今回のシリーズでは、触診によって組織の質的な変化を感じるための、身体操作法についてお話をしてきました
「身体を引く」 「身体を沈める」 操作は、 「軽擦法」 「圧迫法」 と同じだとお伝えしてきましたが、これは体幹などの大きな部位だけに用いるのではなく、DIP関節など手足の小さな部位でも同じです 。
体幹はイメージしやすいのですが、小さな部位はピンときにくく、どうしても手先の力に頼りがちです。
でも、このような 小さな部位の操作でこそ、質的な変化を感じるためには、身体を大きく動かして練習することが大切です。
「小さな操作は大きな動作で行う」ですね。
以前、「ひとりでできる!! 関節あそび検査練習法」でDIP関節を取り上げたのは、そのようなことを、知っていただきたいためでもありました。
もう一度、身体を大きく動かして、DIP関節の関節あそび検査を練習してみてください。
手先だけの力を用いた場合と、明らかに印象が違うと思います。
ところで、もしかしたら混乱されるかもしれませんが、大切なことをお話しします
一見、評価である触診と、治療法であるテクニックは別々のようにみえます
評価と治療は、油断するとナアナアになるので、臨床を進める上では分けて考えるべきものですが、身体操作という観点からは分けてはいけません
触診のときは感じることに専念して、テクニックのときは行うことに集中する、ではイケナイわけです。
圧迫法のときにもお話ししましたが、手技療法のテクニックは「働きかける技法」であると同時に「感じ取る技法」でもあります
これらが両立していないと、思わぬ事故を招く可能性もあります
「両立」 と申しましたが、小姑のようなことを言えば、これもすでに両者を分けて考えていることになります。
身体を動かすことと感じること、知覚と運動は生理学的には分けることができても、実際の行動レベル (つまり身体の操作) では分けることができません。
分けて考えることは、分類や整理をするうえでとても便利な半面、行動レベルでは弊害も生んでしまう可能性があります。
少々乱暴な表現をしますと、身体を操作するという観点からは、触診とテクニックは便宜的に名称を分けているにすぎません。
両者の違いは、身体を動かす範囲、加える力、スピード、この3つのレベルの差です。
触診のとき、すでに患者さんに働きかけているのであり、テクニックを行っているときは、常に患者さんのことを感じながら行わなければなりません
触診の「触れる」という行為を行った瞬間、患者さんの心身に影響を及ぼしています。
(もっと言えば、会った瞬間から影響を及ぼしています)
テクニックの時に行う触診は「モニター」と呼ばれています。
モニターによって、機能障害に対して正確にコントロールされた刺激が及んでいるかを感じ取り、患者さんが不用意に力を入れたり、緊張したときにはセラピストは直ちに力を抜くなど適切な対応が可能になります。
【触診五話 その一】でお話しした、「やさしく触れる」ことと「力を抜く」ことは、別々ではなく、同じループに含まれるわけです。
サラッと何気なく書いていたように見えたかもしれませんが、別なものではないということは大切なポイントです。
手技療法の身体操作において、「評価と治療」 「触診とテクニック」 「感じる技法と働きかける技法」は同じものであるということ。
ちょっとややこしかったかもしれませんが、私が伝えたかったこと、おわかりいただけたでしょうか
無意識にできている方も多いと思います。
なんてことないように感じるかもしれませんが、とても大切なことだと私は感じているので、確認の意味も込めてぜひ押さえておいてください。
イカンイカン、何だか酔っ払い親父みたいにくどくなってきたナァ
【触診五話 おわり】
「身体を引く」 「身体を沈める」 操作は、 「軽擦法」 「圧迫法」 と同じだとお伝えしてきましたが、これは体幹などの大きな部位だけに用いるのではなく、DIP関節など手足の小さな部位でも同じです 。
体幹はイメージしやすいのですが、小さな部位はピンときにくく、どうしても手先の力に頼りがちです。
でも、このような 小さな部位の操作でこそ、質的な変化を感じるためには、身体を大きく動かして練習することが大切です。
「小さな操作は大きな動作で行う」ですね。
以前、「ひとりでできる!! 関節あそび検査練習法」でDIP関節を取り上げたのは、そのようなことを、知っていただきたいためでもありました。
もう一度、身体を大きく動かして、DIP関節の関節あそび検査を練習してみてください。
手先だけの力を用いた場合と、明らかに印象が違うと思います。
ところで、もしかしたら混乱されるかもしれませんが、大切なことをお話しします
一見、評価である触診と、治療法であるテクニックは別々のようにみえます
評価と治療は、油断するとナアナアになるので、臨床を進める上では分けて考えるべきものですが、身体操作という観点からは分けてはいけません
触診のときは感じることに専念して、テクニックのときは行うことに集中する、ではイケナイわけです。
圧迫法のときにもお話ししましたが、手技療法のテクニックは「働きかける技法」であると同時に「感じ取る技法」でもあります
これらが両立していないと、思わぬ事故を招く可能性もあります
「両立」 と申しましたが、小姑のようなことを言えば、これもすでに両者を分けて考えていることになります。
身体を動かすことと感じること、知覚と運動は生理学的には分けることができても、実際の行動レベル (つまり身体の操作) では分けることができません。
分けて考えることは、分類や整理をするうえでとても便利な半面、行動レベルでは弊害も生んでしまう可能性があります。
少々乱暴な表現をしますと、身体を操作するという観点からは、触診とテクニックは便宜的に名称を分けているにすぎません。
両者の違いは、身体を動かす範囲、加える力、スピード、この3つのレベルの差です。
触診のとき、すでに患者さんに働きかけているのであり、テクニックを行っているときは、常に患者さんのことを感じながら行わなければなりません
触診の「触れる」という行為を行った瞬間、患者さんの心身に影響を及ぼしています。
(もっと言えば、会った瞬間から影響を及ぼしています)
テクニックの時に行う触診は「モニター」と呼ばれています。
モニターによって、機能障害に対して正確にコントロールされた刺激が及んでいるかを感じ取り、患者さんが不用意に力を入れたり、緊張したときにはセラピストは直ちに力を抜くなど適切な対応が可能になります。
【触診五話 その一】でお話しした、「やさしく触れる」ことと「力を抜く」ことは、別々ではなく、同じループに含まれるわけです。
サラッと何気なく書いていたように見えたかもしれませんが、別なものではないということは大切なポイントです。
手技療法の身体操作において、「評価と治療」 「触診とテクニック」 「感じる技法と働きかける技法」は同じものであるということ。
ちょっとややこしかったかもしれませんが、私が伝えたかったこと、おわかりいただけたでしょうか
無意識にできている方も多いと思います。
なんてことないように感じるかもしれませんが、とても大切なことだと私は感じているので、確認の意味も込めてぜひ押さえておいてください。
イカンイカン、何だか酔っ払い親父みたいにくどくなってきたナァ
【触診五話 おわり】
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