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手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

しあわせなさいご

2011-01-01 20:00:00 | よもやま話
6年ほど前、私はケアマネージャーをしていたのですが、そのころ担当していた利用者さんのご家族(娘さん)が、昨年の暮れにあいさつにみえました。


利用者さんが先日、亡くなられたというお話でした。





そのようなご報告は時々いただくのですが、これまで経験なかったほどに明るくサッパリしたご様子が、私には不思議に思えました。


不謹慎かもしれませんが、思い切ってそのことをお尋ねすると、おだやかな笑みを浮かべてお話されました。


「最高のお別れができたんです」






利用者さんはご病気のため入院されていたのですが、さいごのとき、ご家族におっしゃったそうです。


「もう、頑張らなくてもいいかい?」


それを聞いて、ご家族も「もう頑張らなくてもいいよ」と返事をなさいました。


すると、


「じゃあ、さいなら」


と言って、そのまま息を引き取られたそうです。





もちろんお母さんを亡くされた悲しみは大きかったはずです。


でもそれ以上に、亡くなるまできちんと看病でき、お母さんらしいお別れの仕方ができたことを満足されていたようでした。


お話を聞いていて、私もつい「ご愁傷さまです」ではなく、「すばらしいお別れでしたね」と答えてしまったほど心に響くお話でした。


凛とした利用者さんのことを知っていたので、なおそのように感じたのかもしれません。


デイケアで、書道の作品を嬉しそうに私に見せてくださった姿の記憶が、鮮やかによみがえりました。





おわりを全うするとは、このようなことをいうのだと思います。





どのような亡くなり方がよいと考えるのか、それは人それぞれでしょう。


でも、この利用者さんのような亡くなり方というのは、理想のひとつではないでしょうか。


私が自分のことを想像しても、身近な人に「ホナ、さいなら」と言って、サッパリとこの世とお別れできるというのは、とてもしあわせなさいごの迎え方だと思います。





ところで、みなさんはこれまで友人や仲間との間で、一度くらいは「生まれ変わりを信じるか」という話をした経験をお持ちだと思います。


私はどう考えているかというと、信じているようないないようなという感じで、味気ないかもしれませんがどちらでもいいと思っているほうです。


ただ、生まれ変わりがあるなら、生まれ変わった世界がより良くなっているように、今できることをしておかないといけないでしょう。


反対に、生まれ変わりがないのなら、一度しかない人生なのだから、今できることをして世の中の役に立っておくことが自分が生まれてきた証になります。


これを「地球に引っかきキズをのこす」ということばで、表現されている方もいらっしゃいますよね。


というわけで、いずれにしても今をきちんと生きなければいけないことに変わりないわけですから、大切なのは自分の目の前にあるものにしっかり取り組むことだと私は思っています。





しあせなさいごというのは、きっとその積み重ねの先に待っているものではないかなと感じています。





「新年早々に、自分が亡くなる話なんて縁起でもない」なんて感じられた方もいらっしゃるでしょう。


私も、年中そのようなことを考えているわけではありません。


でも、日頃はそのようなことを意識せず毎日を送っているからこそ、新しい年の門出に、自分がどのように生き、どのように亡くなっていきたいかということを考えるのも一興ではないでしょうか。


だれもが迎えるさいごの時を想像することで、今生きている意味や価値が、よりはっきりするのではないかと思います。





「この世に生きているのは果たすべき役割があるから」という話を、これまで何度か見聞きしてきました。


そうだとすれば、おたがいに役割を与えられ、こうして新しい年明けを共に迎えられたというのはとてもめでたいことです。


そのように思って、おたがいに笑顔で新年のあいさつしてみてはいかがでしょう。





それでは、私からみなさんへ。


「あけましておめでとうございます」

あけましておめでとうございます。めでたく100回突破!!

