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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

宇野邦一『〈単なる生〉の哲学 生の思想のゆくえ』(平凡社、2005年)

2005年04月27日 | Weblog
を読んだんだけれど、

アルトーと共に、ここには土方巽が頻繁に言及されている。ニーチェとかフーコーとかアガンベンを通して「生」を語る場所でアルトーはまだしも「土方」がフツーに取り上げられているのは、宇野さんならではという言い方も出来るけれど、なんとも変わってる、常識的には。土方知らない人は面食らうのではないかな。でも、土方に言葉が及ぶたびに、どれどれ、と読みが進んでしまう、ぼくでして。

いやーでもね、論じ方とか論じている箇所とかが凄く似ているんですよ、ぼくの最近書いた論考と!

あの、弁明しておけば、この本は今年の一月末に出版されたもので、ぼくの原稿は昨年末には投稿してましたので、まったく宇野氏の本を読まずして書いたものです、はい。それにしても、刑務所に関するエッセイを取り上げる感じとか、生を問題にするところとか、似ているといえば実に似ています。きっと、モティベーションを共有しているんですよね、宇野氏とぼくは。そうそう、ぼくの論考でも結末部で宇野氏の昔の論考の一部を引用したりしてますから、引っ張られている面はあるのはある(またこれも、ぼくが考えていることを下支えして入れた文章として引用したつもりなんですが、ね)。

いろんな意味で、この本もお薦めします。土方を論じる、これ今、熱いです!