触診やテクニックを用いるとき、身体に触れる瞬間に注意を払うということはとても大切です。
無造作に触れるのはいただけません。
これは評価や介入以前の話です。
触れるというのは「あいさつ」のようなもの。
あいさつがいい加減だと、相手の方から信用されないでしょう。
そしてあいさつは、時と場合によって声の出し方を変えるもの。
「明るく元気に」が良い時もあれば、「穏やかに落ち着いて」が良い時もある。
大きな声を出す時もあれば、遠慮がちに小声で話す時もあります。
触れるということも同じように、テキパキとテンポよくという時もあれば、穏やかで緩やかにという時もある。
強めに触れる時もあれば、軽めに触れる時もある。
このように触れ方も時と場合によって変わりますが、決まったパターンとして伝えるのはなかなか難しいものです。
あいさつは、その時にふさわしいものを、幼いころから生活の中で教わり、時に失敗しながらも経験を重ねて覚えていきます。
不幸があった時に元気よくあいさつしてはひんしゅくを買いますし、面接の時に控えめにあいさつしてはマイナスの印象を与えるもの。
ですから、あいさつをするには「空気を読む」ことが求めれます。
「触れる」に求められるのも「空気を読む」ということに似ているかもしれません。
丈夫そうな患者さんだからといって、いつでもしっかり触れて良い訳ではなく、虚弱な患者さんでも常にやさしく触れなければいけないという訳ではありません。
強く触れることでビックリさせて緊張を招くこともありますし、やさしく触れることでイライラさせることもあるかもしれません。
もちろんこれは、セラピストの持つ雰囲気や技量の影響も受けるでしょう。
そうなると、何だか難しくなりますね。
でも、これは押さえておかなければいけない!! というポイントはあります。
挨拶(あいさつ)の挨と拶という字、いずれも直接的な意味は「ぴったりと当たる、すれ合う」ということだそうです。
言葉や態度を通して、状況に合わせながら相手にぴったりと寄り添うものであること。
不快な思いをさせずに、こちらを受け入れてもらえるようにすること。
まずは安心感を与えることが大切なのですね。
触れるということも同じ。
手を通して、相手にぴったりと寄り添うように密着すること。
不快な思いをさせずに刺激を受け入れてもらえるようにするということ。
ここでも安心感を与えることが大切になります。
例えば、手先を固めて鋭く触れるのは望ましくないでしょう。
手先が硬くなっているのは、ガチガチになってあいさつしているようなもの。
相手に余裕がある場合は受け入れてくれますが、身体の不調などによって余裕がない場合はかえって身構えさせることになります。
鋭く触れるのは、素っ気ない、つっけんどんなあいさつと同じです。
臨床では「先生」と呼ばれる立場の人から触れられているので、患者さんは静かにされているかもしれませんが、内心は穏やかではなく落ち着かないこともあるでしょう。
それが信頼関係にも影響するかもしれません。
また、穏やかではない気持ちがわずかな緊張として身体に現れていたとしたら、正確な情報を得ることの妨げになる可能性もあるでしょう。
そうならないよう、手できちんとあいさつするつもりで相手の身体を包み込むように、手掌をピタッと密着させて触れるようにします。
細かい部位でも、できるだけ広い範囲を触れておくようにしたほうがよいでしょう。
はじめは、手から伝わる身体の印象を感じるだけで、何かをしようとする必要はありません。
そこから徐々に浮かせ、指先にコンタクトを移していくという触れ方を意識するとよいでしょう。
母指で触れるときも、母指でズボッと圧すのではなく、手全体で触れてから手根を浮かし、母指は圧迫の形をとり、四指は支えに使うというようにする。
頸椎の関節突起にコンタクトしようとする際も、はじめから関節突起を狙うのではなく、手で広く後頚部を包むようにして触れてから、指先に触れる部位を集め関節突起にコンタクトしていく。
肘を使うときも、いきなり肘頭を当てるのではなく、前腕を広く当ててから肘の方へ移していく。
このようにすれば、相手に安心感を与えやすくなると思います。
触れた後は、力を加えて感じていくことになりますが、それについては次の記事をご参照ください。
《手技療法の基本は握手シリーズ》
そして、手を「離す」という操作もあいさつと同じ。
「ありがとうございました」「お疲れ様でした」「失礼いたします」という意味を持つ大切な操作です。
それについては次の記事をご参照ください。
《触れた手の離し方シリーズ》
時と場合に応じた最適な触れ方を身につけるには、徐々に経験を重ねながら身につけていくしかありません。
このようなお話をしている私もまだまだ試行錯誤の途中で、「今のはよくなかったなぁ」と反省することはしょっちゅうなのですが。
まず今回ご紹介したことだけは、触診をするときもテクニックを用いるときも意識してみてはいかがでしょうか。
触れるという行為は、命と命の最も基本的な交流だと思います。
そこを忘れずにいたいですね。