2010-01-02 20:00:00 | よもやま話
あけまして、おめでとうございます


いつも「手技療法の寺子屋」ブログをご覧いただいてありがとうございます


2008年の1月から、ほぼ週1回のペースで続けてきましたが、お陰さまで100回を突破していました


(記事一覧はこちら


第1回でも書いたのですが、私は日記というのが苦手で、これまで1週間と続いたためしがありませんでした。


このブログは日記とはいえない内容ですが、それにしてもここまで続いたのは私にとって快挙です


みなさんに感謝感謝です







あらためて過去の記事をパラパラと読み直して見ると…















… …







アレアレ、知らない間に内容が重なっているところもあるナァ


書くときは、毎回新鮮な気持ちで書いているつもりなのですが…


まあ、重要なことは繰り返しが大切ということで…


いやいや、もしかしてそろそろネタ切れなのかも…


これからも同じようなことがあると思いますが、ご容赦のほどを







この「手技慮法の寺子屋」ブログを続ける中で、いつも心に留めてきたのは、できるだけ臨床に近いことを、わかりやすく書こうということでした


ときには「ことば」で表現することが難しいものもありました。


テクニックを用いるときのちょっとしたコツなどですね


でも、それを知っているかどうかで結果が違ってくることもあるので、上手く書けたかわからないのですが、脳ミソをできるだけシボり、例えやイメージを用いて表現してみました。







このようなことをしているのも、手技療法に興味を持ったすべての方に、その面白さを伝えたいからです


せっかく関心を持って手技療法の勉強をはじめても、ちょっとしたコツが分からなかったために身につかず、離れていってしまうなんてことがあったらとても残念です


その方にとっても、そして、手技療法によって手助けできたはずの患者さんにとっても。







最近は、手技療法の専門書も増えてきました


内容も、基礎研究の新しい研究結果が反映され、より詳細になってきています


これは、手技療法の発展のために良いことであるのはもちろんです


ただ、その半面、とっつきにくい印象を持たせてしまうのではないかという心配も私はしています


また「触れて動かす」という、ごくごく基本的なところがおざなりになっている気がしてなりません。


手技療法は、もともと『痛いところに手を当てる』という本能的なところからスタートしている、とっても身近なものです。


私は手技療法が、「とっつきやすさ」「身につけやすさ」「使いやすさ」を持ちつつ、それがきちんとした根拠に裏付けられ、さらに、より高度なテクニックも備えているという奥行きを持ったものになればと思っています








ここまで手技療法の基本的なところにこだわるのは、私は「手で触れる」という行為そのものに、興味をもってこの世界に入ってきたからかもしれません。


(その理由については治療院のサイトで紹介しています興味のある方はこちらをご覧ください


「手技療法は体性機能障害を治療する『手段』のひとつです」と、これまでも書いてきましたので矛盾していますが、私自身にとっては手技療法は「目的」そのものです。


大げさかもしれませんが、自分の一部といえるほど手技療法は私にとって大切なものです


だからこそ手技療法に多くのエネルギーを注ぎ、たくさんの方に役立てるようにしていくことが自分の役割かなと勝手に思っています。


でも裏を返せば、とても偏りがあるといえます


ですから、すべての方が私と同じようなスタイルになるのは世の中としても良くないと思いますが、少しくらい私みたいな人がいてもいいですよね


(「うん」と言ってほしい…


難しい理論的なことはそれが得意な方にお任せして、私はテクニカルなほうでがんばろうかな







当面は、ASTRをより覚えやすく、より使い勝手の良いもへと整備することに力を入れるつもりです。


それから、たくさんある様々なテクニックを、使い勝手という観点から統合して整理していくことについて考え、手技療法の可能性を追求したいと思っています。


さらに、触れることによって相手の心へどのように働きかけることができるのか。


そして、触れ合うということは人間にとってどのような意味があるのか、自分なりの答えを出したいと思っています。


その答えが出るころには、そろそろお迎えが来ているかな?


