手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

手技療法にできることは「土を耕す」ことと同じ

2010-01-30 20:20:20 | 学生さん・研修中の方のために
手技療法には、さまざまなテクニック・療法があります。


それと共に、さまざまな効果が宣伝されています。


いわゆる民間療法になればなるほど、「難病が治る」 といったようなビックリするふれこみもあります


ではそれぞれのテクニックが、病気そのものを治しているのかというと、決してそうではありません







私は手技療法が行っていること、できること、というのは、基本的には 「畑の土を耕す」 ことと同じではないかと思っています


土が硬いままでは、作物はなかなか育たないでしょう


芽すら出ないこともあるかもしれません。







耕すことによって、あるていど土が軟らかくなると、ミミズも動き回ってさらに軟らかくなり、通気性や保水性が良くなって微生物も繁殖し、肥えた良い土になっていきます。


つまり、「耕す」 こと以外は自然の働きで変化しているわけです。







手技療法によって刺激を与え機能障害が改善すると、組織の動きが良くなって、循環機能や神経機能、呼吸機能が向上して、正常な代謝活動が再開され、ADLの向上や治癒につながっていくわけです。


つまり、「刺激を与える」 こと以外は、身体の自己修復・更新機能によって変化しているわけです。


同じようなものだと思いませんか?







どんなに難しい症状が良くなったとしても、それは身体が治したのであり、手技療法は 「土を耕した」 にすぎません。


ここを忘れて、テクニックの効果を華々しく語るのは論理の飛躍というもので、セラピスト自身がとんでもない錯覚を起こすことになります


とくに学生さんや研修中の方は、くれぐれも注意なさって下さい







そして当然のことながら、土を耕すだけで作物は育ちません。


水や日光、堆肥も大切ですし、土を休ませることも必要になるでしょう


場合によっては、農薬や間引き (枝切り) も必要になると思います。







同じように、手技療法だけで万事OKということなどあるはずなく、栄養や運動や休息も大切です。


というよりもそちらが基本です


状況によっては、薬物療法や外科療法が必要なときもあります。


ふつうに当たり前のことですよね







ただ、今の医療を見渡すと、「土を耕す」 という視点がちょっとおろそかになっているのかもしれません。


土を耕しさえすれば芽が育つ状況であっても、いろいろな農薬を使おうとしたり、枝を間引くほうに意識が向きがちである、といえるのではないでしょうか。


ここが、私たちが体性機能障害の存在と、それに対する手技療法の有効性を主張する押さえどころではないかなと思います



フックとは「…」である。 

2010-01-23 20:00:00 | ASTRについて
これまでセミナーなどでASTRをお伝えしてきて、もっとも大変だったのが「フックする」という感覚をつかんでいただくことでした


あれこれ悩んで考えて、最近ようやく誰でもわかる、誰でもやったことのある例えにたどり着きました







何だと思いますか?















… … 







… … …







それは「アッカンベー」です。







だれでも小さいころ、1度や2度はやったことがあると思います。


そう、フックとは 「アッカンベー」 と同じなんです。







あまりにバカバカしくて、拍子抜けしませんでしたか?


このように開いた口がふさがらないとか


でも、テクニカルなことを早く習得するためには、自分にとって身近で、こなれていて、感覚的にわかるものでないとなかなか身につきません。







では童心にかえってやってみましょう


この場合、舌は出さなくても結構です。


「下まぶた」 だけ指でひきます。







はい、アッカンベー














久しぶりにやってみて、いかがでしょうか?

さすがに写真をアップするのは恥ずかしいので、止めておきますね







アッカンベーは、まず人差し指で下まぶたに触れて圧迫し、そのまますべらないように足方に引きます


下まぶたを強く押して、骨に押しつけたりはしません


足方に引くときも、皮膚をすべってズルズルと口まで滑らせることようなことはなく、下まぶたを引いてそれ以上動かなくなったところで止めます。


まさにフックそのものです







練習をしていると、フックとはどういうものかわからなくなる時があると思います


そんな時は、押さえて引っぱる 「アッカンベー」 を思い出してください。


「きちんとアッカンベーができているかな」 これを確認に使えば、きっと上手くいくと思います。







もちろん実際の臨床では、緊張が強い部位には圧迫の度合いを強めますし、フックポジションからストレッチポジションに入っているとき、多少皮膚がすべることもあります


組織の状態によって変化させますので、 「アッカンベー」 はあくまで基本だと思っていて下さい。


野球の試合では、キャッチボールをしているときのようにボールを投げることはないけど、基本になるキャッチボールは大切というのと同じです







それにしても 「アッカンベー」 の例えは、我ながら 「これはいいナァ」 と思ったのですが、改まったテキストなどでは、なかなか使えない表現ですよね




ストレッチでフックがゆるむ理由

2010-01-16 20:00:00 | ASTRについて
ASTRは、あらかじめゆるませておいた組織に、フックという圧迫と横方向への伸張を加えた状態で、関節運動を伴うストレッチを行うことで、より限局性の高い伸張刺激を組織に加えることができるという治療手技です。