無造作に触れるのはいただけません。
これは評価や介入以前の話です。
触れるというのは「あいさつ」のようなもの。
あいさつがいい加減だと、相手の方から信用されないでしょう。
そしてあいさつは、時と場合によって声の出し方を変えるもの。
「明るく元気に」が良い時もあれば、「穏やかに落ち着いて」が良い時もある。
大きな声を出す時もあれば、遠慮がちに小声で話す時もあります。
触れるということも同じように、テキパキとテンポよくという時もあれば、穏やかで緩やかにという時もある。
強めに触れる時もあれば、軽めに触れる時もある。
このように触れ方も時と場合によって変わりますが、決まったパターンとして伝えるのはなかなか難しいものです。
あいさつは、その時にふさわしいものを、幼いころから生活の中で教わり、時に失敗しながらも経験を重ねて覚えていきます。
不幸があった時に元気よくあいさつしてはひんしゅくを買いますし、面接の時に控えめにあいさつしてはマイナスの印象を与えるもの。
ですから、あいさつをするには「空気を読む」ことが求めれます。
「触れる」に求められるのも「空気を読む」ということに似ているかもしれません。
丈夫そうな患者さんだからといって、いつでもしっかり触れて良い訳ではなく、虚弱な患者さんでも常にやさしく触れなければいけないという訳ではありません。
強く触れることでビックリさせて緊張を招くこともありますし、やさしく触れることでイライラさせることもあるかもしれません。
もちろんこれは、セラピストの持つ雰囲気や技量の影響も受けるでしょう。
そうなると、何だか難しくなりますね。
でも、これは押さえておかなければいけない!! というポイントはあります。
挨拶(あいさつ)の挨と拶という字、いずれも直接的な意味は「ぴったりと当たる、すれ合う」ということだそうです。
言葉や態度を通して、状況に合わせながら相手にぴったりと寄り添うものであること。
不快な思いをさせずに、こちらを受け入れてもらえるようにすること。
まずは安心感を与えることが大切なのですね。
触れるということも同じ。
手を通して、相手にぴったりと寄り添うように密着すること。
不快な思いをさせずに刺激を受け入れてもらえるようにするということ。
ここでも安心感を与えることが大切になります。
例えば、手先を固めて鋭く触れるのは望ましくないでしょう。
手先が硬くなっているのは、ガチガチになってあいさつしているようなもの。
相手に余裕がある場合は受け入れてくれますが、身体の不調などによって余裕がない場合はかえって身構えさせることになります。
鋭く触れるのは、素っ気ない、つっけんどんなあいさつと同じです。
臨床では「先生」と呼ばれる立場の人から触れられているので、患者さんは静かにされているかもしれませんが、内心は穏やかではなく落ち着かないこともあるでしょう。
それが信頼関係にも影響するかもしれません。
また、穏やかではない気持ちがわずかな緊張として身体に現れていたとしたら、正確な情報を得ることの妨げになる可能性もあるでしょう。
そうならないよう、手できちんとあいさつするつもりで相手の身体を包み込むように、手掌をピタッと密着させて触れるようにします。
細かい部位でも、できるだけ広い範囲を触れておくようにしたほうがよいでしょう。
はじめは、手から伝わる身体の印象を感じるだけで、何かをしようとする必要はありません。
そこから徐々に浮かせ、指先にコンタクトを移していくという触れ方を意識するとよいでしょう。
母指で触れるときも、母指でズボッと圧すのではなく、手全体で触れてから手根を浮かし、母指は圧迫の形をとり、四指は支えに使うというようにする。
頸椎の関節突起にコンタクトしようとする際も、はじめから関節突起を狙うのではなく、手で広く後頚部を包むようにして触れてから、指先に触れる部位を集め関節突起にコンタクトしていく。
肘を使うときも、いきなり肘頭を当てるのではなく、前腕を広く当ててから肘の方へ移していく。
このようにすれば、相手に安心感を与えやすくなると思います。
触れた後は、力を加えて感じていくことになりますが、それについては次の記事をご参照ください。
《手技療法の基本は握手シリーズ》
そして、手を「離す」という操作もあいさつと同じ。
「ありがとうございました」「お疲れ様でした」「失礼いたします」という意味を持つ大切な操作です。
それについては次の記事をご参照ください。
《触れた手の離し方シリーズ》
時と場合に応じた最適な触れ方を身につけるには、徐々に経験を重ねながら身につけていくしかありません。
このようなお話をしている私もまだまだ試行錯誤の途中で、「今のはよくなかったなぁ」と反省することはしょっちゅうなのですが。
まず今回ご紹介したことだけは、触診をするときもテクニックを用いるときも意識してみてはいかがでしょうか。
触れるという行為は、命と命の最も基本的な交流だと思います。
そこを忘れずにいたいですね。
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