手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

手技療法の基本は「握手」その5≪心構えについて - 1≫

2012-09-29 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
手技療法の基本を握手に求め、「力の加え方」「相手の感じ方」についてお話してきました。


今回は「心構え」です。


心構えなんて、日ごろ改めてことばに出すことなんて少ないかもしれません。


このブログでも、まとまったかたちでお話しすることはおそらくなかったでしょう。


でもとても大切なことなので、ぜひこの機会にお伝えしておきたいと思います。





このようなテーマは熱く語っているうちに、何やら説教くさくなってしまうかもしれませんね。





心構えといっても、基本はこれまでと同じくシンプルなものです。


みなさんが、親しい仲間と握手をしたときのベースにあるものがそれです。


それは「対等な関係」というものです。


人間としての対等さですね。





以前も書きましたが、私たちは患者さんを診ることで代価をいただいて生活の糧を得ます。


一方で患者さんは私たちに相談することで、健康を損なっているという困った状態から回復できるようになります。


持ちつ持たれつの対等な関係というわけです。





一方で、昔ながらの考え方に医療職(医師)は聖職というものがあります。

その考え方には、病んだ人を助けるという崇高な思いで、仕事をしてほしいという願いが込められているのだと思います。


つまり、医療が聖なる職ではなく、医療者は聖なる気持ちで職を行えということではないでしょうか。


ところが医療が聖なる職という解釈になると、とんでもない勘違いを生んでしまうことになります。





その一部がもしかしたら、いわゆるパターナリズム(医療父権主義)にも表れていたのかもしれません。


「素人にはわからないことなのだから、専門家に任せなさい」という偏ったパターナリズムは、ひどいケースだと、ただ偉そうにしているだけということもあります。


患者の自己決定権の意識と、インフォームドコンセントを重視する動きが高まっている現在では、さすがに極端なパターナリズムに凝り固まっている医療者は少なくなってきました。


患者さんへの対応も、以前よりは良くなってきていると思います。





私も自分が患者として医療機関を受診したり、お見舞いに行ったりするのですが、見習わなければならないほどすばらしい対応をされる医療者の方もいらっしゃいます。


しかしなかには、ただ偉そうに得意げになって専門用語を並べて煙に巻き、???と患者さんが呆気にとられるような対応をする医療者もまだいます。


さらにはサービス業としての対応どころか、ごくふつうのマナーも守れていない、眉をひそめたくなる医療者も目にすることもあります。


偏見かもしれませんが他のサービス業に比べ、その割合は多いように感じます。


これはたいへん残念なことです。





医療は聖職という考え方は、時代にそぐわなくなっているのではないかと思います。


世の中に役立つまっとうな仕事なら、すべて聖職だといえるでしょう。


その中で、医療はサービス業のひとつに過ぎません。


なにも特別でなくても、他の職業に携わる方々と同じように、自分が惚れた仕事を一生懸命やっているならそれで十分ではないかと思います。





一方で、上の例とは対照的となりますが「患者さまのために」というスタイルは、偏りの大きいパターナリズムを反省して、針を反対方向に向けるという良い面もあるかもしれません。


しかしこれも行き過ぎると、言われるがままの御用聞き的な対応をする可能性が生まれてしまいます。


医療現場で用いられる手技療法の場合なら、ただ相手に言われるがまま、希望どおりのマッサージするというものです。


リラクゼーションならそれも構いませんが、医療としてなら話は違ってきます。





その違いは、家政婦とホームヘルパーの違いに似ています。


家政婦は雇い主の要望にできる限り応えますが、ホームヘルパーは自立を支援するという目的のもとに必要な対応をします。


私たちは医療職として、言うべきことは言い、行うべきことは行わなければなりません。





また、「~のためにやらせていただく」という姿勢そのものは悪くないのですが、セラピストも人間です。

何かのはずみで「やらせていただく」が「やってやっている」に変わることもあります。


これはとくに、相手が自分の意向に背くようなことを続けたときに起こりやすい気がします。


「あれだけ、やってやったのに」という具合に。





心当たりはありませんか?