そんなふうに自分の人生を考えています。


このブログも、私の脳力的な問題で?いつまで続けられるかというところですが、少なくてもひとつの節目として3年、来年の1月まではがんばりたいナァ、なんて思っています。







ところで、みなさんにお願いがあります


このブログをご覧になって、「あんなことが役に立った」とか「こんなことがよかった」などありましたら、ぜひコメントください


私も励みになります







今後ともよろしくお願いします




感謝 感謝 の4周年

2009-09-05 20:00:00 | よもやま話
おかげさまで9月2日に開院4周年を迎えました


そして、北海道に来て5年が過ぎました


多くの方の支えがあって、ここまで来ることができました


ほんとうにありがとうございます








思い返せば本業はもちろんですが、それ以外のことももいろいろ経験することができた4年間でした










これまで縁もゆかりもなかった土地で開業したためか、単に商売下手なのか、はじめの1年半は赤字でした


誰も来ない日がしばらく続くと、自分は世の中から必要とされていなのではないかと、ロクでもないことを考えたものでした


ちょうどそのとき、昔、新聞配達をしていた頃の先輩が心配して声をかけてくださりました。


先輩からアドバイスをいただいてチラシをつくり、早朝にポスティングをしてまわりました


あるマンションの集合ポストに 『無断でチラシをいれた業者は、罰金として3万円をいただきます』 と書いてあるのを読んで、本気でビビッてしまいました


そんなこともありましたが、少しずつ成果が出始め、おかげさまで今では多くの方にご利用いただけるようになりました。


ついつい、「技術さえ身につければあとは大丈夫」と思いがちだったのですが、いかにPRするか、つまり、自分のことを知ってもらうかということの大切さを思い知らされました。







ヒマな状況を何とかしようとホームページでのPRも考え、金銭的な余裕がないので自分で作ろうとしたものの、なかなか上手くいかず、何度もパソコンに向かってパンチしそうになりました


ながーい時間をかけてようやくできた自作のサイトに、幸いにもFMラジオ局が目を留めてくださり、出演の依頼が舞い込みました


ところが、せっかく出演したラジオなのに緊張のあまり話もできず、DJの方の話にうなずくばかりで、終わった後に 「ラジオでうなずいとっても意味ないがな~と打ちひしがれました。


でもありがたいことに、番組を聞いていたリスナーの方がご来院くださり、その方がどんどん紹介してくださりました。







思いもかけず、前職でお世話になった松本先生と一緒に考案した「ASTR」が、共著で出版されることになり、本を書くという貴重な経験をすることができました


原稿を書いているときは、治療院がまだ赤字の期間中だったので、ゆっくり時間をかけることはできたのですが 「こんなヒマヒマ治療院の院長が、本なんて書いてエエのやろうか とか、 「本の出版もいいけど、治療院をまず何とかセエよ と自分にツッコミを入れながらパソコンに向かっていたことを覚えています。


それでも、松本先生や編集部の担当者さんと、メールのやり取りをしながら本を作っていったのは本当に楽しかったです


おかげさまで、「ASTR」は専門書にしては多くの方にご覧いただける本になりました







本の出版にあわせてDVDも撮影され、緊張で汗だくになりながら実技の解説をしました。


セリフを必死になって覚えたのですが、スポットライトがパッと光った途端、頭の中からセリフもパッと消えてしまいました。


何度もカットが入り、スタッフの方々にも迷惑をかけてしまいました。


撮影は2台のカメラで行われたのですが、どっちを見ればよいのかわからず、あいだを取って2台のまん中を見るという、我ながら間の抜けたことをしていました







仲間の支援のおかげで「徒手医療協会」さん主催のASTRのセミナーが開催されるようになり、北海道でも「北海道ハイテクノロジー専門学校」さん、「札幌高等盲学校」さんからのご依頼でASTRセミナーを行いました