このASTRを使っていて、ストレッチポジションになるとどうしてもフックが緩んでしまい、「なかなか効果が出せません」という方がいらっしゃいます。


その原因のひとつには「重心の移動」があります







下腿三頭筋(起始側)へのASTRを例にお話ししましょう


下腿三頭筋にフックをかけたとき、重心が前にあることで、ストレッチをしてもしっかり組織を固定できます。




ところが、ストレッチに入ると同時に重心が後ろに移動してしまうと、フックがゆるんでしまいます。




重心はフックをかけた側に、できるだけ残しておきましょう。







このようなエラーは、ASTRを使い始めてまだ慣れていない方にときどきみられます


仕方のないことでもあるのですが、慣れていないうちはフックはフック、ストレッチはストレッチと、それぞれに動きに気持ちが集中して別々になりがちです。


そのために、フックしたときは重心がフックの側になるけど、ストレッチするとストレッチした側に移動してしまうわけです







気づいてしまえば何ということはないのですが、わからないうちは重心が移動してもフックがゆるまないように、指先に力を入れてしまいがちです。


これは指先のモニターの感度を落とし、指を傷め(耳にタコですね)、そして何より疲れやすくなります


仕事として毎日長時間行うわけですから、できるだけ余計なエネルギーを消費しない、燃費の良い、エコな治療(?)をする必要があります


そのためにはストレッチに入ったときも、むりなく支えておけるように、重心はできるだけフックをかけた側に残しておきましょう。


(フックの方法については「フックの技法」を参照してください







もうひとつ、重心がストレッチした側に大きく動くと困るのは、ストレッチしている手にも力が入りがちになるということです。


そうなると、上の下腿三頭筋の例では、膝をむりやり伸ばすことになります。


すると患者さんによっては、むりやり伸ばされるのに対して無意識に力が入ってしまい、上手くストレッチできなくなることがあります。


場合によっては、ダメージを与えてしまうこともあるでしょう







このようなことを防ぐためには、ストレッチは患者さんが受け入れられるスピードと範囲で行わなければなりません。 


ですから ストレッチを行う手は、フワッ~とくるむようにつかみ、ストレッチする方向へ誘導する程度にし、患者さんの腕や脚など身体の重みを利用してストレッチするようにします


それでも患者さんがどの方向に動かしてよいかわからないときは、口頭で伝えるとよいでしょう。 


くれぐれも、ギューッとにぎり込んで、ガバッとむりやり伸ばさないようになさって下さいね

体性機能障害はビタミン欠乏症に似ている その4

2010-01-09 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
≪前々回からの続き≫


前々回にお話ししました、体性機能障害は感染症のように病原体に侵されて起こるのではなく、欠乏症のようなものだというイメージは重要ではないかと思います


「欠乏した動きを回復させる」というのは、手技療法などの物理療法で行えることに直接つながり、評価から治療まで一貫したイメージを保ちやすくなります







「病原体のようなものに侵されている」 というイメージを持っているという方も、ひょっとしたらいらっしゃるのではないでしょうか


これは、手技療法など物理療法によって行えることに直接つながりにくいので、イメージとしては不向きかもしれません。


またこのイメージは、「抗原と抗体」のような「鍵と鍵穴の関係」を連想させ、身体のなかの特定の原因を探そうという姿勢に結びつきやすくなるではないかと思います。







たったひとつの、そこさえ押さえたら他はすべて解決するというような、メジャーな治療ポイントだけを探そうという姿勢がこれにあたります


特にはじめのうちは、このような魔法のようなポイントを探すことに目を奪われがちです


もちろん、そのようなポイントが存在することを否定しているのではありませんよ


ケースによってはあり得ると思います







しかし、体性機能障害が回復していく道のりというのは、決してひとつとは限りません。


例えば慢性腰痛に対し、上半身のバランスを整えることで症状が楽になることもあれば、下半身にアプローチすることで良くなることもあります。


あるテクニックを用いて、短縮した筋を伸張して症状が落ち着くこともあれば、他のテクニックを用いて、抑制によって延長と筋力低下を起こした筋のトーンを上げると緩解することもあります。


特に慢性的な症状の多くは、複合した問題で発生しています。







ですから、「ある特定の方法で体性機能障害が回復した」というのは、それはある仮説にもとづいて治療を行った結果、回復をきたしので、ひとまずその仮説は正しかったとしているに過ぎません。


(仮説演繹法ですね


ということは、それ以外の方法が否定されているのではなく、他の方法で良くなる可能性もあるわけです。








いろいろ方法があるといわれると、何だかややこしく混乱しそうですが、実はこれこそがとても重要なポイントです


体性機能障害の治療では、アプローチのルートをどれだか多く設定できるかということが大切だと思います


患者さんの身体状況によってはルートが限られることがもちろんありますが、できるだけ多く設定しておくことは、回復への可能性をそれだけ高めることになるからです


鍵となるたったひとつのポイントを見つけ出そうとする姿勢も、臨床家としてのあり方のひとつかもしれませんが、私はより多くの可能性を見つけ出そうとするスタンスも大切ではないかなと思っています。







そして、もうひとつ。


回復への道のりは一つではないということは、あるアプローチやテクニックを使って良くなったからといって、それでメデタシメデタシではなく、他にもっと良い方法がないかを追求する姿勢が大切なのだということも示しているといえるでしょう










これまで4回にわたって体性機能障害にまつわるお話しをしてきましたが、記事の内容から、私が臨床においていかにイメージや発想を重視しているのか感じていただけたかと思います。


画像検査や血液検査などにより定量化しやすい器質的障害に対して、機能的障害はそれが簡単ではありません。


視診や触診などの評価によって、頭の中で機能障害の分布や形態をイメージし、さまざまな角度からアプローチできる発想をもっておく。


これが、体性機能障害の治療において必要な 『臨床力』(←今風でしょ) ではないかなと、私は思います




あけましておめでとうございます。めでたく100回突破!!