私はあります。


現場に出て3・4年目、ある程度のことが出来るようになってきて調子に乗り始めた頃です。


修行が足りませんでした。反省しています。





対応に押しつけがましさが加わったり、感情を絡ませることは避けなければなりません。


そうしないと、例えば患者さんに厳しくのぞむときにも、病気からの回復や健康に導くための手段としてそのように接するのではなく、ただ興奮して「怒っている」だけということになりかねません。





「握手」にはおかしなパターナリズムに陥らず、単なる御用聞きや押しつけがましさにならない、バランスの取れた心構えが表れているのではないかと思います。


握手のときのような対等な気持ちで、患者さんに強引な指図をするのではなく、おんぶにだっこをさせるのでもなく、横に並んで一緒に歩くような気持ちで患者さんに接するよう心がけています。


「患者さんと共に」というわけですね。





さて、患者さんと対等な関係になって共に進んでいくためには、セラピスト側に必要な条件があると考えています。


その条件とはな何かを示す、歴史上のエピソードを次回はご紹介します。





紅葉の大雪山旭岳(北海道) 2012

車でドライブして紅葉を見に行ってきました。

手技療法の基本は「握手」その4≪相手の感じ方について-3≫

2012-09-22 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
握手での感じ方についてもう少し。





前回まで、握手のように一体感を持とうという気持ちで触れたとき、違和感を持ったところが異常になるというお話をしてきました。


それを読んで、私がこれまで触診の基本としてお伝えしてきたことと、矛盾を感じた方もいたかもしれません。


私は触診をするとき、異常な部位を特定するため、目標を持って行うようにとアドバイスをしてきました。


「まわりと比べて、かたさが強くなっているところはどこか」という意識を持って触れる触診ですね。


これは、はじめから自分と相手を分け、自分の視点で対象を識別しようとするわけですから、一体感とは正反対になります。





異常な部位を特定しようとする触診を、私は便宜的に「探索的触診」と名づけています。


(これに対して通常の骨のランドマークを触れ、筋の起始から停止に向けてたどっていく触診を「系統的触診」とし、セミナーなどで解説しています。)


探索的触診では、制限を探すことも主な目的にするという意味で「探索」と表現したのですが、それを「探る」ような手つき触れると解釈されても、文字の意味から仕方がないと思います。