最近では訪問マッサージの「まごころベルサービス」さんから、定期的にセミナーの依頼を受けるようになりました。


そして自分の治療院でも、「手技療法の寺子屋」というセミナーを開催するようになり、札幌でも少しずつ手技療法を伝える仕事を行えるようになってきました







また、ASTRを出版したおかげで、札幌で「オリエント歯科」さんを開業されている安井先生とご縁ができ、北海道全身咬合研究会に参加させていただくようになりました。


この会は、歯の咬み合わせと全身の関係に関心をもっている、歯科医師の先生方の集まりです。


歯科医師のグループのなかに、ひとりポツンとマッサージ師が入っている状態なので、はじめの頃は歯科の専門用語がチンプンカンプンでした


でも、先生方が親切に教えてくださったので少しずつ理解できるようになり、おかげさまで今では会の中で「歯科医師のための手技療法」というセミナーを、シリーズで行わせていただけるようになりました







患者さんからご推薦をいただいて、雑誌で紹介されたこともありました。


取材で写真撮影のとき、なかなか上手く笑顔をつくれず苦戦しました。


すると、記者の方が不意に突然、「あ~、先生のお人柄があらわれている、とってもいい笑顔ですねなんておっしゃったので、私は 「なんのこっちゃと思わずふきだしたら、その隙にバシャ バシャ バシャ バシャと写真を撮られてしまいました。


プロの手口はこういうものかと思わず感心してしまいました







道(未知)というのは、一歩の行動からどんどん切り開かれていくものなんですね。







これまで私なりにも頑張ってきたつもりですが、それ以上に出会った多くの方の支えがあったからこそやって来れたことを実感しています。


私はもともと独立心が旺盛なのか、「自分でやろう」とする気持ちが、どちらかというと強いほうです。


(自宅では、出したら出しっぱなし、開けたら開けっぱなしというのはさておいて


でも自分でやろうとすればするほど、陰になって支えてくれる人の存在がいかに大きいかを、かえって思い知らされてきました。


だからこそ私達の先祖は「おかげさま」という言葉をつくり、影から支えてくれる人たちを大切にしてきたのかもしれませんね。


ほんとうに良い言葉だと思います。


私には特定の信仰心はありませんが、この「おかげさま」だけは自分の中で大切にしつつ、これからも頑張っていきたいと思います。







そして家族へ。


開業後のシンドイ時期をよく支えてくれました。


長い間、赤字だったにもかかわらず「稼ぎが悪い」なんてことは一言もいわなかったこと、私にとってはとてもありがたかったです。


日ごろは口うるさいですが、いざとなったら一番の「おかげさま」になってくれる。


そんな家族に心から感謝します





迎春:タイトル変更しました

2009-01-03 10:41:55 | よもやま話
あけましておめでとうございます






新しい年を迎えたのを期に、ブログのタイトルも変更してみました。


その名も「手技療法の寺子屋」です


そう、当院で開催しているセミナーと同じタイトルです。






今月でブログを開設して1年になろうとしていますが、あらためてバックナンバーを見てみると、なんとほとんどが手技療法の記事でした


そういえば、私は生まれてこのかた日記が苦手で続いたためしがなく、夏休みの宿題の日記も8/31にでっち上げて書いたものでした


しかし手技療法のことなら、あれこれ頭を悩ませつつも書くことができます。それならということで、いっそタイトルも変えてしまうことにしました。






寺子屋といえばその昔、読み・書き・そろばんなどの基本を繰り返していねいに教えたそうです


私が当院のセミナーを「寺子屋」としているのも、手技療法の基本的なところをじっくり大切に伝えたいと思ったからです。


今の世の中は忙しいためなのかインスタント感覚が主流のようで、てっとりばやく身につけようとする方が多いように思います




しかし、やはり手間ひまかけないと身につかないことはたくさんあります




評価にせよテクニックにせよ、技術的なことは繰り返し練習しなければなりません。


球技のドリブルやシュート、格闘技の突きや蹴りなどの基本練習というのがどれほど大切なものなのか説明はいりません


ところが手技療法は、その基本を習得するステップすら整備されているとはいえないのではないでしょうか






基本の中でも私がいちばん重視しているのは、何度も書いて来ましたが「身体の使い方」です。


テクニックを使うとき、身体の力を使ってということはよくいわれます。


ではどう使うかというと「体重を乗せて」にとどまっていることが多いようです。


そのため、体重を乗せにくいところは手先の力を用いがちです。


手先の力を使うと、組織の緊張状態を感じ取るモニターの感度が落ちるとともに、微妙な力のコントロールをしにくいので患者さんによけいなダメージを与える可能性があります。




