というタイトルで五十枚くらいの原稿を書きました。是非お読み下さい!
といっても、
これが所収されているのが、『死生学研究』(春号、2005年)という東京大学人文社会系COEの研究紀要であり、非売品なので、書店で問い合わせても手に入るものではありません。
なるべくしばらくの間は、公演などに出向く時など持ち歩いていようと思ってますので、ぼくにあった時には、声をかけて下さい。コピーでよろしければ無料でお譲りします。あるいは、読みたいとお考え下さった方はメールにてご連絡を。なるべく(希望者多数なんてことになったらちょっと保証できませんが、こっちもちで)郵送させていただきます。
これまでと同じく土方のテクストを基本的なよりどころにして、土方の理論がもつ究極的なところの奥深くに迫ろうとした哲学的考察です。
この原稿のことは、今春出版予定の理論系演劇雑誌のなかで、ぼくが参加した対談でも言及しており、その一端はそこで理解できるようになっています。ただ、それは註のひとつの部分を紹介しているだけなので、どうぞ興味をお持ちの方は連絡ないし声掛けして下さい。ダンサーの方も。
どこまで狂気・デタラメの究極に向かうか、その土方のクールな前のめりにどこまでクールに追走できるか。そんな試みです。
これとは別に、
ディドロ『演劇論』(ディドロ著作集 第九巻、八雲書店)を借りる。さて、いよいよ本丸へ(個人的に盛り上がっているフリードの「演劇性」と「没入」の議論は、ここがひとつの根っこなんですね)!
といっても、
これが所収されているのが、『死生学研究』(春号、2005年)という東京大学人文社会系COEの研究紀要であり、非売品なので、書店で問い合わせても手に入るものではありません。
なるべくしばらくの間は、公演などに出向く時など持ち歩いていようと思ってますので、ぼくにあった時には、声をかけて下さい。コピーでよろしければ無料でお譲りします。あるいは、読みたいとお考え下さった方はメールにてご連絡を。なるべく(希望者多数なんてことになったらちょっと保証できませんが、こっちもちで)郵送させていただきます。
これまでと同じく土方のテクストを基本的なよりどころにして、土方の理論がもつ究極的なところの奥深くに迫ろうとした哲学的考察です。
この原稿のことは、今春出版予定の理論系演劇雑誌のなかで、ぼくが参加した対談でも言及しており、その一端はそこで理解できるようになっています。ただ、それは註のひとつの部分を紹介しているだけなので、どうぞ興味をお持ちの方は連絡ないし声掛けして下さい。ダンサーの方も。
どこまで狂気・デタラメの究極に向かうか、その土方のクールな前のめりにどこまでクールに追走できるか。そんな試みです。
これとは別に、
ディドロ『演劇論』(ディドロ著作集 第九巻、八雲書店)を借りる。さて、いよいよ本丸へ(個人的に盛り上がっているフリードの「演劇性」と「没入」の議論は、ここがひとつの根っこなんですね)!