実ははじめのころ、触診を教えるときに一体感をもつところからスタートしていた時もありました。


ところがそれでは、技術としてピンと来ない方が少なくなかったのです。


一体感という漠然としたものですから、むりもありません。





そもそも、何が正常で何が異常かを知っていなければ、違和感を持つことはできないものかもしれません。


正常や異常を知るためには、ものごとを識別しやすいようにした方が理解はスムーズです。


そのため、とにかく技術としての触診を身につけられるように、周囲と比較してかたい部位を探すという手段を取るようになりました。





この方法は比較的上手くいきました。


しかし、触診を受ける患者さんには、反対に違和感を持たせてしまう可能性が生まれます。


例えば、みなさんも誰かと話をしていて、相手があからさまに自分の腹を探るような話の仕方をしてきたら嫌な気持ちになるはずです。


会話もはずみません。


触れて感じ取ろうとする時も同じです。


探り出そうとする触れ方、相手の腹を探るような触れ方は嫌がられる可能性が高いでしょう。


ですから望ましいものとはいえません。





そうはいっても、やはりはじめのうち、とくに練習のときは探るような触診でも仕方がないと思います。


さまざまな状態を知覚する経験を積んでください。


ただし注意していただきたいのは、探るような触診をすると手先に力が入りがちになるということです。


身体を使った「握手」という力の加え方を忘れないで下さい。





十分に慣れてきたら、心理カウンセリングでいう傾聴するような気持ちで触れるようにしましょう。


自分をオープンにして、手から伝わる相手の情報を受け入れるような気持ちです。


積極的に受け身になる、積極的受容性を持つと呼んでもよいかもしれません。


やがて握手をするときの一体感を持つ気持ちで触診したとき、相手の身体に何か異常があれば、そこで手が止まるようになります。





異常のある部位に違和感を持ってさらに調べているとき、こんどはその異常な部位とセラピストが一体となっているかのような感覚を持ちます。



このとき触診をされている患者さんも、不快に感じている様子はありません。


印象を聴くと「わかってくれた」「見つけられた!!」と感じるようで好意的なものだそうです。


なかには「やられた(?)」という気になったという方もいらっしゃるようです。





余談ですが、私は線維化を除く方法もよく使うので、とっても痛い治療を行うことが少なくありません。


そのような治療を受けたある患者さんの印象は、「死ぬほど痛かったけど、ヤバイ感じはしなかった」というものでした。


ハードながらも一体感を持たせるような触れ方と、刺激のコントロールができればこのようなアプローチも可能になります。





一体感についてここまでは私自身が体験し、あるていど整理できたことなので、みなさんにお話しできます。


その先に見える境地もあると思います。


それがどのようなものか、私も先を楽しみに一歩ずつ進んで行きたいと思います。


手技療法の基本は「握手」その3≪相手の感じ方について-2≫

2012-09-15 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
一体感を持つということはどういうことでしょうか?


まだピンと来にくいという方もいらっしゃるかもしれないので、もう少し他にもヒントになりそうなことを探してみましょう。


≪過去記事の「手技療法習得へのステップ1‐リラクゼーション その2」も合わせてご参照ください。≫





みなさんが、地面の上に立っているときのことを考えてみることにします。


そのとき地面を押しているのではなく、地面に身体を預けるようにして立ち、余計な力は入れていないと思います。


実際に立ってみましょう。


地面と自分の身体との境界を、はっきりと感じることができるでしょうか?


立った瞬間はわかるかもしれませんが、そのうちどこが境目かはっきりわからず、ボンヤリしてくるのではないでしょうか?


これが一体感を持った状態です。





まだピンと来にくいでしょうか。


では地面に立っていて地震が起きたとき、みなさんはどのように感じるでしょう。


はじめに「あっ!地面が揺れている」というように対象を認識し、「地震だ!!」と思うでしょうか?





このように他人事のような余裕のある感覚は、きっと持たないはずです。


そうではなく、自分自身の身体が揺れていると違和感を持ち、「地震だ!!」と思うのではないでしょうか。


地面が揺れているのを、自分自身が揺れている体験として感じ取っている。


それは、地面と一体となった感覚を持っているからではないかと思います。


ふつうなら安心して身体を預けていられ、一体感をもてるはず地面が、地震によってそうでなくなったとき、私たちは自分が違和感を持つわけです。





治療を行う上でも、相手の身体に自分を預けて一体感を持つようにすると、異常がある部分に触れたとき、安心して預けられないような違和感を覚えます。


前回もお話しした、対象との隔たりですね。


この違和感は決して特殊な感覚ではなく、持って生まれた本能的なもの、もしくは過去の経験から学習して身につけたものでしょう。 




違和感を例えるなら、ちょうどぬかるんでいる地面やすべりやすい地面に足を乗せるような感覚です。


みなさんはすべりやすい地面に足を置いた時、はじめに何ともいえない変な感じを経験するのではないでしょうか。


次いで、少し動かすなどして対象に働きかけ、道が凍っている、廊下が濡れているなど、過去に経験し学習したものと照らし合わせてよりはっきりと認識していくわけです。





触診も同じように、はじめに違和感を持ち、次いでその違和感が何なのか、「硬い」とか「腫れている」というように、より具体的に判別します。


それから解剖学的知識や培った経験に基づき、どの組織が機能障害を起こしているかなど、より詳細に判断していくわけですね。


違和感を持つことは、細かな異常部位をスピーディーに見つけるためのひとつのポイントだと思います。





ベテランのセラピストが少し触診しただけで、「小円筋が緊張している」とか「C5に右側屈制限がある」とあっという間に指摘するところをみると、初心者の方は驚かれるかもしれません。