そして、治療家自身の身体も傷めやすくなります




せっかくこの業界に入ったのに、指などの身体を傷めて離れてしまう方と今まで何人も会ってきました。


自分の身体を傷めるというのは、たいへんマジメな方です。


手を抜いて適当にやっていたら、自分の身体を傷めるなんてことはないでしょう。


(そういえば手抜治療院と領収書に書かれたこともあったなあ… くわしくはこちら)


そんなマジメな方が、業界から離れてしまうなんて私はとても悲しいです






そのようなことが起きないよう、習得方法をステップ化していく必要があります。


センスがものをいう面があるのは何ごともおなじですが、それを技術化して、より多くの後進が努力さえすればきちんと習得できるように整備していくのは、先にこの道に入った者の務めだと思います。




そして、それが多くの患者さんのためでもあります




ですから私は、いろいろなテクニックの共通要素をまとめて、どのテクニックを行うにせよ身につけておかなければならない技法を整備したいと思っています。


まずは私自身も考案にかかわったASTRを主として、試行錯誤しつつその成果をお伝えするつもりです。


「手技療法の寺子屋」にはそのような思いを込めています。


セミナーと合わせて、ブログでもそのようなことができたらいいなと思います。


でも考えが煮詰まって、更新が滞ったときはご勘弁してくださいね


それでは、今年もよろしくお願いします

信じる者と書いて「儲かる」と読む?