2010-01-02 20:00:00 | よもやま話
あけまして、おめでとうございます


いつも「手技療法の寺子屋」ブログをご覧いただいてありがとうございます


2008年の1月から、ほぼ週1回のペースで続けてきましたが、お陰さまで100回を突破していました


(記事一覧はこちら


第1回でも書いたのですが、私は日記というのが苦手で、これまで1週間と続いたためしがありませんでした。


このブログは日記とはいえない内容ですが、それにしてもここまで続いたのは私にとって快挙です


みなさんに感謝感謝です







あらためて過去の記事をパラパラと読み直して見ると…















… …







アレアレ、知らない間に内容が重なっているところもあるナァ


書くときは、毎回新鮮な気持ちで書いているつもりなのですが…


まあ、重要なことは繰り返しが大切ということで…


いやいや、もしかしてそろそろネタ切れなのかも…


これからも同じようなことがあると思いますが、ご容赦のほどを







この「手技慮法の寺子屋」ブログを続ける中で、いつも心に留めてきたのは、できるだけ臨床に近いことを、わかりやすく書こうということでした


ときには「ことば」で表現することが難しいものもありました。


テクニックを用いるときのちょっとしたコツなどですね


でも、それを知っているかどうかで結果が違ってくることもあるので、上手く書けたかわからないのですが、脳ミソをできるだけシボり、例えやイメージを用いて表現してみました。







このようなことをしているのも、手技療法に興味を持ったすべての方に、その面白さを伝えたいからです


せっかく関心を持って手技療法の勉強をはじめても、ちょっとしたコツが分からなかったために身につかず、離れていってしまうなんてことがあったらとても残念です


その方にとっても、そして、手技療法によって手助けできたはずの患者さんにとっても。







最近は、手技療法の専門書も増えてきました


内容も、基礎研究の新しい研究結果が反映され、より詳細になってきています


これは、手技療法の発展のために良いことであるのはもちろんです


ただ、その半面、とっつきにくい印象を持たせてしまうのではないかという心配も私はしています


また「触れて動かす」という、ごくごく基本的なところがおざなりになっている気がしてなりません。


手技療法は、もともと『痛いところに手を当てる』という本能的なところからスタートしている、とっても身近なものです。


私は手技療法が、「とっつきやすさ」「身につけやすさ」「使いやすさ」を持ちつつ、それがきちんとした根拠に裏付けられ、さらに、より高度なテクニックも備えているという奥行きを持ったものになればと思っています








ここまで手技療法の基本的なところにこだわるのは、私は「手で触れる」という行為そのものに、興味をもってこの世界に入ってきたからかもしれません。


(その理由については治療院のサイトで紹介しています興味のある方はこちらをご覧ください


「手技療法は体性機能障害を治療する『手段』のひとつです」と、これまでも書いてきましたので矛盾していますが、私自身にとっては手技療法は「目的」そのものです。


大げさかもしれませんが、自分の一部といえるほど手技療法は私にとって大切なものです


だからこそ手技療法に多くのエネルギーを注ぎ、たくさんの方に役立てるようにしていくことが自分の役割かなと勝手に思っています。


でも裏を返せば、とても偏りがあるといえます


ですから、すべての方が私と同じようなスタイルになるのは世の中としても良くないと思いますが、少しくらい私みたいな人がいてもいいですよね


(「うん」と言ってほしい…


難しい理論的なことはそれが得意な方にお任せして、私はテクニカルなほうでがんばろうかな







当面は、ASTRをより覚えやすく、より使い勝手の良いもへと整備することに力を入れるつもりです。


それから、たくさんある様々なテクニックを、使い勝手という観点から統合して整理していくことについて考え、手技療法の可能性を追求したいと思っています。


さらに、触れることによって相手の心へどのように働きかけることができるのか。


そして、触れ合うということは人間にとってどのような意味があるのか、自分なりの答えを出したいと思っています。


その答えが出るころには、そろそろお迎えが来ているかな?


そんなふうに自分の人生を考えています。


このブログも、私の脳力的な問題で?いつまで続けられるかというところですが、少なくてもひとつの節目として3年、来年の1月まではがんばりたいナァ、なんて思っています。







ところで、みなさんにお願いがあります


このブログをご覧になって、「あんなことが役に立った」とか「こんなことがよかった」などありましたら、ぜひコメントください


私も励みになります







今後ともよろしくお願いします