手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

ポジショニングの順序 その1~おじぎをしたら手が着く位置で

2015-09-19 17:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
ポジショニングとは、触診によって評価したり手技療法を用いる時における、セラピストと患者相互の体勢と位置関係のことです。

ポジショニングはとても大切で、これが悪いと触診による評価の正確性が低下したり、テクニックを用いるときのコントロールも不十分になります。

結果的に、治療効果が望めないばかりか逆に悪化させたり、セラピスト自身も腰痛などを起こして身体を傷めるリスクも高めてしまいます。



ポジショニングは複数の条件が合わさり、その時々に応じたベストな位置が決まります。

ベッドか床か、クリニックか在宅か、セラピストと患者の体格差、あるいは患者の不安の程度など心理的な状態によっても適切な距離は変わって来るもの。

適切な位置を速やかに決めるのは、初めのうちはなかなか難しいところがあるかもしれません。



そのため、まず練習の時にはパートナーのことは気にせず、自分が「楽に操作できる」ところを探すようにするとよいでしょう。

「楽操」ですね。



自分にとって楽に操作が出来る力があるからこそ、相手のことを考える余裕が生まれるわけです。

余裕がなければ、きちんと診ることは難しくなります。

その余裕を作るため、はじめのうちは自己中心で練習して構わないと私は思っています。



ポジションを決める基準の基礎として私がお勧めしているのは、おじぎをして手が着いたら刺激が加わる位置にとるというものです。

握手をするときに自然と手を出す位置、でもよいでしょう。

それらの位置が自分にとって、より自然に力を出しやすいところのはずです。



この位置を取るために、順序としてはまず相手(患者や練習パートナー)の位置を変えるようにします。

自分からではなく、相手からというのがポイントです。



近づけたり遠ざけたり、傾けたり回転させるなど口頭で指示しながら手で補助し、おじぎをしたら手が着く位置に動いていただきます。

例えば側臥位で腰部に対し、外方から内方へ圧迫を加えたい時。


私が楽に押さえるなら、このようなかたち。




こちらは前傾し過ぎています。

自然と手を着く位置ではありません。

この体制のまま圧迫しようとすれば、セラピストは前のめりになって無理な体勢になります。




反対にこちらは後傾し過ぎています。

先程と同じく自然と手を着く位置ではありません。

手首が背屈し過ぎて、力を伝えにくいでしょう。



それぞれ言葉と手で誘導しながら、おじぎをしたら手が着く位置に身体の傾きを変えていただくようにします。



あたり前の話のような気がするかもしれません。

ところが現場に出ると、患者さんに動いていただくことを申し訳なく思っているのか、そのままの体勢にしたまま自分だけ動こうとするセラピストもいます。

気持ちはわかりますし、相手を思う気持ちは大切にして欲しいのですが、ムリな体勢で操作することが互いにとって良くない結果を生むのであれば、協力していただいたほうがよいでしょう。



そのため練習のうちから、動いていただくよう指示することに慣れておいた方がよいと私は思っています。

もちろん、患者さんが身体を動かせない場合は別ですが、そうでければ遠慮なくお願いするようにしましょう。



次回は、セラピストの動く順序についてです。





≪雑誌掲載のお知らせ)≫

医道の日本9月号にて寄稿した記事が掲載されています。
「抑うつを有する患者への 頭蓋仙骨療法を併用した徒手的施術例」
よろければご覧ください。
医道の日本


「解釈」を変えれば「問い」が変わる~ありがとう10周年

2015-09-05 17:00:00 | 治療についてのひとりごと
「一期一笑」は治療家としての、私の座右の銘です。




一期一会の「会」を「笑」に置き換えて、患者さんが来院されるごとに(一期)、一歩ずつ笑顔に近づいていくようにという願いを込めて。

東京に住んでいた頃に思いつき、気に入って使っていたのですが、開業してから途中で解釈を変えました。



他の誰かと会う時、笑顔というのは取り繕うことができるものだからです。

誰かと会った時、つらい表情が出来ているのは、素直に表現できているという点ではまだよいのかもしれません。

問題なのは、心とは裏腹に笑顔を作っている方です。



笑顔を作ることで心もハッピーになる。

確かにそれも一理あり、助けられる方も少なくないでしょう。



でも無理に笑顔を作ることが反対にストレスになり、心の問題が深刻になる場合だってあります。

私は自分がうつ病を体験したことで、身を持ってそれを知りました。



ですから一人でいるとき、おだやかに微笑んでいられる姿こそ理想ではないか、そのように考えるようになりました。

今では、患者さんが一人でいるその時に(一期)、微笑んでいることができるような治療をしたいという願いを「一期一笑」に込めています。



「一歩ずつ笑顔に近づくように」から「一人でいる時に微笑むことができるように」へと「解釈」を変えれば、それに近づくにはどうすればよいのかという「問い」が変わります。

「問い」が変われば「答え」が変わります。

今回のケースの場合、より自立を促すような方法を取って行かなければならないという結論になりました。



そして「答え」が変われば「行動」を変えなければいけません。

とても難しい理想ですから、自分の治療院だけでどうこうできる問題ではありません。

でもその姿をイメージして、治療院としてどうあるべきかを考えてやってきました。



何をされているのか、受けていてわかりやすい治療を行うのもそのひとつ。

激痛治療もそうかな?

症状の出ている部分から治療を進めるというのもそのひとつ。

時と場合によっては突き放すようなことするのもそのひとつ。

これは私の性格的に、はじめは難しかったです。



これらは答えに対する行動として、自分なりに試行錯誤しながら作ってきたスタイルです。

一見するとそうとは見えないかもしれませんが

結果的にありふれた答えだったとしても、行動し紆余曲折を経て達した結論は、自分にとってしっかり確信が持てるものです。



もちろんこれが正しいというのではなく、私が自分で納得できる、プロとして責任を持つための、あくまで個人的なスタイルということなので、まったく反対のスタイルがあってもOKです。

むしろ反対のスタイルのほうが、一般的に勧められているということがあるかもしれません。

私も反対のスタイルを指導されたり、行っていたこともありました。



ただ、人間はさまざまなので、それに対応できる多様なスタイルが必要なはず。

だから現在の私のようなスタイルもまたOKかも、なんて考えています。



今回ご紹介した方法は、自分で学びを深めていくための方法のひとつです。

ある段階まできたら、ただインプットするだけではなく、アウトプットするだけではなく、自ずから深めていくということも必要になる時期もあるかと思います。

そのためのひとつの方法が、座右の銘なり行動指針なり、自分の支えにして言葉の解釈をかえること。

それによって問いが変わり、答えが変わり、行動を変えていきます。



変えることによって上手くいくかもしれないし、失敗するかもしれない。

必要なら修正をくわえればいい。

このプロセスの中で、新たな視点を身につけることができ、視野が広がり、自分の内的世界がより豊かになるように思います。

みなさんのご参考になれば幸いです。



付記:
おかげさまで9月2日、開院10周年を迎えることが出来ました。

たくさんの方とのご縁のおかげで、ここまで続けて来ることができました。

ありがとうございます。