2008-09-14 00:26:02 | よもやま話
今回は、珍しく経営の話。






治療院経営を三年続けるなかで、気づいたことがありました。


私は商売についてはズブの素人だったで、開業準備のころからいわゆるビジネス本を読みあさっていました


(はじめは書店で買って、経営があやしくなってきたら古本屋で買って、いよいよダメになってきたら図書館で借りて


その中に書いてあったことで、気になる文言がありました。







「信者と書いて儲けると読む。だから、儲けるためにはお客さんを信者にしなければいけない


「ツールや特典などを駆使して、お客さんを信者にするためのシステムをつくりあげる」などなど







「お客さんを信者にする」 私はどうもこの表現に違和感を持ってしかたがありませんでした


そのように書いてある本は何冊もありましたし、実際にそのように話している人にも会いましたが、やはり釈然としませんでした


そして三年たった今、わかりました







これは、「お客さんを信者にすると儲かる」のではなく、「お客さんを信じる者が儲かる」という意味なのだろうと







お客さんを信者にしようとする態度は、売り手側の視点に立つことになり、お客さんを信じる態度は買い手側、つまり顧客の視点に立つことになる、ともいえるでしょう。


確かに、お客さんを信者にしたら短期的には利益を上げるかもしれません。


しかし、売り手側の視点にあまりにも偏ると、お客さんを属性や数字などのデータでしかみられなくなるかもしれず、そうなるとお客さんの心が離れてしまうのはあきらかです。


コミュニケーション技法をはじめ、ツールやキャンペーンなどテクニカルなことも、営業活動を通して得られたデータも、商売をする上ではもちろん必要です。


私もこれらを知らなかったばかりにえらい目にあいました


でもテクニカルなことを、どのような考えや信念(お硬くいうと思想や哲学)のもとに行っているかがいちばん根本的なことです。







これを「木」で例えると、テクニカルなことは「枝葉」にあたり、考えや信念は「根」にあたるといえるでしょう。


枝葉は目にはっきり見えて、あちらこちらに枝分かれ(方法や手段がいろいろあるということ)しています。


そして根は地面の下にあって表には見えませんが、木全体を養っています


だから、どのような考えや信念を持つかによって、同じ営業手法でも結果が違ってくるわけですね。







ところで、私たち医療者にとっては「お客さん」を「患者さん」とおきかえても通用します。


良い医療を行うためには信頼関係が大切、患者さんから信頼されるような医療者になければならないという話はよく聞きます。


そのために、接遇などのテクニカルな研修もさかんに行われます。


これも大切ですが、でもその前に私たちがしなければならないのは患者さんを信じることではないでしょうか。







商売人にとって大切なのはお客さんを信じること。医療者にとって大切なのは患者さんを信じること。







これが3年の間、体験を通して学んだことの一つです

感謝 感謝 の3周年

2008-09-06 20:33:47 | よもやま話
9月2日に開院3周年を迎えました


ありきたりな言葉ですが、アッという間の3年でした。


おかげさまで、最近は多くの方がご来院されるようになり、ただただ、ありがたいと感謝しています


思い返せば3年前、気合いを入れ鼻息を荒くして開業したものの、はじめ (どころかしばらく) は大変でした








治療に関してはそれなりに経験を重ねていましたが、商売はズブの素人ですから当然といえば当然かもしれません。


それに、医療は保険がきくのが常識のなか、自費の治療院ですから、どこの誰がやっているのかわからないうちは、患者さんにとっても敷居が高くて当たり前です。







とくに滅入ったのは、開業して半年たった2月でした。






この時期、札幌は深い雪に街がおおわれます



ただでさえ少ない売り上げの中、1週間、誰も来なかったときがありました。



さすがに開業して半年もたつのに、このありさまだと気持ちは落ち込みます。気持だけではなく、通帳の残高もドンドン落ち込みます



1日誰も来ない治療院にいて、夜、外の看板を下げにビルの三階から降りて行ったとき、一階の焼肉屋さんで家族や仲間同士で楽しそうに食事をしている人たちの姿が見えました

ガラス1枚へだてているだけなのに、まるで別世界にいるようでした








気分はマッチ売りの少女です。

  (こういうことを思いつくので、根は楽天的かもしれません)







こうなると、「自分はもう、世の中から必要とされていないんとちゃうやろうか」というようにロクなことは考えなくなり、気持ちもおかしくなりかけます。


でもそのときは、家族に支えられてふんばれました。










雪が解けかけたころ、学生時代に住み込みで新聞配達をしていたときの先輩から、数年ぶりに電話が入りました



先輩は東京で衣料品販売の事業を起こされていて、すでに数店舗経営しているという商売でも私の先輩です。



連絡無精で開業したことを伝えていなかった私に 「冷たいなぁ、どうして何もよこさなかったんだよ」 とひとこと言われたあと、私がどのように商売をしていて、今どういう状態か話をすると、


先輩から
「ダメだそれじゃ!! くつぬぎの思いを患者さんに伝えられていないッ!!」

と一喝されてしまいました。



その後、電話で、メールで経営のため (この場合は集客) の個人レッスンが続きました。



同じ釜の飯を食べた先輩後輩や仲間というのはありがたいもので、家族みたいに親身になってくださいました。



先輩からアドバイスを受けながら、ホームぺージを作り直したり、自分の思いを伝えられるようにチラシを工夫して、それをプリンターで印刷し(このとき、経費を抑えるための補充インクも教えてもらいました)、早朝に一人でポスティングしてまわり、その反応をみてまた作り直したりとあれこれやりました。



そうするうちに少しづつ患者さんがみえるようになり、3年たった今では、患者さんからの紹介で新しい方にご利用いただき、その方がまた紹介してくださるというようになりました。











今回は先輩のことだけ紹介しましたが、このように「もうダメだ」と思ったときに誰かが手を差し伸べてくれる、人生の不思議さ面白さ、そしてありがたさに触れた3年間でした。