でもそれは不思議なことではなく、触診により違和感を感じるところからスタートして、対象を識別するまでのスピードが初心者と比べてと早いだけです。





学習によって身につく違和感、対象を識別するスピードは、トレーニングによって少しずつ早くなっていきます。


鍛えて経験を積み重ねていくことで、異常なものをまず違和感として認識できるようになります。


そして解剖学の理解が深まるにつれ、対象をより明確に識別できるようになります。


天才的な人を除いて、ふつうの人があっという間にできるわけなどありません。


練習あるのみです。


少なくとも私はそうしてきました。





というわけで触診の感覚というのは「音楽家の耳」「料理人の舌」のように、ふつうの感覚を鍛えていくだけです。


あくまで私たちが日常で感じている感覚の、延長にあるものだということを忘れないでください。


そう簡単に言っても、感覚を磨いていくのが大変なわけですが





相手に触れるときは、握手するときのように一体感を持って触れ、変調のある部位を自分の違和感として感じとること。つまり共感すること。 


これが、触診による感じとり方の基本であり、今回のシリーズ「その1」で紹介した、増永先生の書籍から学んだなかで私がとくに大切にしているところです。





ちょっと漠然とした話になったので、最近この手技療法の寺子屋ブログをご覧になり始めた方は「では、具体的にどのようにして練習して学習し、経験を積んでいったらいいの」と思われたかもしれません。


具体的な内容については、これまで寺子屋ブログで紹介してきたので、過去の記事を参照してくださいね。


次回ももう少し感じとり方についてお話ししておきたいと思います。




手技療法の基本は「握手」その2≪相手の感じ方について-1≫ (感謝感謝の7周年)

2012-09-08 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
前回は握手をしたときの力の入れ方でいしたが、今回は「感じ方」です。


何年かぶりに親友と会って握手をしたとき、みなさんは相手をどのように感じているでしょうか。





直接触れている相手の手のひらや、指の感触を感じている?


それもあるかもしれませんが、むしろ相手との一体感を感じているのではないでしょうか。


触れている手の状態を強く感じているときは一体感がなく、自分と相手が分かれて対象を判別し、認識しようという心理が働いている状態といえます。






「う~ん、そうなのかな?」と首をかしげる方もいらっしゃるかもしれません。


では、握手した相手の様子が少し変だった状況を思い出していただくと、わかりやすいかもしれません。


何度かそのような経験はあるのではないでしょうか。





こちらが好意を持って握手したとき、相手からも同じような反応がないと「あれっ?」という違和感を瞬間的に持つでしょう。


それは、期待していたような一体感が持てないためではないかと思います。


一体感がなく、自分と相手の間に隔たりを感じたとき、違和感を持つわけです。





もちろん表情や視線、声のトーンなども、握手に先行する情報として大切になってきます。


しかし、そのような仕草にとくにおかしなところがないときでも、握手をしたときに違和感を持つことはあるでしょう。


その上で何がおかしいのか、具体的な状態を探して認識しようとします。


相手の手が硬くこわばっている、こちらに握り返してくる力が明らかに弱い、少し手を引き気味にしている、などが挙げられるかもしれません。


そこから私たちは「嫌われているのかな」「照れて緊張しているのかな」「具合が悪いのかな」などと、いろいろ想像していくわけですね。





以上のように、握手によって相手との一体感を感じようとする、これが手技療法の「感じる」の基本だと思います。


手技療法を行うには、患者さんとの一体感を持とうとすることが、大切なカギになるというのが私の考えです。


意識していないにしても、このような感覚がベースにないと、やさしくない手になります。





これはあまり教えられないことかもしれません。


そっと触れるとか、やさしく触れるという言い方はされます。


でも、上辺だけそのように取り繕っても、それはメッキと同じで、何かのはずみですぐにはがれます。


握手するときの一体感を持とうとする、そのような意識で触れるからこそ、自然とやさしい触れ方になります。





私の印象として、一体感を持つことによって、セラピストは患者さんのわずかな変化も違和感として感じ取りやすくなります。


患者さんも一体感を持つことができれば、セラピストに安心感を持ち、治療中の心理的安定にもつながります。


ひいては治療が上手くいくかどうかにも影響を与えてきます。


腕が良いといわれるセラピストは、意識的にせよ無意識的にせよ、その技術の中に一体感を持とうとする働きかけを組み込んでいるのではないかと思います。





一体感についてもう少し考えてみましょう。




手技療法の基本は「握手」その1 ≪力の加え方について≫

2012-09-01 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
「怖がる患者さんとの思い出 その6」で、触れるということは難しいことだとお話しました。


