、その特徴を一言で言えば、新しさを無視できる強さ、となります」

これ、正論だよなー。「新しさを無視」というのは、要するにださくてよろし、ということ。いや、むしろださくなくちゃダメってことかも?

「常に最新の情報と鮮度を要求されるヒップホップ・マナーを顧みず、地元を愛してナンボ、紅白出てナンボでしょうと鼻息を荒くするド根性。」

なるほど、地元愛は要するにアンチ東京=アンチ情報を意味し、紅白出てナンボは東京をオミットして全国区になれるし、それで全然オッケーという姿勢を意味している、気がする。
さらに、このとりあえずおいた「東京」は、常に新しさを求める「アート」と置き換え可能な気がするし、そうなれば、ますますいまのヒップホップ・シーンのユルさが、リアルに見えてくる。
ダサイものはあらかじめ判断がマヒしてしまうので、そういう判断から自由になりうる。その開放感が聴き手に何かしらの「肯定感」を与えるのかも知れない。でも、多分与えてくれるのはそういう「大丈夫だよ、このままで全然オッケー、何も考えないで、前に進んでいこう、僕たちの未来は明るい」という意味希薄な「肯定感」だけ満載のメッセージ。
すると、それが分かっちゃうと音楽的には聴くとこがないわけで、あっという間に捨てられて、どっかいっちゃいそう。でも、そういうぺらぺらであってもいいから兎に角肯定感が欲しい、という切実な欲求がその背後にあるのだとするならば、そのことの方が重大なのだろう、かね。

スラヴォイ・ジジェク×グリン・デイリー著『ジジェク自身によるジジェク』清水知子訳、河出書房新社、2005年を読む。