節目になるこの機会に、ご縁があったすべての方に感謝いたします。


ふり返ると、はじめのうちにあのような思いを味わって良かったです。最初から順調だったら、傲慢になっていたかもしれません。


今は、自分の掲げた看板に人が集まってきてくださっているこの喜びを、かみしめながら日々治療をしています。事業をはじめた者にとって、これほどありがたいことはありません。


まだまだ小さなイカダの船長ですから、いつ転覆するかわかりませんが、今の気持ちを大切に毎日過ごしていきたいと思っています

くつろぎ手抜治療院???

2008-05-03 22:06:58 | よもやま話
私の治療院は 「くつぬぎ手技治療院」 という名前です。


「 手技(しゅぎ) 」 は、マッサージや指圧、整体やカイロなど、手を使って治療する方法をまとめた手技療法のことを指しています。


『 指圧や整体などのテクニックをむりやり患者さんに当てはめるのではなく、身体の状態をよく診て、その人に合った方法で治療する治療院にしたい!!』


という、私なりの思いを込めて名付けました





ところが…





いくら自分に思い入れがあるとはいえ、 「~マッサージ」 や 「~整体」 というものと比べると、当然ながら一般の方にはあまり耳慣れません。

そのためか、開業してからもなかなかPRが上手くいかず、 「あぁ、なかなか患者さんが来てくれへん。どないしよう」 と、悶々とした毎日を送っていました。





そんなある日…





買い物をしたときに書いてもらった領収書の宛て名をみて、私はガクゼンとしたのでした。





『くつぬぎ手抜治療院』





『くつぬぎ手抜治療院』




『くつぬぎ手抜治療院』





手抜(てぬき)やて~っ!!






そらアカン。「手技」やのに「手抜」と読まれたら誰も来るわけないわ…




当時はせっぱつまっていたので、けっこう落ち込みました。


それからしばらくたって、別のお店で領収書を書いてもらったら、今度は、




くつろぎ手技治療院』





くつろぎ…か


まぁ これはこれで悪くないかも…








ア~ァ、もうエエヮ。何とでも勝手に呼んでちょうだい


いや、ちょっと待てよ。こうなったらいっそのこと「くつろぎ手抜治療院」に名前を変えてみよか


どんな治療院やと思われるやろか


それはそれでオモロイかもしれんなぁ








などと、一人で考えて笑っていました。


経営に波風はつきものです。


時にはこんなユーモアも、しんどい時を乗り越えるために必要かもしれません。








今ではおかげさまで、たくさんの方に利用していただける治療院になり…つつあります

これからもしっかり治療して、ほんとに「手抜」治療院なんて言われないように頑張りたいと思います





ところで「くつぬぎ」ですが、私の本名ですからね。


時々、芸名か何かだと思う方もいらっしゃるのであしからず。





そういえば、「くつ」を「ぬぐ」から、『足裏マッサージ』の店かと思った方もいたっけなあ





変わった名前というのは、それだけでいろいろなドラマがあるものですね

はじまりはじまり

2008-01-29 22:37:39 | よもやま話
みなさん、こんにちは


ついにはじまりました「くつろぎ通信」


徒手医療の考え方やテクニックのこと、生れも育ちも大阪の私が、北海道で暮らして思うこと


そして、いっしょに暮らしている3匹のネコのことなど、思いつくままつづっていくつもりです


じつは私、生れてこのかた日記・手帳というたぐいは続いたためしがありません


ブログも一度挫折し、二度目の挑戦になります。


今回も、こういうことにズボラな自分の性格を思うと 、はじめは腰が重かったのですが、「徒手医療協会のために!!」という古川理事長の熱い思いに動かされ、気持ちも新たにスタートすることにしました


さてさて、いつまで続くことやら。われながらホンマに見ものです


わたしもくつろいで書いていきますので、どうか遊びにいらしたみなさんもくつろいでご覧下さい