もしかしたら、それを読んで身構えてしまった方もいたかもしれません。


でも心配しないで下さいね。


確かに難しいのですが、やさしいことでもあります。





やさしいけど難しい?何だか禅問答のようですが、それは「触れる」ということが手技療法の基本に当たるからです。


何事につけ、基本はやさしい、かんたん、覚えやすい、取っかかりやすいものですが、突きつめていってその奥深さを知れば、難しいものだともいえます。


釣りはヘラブナにはじまり、最後はヘラブナにたどり着くのだそうです。


初心者でも楽しめるけど、熟練するほど味わい深さがでてきて、経験者にとっても面白いということなのでしょう。


難しさを知るということは、本当の面白みがわかるということでもあります。





私は釣りのことはわからないのですが、ただ「触れる」ということが、最近とても面白く感じるようになっています。


今回は、私の考える手技療法の基本について、できるだけ身近な例を用いてお話したいと思います。


わかりやすく伝えることができるかな? 私にとっても挑戦です。





ズバリ、手技療法の基本とは「握手」です。


そう、みなさんが日常的に行っている、あの「握手」です。


やさしく、かんたんなことですよね。


握手には手技療法の基本が詰まっています。


それは「力の加え方」「相手の感じ方」「心構え」の3つです。





まずは力の加え方からいきましょう。


みなさんは、握手をするときはどのように力を加えているでしょうか。


日ごろ何気なくやっていると思うので、急にそう言われても、戸惑ってしまうかもしれません。


仲間をつかまえて、握手してみてください。


相手には気持ち悪がられるかもしれませんが、精一杯の親しみを込めて、何年かぶりに親友に会ったときのような気持ちで握手してみてください。





いかがでしょう。


何か物をつかむときのように、手先だけに力を入れて握手をしているでしょうか?


そのようなことはないはずです。


手先だけではなく、力は体幹を経て肩甲帯、上肢から手先に伝わり、身体の力を使って相手を包むように握っているのではないでしょうか。





日ごろの自分の動きを観察してみると、物をつかんで動かすときは、まず手の力でしっかり物をつかんで固定し、体幹に力を入れて動かしていると思います。


しかし、握手をするときは、相手の手を包むようにくるんでから、身体からの力を伝えて握っています。


個人差はあるかもしれませんが、少なくとも私はそのように感じます。





握手とは異なりますが、犬や猫などのペットを抱き上げるときも、同じようにしているはずです。


ペットの身体をやさしく包むように固定してから、身体の力を使って抱き上げます。


赤ちゃんはそのあたりの加減がまだわからないから、いきなりギューッと握ってペットがビックリするわけですね。





このように親友と握手するとき、あるいはペットを抱き上げるような力の加え方が、手技療法では触診やテクニックを用いるときの基本的な力の加え方になります。


今すぐできることなので、臨床で触診したり操作を加えるとき、握手をするときのような力の加え方をしてみてください。

何か気づくこと、反省することが見つかるかもしれませんよ。





私は手技療法の「触れる」「感じる」「動かす」という技術を、誰もがステップバイステップで学べるようにまとめたいと思っています。


そのうち「触れる」「動かす」の基本が、握手における力の加え方になっています。


つづいてのお話は、握手したときの「相手の感じ方」、これは「感じる」の基本です。





次に行くその前に、冒頭で手技療法の基本とした「握手」は、経絡指圧の増永静人先生が指圧の基本とされていたものです。


私は学生時代に、増永先生の著書の中でこのくだりを読んだとき、「ふ~ん、そんなものか」と軽く考えていました。


あれから20年近くになろうとしていますが、経験を重ねるにつれ、ますますその意味の深さを感じています。


繰り返しになりますが、やさしいけど難しい、そして面白いものだと思います。





今回のシリーズは「握手」をベースに、手技療法の基本を私なりに展開していきたいと思います。